第75話 セクレタさん…何でもするって言いましたよね?

「おはようございます。トーカさん。もう大丈夫なんですか?」


 私は執務室に入って来たトーカに挨拶をする。昨日よりマシな顔色であるが、トーカの顔色は陰っている。


「昨日は取り乱して御免なさい。もう大丈夫よ」


そう言って、トーカは自分の指定席につく。


 昨日は色々な事があった。帝都での市場が大暴落を起こして、それに私もトーカもセクレタさんも巻き込まれ、一時期、人事不省になっていた。私自身は物が売れないというだけであまり被害が大きくなく、早めに自分自身を取り戻すことが出来た。なので、この不景気対策として、炭酸飲料や柔らかい肉の養鶏事業などについて、色々と画策することができた。


 私の身の回りで、一番被害の大きかったのはセクレタさんであろう。セクレタさん自身も爵位持ちではあるが、領地を持っている訳ではなく、収入は資産運用で賄っていたのであろう。セクレタさん自身は富や資産にあまり拘らない人ではあるが、そのセクレタさんがあそこまで落ち込むのは、かなり資産を溶かしてしまったのであろう…前に資産の額をちょろっと聞いたことがあるので、それを踏まえて考えると怖すぎて聞けない金額を失ってしまったのだと想像できる。


 そんな事を考えながら、私はトーカさんに視線を移す。


「トーカさんの所は大丈夫だったんですか?」


トーカは私の言葉にはぁ~と溜息をついたあと、言葉を口にする。


「結果だけを言うと、実家の方は全然大丈夫じゃないわ… でも、私もトーヤ兄さまも帝国の勤め人だから、お給料の心配はないし、今までのお金も貯めているから、最悪、家族を養う事は出来るわね… だから、落ち込むよりも目の前の仕事を頑張るだけよ…」


 トーカの言葉に、市場の暴落前の私の領地で働きたいと言う事を思い出した。こんな事が起きなければ話を進めている所であるが、当家の状態も思わしくないし、場合が場合なので、お互い事情を察して、転職の話題は出さないようにしている。しばらくはこの状態を保つしかないであろう。


「はい、これ、貴方に手紙よ」


 考え事をしていた私に、トーカが手紙を差し出す。なんだか見た事がある封筒である。受け取って、差出人や封蝋を確認するとやはりツール伯であった。嫌な予感しかしないので、中を確認したくはないが、そういう訳にはいかないので、ペーパーナイフで封を切り、中身を確認する。


「はぁ… 面倒な時に面倒な事が重なりますね…」


私は手紙の中を読んで、愚痴をこぼす。


「どうしたのよ?」


「ツール伯のお孫さんを養子にする件あったじゃないですか… その件でお孫さんが近々来るそうです… ツール伯付きで…」


「ちょっと、急な話ね。お互いの準備の打ち合わせとか、身の回りのお世話をする執事や侍女が先に来て、環境を整えたりするのが普通じゃないの?」


「そうなんですよ。それがツール伯自身が直接に来て、自分自身で見極めるつもりらしいんですよ…」


私の言葉に、トーカがふっと笑う。


「あなた、本当にツール伯が苦手なのね」


「分かります?」


「顔に苦手って書いてある」


 私もトーカの言葉にふっと笑う。私は気を取り直してベルを鳴らす。すると直ぐにメイドが現れる。今日の担当はリーレンである。


「リーレン。ちょっとリソンとファルーを呼んできてもらえる?」


「分かりました」


リーレンは一礼すると、部屋を後にして、入れ違いでカオリが部屋にやってくる。


「マールはん。おはよーさん。あっトーカはんもおはよーさん。もう大丈夫なん?」


「えぇ、私はもう大丈夫よ」


「それはよかった。それでマールはん。昨日、頼んどったもん、もう出来たみたいやで、ここに来る途中で受け取って来たで」


そう言うカオリから、私は服の様なものを受け取る。


「もう出来たのですか、早いですね… ふむ… よく出来てますね… ちゃんと長さ調節も出来るし、保護対策も大丈夫そうですね…」


 私は受け取った服の様なものを、様々な角度から検分する。これに我が家、我が領地の命運が掛かっているかも知れないのである。


「マール…なに?それ?」


怪しげな服の様なものを、まじまじと検分する私に、トーカは怪訝な顔をして尋ねてくる。


「これは…私の起死回生の一手となるかも知れない物です…でも、今は秘密です…」


私の返答に、トーカは納得できないような、訳の分からないような顔する。


「マールはん、それはマールはんに任せるから、うちは炭酸飲料の進捗具合を見にいって、その後、鶏舎の方も準備の話してくるわな」


「カオリさん、頼みます」


 カオリはそう言って、執務室を後にすると、今度はリソンとファルーが入れ違いでやってくる。


「リソンでございます。お呼びでしょうか?マール様」

「ファルーも只今、参りました」


二人は恭しく一礼する。


「二人を呼んだのは他でもありません。ツール伯の手紙があって、前の養子縁組の件で、ツール伯のお孫さんが近々、こちらに来られるようです…ツール伯付きで…」


私は二人にツール伯からの手紙を内容を伝える。


「ツール伯が…いらっしゃるのですか…」

「まぁ…」


 リソンとファルーが一気に顔色を変えて青ざめる。それもそのはずである。当家にとってはツール伯は本家であり、私自身はツール伯と数える程しかあった事はないが、父と母が結婚する前から仕えている二人にとっては、両親の結婚時の揉め事の時のツール伯の苛烈さを身を持って、体験している為である。


 私は母からやんわりとした話しか聞いていないが、二人の顔色を見ると、当時はかなり大変だったのであろう。


「ツール伯の仰ることです。近々というのは今月中かもしれませんし、今週中かもしれません。色々、二人は思うところがありますが、受け入れ準備お願いできますか?」


「わ、分かりました…マール様… このリソン、全身全霊を持って、望ませて頂きます」

「この不肖ファルーも粉骨砕身の覚悟で望ませて頂きます」


 リソンとファルーは一礼すると、すぐさま準備に取り掛かると言う事で、そそくさと執務室を後にした。


「ねぇ、マール。あの二人大丈夫なの?顔色も青かったし、手も震えていたわよ」


 私がトーカの問いに応えようとした時、今度はセクレタさんが入れ違いで執務室にやって来た。なんだか、今日は入れ違いで人が多くやってくる日である。


「おはよう、マールちゃん。遅くなってごめんなさい… ちょっと、胸やけが朝まで続いていたから…」


 あんなにしょっぱいクッキーを何枚も食べたのだ、それは胸やけもするであろう…しかし、体の調子はまだよくなさそうだが、昨日に比べるとかなり自分自身を取り戻している様である。


「おはようございます。セクレタさん。もう大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫よ… それより、先程、慌てた様子のリソンとファルーとすれ違ったのだけど…何かあったのかしら?」


「えぇ、ツール伯から手紙ありまして、近々、養子縁組の件でツール伯のお孫さんがこちらへ来られる様です… ツール伯付きで…」


「あのツール伯が…」


セクレタさんが眉を顰める。そして、色々思考を巡らせたようだが、再び口を開く。


「そんなことより、昨日の話だけど… 詳しく聞かせてもらえるかしら?」


 昨日の話と言うと、小麦の投資の件であろう。どうやら、セクレタさんにとってはツール伯より、小麦の方が切実な問題の様だ。


「その前にセクレタさん、貴方にも手紙が来ているわよ」


トーカがセクレタさんに手紙を差し出して、話の腰を折ってくる。


「えっなに?私に? 早く小麦の話をしたいのだけど… あぁ、工房からの手紙ね… まだ、納期までの日程は先だったけれど…何かしら… やだ、どうしてこう大変な事が重なるの… あぁ、工房の方でも暴落に巻き込まれて、早急にお金が必要になったのね…」


 セクレタさんはトーカから受け取った手紙を読み終え、はぁと溜息を着いた後、脇の間に手紙をしまう。どうやら、セクレタさんが何かを発注していた工房が、例の大暴落に巻き込まれて、納期を前倒しにして、お金の請求をしてきたようだ。


「という訳で、マールちゃん。小麦の話をしたいのだけれど、良いかしら?」


セクレタさんも切羽詰まってきているのが手に取れる。


「セクレタさん。こちらをどうぞ、計画の概要や重要事項等をまとめておきましたので」


私は養鶏事業についてまとめた書類をセクレタさんに手渡す。


「ありがとう、マールちゃん。早速、読ませて頂くわ」


セクレタさんは私から渡された書類を意識を集中して読み始める。


そこへ、再びカオリが執務室に姿を表す。


「マールはーん。鶏舎から帰って来たで。何でも今は48個しか…」


 私は口の前に人差し指を立てて、カオリに静かにするように指示を送る。カオリも事情を察したようで、直ぐに口を閉じてコクコクと頷く。


私は椅子からゆっくりと立ち上がり、書類に熱中しているセクレタさんに静かに近づく。


「なるほど…育成周期が短くて済むし、植物と違って旬を逃すこともないのね… 重さで売れば、1~2週間時期がずれても飼料費と売上と差は開かない…」


「どうですか?セクレタさん」


私はセクレタさんの後ろから声を掛ける。


「いいわね、これ。すごくいいわ!新たな需要を開拓できるんじゃない? まだ、いくつか問題点…孵化の効率化の技術的問題もあるけど…いけるわ! 小麦の事だけではなくて、私自身も何でも協力させてもらうわ!」


 セクレタさんは『言って欲しかった言葉』を言ってくれたので、私はセクレタさんの背中から、包み込むように抱き締めた。


「ありがとうございます… セクレタさん…私、セクレタさんのその言葉を待っていました…」


私はセクレタさんの耳元に囁くように礼を述べる。


「いいのよ、マールちゃん… 私はいつもマールちゃんの力になってきたじゃない。それに今回の件は私自身も助かるのだから、何でも協力させてもらうわ… って、マールちゃん。そんなに強く抱き締めないで… ちょ、ちょっと苦しいわマールちゃんっ そんなに抱き締めないでっ… マールちゃん? ちょっと!マールちゃん!」


ここで、セクレタさんは異常事態に気付き始める。しかし、私もすぐさま対応する。


「トーカさん!」


私はトーカに声を飛ばす。


「えっ!?何?」


トーカは事情の分からないまま、急に声を掛けられあわてる。


「足! セクレタさんの足押さえて下さい!!」


「えっ? 足!? 足押さえればいいの!?」


トーカは言われるがまま、セクレタさんの足を押さえる。


「マールちゃん!? 何?一体、なんなの!」


私とトーカに拘束されたセクレタさんが叫ぶ。


「カオリさん!私の机の上に、例のあれがあるのでお願いします!」


「わかった!」


カオリは机の上から例の服の様なものを掴むと、セクレタさんに近づいて来る。


「マールちゃん! 一体なんなの! 私をどうするつもりなの!」


「セクレタさん… 何でもするって言いましたよね…だから…セクレタさん自身が必要なんです…」


私はセクレタさんの耳元で囁く。


「えっ!? 何? 私自身って… 私の身体が必要なの!? やめて! いやっ 許してぇ!!」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 セクレタさんは背中を見て、お腹の部分を見て、翼の下の脇の部分を見て、ムスッとした顔で私の方に向き直る。セクレタさんは今は拘束を解かれ、もこもこした服の様なものを着せられている。


「マールちゃん… これ何なの…」


私はセクレタさんに背を向け、窓辺に手を置く。


「ごめんなさい…セクレタさん…でも、必要だったんです…」


私は背を向けたまま、声を押し殺して答える。


「…何が必要だったのか説明してもらえるかしら…」


セクレタさんの無感情な声が私の背中に掛かる。


「…事業計画書にもあった通り、この計画の最大の問題点は鶏の孵化の効率化… 担当の方の話では、抱卵、卵を温める習性を持つ個体が少なすぎるんです… このままでは量産化出来ないんです…」


私は口に手をあてる。


「マールちゃん…」


「だから…こうするしか無かったんです…セクレタさんに温めてもらうしか…」


私は肩を震わせながら、そう述べる。


「…マールちゃん…… あなた… 笑ってない?」


「なっ何を言ってるんですか! セクレタさん! 私、笑ってなんか…」


「窓ガラスにニヤついているマールちゃんの顔が映っているんだけど」


「あっ…」


目の前の窓ガラスには、確かに私のニヤついている顔が映っていた。


「ごっごめんなさいっ! ちょっと、セクレタさんのその姿が面白くてっ 私だって、笑っちゃいけないと思ったから、声を押し殺して我慢してたんですよ! って、痛い! セクレタさん! 痛いですって! こっコツかないで下さい!! そのクチバシ痛いですっ! ごめんなさいってば!!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る