第11話 彼氏彼女のように
「ふう、よく寝た」
僕はマルテルの羽の中からもぞもぞと出た。
「オハヨ」
マルテルが声を掛ける。このシチュエーションは複雑だな。目が覚めて隣にいるのが鳥か…。
目が覚めたものの、洞窟の中なので昼なのか夜なのかも分からない。
目覚ましのシャワーも欲しいとこだけど、どっかにないかな。
寝起きは食欲がないものだけど、何か食べないと一日のエネルギーがもたないな。
「目が覚めたところか。ちょうどいい」
不意に魔王が現れた。ローブを纏っているので、恐らくどこかから帰ってきたところなのだろう。
「なにか食いたくないか?」
そんなことを言う。ここで手作りの朝食なんて出てきたらなんか面倒見の良い彼女みたいだね。
「いただきたいです」
とはいえ、先日クイ達からもらったパンみたいな食べ物。あれ、鳥さんは好きそうだけど…あまり美味しくない。もうちょっと良いものはないもんかな。
「旨いものを食いに行こう」
手作り料理ではなくて外食ですかね。ともあれ魔王がそんなことを言うとは…。
まさか本当に同居したことで彼氏彼女待遇になっているのでは…?
「マルテルは怪我が治るまで留守番してなさい。帰ったらヤツカドに食べ物を持ってこさせるから」
そう言うと魔王は、顔も洗わないままの僕についてくるよう促した。
そのまま魔王に連れられて城から出る。
更に洞窟の中を二人で進む。意外と遠出だな。
「次からは一人でも行けるように、道順を覚えておきなさい」
そう言われた。
次からは一人で行くのか…。幸い僕は方向音痴でもないし記憶力にも自信がある。日本最難関と言われる国家試験も通ってるしね。
「ここが洞窟の出口だ」
え? 洞窟の出口?
「大丈夫なんですか? 魔物って日の光に弱いって…」
「今は夜だ」
ああ…。
夜ね。朝食じゃなくてディナーですか。
洞窟の外は鬱蒼と茂った深い密林だった。
「この洞窟は、密林に囲まれた奥地にあるから、出入り口は敵からも簡単には見つからない。お陰で長い間私たちは平和に暮らすことが出来た」
明かりのない密林。
おそらく前後も分からない暗闇なのだろう。しかし僕の目には明るい雑木林に見えた。
洞窟の中にいたから目が慣れているんだろうな。
「さて。ここなら誰もいないことだし。遠慮なく食事を取っていいぞ」
魔王が言う。食事なんてないじゃん。
「よく見ろ。あちこちに野生動物の気配がするだろう? 好きなのを食え」
えーーーーー?
野生動物を狩るの?
「無理です」
有能な僕でも、出来ないこともある。
「何を言う。私の持ってきた餌を美味そうに食っていたではないか。この辺で獲ったんだぞ」
以前、怪物姿の僕が食べた魚とか牛のことかな?
「少し向こうに行けば沼もある。そういえばマルテルを食おうとしていたな?ということは鳥も好きなんだろう? マルテルは食ってはいけないが『生物』の鳥なら問題ない」
いやいやそうじゃない。
「僕は狩猟とかやったことないんです。銃もないし」
東京生まれの東京育ちの僕が狩猟に縁があるわけがないじゃないか。完全に都会人なんだぞ。なお銃があっても使えるはずもなし。日本人で軍隊経験ある人はあまりいない。
「私が獲ってやるのは簡単だが、自分の食い物くらい自分で獲れるようにならないと一人前の魔物になれないぞ」
…僕は今、野生動物の親子の気分です。魔王は親切というよりは野生のお母さん…。
人間生きているといろいろな経験をするものだけど
死んだ後もすごい経験があるもんだな…
「ああそうか」
魔王は何かに気が付いたようだ。今度はなんだ?
「ヤツカドは自分では姿を変えられなかったんだな」
え?
魔王は僕の手を握った。
あれ? なんだろう。ドキドキする…。
脈拍が高くなる。女(違)に手を握られたくらいで…おかしいな。
それに性欲はないんじゃなかったっけ…?
ああ、こんなに身体が熱くなるなんて…まさか…
「ぷしゅるるるる…」
ひどい!ひどい!
気が付くと僕の姿は八足の怪物になっていた。
ここの木々は日本の木々よりもずっと背が高いが、それでも視界は木々の葉を超えた上に出てしまう。巨体が切ない。
「ひどいですよ! 僕に断りもなく!」
僕は頑張って身を低くし地面ギリギリに近づけ、声にならない声で異議を申し立てたが、魔王はどこ吹く風だった。
「ちゃんと出来たらまた変えてやるからな」
…犬か…。犬の躾なのか…?
くっそ今は我慢だ。
近いうちに顧問弁護士として高待遇を手に入れてみせるからな…
「先生、お姿変えさせていただきます」とか言わせるぞ…。
しぶしぶ密林の奥に視線をやった。
見える…。
この5つの赤い目はえらく良い視力をしているんだな。
あちこちに野生動物の気配を感じる。
近いところで、あそことあそこ…
少し遠いところにでかいのがいるな…
この黒く長い腕を伸ばせば届きそうだ。
爪で一刺ししたら獲れないかな。
そう考え勢いよく腕を伸ばしてみた。
逃げられた!
やっぱりね!さすが野生動物だね。
そらそうだ。
「ぷしゅるるる…」
今僕は「無理です」って言いました。
僕の足元で魔王はおかしそうに笑っている。視界より下過ぎて表情が見えないのは残念だ。
「こういうときに
そういえばそんな話があったっけ。
『獲物を視線で捕らえて捕獲する力』
クイはそう説明していた。なるほど、素早く動く獲物を捕らえるのに使えそうだ。
といっても、どうやって使うのか分からない。
前のときは意識が朦朧としてたからなぁ。
「丁度いい訓練になる。無暗に使わないように少し慣れておいた方がいい」
ひょっとして魔王はそのつもりで僕をここに呼んだのか。
「まずは獲物と視線を合わせることだ。幸いおまえの目は大きいから、かなり遠くの獲物でもいけると思うが、手始めに近いところからやってみろ」
うーむ…。
考え方としては、獲物の注意を引いて、こっちを見たときに視線を合わせるということかな。
と言っても、先ほど獲物を爪で刺そうとしたときに大きな音を立ててしまった。そのせいで近くの獣は逃げてしまったようだ。
しばらく待つ他ない。
魔王は完全に気配を消している。僕の近くにいたはずだが今は風で髪が揺れる音すらしない。
僕もじっと待った。
こっちの世界に来て以来『待つ』ことが多い気がする。
しかし時間の無駄だとは思わない。
『待つ』というのはとても大切なことだと僕は知っている。
考えの浅い奴は『待つ』ということが出来ない。
動いていないと気が済まないのか、それで事態を悪化させてしまうものだ。
『待つ』ということはタイミングを計ること。物事を効果的に推し進めるためには全体を見渡し焦らないことが重要なのだが、それが分からない奴は多い。
密林に静けさが戻った。虫(多分)の羽音が聞こえる。
少しずつ…少しずつ獣が近くに来ている気配を感じる。
一度獲物を逃すと、次はまた待たなければならない。
だから確実に一度で仕留めたい。
慎重に動かなくては…。
良い具合に、近くに獣が来ている…。
鹿のような形に見える。
足は速そうだ。普通に捕らえるのはまず不可能だろう。
こちらに注意を向けさせるにはどうしたものかな。
手足を動かしてしまえば、かなり大きい音が出るため逃げられてしまう。
もっと、ささやかな音を立てなくてはだめだ。
静かに、僕はゆっくりと口を微かに開いた。
口の間から舌を伸ばす。唾液を口の端で塞き止めるように…。
そして自分の正面少し先まで舌を伸ばすと、舌の先をそっと地面につけた。
ぷしゅ
ほんの一滴、消化液が地面に触れて草を溶かす音がした。
狙い通り獣は首を動かしてそこに視線を送る。
僕と目が合った。
食わせてくれ…
獣は、目線を外さない。その場に硬直しているように見える。
おいで。
鹿のような獣は、僕と目を合わせたまま、こちらに歩んでくる。
マルテルのときと同じ。こんな感じだった。
そして、僕のすぐ目の前まで来た。
僕は目線を外さないまま舌を伸ばし、獣の胴体に巻き付ける。
獣は逃げようともしない。魅入られたようにただじっと僕の方を見る。こいつは望んでいる。僕に食べられることを。
いただきます
僕は獣を口の中に運んだ。
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