第30話 VS九尾の狐 その5

「さて……」


「お互いギリギリも良い所よね」


 朽ちた神社の境内はおびただしい数の妖魔の死体がひしめいている。


 地面に転がるのは土蜘蛛が都合5体に、雑魚妖魔が400程度。

 そして次から次に湧き出てくる妖魔達。

 私達の周囲には土蜘蛛が7匹に、そして土蜘蛛よりも更に上位となる……牛鬼が一体見える。


「レーラ=サカグチ? もう良いわ」


「……もう良い? 私はまだやれるわっ!」


「引きなさいっ! これだけやってもらえれば……もう十分っ! お願いだから……引き際だけは……間違えないでっ!」


「だから私はまだやれるっつってんでしょっ!」


 私は全身に裂傷を負い、白装束は既に真っ赤に染まっている。

 右わき腹と左足に骨折。そして右肩に至っては恐らく複雑骨折となっている。

 私の背後で息を切らせているレーラ=サカグチの傷は更に甚大だ。

 左手の指の数本は欠損し、右足を貫通する裂傷を何発か被弾している。

 全身、まさに血だるまとは正にこのことだろう。

 

 だが、彼女はドミニオンズとして神の加護を受けている。

 即死でなければ48時間もあればあらゆる怪我は完治してしまう――故に、彼女の戦い方は攻撃一辺倒でどうしても防御は雑になってしまうのだ。


 とはいえ、流石のドミニオンズといえども……そろそろ戦う力を保てる限界に達しかけている。


「もう……良い。もう……私の為に傷つかなくても良い。十分よ。もう……十分」


 そこで、私は絶句した。

 ここにきて、レーラ=サカグチから感じられる霊圧が爆発的に上がったのだ。


「極東の島国で……馬鹿にされるワケにはいかないっつってんのっ! 全霊装限界解除っ! 聖遺物の使用を――解禁するっ! これは私の定めた私の法理の決定事項! ここ一度だけ――ヴァチカンの定めし禁止事項をぶっちぎるっ!」


 思わず私を背後を振り向き、そして大きく目を見開いた。

 彼女の持つフェイク・ロンギヌスが虹色に輝き――白銀の槍から真紅の槍へと姿を変えたのだ。

 これは……フェイクではなく、本物の……?


「まさか貴方……聖遺物の所有者なの?」


「……」


 レーラ=サカグチは私の質問に答えなかった。

 ドミニオンズはエリート特務部隊とは言え、所詮は量産型だ。

 聖遺物を与えられるなんて通常はありえない……いや、たった一人で極東に派遣されてきたわけだから、彼女もまたワケあり……ということか。


「全霊装――オーバードライブっ! この場の全ての化け物を――ぶち殺すっ!」


 彼女の鎧が眩いばかりの金色に光り輝き、そしてレーラ=サカグチは走り出した。


 ――例えるならそれは疾風。


 瞬く間に周囲の土蜘蛛が胴体を突き刺され、次々に倒れていく。


 そうして、土蜘蛛が全て倒れたところで彼女は大きく跳躍した。


「おおおおおおおおおっ!」


 咆哮と同時に向かう先は牛鬼。

 その額に彼女はロンギヌスの槍を突きたてんと――したところで彼女は空中で牛鬼から横薙ぎに殴られ吹き飛んだ。


「くっそ……こんな三下に……っ!」


 20メートルほど地面を滑り、すぐに彼女は立ち上がるが、その眼前には牛鬼。

 確かに十分に……彼女であれば牛鬼すらも討滅できる力はあるが、既に彼女は十分すぎるほどの深手を負っている。


「まさか聖遺物を授かりし私が極東のこんなところで終わる……なんて……」


 そして一番致命的なのは、先ほど牛鬼からアゴに受けた一撃だ。

 彼女の脳は揺さぶられ、今――視界はドロドロに溶けている状況だろう。

 レーラ=サカグチの膝は完全に笑っていて、今からはどのような迎撃も……そして退避も不可能だ。

 牛鬼が次の一撃を繰り出そうとして、レーラ=サカグチは槍を手放し胸の前で十字を切ってそして――


「炎符:極獄炎――連式」


 私は札をダース単位で取り出して牛鬼に投げつけた。

 これは私の持ちうる最強火力であり、逆に言えば牛鬼クラスの霊的存在には私の持つカードでは……これ以外ではダメージは与えられない。

 森下君風に表現するのであれば、私の最大MPの半分を持っていくような術式であり、本日、私の使える符術はこれで打ち止めとなる。


 32枚の地獄の炎が牛鬼を包み、そして爆発音が響き渡った。

 鼓膜が破れるんじゃなかろうかという爆音が消えて――


 ――しかし、牛鬼はプスプスと体表を焦がした煙をあげながら、こちらに向けて笑みを浮かべた。


 刹那の時間で牛鬼は私の眼前へと移動し、そしてニヤリと笑った。


「私の最強の攻撃手段……極獄炎でも……歯が立たないか」


 そうして、牛鬼は私に向けて攻撃しようと手を振りあげた。


「でも、この場で本当の最強の攻撃手段を持っているのは私ではないわ。おあいにくね……牛面さん」


 私の言葉で牛鬼は背後を振り返り、絶句した。


 ロンギヌス――聖遺物を手に、純白の翼を羽ばたかせて、猛スピードで金色に輝く魔装天使がこちらにむけて突撃をかけてきていたのだ。



「いっけええええええええええええええええええっ!」



 ロンギヌスの一撃は牛鬼の心臓を貫き、そして牛鬼はズシンとその場に倒れこんだ。


 私とレーラ=サカグチは互いに右手を高々と掲げる。


「アンタ……喧嘩上手いじゃん?」


「こっちは内心……最後の最後まで貴方の脳震盪が治るかどうか……ヒヤヒヤだったわ」


 パチンと私達は掌をハイタッチさせる。

 とりあえず、当面の目に見える範囲の妖魔は全て倒した。が、これからも妖魔は沸き続けてくるだろう。

 だが、私のMPはゼロで、レーラ=サカグチにしても限界は近いだろう。


「もう、本当にここらが潮時よ?」


「潮時? そんなことは私が決めることだわ」


 呆れた……とばかりにクスリと私が微笑が浮かべたその時、レーラ=サカグチが吹き飛んだ。



 ――デコピンだったのだと思う。



 超霊的存在の出現に私の全身の毛穴は粟立ち、そして嘔吐を堪えるのに必死で……私は何が起きたのかを見ているどころではなかったのだ。


「ハ……ァ? オーバー……ドライブ状態の私を……一……撃?」


 ともかく、レーラ=サカグチは超霊的存在の放ったデコピンで30メートルほど吹き飛び、樹齢1000年を超える杉の大樹に半径数メートルのクレーターを作り――そして樹木にメリこんだまま沈黙――気絶した。


「いやはや見事じゃ。いや――見事なり人間よ」


 20代前半に見える銀の長髪の美丈夫。

 

 白と真紅の神主装束、そして9本の狐の尾。


 日本刀のような冴えわたる――美形の男はカッカと笑った。


「土蜘蛛はおろか牛鬼までを下すか。この時代の人間にしてはほんに良くやった。褒めて使わす。良い見世物じゃった。さしもの我も手に汗握ったぞ」


 先ほどから――膝の震えが止まらない。


 戦場に身をおくものして分かる。いや、格の違いが分かりすぎる。


 昆虫のカマキリが野生の虎と対峙して、如何にして立ち向かえというのだろう。




 ――これが神獣。いや、神か。


 


 ガクガクと震える膝を押さえつけて、私は精一杯の虚勢を張った。


「貴方が九尾? 雑魚妖魔を引き連れてお山の大将気取りなんて……お里が知れるわね」


 その言葉でクックと九尾が笑った。


「膝が震えておるぞ? 人間よ?」


 見透かされている――と私は唇を噛んだ。


「しかし、ぬしゃらの戦いは我も息を呑んだ。本来であれば小鬼を大量に召還し、3日3晩犯した後に食おうと思っていたが気が変わった」


「気が変わった?」


「ぬしのような輩は恥辱では屈しぬ。故に――痛みをもって先ほどの見世物の礼としよう」


「……痛み?」


「少しずつ、少しずつ食ろうてやるわ。皮をはぎ、殺さぬように丁重に内臓を抜き取ってやろう。そうじゃの……1ミリずつ刻んで行くと言うのも楽しかろう」


 血の気が引いていくのが自分で分かる。

 その場で倒れそうになるのを私は必死に堪えた。


「……」


「ふふ、左様におびえんでもいい。良い声で泣き叫べば……多少は温情もくれてやろう」


 その時、私の頬に涙が伝った。

 

 お姉さまに対する恨み。

 

 お父様に対する恨み。


 ――そして、私自身に対する――無力へ対する恨み。


 色んな感情が押し寄せてきて、もう……何がなにやら分からない。


「ほう。これは興ざめじゃのう。脅しの言葉だけで涙を流すとは」


 九尾は肩をすくめて私に向かって歩みを進めてきた。


「やはり小鬼を召還して恥辱から始めるかの。時にぬしは処女かの?」


「……そうよ」


「小鬼はアレも小さい。良かったの。一番最初の痛みは小さいぞ?」


 体も振るえ、悔しさと怒りと恐怖で涙も止まらない。


 私の為に体を張ってくれたレーラ=サカグチもまた、私と同じく籠の中の鳥だ。

 恐らくは彼女もまた、私と同じ運命を辿るだろう。


 どうして……どうして私はこんなに無力なの。


 視界が涙で溢れて、涙で何も見えなくなった時――疾風のごとき一陣の風が吹いた。




「ぷぎっ!? ぷっ……しゃああああああああああああああああっ!!!!!!!!?」




 冗談のような奇声をあげながら、九尾が吹き飛んでいく。


 そして、九尾はレーラ=サカグチがめり込んでいる樹齢1000年を誇る大樹の横――樹齢2000年を誇る御神木にめり込み、そして神木の樹体を突き破っても未だ止まらずに吹き飛んでいく。

 

 メリメリメリメリメリメリっ!


 樹木をボーリングのピンのようになぎ倒しながら、数十メートル吹き飛んで九尾はようやくそこで止まった。


「……森下君?」


 金属バットを片手に、パーカーとジーンズという姿の少年がそこにはいた。


「ホームランってところだな。流石は聖剣エクスカリバーだ。擬態を使っての現代仕様でもキッチリ仕事をしてくれる」


「森下君? 貴方……ど、ど、どうして来たの!?」


「どうしてって……阿倍野先輩を助けるのに理由がいるんですか?」


「でも、貴方……」


「ねえ、阿倍野先輩? サカグチさんから事情は聞きましたよ? 俺は怒っているんですよ」


「……何?」


「全身血まみれでボロボロじゃないですか。震えてるじゃないですか。そして――泣いているじゃないですか」


「……」


「どうして俺に一言……言ってくれないんですか? 何でなんですか? いい加減に俺を振り回すのは辞めにしてくださいよ」


「私はただのメル友で……」


「ねえ、先輩?」


「……何?」


「確かに俺も悪かったかもしれません。そりゃあ冗談でただのメル友とかいったこともありますよ? でもね?」


「……」


「俺ら、もう他人じゃないじゃないですか。誰がどう見ても――友達じゃないですか。いや、少なくとも俺はそう思っています。そんでもって、友達を助けるのに理由がいるようなゴミクズには……俺は父ちゃんと母ちゃんには育てられてないんですよ」


「森下……君?」


「もう、怯えなくて良いんです。震えなくて良いんです。泣かなくても――良いんです」


 そう言って、森下君は数十メートル先で立ち上がった九尾を睨み付けた。


「てめえか? 阿倍野先輩を……意地っ張りで……誰にも弱みを見せない……強がりなだけの……ただそれだけの……泣き虫な……本当はそこらへんのどこにでもいる当たり前の17歳の女の子を泣かせやがったのは……テメエかっ!」


 そうして、森下君は夕闇の空に向けて咆哮した。


「おい! クソ狐っ! 散々っぱら好き勝手やってくれたみてえだなっ! この人にはもう……俺がっ! 森下大樹が――全身全力全霊を持ってこれ以上は指一本も触れさせねえからなっ!」







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