第11話 エーテルとダークマター

 レンジは城下町の出入口に向かって走った。

 全身を被う甲冑は重くないだけではなく、走ってもガチャガチャとやかましい音を立てることはなかった。


 ダ・ヴィンチ・ソードは、レンジが持つことによって、彼のスピードを2倍から3倍に引き上げるということだったが、腰に下げているだけでは意味がないようだった。

 しかし、剣を鞘から引き抜く必要はなく、柄を握るだけで彼の脚力は一気に跳ね上がった。


 城下町を一気に駆け抜けると、草原らしき場所に出た。

 旅人や行商人のためだろうか、町の中にいくつもあったエーテルの街灯が、草原の中にある舗装されていない道を照らしていた。



「来ると思ってたぜ」


 魔装具鍛冶職人のレオナルドがいた。

 待ち合わせをした覚えはなかったが。


「にーちゃん、サトシの息子だろ? 親父さんのことはもう聞いたか?」


 なるほどな、とレンジは思った。

 彼は魔人だ。100年以上生きている。

 父と面識があっても何らおかしくはなかった。


「一目見たときに気づいたよ。

 顔や声や雰囲気、たたずまいまで父親にそっくりだったからな。

 だから、サトシのために作った魔装具を、そのままにーちゃんにくれてやることにした」


 レオナルドは言った。


「俺にそれを作るよう依頼してきたとき、サトシの体はかなりダークマターに蝕まれていた。

 ほら、ちょうどあんな風に」



 少しでも早く、ステラやピノアの足を引っ張らないくらいには戦えるようにならなければと思い、レンジはここへやってきた。

 城下町を出てすぐに魔物と遭遇することはないだろうとは思っていたが、どうやら彼が何らかの方法で魔物を呼び寄せてくれていたらしい。


 そこには、街灯がまばらにあるだけの闇夜の中では一見ただの野犬に見えたが、近づいてくるにつれ、犬は犬でも三つ首の魔犬だとわかった。


「さすがにサトシは首が増えたりはしてなかったがな。

 そいつの血走った目や、気配を消す気もない、血に飢えた好戦的な様子がよく似ている。痛みに鈍感で、死ぬことに恐怖もない感じもな。

 だが、サトシはそれでもなんとか正気を保ち続け、この世界のすべてのダークマターを浄化しようとしていた」



 三つ首の魔犬がレンジに向かって牙を剥き襲いかかってきた。


 レンジはとっさに両手に剣を構えたが、三つ首の方がはるかに素早かった。



「そいつはケルベロスって呼ばれてる。たぶんにーちゃんの世界の神話か何かにも出てくるやつだ。

 にーちゃんから見たらそいつは魔物かもしれないが、魔物って連中はもっと頭がよかった。

 この世界では、そいつみたいな奴を『カオス』って呼んでる。


 ケルベロスは、この辺りでは最も素早く、並みの人間では全く太刀打ちできないカオスだ。そんな魔犬がこの辺りにはごろごろしてやがる。

 その剣を持ってても、今のにーちゃんじゃそいつの早さについていけねぇはずだ。

 一太刀でも浴びせることができれば、あの鉱石人形みたいに真っ二つにできるが、今のにーちゃんはかなり難しいだろうな。


 だが、その甲冑がある限り、にーちゃんはそいつに食い殺されることはねぇ。

 それどころか怪我ひとつしねぇだろう。

 朝までにそいつに一太刀浴びせられるくらいのすばやさを身に付けろ」



 確かに魔犬は素早かった。


 レオナルドが魔犬について話している間に、レンジは何度攻撃をかわされたかわからなかった。その何倍もの数の攻撃を、甲冑がレンジの身を守ってくれていた。


 しかし、それは彼が話している間だけのことだった。


 彼が話し終わる頃には、レンジはすでに魔犬の動きを完全にとらえていた。


 確かに素早いが、その攻撃に知性はあまり感じられず、パターンが限られていた。

 攻撃に出る瞬間の動きから、どんな攻撃をしかけてくるかがわかった。


 突進して噛みつこうとしてくるのをかわすと同時に斬撃を繰り出すと、魔犬が着地した瞬間には三つの首は地面に転がっていた。



「へー、結構やるじゃねーか」


 レオナルドは感心していた。


「その三つの首の切断面から黒い瘴気のようなものが出ているのがわかるか?

 そいつがダークマターだ。

 カオスは皆、死ねばダークマターを周辺に撒き散らし、他のカオスをさらに強くする。

 このまま、その死体を放っておけば、お仲間の魔犬どもがすぐに集まってくる。

 そいつらを殺せば殺すだけ、次に集まってくる魔犬はダークマターを吸収し、さらに強く、すばやくなる。

 それを朝まで繰り返してたら、にーちゃんは相当強くなれるだろう」


 だがな、とレオナルドは言った。


「俺はこの100年近くの間、サトシひとりにバカ国王の尻拭いをさせ、魔王にしちまったことをずっと後悔してきた。

 だから今度は同じヘマはやらねぇ。にーちゃんがサトシの息子ならなおさらだ」


 彼は手に何かを持っていた。それは武器ではないようだった。


「ダークマターを浄化すればエーテルになるってことは、元々はエーテルだったってことだ。

 そもそも、人工的にエーテルを産み出そうとした結果、産まれたのがダークマターだしな。

 おそらく、エーテルに別の魔素がくっついた状態がダークマターだということは、サトシがはじめて浄化してみせてくれたときから気づいていた。

 完成させるのに随分時間がかかっちまったが、ダークマターからエーテルを切り離すことさえできれば、にーちゃんはサトシみたいにならずに済む。

 サトシを元に戻してやることもできるだろう」


 エーテルの街灯の下で、レオナルドの手にあるものが、試験管のような形をしているのが見えた。

 そこに見知ったマークが描かれているのが見えた。おそらくはこの世界には存在しなかったはずの、リバーステラにだけあったはずのマークだった。


「エーテルじゃねぇもうひとつの魔素について、サトシはひとつの仮説を立てていた。

 リバーステラからもたらされた負の遺産じゃないかってな。

 だから、サトシは必死にダークマターを浄化しようとした」


 レオナルドはその試験管のようなものをケルベロスに向けると、彼の言う「リバーステラの負の遺産」である魔素だけを封印してみせた。


 ケルベロスの三つ首の切断面から出ていた黒い瘴気のようなものは、夕暮れに湖でステラとピノアといっしょに見た蛍のような光に変わり、そしてすぐに大気に溶けていった。


「ホウシャセイブッシツと、サトシは呼んでいたよ、こいつのことを」



 試験管に描かれていたマークの意味を、レンジはそのときようやく理解した。



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