第4話 ふたつの世界。その違い。
レンジが自宅以外でマスクをはずしたのは、7ヶ月か8ヶ月ぶりのことだった。
それだけでも彼が感じた開放感はとても大きかったというのに、それだけでなくこの世界の空気はとてもおいしかった。
ふたつの肺が、きれいな空気に満たされるのを感じた。
心臓から全身に流れる血液が、そのきれいな空気に含まれる酸素を運び、身体中が喜んでいるのを感じた。
レンジはふと、子どもの頃、両親に伊勢神宮に連れていってもらったことがあったのを思い出した。
幼かったとはいえ、伊勢神宮とおかげ横丁の間にある森(と呼べばいいのだろうか?)の、美しい自然と空気は、神々しさや世界のあるべき形を教えてくれているような気がしたのを覚えている。
父も母も、伊勢神宮が大好きで学生の頃から季節が変わるたびに訪れていたという。ふたりは生まれた場所も育った場所も通っていた大学も就職先も違っていたが、学生の頃から何度か伊勢神宮ですれ違い、顔見知りにしなり、そして連絡先を交換し、交際に発展したと聞いていた。
この世界の空気は、あのときの感じた神々しさや世界のあるべき形と同じように感じた。
まるで、この世界全体がパワースポットであるかのように。
ステラが口にしていた「エーテル」という物質のせいだろうか。
だとしたら、彼が元いた世界のパワースポットと呼ばれる場所には、エーテルが存在するのではないか、そんな風に思った。
「ステラ~、お城につく前にお客様に説明しなくちゃいけないこと忘れてない~」
先ほどからずっとむすっとした顔をしていたピノアにそう言われ、
「あ、ごめんなさい。
わたしとしたことが、あなたにちゃんとこの世界についてや、あなたがなぜこの世界にやってきたのかについて説明しなければいけないのを忘れてしまっていたわ」
ステラはレンジにしなければいけないことをすっかり忘れていたことに気づき、はっとしたようだった。
レンジは、別に構わないよ、と答えた。
「この世界は『テラ』。あなたのいた世界とは表裏一体の存在。
だからわたしたちは、あなたたちの世界を『リバーステラ』と呼んでいるわ。
でも、あなたたちの世界を基準として考えるなら、あなたたちの世界がテラで、この世界がリバーステラということになるのでしょうね」
やはりそうか、とレンジは思った。
「そして、この国の名はエウロペ。
世界で最も魔法の研究が盛んな国よ。
精霊の力だけではなく、神や悪魔といった存在を召喚し、使役する秘術の研究も行われているわ」
ステラはそう続けた。
100年前に生まれたリバーステラとのゲートは、偶然の産物だったという。
神を召喚するためのはずの魔方陣が、なぜか異世界へ繋がるゲートになったそうだった。
城下町を抜けると、大きな湖があった。
日が暮れ始めた湖には、蛍ような光が無数に浮かんでいた。
小さいが優しく暖かな翡翠色の光だった。
「これはぼくのあくまで憶測にすぎないんだけど……」
レンジはその美しい風景を眺めながら言った。
「ぼくが元いた世界リバーステラと、この世界テラは、もしかして元々はひとつだったりするのかな?」
ステラもピノアも驚いた顔をした。
「どうしてわかったの?」
「なんでなんでー!?」
「んー、なんとなくなんだけど、リバーステラは科学文明が発達した世界で、テラは魔法文明が発達した世界なんじゃないかって思ってさ。
リバーステラにも、古代には手をかざすだけで難病を治したり、杖で海を割ったりする人がいたって話が今でも残ってるし」
ステラは、あなたはとても頭がいいのね、と言った。
「あなたの言うとおり、テラにもそういった人物がいたという記録が残っているわ。おそらくは同じ人ね。
2000年ほど前まではおそらくひとつの世界だったと考えられているの。
どうやらふたつの世界は同じ神話を共有しているようだし。
あなたの世界でも、神が七日間かけて世界を作ったという神話があるのでしょう?」
レンジはこくりとうなづいた。
「確か、六日かけて世界を作って」
「最後の一日は休んだ。そうでしょう?」
やはり、同じだった。
ふたつの世界が、科学と魔法、まったく異なる文明の進化をたどるきっかけになった最も大きな違いは、大気中にエーテルという物質が存在しているかどうか、なのだという。
レンジは、エーテルという言葉に聞き覚えや見覚えがあったことを思い出した。
それは、ゲームの世界で主人公たちが魔法を使うたびに消費する魔力を回復するアイテムの名前だった。
そのゲームには、武器や防具、回復アイテムといったものから、モンスターや召喚獣の名前など、世界中の神話からいろいろなものが、その多くはあくまで名前だけであったが取り入れられていたから、エーテルについて調べてみたことがあったのを思い出した。
それがきっかけで、中学生だったレンジは、宗教の教えというものにはまったく興味を抱くことはなかったが、その元になった世界中の神話や、今もなお「神の名において」戦争を繰り返ししている宗教の歴史について興味を持った時期があった。
エーテルは、リバーステラにおいて、かつて光を伝達する物質として大気中に存在すると考えられていたものだった。
そして、後に、光はそのような物質を介さずとも伝達が可能だと判明していた。
その頃にはもうリバーステラからエーテルは失われており、存在しない架空の物質であった。
おそらくエーテルは、世界がふたつに分かれたときに、すべてこの世界・テラのものになったのではないだろう。
もしかしたら今でもリバーステラのパワースポットには存在しているかもしれないが。
しかしテラにおいてエーテルとは、人が精霊の力を借り魔法を使うための源となったり、動植物を魔物に変えるものであるそうだ。魔素(まそ)と呼ばれることもあるという。
レンジがこの世界の見慣れない文字を読めるようになったり、聞き覚えのない言葉を理解できるようになったりしたのもエーテルのおかげだそうだ。
エーテルは清き水より産まれ、大気に溶けていく。
それまでのわずかな時間の間だけそんな風に光を放つのだという。
目の前の美しい光景は、リバーステラにはない、テラだけのものだった。
本当に違う世界なんだな、とレンジは今更ながらに思った。
「けれど、テラとリバーステラは、どちらかの世界が滅びてしまったら、もう片方も滅びてしまう」
ステラは、そう言い、
「テラは今、滅亡の危機にあるの。
あなたたちの世界が、科学の発展によって、快適で豊かな暮らしを手に入れた代償として星そのものを食いつくそうとしているように。
わたしたちの世界もまた、魔法の発展によって、星そのものといっても過言ではないエーテルを食いつくそうとしている。
そして、エーテルを人の手で産み出そうとした結果、ダークマターと呼ばれるものを産み出してしまった。
それはエーテルよりもはるかに強力な魔素であったけれど、人が扱えるものではなかった。
けれど、魔物はそれを取り込み人の手には負えない存在へと進化した。
そして、100年前に偶然開いたゲートから現れた、リバーステラからの最初の来訪者はダークマターを扱うことができた。
ダークマターは彼が使用することによって浄化され、エーテルになることがわかった。
わたしたち巫女は、ダークマターを扱えるリバーステラからのお客様を守護し、共に魔王を滅ぼす者」
3人はしばらく湖を眺めていた。
そろそろ行こうか、とレンジは言った。
湖にかかった橋を3人は渡り、城へと向かった。
魔王について、ステラは何も言わなかったが、レンジは『なんとなく』気づいてしまった。
おそらく、魔王とは、リバーステラからの最初の来訪者だと。
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