第136話 当たり前になっている存在

「……… …………… ……………」


…ん? なんだろう… 声が聞こえる…


「……… …………、…て…る…?」


誰かが私に触れる… 誰? なに?


「マール ちょっと、ねているの?」


 そこで、私はハッと意識を取り戻す。目の前には私の顔を覗き込んで、肩を揺さぶっているトーカの姿がある。


「すみません。ちょっと、お天気が良いので居眠りしてしまいました」


「貴方が居眠りするなんて珍しいわね」


トーカはそう言って、ふふふと笑う。


「いや、いつものこの時期は暑くて居眠りなんか出来ませんが、クーラーのお陰で心地よいですからね」


「そうね、帝都でも同じだったわ。この時期は暑くて仕方ないわね、もうクーラーのない生活には戻れないわ」


私もその言葉にふふふと笑う。私も同じだ。


「で、話は戻るけど、この書類を読んでくれる?」


トーカが私の前に書類を差し出す。


「あぁ、すみません。これですね」


「セクレタさんの書類なんだけど、開発事業の人手の件ね」


トーカが書類の中身を説明してくれる。私も書類を捲り中の内容を確認していく。


「ん~ やはり、今後の事を考えると、開発は転生者が中心ではなく、ここの領民を中心としてやっていかなくてはダメですね」


「セクレタさんも今、領内を飛び回って領民に訊ねているそうだけど、どうして?」


「領民にも仕事を回して、経済的な発展をしていかないと、今後の発展に取り残されて、格差ができて犯罪の温床になる怖れがありますね…」


 自分たちの利益だけを考えれば、放っておくことも出来るが、恐らく後々に大きな問題になるだろう。それからでは遅いのだ。


「ふーん、やっぱり、その辺りは法務官の私と領主の貴方とでは、色々と考えなければならない事が違うのね。法律の場合は、法律の趣旨と条文に照らし合わせるだけでいいけど、領主はそれ以外の過程や想像を膨らませた事を考えないといけないのね」


「まぁ、法律は趣旨と条文以外の事を考えたら、厳格な運用が出来なくなりますからね」


私はトーカにそう答える。


「で、なんて書いてあるの?」


「そうですね…」


私は書類を更に読み込む。


「農閑期にだけ仕事を回すだけでは、開発進歩も領民の経済発展も望めないから、農閑期以外でも領民を動かせるような手段を考えないとダメですね…」


「ここは転生者達に相談するのが良さそうですね」


私はよっこいしょっと、椅子から腰をあげる。


「今から転生者の所に行ってくるの?」


「はい、善は急げといいますから」


そう言って私はガッツポーズをとる。


「分かったわ、書類仕事は私がやっておくわ、お風呂はいつもの時間でしょ?」


「えぇ、そうです。現地集合でお願いできますか?」


 私はトーカとお風呂の待ち合わせだけ伝えると、執務室を出て、工房へと向かう。以前の工房は魔術工房だけで別にあったが、いつの間にか転生者達が増築しており、魔術工房、錬金工房、鍛冶場、製錬所、木工所などが一つの棟に統合されている。


 いつもいつも勝手な事をされているのではあるが、建材なども自分たちで仕入れてくるので私も文句が言いにくい。それどころか逆に利益を生み出すことが多いので、転生者様様である。


 工房への道も、階段を上り下りしなくてもよいように、本館、豆腐寮、温泉館、転移建屋、工房と全て陸橋で繋がれている。私が学院から帰って来た時の事を考えれば、凄い発展ぶりである。


 今は彼らが快く、ここにいてくれるが、彼らがここから去ってしまえば、この領地はどうなってしまう事であろう。昔の自然と麦畑しかない元の領地に戻ってしまうのだろうか?いや、ここはもう、先程話していていたクーラーの事の様に彼ら無しでは立ち行かない状態になっているのではなかろうか?


 そんな事を考えていると工房の建屋につく。私は建屋に入り、工房の事務所の扉を少し開き、顔を覗かせる。


「あっマールたん。どうしたの?」


先ず初めに、少し様子を見るだけであったが、直ぐに私の事を気付かれてしまう。


「ちょっと、相談事がございまして」


私は頭だけではなく、身体も扉の隙間から滑りこませていく。


「じゃあ、中に入って座ってよ、今飲み物出すから」


 そう言って私を見つけた転生者は、談話席のソファーを視線で促し、自分はその隣の戸棚の所に行って、戸棚からグラスを取り出す。


 私は転生者の指示に従い、ソファーに腰を下ろして、転生者の様子を窺う。転生者は先程取り出したグラスを、箱の様な物のくぼみに入れて、なにかボタンの様な物を押す。するとグラスに飲み物が注ぎ込まれていく。そして、その注ぎ終わったグラスを持って私の所にやってきて、そのグラスを差し出す。


「どうぞ、炭酸飲料だよ」


そう言って転生者は私の前の席に座り、私はそのグラスを取る。


「冷たい、冷えてますね」


「あぁ、冷たい飲み物が直ぐ飲めるように作ったんだよ」


転生者は当たり前のように簡単に言うが、この世界の基準で考えれば凄いものである。


「で、相談事って?」


私はセクレタさんの書類の事や、トーカと話した領民の事を告げる。


「あぁ、なるほど、確かにそうだね。今後は領民の発展も考えないとね…」


「で、何かありますか?」


 私は軽く説明しただけであるが、転生者はさらりと理解してくれる。やはりこの人達は凄いと思う。こちらの人間で学のないもの、人生経験が少ない者は自分の立場でしか物事を理解しようともしない。しかし、転生者達は、他者の立場の物事でも、即座に理解して考える。


「うーん、ちょっと待ってね」


 転生者はそう言って立ち上がると、事務所の片面のガラス張りの所へ向かう。そして、なにやら、擂り粉木棒みたいな物を掴む。私も興味を引かれて転生者の後ろに向かうが、そのガラス張りの向こう側に広がる景色を見て驚く。ここは工房建屋の三階の事務所になっているが、そのガラス張りの向こうには、工房建屋の内部が見渡せるようになっており、それぞれの区画で、転生者たちがそれぞれの作業にあたっているのが手に取る様に分かる。


「えぇっと、事務所より連絡。事務所より連絡。農学部出身者と、魔動機の担当者、事務所に来てくれ」


転生者が棒にそう言うと、ガラスの向こう側の工房内全体にその声が大きく鳴り響く。


「よし、これですぐに来ると思うよ、ってマールたん、どうしたの?」


「いえ、あまりにも凄いので驚いているんです」


私が驚きのあまり目を丸くしていると、転生者は『ははは』と笑う。


「最初は、それぞれ別々の場所にあって、やり取りをしていたんだけど、面倒と言う事で、こんな形にしたんだよ。まぁ、マールたんに言わずに勝手にやったんだけどね…ごめんね」


「いえいえ、構わないですよ。逆に皆さんに助けて頂いてますから」


私の言葉に転生者は更にふふと笑う。


「最初の頃は、勝手に色々やって、マールたんを怒らせたり失神させたりしたけど、今では礼を言われるなんてな…」


「確かにそうですね。いきなり豆腐寮が建ったり、森林が消えたり、温泉館が出来たりしましたね」


私もそう言って過去を思い出しながら笑う。


「おっと、担当者が来たみたいだな。では、会議を始めようか」



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