第32話

 それから3日後。



 俺とリリスは大陸北西部へとのびる大きな街道を歩いていた。

 この街道は北西の港町と大陸内部を結んでいて、海路経由の交易品や、あるいはサバやサーモンなんかの海産物の燻製なんかの運搬に使用される。


 したがって、道は整備されているし人通りも多い。

 所々に宿場町や屋台なんかも出ているし、不便な点は特にない。


「……リュート? 後何日ほどかかる?」


 俺の上着の裾をつまみながら追従してくる同行者は、不機嫌そうにそう尋ねてきた。


「アルテナ魔法学院の所在する魔法都市はこの道のほぼ終点に所在する。まあ、後……2日ってところだな」


「……やはり私は反対。龍王様の言う通りに……里で私とリュートでずっと二人で暮らせば良い。北の勇者の事なんて私は知らないし、人類に迫る大厄災なんて私やリュートには関係が無い」


「そういう訳にもいかねーだろうが」


 龍王曰く、俺がコーデリアを腑抜けにしてしまったらしい。

 元々はゴブリン事件をきっかけにしてコーデリアの勇者としての自覚が生まれ、彼女は常軌を逸した修練に打ち込むようになるはずだったのだが……それは行われなかった。



 邪龍アマンタの事件の時にコーデリアを見たが、確かに酷かった。

 本来の歴史ではアマンタはコーデリアに退けられるはずだったが、あの時点でのアマンタとコーデリアの力量差は相当なものだった。

 恐らく、コーデリアが二人いてようやく良い勝負ができるんじゃなかろうかという風な有様だったのだ。



 けれど、そんな事情は周囲は知らずに既定路線のどおりに彼女を人類の決戦兵器として今後扱っていくだろう。


 その際にコーデリア単独で物事を解決する事ができるとは到底思えない。


「やれやれ……全く……面倒な事だ」


「……面倒であれば引き返そう。今すぐ……引き返そう」


 リリスの声色が明るくなったので、後ろを振り向いて表情を確認してみた。

 何度も頷き、そして頬を緩ませていた。


「……帰ろうリュート。里に帰ろう。あんな女は放っておいて、今すぐ帰ろう。ダッシュで帰ろう」


「だから、そういう訳にはいかねーだろうが……」


 と、俺はそこで進行方向に向き直り、異変に気付いた。

 延々と続く街道を道行く人々が全員――道の中央を避けて脇に寄り始めていっていたのだ。


「ん? どうしてみんな脇を通ってるんだ?」


 そこでリリスは呆れたとばかりに苦笑した。


「……リュートはやはり常識を知らない」


「まあ基本は田舎暮らしだったからな。龍の里に暮らし始めてからは魔界やら未踏の極地やらに飛び回っていたし……」


「……それは私も同じ事。物心がつけば私は奴隷で、いつの間にか龍の里に住んでいた」


「じゃあ何でお前は常識を知ってんだよ?」


「……私は龍の図書館の司書。常に本に囲まれて暮らしてきた」


「俺のスキル:叡智で前回の人生の時は本を読みまくってたんだがな?」


「……貴方は自分が強くなるという観点でしか読む本を選んでいない」


「なるほど。で……どうしてみんな脇を通ってるんだ?」


「……大貴族の大名行列が後方から来ている。子弟が魔法学院に入学するのだと思う」


 リリスの言葉通りに俺の視界に西洋風の大名行列が飛び込んできた。

 と、同時に脇を通っていた人々は歩みを止めて平伏を始めた。


「俺も平伏しといた方が良いのか?」


「……好きにすれば良い」


「好きにすれば……っつーと?」


「……暴力とはワガママを押し通す力。貴方の力は十分に規格外。誰が相手でも……貴方はワガママを押し通す事ができる」


「つまり?」


「……好きにすれば良い。貴方の思う通りに、好きに生きれば良い」


 良し、と頷き俺は道の中央から脇に寄る。

 そうして地面に膝をついて平伏した。


「……リュート?」


「どうした?」


 リリスもまた、俺に追従しながらその場に膝をついた。


「意外に素直で驚いた」


「無駄に目立ちたくもねーしな。権力者相手に大立ち回りするのも面倒だろうし」



 俺の眼前を大名行列が通り過ぎていく。

 目的地は俺達と同じ魔法学院だろう。

 従者に先導された馬車が数台。それぞれの馬車を囲うように騎乗した甲冑の男が数名。

 更にそれを囲うように歩兵と雑用番と思われる平服の連中。


 人数の総数は50~100名程度だろうか。



「大袈裟なんだよ」



 無駄に煌びやかな馬車を見て、俺は溜息をついた。

 それに、従者の人件費を考えるとそれは正に冗談のような金額だろう。


 こういった所に血税が使われている訳で……と、生まれ故郷のクソ田舎に残してきたこっちの世界での父親と母親を思う。

 朝から晩まで働き詰めでも暮らし向きは良くはならない訳で……。


 と、そこで馬車の内の一つが俺の眼前で停止した。


「……?」


 怪訝に顔を上げると、馬車の中から丸丸と肥え太ったチョビヒゲの中年男が降りて来た。

 宝石で彩られた豪奢な衣装。


 男は俺の眼前に仁王立ちを決めてこう言った。


「そこの女……面を上げろ」


 言われたリリスは顔を上げる。

 そこで男は醜く表情を破顔させ、腰をかがめてリリスの顎を親指と人さし指で掴んだ。


「ふむ……貴様は……逃亡奴隷か? しかも性奴隷だな?」


「……何故その事を?」


 そのまま男はリリスの右手を掴む。


「馬車に乗れ。街で奴隷商会に引き渡す。そして道すがら……可愛がってやろう。いや、状況によっては貴様の身請けをしてやっても良い」


 強引にリリスを立たせる。

 男はそのまま引きずりこもうと言う勢いで、リリスを馬車に向けて引っ張っていく。


 そうしてリリスは俺に助けを求めるように視線を送って来た。

 そういえば、奴隷紋の関係の処理は何もしてなかったな……と俺は溜息をついた。



 逃亡奴隷は奴隷商会のデータベースを通じて、本来の奴隷の持ち主へと返還される事になっている。



 確か、奴隷紋による制約で、逃亡奴隷は『奴隷商会に連れて行く』と宣言した者の命令には、その目的を遂行するに正当な範囲で逆らえないという文言があったはずだ。


「おい、オッサン……ちょっと待てよ」


 俺の言葉に中年男が振り返り、面倒くさげにこう言った。


「何だ? 下郎? 俺がファシリア王国の国王陛下の弟――大貴族と知って……口を聞いているのだろうな?」


 あんまりな言い方に俺はあんぐりと大口を開く。


「幾つか聞きたい。まず、どうしてリリスが奴隷だと分かった?」


「たまには……下郎の者と話をするのも見聞を拡げる意味では有効か。よかろう、質問に応じてやろう」


 隠す気もない嘲りの視線。

 なるほど、ファンタジー世界なだけあって……貴族様は中々にファンタジーな性格に捻じ曲がっていらっしゃるようだ。


「俺は大貴族だ。そうであれば大量の奴隷の所有者でもある。そうであれば……当然に持っている訳だ」


「持っている? 何を?」


 そんな事も知らないのか、と言う風に中年男は俺を鼻で笑った。


「奴隷紋の探知機だよ。俺の性奴隷の飼い方はかなり荒っぽいのでな……逃亡奴隷が多数出る訳だ」


「……なるほど。で、もう一つ聞きたい事がある。身請けとは……どういう事だ?」


「通常、逃亡奴隷を発見した場合、商会に引き渡して幾らかの謝礼を受け取って奴隷は持ち主の下に返還される。ただし……長期間行方不明となっている奴隷の場合は所有権の所在が曖昧になるのだよ」


 不動産所有権の時効成立みたいなもんか?

 まあ、何となく言わんとする事は分からんでも無い。


「……で?」


「そうして逃亡奴隷は奴隷商会に引き渡される前に、女であれば味見をされる訳だ。そこで今回の場合であれば俺のような立場の者が……気に入る事もあるだろう? 特に、この奴隷は最上級の上玉……大貴族である俺でも滅多にここまでの上モノはお目にかかれない」


 リリスに舐めつけるような視線を男は送る。

 下から上までをしゃぶりつくすような感じで、見ていて非常に不愉快だ。


「で、気に入った場合は……?」


「過去に奴隷商会で何度も何度も揉めたらしいな。逃亡奴隷を見つけた側が『金を払うから奴隷を寄こせ……!』『いや、この奴隷は俺のもんだから!』『でも、逃亡の途中に見つけたのは俺だろうが!』と、まあそんな感じな訳だな。いやはや、性奴隷と言えどもそこは男女の仲だからな、嫉妬や独占欲、あるいは純粋に恋心が絡んで……色々あったらしい」


「……で?」


 男は3本指を立たせた。


「3年ルールが設けられたのだ。逃亡後3年以上経過しているのであれば、金貨10枚を支払えば身請けが出来るとな」


 ちなみに、この世界での貨幣価値は金貨1枚が日本円で言う100万円に相当する。

 1000万円での身請けと言う事だから、それは結構な金額だ。


「大貴族様よ……悪いんだが、この女奴隷を連れて行くのは辞めてもらえないか?」


「ふむ? そりゃあまたどういう理由でだ?」


「この女奴隷を見つけたのは俺だ。そして街の奴隷商会に連れて行く最中だったんだよ。それで金貨10枚で身請けをする予定だったんだ」


「貴様のような下郎がそのような金を持っているとは思えんが?」


 懐から袋を取り出して口を開く。

 金貨が数十枚入っていて――中年男は大きく目を見開いた。


「あいにくだが、俺は結構金持ちだ」


「……確かに見かけによらず……結構持っている様だな」


 チョビヒゲをさすりながら男は何やら思案している。

 そうして、リリスの腕を掴んで馬車に向けて再度引っ張り始めた。


「あいにくだが、貴様のような下郎の言葉は聞けぬ」


「おい、待てよ! オッサン! 先に見つけたのは俺だって言ってんだろうがよ!」


「俺はこの女奴隷を味見すると決めたのだ」


「んなもん、知るかよ。勝手に決めてんじゃねーぞ?」


 男は立ち止まり、そして俺を睨みつけてきた。




「大貴族がそうすると決めたのだ。これは決定事項である」




 と、そこで俺は気が付いた。

 中年男の股間……ズボン越しに勃起しているのがハッキリと分かる。


「確かに、こいつは性奴隷の紋が刻まれているかもしれねーけどさ」


 俺の言葉を既に中年男は聞いていない。

 性欲のスイッチが入ってしまっているのだろう、鼻息を荒くして今にもズボンを脱ぎだしそうだ。


 馬車に引きずり込まれれば1分以内にコトが開始されるだろう。




 ああ、とそこで俺は軽い頭痛を覚えた。




「こいつはモノじゃねえんだよっ!」



 気がつけば中年男の顔面に、俺の拳が吸い込まれるようにめりこんでいた。

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