第143話 溢れる思い

 セクレタさんがこの領地を去ってもう三日が経つ。


 今までも、そしてこれからもずっといてくれると思っていたセクレタさんが、この地を去ってしまった事は私にとっては衝撃だった。


 セクレタさんがこの地を去る事を告げて来た時、私はカオリの事があったので、その申出を断わる事が出来なかった。


 本当は心の奥底では、泣き叫んでもしがみついて引き留めたかった。しかし、その時、私は小さい頃の思い出を思い出した。


 お母様が用事で家を開ける時に、まだ小さかった私は、泣き叫んでしがみ付いて、『行かないで』と言った事を思い出した。その時のお母様は優しい笑顔で私の頭を撫でながら、『大丈夫、直ぐに戻ってくるから』と言ってくれた。


 私はあの時の小さな子供ではなく、もう分別のある大人であり、この領地の当主である。あの時の小さな子供の様に、泣き叫んでしがみつく事なんてできない。でも、セクレタさんはあの時のお母様のように優しく微笑んで、『大丈夫、直ぐに戻ってくるから』と言ってくれた。


 その時、私はようやく気付いた。セクレタさんの存在は、私にとって第二のお母様になっていた事に… しかし、気付いた時にはもうセクレタさんの旅立つ時であった。


 私は今、セクレタさんの代わりに温泉館の受付に立っている。ここの仕事はお酒に酔ったお客様が絡んできたり、無理難題を行ってきたりする。セクレタさんはこんな仕事を顔色一つかげず、また愚痴一つ零さず、その上で、執務室での仕事までこなしてくれていたのだ。


 私は一体どれだけセクレタさんに甘えていたのであろう。また、一人前の大人になったつもりであったが、どれだけセクレタさんに子供の様に守られていたのであろう。私は自分の幼さと不甲斐なさに恥ずかしくなってくる。


 こんな時に笑って励ましてくれるカオリもいない。こう思うと私はカオリにも色々と助けられていた事に深く気が付く。


「マールさにゃ~」


アメシャが受付に向かってかけてくる。私はチラリと時計を見る。もう夕食の時間か…


「あぁ、アメシャ、交代ですか?」


「はい!そうにゃ!」


アメシャは受付の台に頭を乗せて微笑む。


「では、後は頼みますね。何かあったら連絡してください」


私はアメシャにそう告げると日報を束ねて持つ。


「わかったにゃ!」


私はアメシャと入れ替わって、温泉館の外へ出る。すると、トーカが表で待っていた。


「あっ、マール。終わったみたいね」


「トーカさん、迎えに来てくれたんですか?」


トーカはにっこりと微笑む。


「まぁ、たまにはね」


「有難う御座います」


トーカもセクレタさんがいなくなってから、色々と気をかけてくれている様だ。


「温泉館の方はどうだった?」


「そうですね、上々です。新しいメイドの入札もかなりきてますから」


 私たちは何気ない会話をしながら足を進める。館前の道を横切り、門をくぐる。そこで帰り支度を始めていた門番のタッフが手を振っている。私もタッフに手を振って返す。


 そして、館の敷地に入った所で、何人もの転生者達が私たちの姿を見つけてやって来る。


「マールたん、綺麗な花が生えていたから摘んで来たよ。執務室にでも飾ってよ」


「俺は、開拓してたら猪がいたから捕まえて来たよ」


「工房でこんな物が出来たから、マールたんに」


「新しい炭酸飲料が出来たから飲んでみてよ」


 転生者が次々と色々な物を渡してくれる。セクレタさんやカオリがいなくなってから、転生者達が、私にすごく優しくなって、よく声をかけてくれたり、この様に色々物をくれるようになった。


 こうして、自分自身の存在を振り返ると、昔の自分はお母様さえいればよかった。しかし、お母様は突然、私を残して亡くなってしまった。その悲しみを嘆く暇なく、様々な人がやって来た。最初は面倒だと思っていたが、いつの間にか面倒ではなくなり、いる事が当たり前、いなくてはならない存在になっていった。


 そう、私は我儘になったのだ。セクレタさん、カオリだけに限らず、みんなみんな、私の側にいて欲しいと思うようになった。


 私は、自分が当主であり皆を守り、保護する立場だと考えていたが、実のところは逆で、こんなにも大切に思われていたのだ。


「ちょっと、マール!どうしたの?」


 私は気が付くとポロポロと涙を流していた。私は涙を押しと止めようとするが、次から次へと溢れ出る涙は押しとどめる事が出来ず、このままでは感情と声まで吹き出してしまいそうで、私は顔を手で覆った。


「やっぱり、セクレタさんとカオリがいなくなって淋しかったのね…」


トーカが私の肩を抱いて、声をかけてくれる。


「いえ…ちがうんです…」


私は首を振る。説明しようと口を開こうとするが、感情が溢れ出しそうになる。


「私はお母様を無くてして、当主になって、皆を守っているつもりでいました…でも、実際は逆で…こんなにも気をかけてもらって、こんなにも優しくしてもらって、こんなにも守ってもらって、こんなにも大事にされて、こんなにも…こんなにも…」


もう感情を押しとどめる事は出来ない、涙が溢れて溢れて止まらない…


「こんなにも私の事を思ってくれる人に囲まれて、私…皆がいてくれて、嬉しいんです!! 幸せなんです!!」


 私はいつの間にかトーカに抱きついて、子供の様に泣きじゃくっていた。わんわんと泣きじゃくった。こんなに泣いたのはいつ頃だろうか…


「良かった…私もこんなに必要とされていたのね…」


トーカが涙声で呟く。


「俺、自分の存在で嬉しがられるなんて初めてだ…」


「俺もだ…不要と思われることは何度もあったが、必要と思われるなんて…初めてだよ…」


「くっそ! 泣けてきやがった!」


転生者達も男泣きをして、声をあげる。


「よぉーし!! これからここで宴会だぁ!! パーティーだぁ!!」


一人の転生者が声をあげる。


「おーい! お前ら! これからパーティーするぞ!」


他の転生者が豆腐寮に向かって声を飛ばす。すると中から転生者達が顔を出し始める。


「なんだ?」


「だから、パーティーすっぞ! 早く! 早く! 準備して来い!!」


豆腐寮ががやがやと騒ぎ始め、中から転生者達がテーブルや椅子を持って現れる。


「これからマールたんと俺達のパーティーをすっぞ!」


「厨房いって、夕食の料理貰ってこい!」


「今日捕った猪も調理しろよ!」


「鶏舎のおっちゃんに言って鶏肉も貰って来いよ!」


転生者達は豆腐寮の前で、物凄い勢いでパーティーの準備を始める。


「わ、私も手伝います!」


私は涙を拭いながら声を上げる。


「マールたんはいいからいいから、そこに座って」


「でも…」


声をあげる私を転生者は椅子に座らせる。


「俺達はマールたんから、今まで生きてきた中で一番嬉しい言葉を貰ったんだ。だから、そのお礼をしたいんだ」


そう言って、転生者は晴れ晴れとした笑顔をする。


「そう言う事よ、マール。それよりも上を見て、こんなにも彗星が大きくなってる」


そういってトーカが空を指差す。そこには月よりもかなり大きく見える彗星があった。


「本当に大きくなりましたよね…ほうきもあんなに長く見える…」


 私とトーカは二人で、大きくなった彗星を見入る。おそらく、今後、こんなに大きな彗星を見る事は出来ないであろう。それぐらいここまで大きくなる彗星は珍しい事だ。


「ちょっと、あれ、なんだ?」


 一人の転生者が声をあげる。私はその声が気になり、声の方に視線を移す。すると、転生者の一人が、別の方向の空を指差している。私はその方向に視線を向ける。そこには、はるか向こうの地平線から光の筋が昇っていくのが見える。


「あれは…彗星? それとも流星?」


 トーガが疑問の言葉を口にする。しかし、その光の筋は彗星のほうきの様に広がってもおらず、流星の様に、すぐに消える訳でもない。


「なにか、定規で線を引いてるようにぐんぐんと伸びてますね…」


 私の言葉通り、光の筋は根本が消える訳でもなく、そのままぐんぐんと伸びていき、夜空に線を引いたようになる。


「あの光の筋って…彗星に向かってない?」


「確かにトーカさんの言うように彗星に向かってますね…」


 私たちは息を飲んで光の筋を見守った。光の筋はぐんぐん伸びて、そして彗星に交わる瞬間、昼間よりも眩しい光を放つ。


 私は、その眩しい閃光に目が眩み、顔を手で覆う、そして、閃光が落ち着いてから再び夜空を見上げると、そこには砕けて四散する彗星が目に映った。


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