第26話 進むか、戻るか。
レオナルドを殺したネクロマンサーの正体は、エウロペの大賢者だった。
大賢者は、魔人として生まれたステラやピノアを物心つく前に親と引き離した張本人であったが、魔術学院で育った彼女たちにとっては育ての親でもあり、そして、魔法使いとして、巫女としての師でもあった。
ふたりはどんな気持ちで、自らの身体をもアンデッドとし、肉片となっても地を這い自分たちを襲おうとする彼が、その活動を止め、消滅するのを眺めていたのだろう。
彼女たちにとって、大賢者は憎むべき存在であったが、今の彼女たちがあるのは彼のおかげでもあるのだ。
レンジには想像もつかなかった。
だから、かける言葉が見つからなかった。
見つかったとしても、それを安易に口にはしてはいけない気がした。
いつかレンジもまた、魔王となった父を殺さなければいけないかもしれない。
レオナルドが発明した、エーテルをダークマターへと変えてしまった放射性物質を浄化する秘術があれば、父がその身に取り込んだダークマターから解放してやり、救うことができるかもしれない。だが、救えないかもしれない。
レンジが父を殺さなければならない状況になってしまう可能性は、決してないわけではないのだ。
むしろ、その可能性の方が高いような気さえした。
しかし、たとえ父を殺さざるをえなくなったとしても、レンジと父との関係は、彼女たちと大賢者との関係とは真逆といっていい程に異なる。
魔王は、父は、レンジの血の繋がった実の父親であり、11年も前に行方不明になっていた。
父が優しかったことや自分を愛してくれていたことは覚えていたし、まじめで責任感が強い人だったことは、祖父母から聞いていた。それだけではなく、夢の中でこの世界を旅する父を見ていたから知っていた。
世界を超えた、共鳴や共振といったものが父とレンジの間にはあったからだ。それは互いに夢の中で相手の様子を知ることができただけであり、会話をすることはできなかった。
やがて、レンジは父の夢も見ることはなくなった。
だから、父が行方不明になってからの11年は、共に過ごしたとは言えなかった。育ててもらったとは言えなかった。
彼を育ててくれたのは、父でもなければ、働きもせず酒びたりになってしまい、幼い彼や生まれたばかりの妹を育児放棄した母親でもなく、祖父母だった。
彼は祖父母と共に妹の父の代わりもしてきた。
育ての親であり師でもある大賢者を殺さなければいけなかったステラとピノアの気持ちは、たとえレンジが実の父を殺すことになったとしても、なんとなく想像ができるというくらいで、完全に理解できはしないだろう。
きっとふたりもまた同じだ。
いつかレンジが抱えることになるかもしれない悲しみを、ふたりは完全には理解できない。
だからふたりもまた、レンジにかける言葉をみつけられないだろう。
ふたりにはそんな思いをさせたくないと思った。
だから、父を殺さないですむように、救えるなら救いたいと思った。
「どうする? 一度、エウロペに戻る?
大賢者や国王が何か企んでるのはわかってたけど、大賢者がネクロマンサーだった以上、国王も放っておいたらいけないよね?」
ピノアの問いに、
「そうね……この村で馬車を借りてランスへ向かうつもりだったけど……」
ステラはしばし頭を悩ませた。
村には馬車の荷台こそあったが、馬も、馬の扱いに長けた者も、大賢者によってその命を奪われてしまっていた。
レンジは馬車というものの存在こそ知ってはいたが、乗ったことがなかった。
乗馬と同じように、馬車も馬の扱い方を知らなければ、有効な交通手段にはなりえないという。
馬もエーテルによって進化し、人語を理解するだけの高い知性があるのではないかと思ったが、もしそうなのだとしたら、その馬はダークマターによってすでに混沌化しているはずだった。
おそらくは、すべての動植物がエーテルによって魔物へと進化したわけではなく、人の中から魔人が稀に生まれるだけであるように、大半の動植物はもともとの姿のままなのだろう。
馬車の馬も、馬も扱える者も、その死体は他の村人と同様にアンデッドにされてしまい、ステラやピノアは魔法で跡形もなく焼却するしかなかった。
そこに自我や心、魂はすでになかったが、大賢者によって生だけでなく死すらも踏みにじられた彼らに、ちゃんとした形での「死」という安らかな眠りを与えるためには肉片のひとつすら残してはいけなかった。
大賢者がレンジの前に現れたために、ふたりはすべてのアンデッドを焼却することはできなかった。
大賢者の死によっても、一度アンデッドとされた死体は動きをとめることはなく、ステラとピノアは大賢者の肉片を見つめながら、近づいてくるアンデッドに向かって、大賢者から目を放すことなく、魔法を放った。
それでもまだ残っていたアンデッドたちは、朝日の光を浴びてようやく動きを止め、灰になった。
この世界では、死者をどうやって弔うのだろう? レンジは思った。
ふたつの世界はもとはひとつであり、神が世界を七日間かけて作ったという神話を共有していた。
おそらく聖書も、旧約聖書と同様のものが存在するのだろう。
だとすれば、おそらくはテラにも宗教は存在するのだろう。
この世界において聖書を元にしているのは、何だろうか?
キリスト教か、それともイスラム教か、あるいはユダヤ教か、それ以外にも旧約聖書を神話とする宗教はリバーステラにいくつもあった。さらに宗派がいくつも分かれていた。
ステラは確か、テラでは2000年ほど前に世界が2つに分かれたのではないかと考えられていると言っていた。
2000年ほど前といえば、キリストがいた時代だ。確かキリストは西暦元年ではなく、紀元前6~4年頃に生まれ、30歳前後から処刑されるまでの数年間、宗教家として活動をしただけだという。
イエス・キリストを神の子とする新約聖書は確かキリスト教だけのものだったはずだ。
イスラム教ではキリストをあくまで預言者のひとりでしかないとし、神の子としては認めていないと聞いたことがあった。だからふたつの宗教は2000年にわたり、対立しているのだと。
キリストはユダヤ人であったが、なぜキリスト教徒であり、彼の処刑の際に使われ、手にした者が世界を手にすると言われていた聖槍を血眼になって追い求めたヒトラーやナチスが、ユダヤ人に対しアウシュヴィッツであのようなことをしたのかも、ユダヤ人はユダヤ教を信じており、キリスト教にとって(ヒトラーにとって?)邪教徒だったからだった。
そもそも、この世界にキリストは生まれたのだろうか?
エウロペという国や、彼女たちが信じる教えが何なのか、レンジはまだ知らなかった。
イスラム教やユダヤ教のことはよく知らなかったが、キリストの教えを信じる国は、確か日本と違い死体を火葬ではなく埋葬し、そこに墓を建てる。
この世界に来て、まだ三日目なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、まだまだ知らないことがたくさんあるなとレンジは思った。
「北へ行けばもう少し大きな街があるから、きっと馬車を借りられるでしょうけれど、その街にたどりつくまでに数日はかかってしまうわね。
でもここからなら、徒歩でも街道に沿ってカオスを避けていけば半日もあればエウロペに戻れるわ」
ステラの言葉に、ピノアは露骨に嫌そうな顔をした。
「こんなことなら、攻撃魔法だけじゃなくて、空を飛ぶ魔法とか瞬間移動の魔法とかも覚えておけばよかったなー」
ピノアは元気にふるまってはいたが、若干、というか、かなり眠そうだった。
レンジがそう感じた瞬間にピノアは大きなあくびをした。
無理もなかった。
レンジたちがエウロペの城下町を出たのは昨日の朝で、この村にたどりついたのは昨夜のことだ。
そして、村人たちがネクロマンサーに殺されているのを知り、ネクロマンサーの、つまりは大賢者の襲撃を受けた。
それからつい先ほどまで大賢者の肉片を眺めていたのだ。
三人とも一睡もしていなかった。
レンジもひどく疲れていたし、ステラのきれいな顔には目の下にくまができていた。
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