第11話 賽の河原の石積み

 赤ん坊の件が終わった後、カオリは社会常識講習会を受講する為、大会議室へ向かい、私は領主の仕事をするため母が使っていた執務室へ向かった。


 領地の経営に関する仕事をするなら執事長のリソンを同席させるのが良いのだが、そのリソンは講習会の講師を務めるので今は侍女のファルーがいる。


そのファルーも家中の使用人の指示等があるのでちょくちょく傍を離れる。


 今まで組織の頂点に立って人に指示する経験もなく、母の意向で指示する側だったリソンやファルーに逆に支持をすることは躊躇われた。


 『これからは母に代わって私が全体を指示して導かないといけないのか…』


 気が重くなるが、しっかりやっていかないと収入と人材の乏しい当家では、動ける者が全員走り続けないと倒れてしまうのだ。


気を取り直し、書棚から行政の手続き書を探す。見つけ出した書籍を抱え事務机に向かう。


子供の頃は父が使い、父亡き後は母が使い、そして今から私が使うのだ。


私は事務机に備えてある大きい椅子に腰を掛ける。


 この椅子も今まで父や母の膝の上を通してしか座った事がなく、直接座るのは今回が始めてだ。とくに魔法などが掛かっている訳でもなく、唯々年代物の古びた椅子であるが、椅子を通して領主の責任と覚悟が感じられる。


 『よし!』


 私は手続き書を広げ、メモ用紙をとり、ペンとインクを探すため引き出しを開ける。

そこに懐かしい物を見つけ手が止まる。それは私が子供の頃父と母に渡した木彫りの牛と馬の小物であった。


 それは子供の頃、見守るファルーをハラハラさせながら初めてナイフで作ったものだ。今思えば荒削りだったか当時の私は上手くできたと思い、喜んで父と母に渡しに行ったことを覚えている。


 手に取ってみると荒削りだった小物はずいぶんと滑らかになっていた。それが父と母が手に取った回数によるものだと思うと胸があったかくなった。


私はペンとインクを取り出し仕事を始める。


 行政機関への領主交代の手続き、法制上遺産・財産の相続手続き、商館への登録や財政上の手続き、宗教上の手続き、爵位継承の手続き…


 色々ありすぎて、なんだか頭が痛くなってくる。どれから始めたらいいものやら悩む。

誰かに任せて全て投げ出したくなる。いっその事、リソンやファルーに任せて頼りたくなってくるが、今二人が転生者の世話や母の代わりに、領地や家の仕事を回していることを考えるとそんな事は出来ない。

分かる処から少しづつ調べていく。


 実際、仕事を進めていくと意外と体力を消耗していく、分からない言葉や物事がでてくる度に辞書や専門書を開き調べる。


 最初はいちいち書棚に戻していたが結構な頻度でまた必要になるので事務机の上に重ねて置いていく。そうして進めるうちにまた別の書籍が必要になる。そしてまた事務机の上に重ねて置く。今度は重ねた書籍の一番下の書籍が必要になり、積み替えていくのだが書籍が結構重い。


本当に思ったより体力勝負だ。


 そうして続けていくうちに一つの案件に終わりが見えてくる。ようやく一つ片付きそうだと思い次のページを捲る。


そこには最後に領地の爵位を持つものの承認が必要だと記されていた。


この案件は爵位継承の後でないと完了しない事が分かった。もう少しで終わらせられると思ったのに残念だ。次の案件を始める為、今まで使っていた書籍を書棚に戻していく。



 そこに扉がコンコンとノックされる。ファルーだった。


「ファルーどうしたの?」


「リソンからの伝言でして、なんでも転生者たちが早く魔法も習いたいそうで騒いでいるようです。それでお嬢様の許可を」


 私は少し考える。いつまでも転生者たちを養う訳も行かないので、いずれ手に職を付けて出て行ってもらう必要がある。こちらの人生経験や社会常識の乏しい状態では、肉体労働しか生きる道は無いであろう。そこに魔法の知識や技術があれば生きる選択肢を増やすことができる。


「図書室と私の部屋に魔法の教科書があるので、それらを使って下さい。一冊づつしかありませんが、回し読みや誰かが読み聞かせをすれば大丈夫でしょう」


「分かりました。お嬢様。後…申し訳ございません。私はすぐに戻らないといけません。本来であればお嬢様のお傍に使えなければなりませんのに…」


ファルーは申し訳なさそうに頭を下げる。


「あ、いいのよファルー分かっているから。母の代わりや100人の転生者の世話があるから」


「ご理解ありがとうございます。それでは失礼致します」


 ファルーが一礼して去った後、私は次の案件に取り掛かる。先程と同じように事務机の上に書籍が重なっていき、重たい思いをしながら書籍を調べる。


『あーこれも爵位継承の後でないとダメか…』


 私は事務机の上に倒れこり、なんだか心がくじけそうになる。暫く、ブツブツ言いながら悩んだ後、諦めて次の案件に取り掛かる。


 手続きを調べたり書類を作成するのも大変ではあるが本当に辛いのは書類の運搬である。今の状態でも腕がかなりだるい。それでも始めるしかなったが、三回目となる少し慣れてきたので順調に進んでいく。ひぃひぃ言いながら書類と書籍に格闘していると一つの案件を終わらすことができた。しかし、諸手を挙げて喜ぶ事は出来なかった。


その理由は爵位の優遇措置使わないとかなりの経費と時間がかかるのだ。


『うん。このあたりの仕事は諦めよう。爵位継承が終わらないと何も進まない。』


 はぁーと大きなため息をついて机の上に倒れこむ。爵位継承については昨日の内に連絡はしてあるので返事待ちである。


 まぁ、返事が来ても帝都に行って継承式を行わないといけないのでかなり時間がかかる。領地経営の前に各種手続きを終わらせないと思い、手続きから始めたのだが爵位継承が終わらない事には何も進まない。無駄に労力と時間を使ってしまった事で、仕事の疲れと共に精神的な疲れもどっとくる。


 私はけだるい身体を書棚に向かい帳簿と日報を持ってくる。パラパラと書類をめくり目を通していく。農地の作付けはすでに終わっており、こちらは問題が無い様だ。牧場の方も例年通りの需要でそれに合わせた種付けがなされている。


 ただ心配な事は帝都の学院にいた時に各地の豊作で穀物が余っており、相場価格が下がっているのだ。当家の穀物の需要先も帝都なのでこのままでは収入が下がるのは必然だ。


 んーどうしよう。このまま穀物を下ろして収入が下がった分を森を伐採して木材を販売して補填するか。それとも穀物倉庫を建てて保管し、相場が戻るのを待つのか。


 相場が戻るを待つ場合、一年間やり過ごすだけの資金が必要である。私は帳簿を捲り資金の残高を調べる。母は浪費をしない人なので、決して多くはないが十分な資金があった。そして、その資金の他に学費や帝都での生活費、私の結婚資金まで積み立ててあった。


帳簿を通して母の優しさに触れるとは思わず目頭が熱くなった。


 私はペンを持って帳簿にカリカリと書き込み、学費と帝都の生活費を領地の運営資金に編入する。その後も計算尺を使い帳簿の確認と転生者の生活に係る費用を算出していく。


 すると転生者に係る費用が思った以上に大きい事に気付く。私の学費と帝都での生活費を参入しただけでは到底足りない。帳簿に記されている母が貯めてくれた私の結婚資金を編入しようとペンを執る。


『私、一生独身で過ごさないといけないの?』


 いやいや、私が独身で過ごしたらこの家が途絶えてしまう。それは父と母に申し訳が立たない。でも、このお金を編入しない事にはお金が足りない…


そもそも、転生者達は独立したらお金を返してくれるのだろうか?

逆に独立しなかったらここで雇う事になるのかな?

雇う事になってもどれだけ残るか分からないし、それに合わせて開墾して作付けを増やせば…

いや、相場が下がるだけだろうか…


実は今現在思った以上に決断を迫られているのかもしれない。

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