第5話

『すみません、誰かいます?』

アイ

『いますよー』

ゆう

『Iくんから話しかけてくれるなんて珍しいね』


 あれから、家に帰った俺はそのままスマホを開いてチャットアプリを立ち上げた。チャットアプリというかチャット機能があるSNSというか。タイムラインへの投稿をせず、ほぼチャット機能しか使っていない俺にとってはチャットアプリでしかなかった。

 開いているのは複数人で話をしているグループの画面だ。どうするべきなのか自分一人では判断できなかったから。

 真っ先に返事をくれたのはアイさん。それから少し遅れてゆう・・さんが会話に入ってきた。


『相談したいことがありまして……』

ゆう

『どうしたのー?』

『知り合いが多分デミセクシャルなんですけど、自覚がなくて』

アイ

『はい』

『この恋を逃したらもう恋できないんじゃないか、って焦って暴走してるみたいで』

ゆう

『あらら』

『デミセクシャルというセクシャリティがある事を教えていいものかどうかと……』

ゆう

『ちょっとまってて』

アイ

『私はアロマンティックだって知って、正直安心しました。でも、知ることで身動きが取れなくなっちゃう人もいるみたいです……知ったところで、悩みがなくなるわけでも何が変わるわけでもないですからね。マイノリティだと知った所為で逆に苦しくなったって方もいて』

『難しいんですよね』

ゆう

『ただいま』

『おかえりなさい』

アイ

『おかえりなさい。何かあったんですか?』

ゆう

『カイちゃん呼んできた。すぐ来てくれるって』

アイ

『え?』

ゆう

『カイちゃん、兄貴の恋人だったんだよね~』

アイ

『え!?』

ゆう

『こういう話は私よりカイちゃんの方がいいと思って』

カイ

『恋人じゃないから!ただの友達』

ゆう

『隠さなくていいんだよ。偏見とかないし。あの距離感は友達じゃないって』

カイ

『え?』

ゆう

『え?』

『カイさん、わざわざすみません』

カイ

『Iさんこんばんは』

『すみません……間が悪かったみたいで』

カイ

『いえいえ、ゆうちゃんが勝手に言ってるだけなので』

ゆう

『まじで?』

カイ

『なにが?』

ゆう

『いや、いい。後で兄貴と話す。そんなことよりIさんの話!』

カイ

『デミセクシャルの友人の話ですよね』

『はい』

カイ

『伝えなくてもいいんじゃないですか?』

ゆう

『なんで?』

カイ

『もし、その友人が本気で悩んで困ってたならIさん、相談なんかしないでもうとっくに本人に伝えてますよね?』

『そうですね』

カイ

『なら、それでよくないですか?困ってないのに他人が『あなたはマイノリティです』って無理矢理型にはめるのも違うかなって思うんですよ。こういうのって本人の気持ちじゃないですか』

ゆう

『そういうもの?』

カイ

『俺はね。たまたまネットで見て、これだ!と思って、行動に移したけど。もし、知らなかったら、普通に男って型に収まって男として生きていたと思うんだよ。今でも違和感を感じながらね。でも、それはそれで楽だったのかなって思うことはあるよ』

アイ

『後悔してますか?』

カイ

『いや。今はこの生活が楽しいから。ゆうちゃんにも会えたしね』

ゆう

『兄貴いい仕事したよね』

カイ

『そういう事にしとこうか』

『なるほど……』

ゆう

『今がよければそれでいいって事だね。それならわかる』

アイ

『うん。私もそう思います』

ゆう

『何かあってもIくんがいるしね』


 なるほどな……。スマホの画面を見ながらそう思う。この小さな画面を通じて話をする人達は、いつでも前向きで明るい。そんな人達と話していると自分の気持ちまで明るくなってくるような気がする。


 今がよければ、か。

 おそらく東雲は今悩んでも困ってもいない。悩んで困っているのは俺の方だ。そばで見ているだけで幸せだった俺の恋愛観がぶち壊されてしまったのだ。身体と気持ちは別物だと割りきってきた今までの常識が通用しなくなる。正直に言えば怖くなった。その結果、

「定年になって警察を退職した時。その時まだお互い気持ちが残ってたら、一緒に暮らそうか」

 そういって問題を有耶無耶に先伸ばして逃げた。付き合うとか付き合わないとか、今どうするかという問題には一切触れずに。

 俺の言葉に唖然とした様子で頷いた東雲はあの時何を思っていたのだろうか。東雲の言葉を聞かず逃げるように帰ってきてしまった俺にはわからない。

 今あるのは、東雲の気持ちが俺にあると分かった以上、もう東雲を離してやることは出来ないだろうなという確信だ。好きとう気持ちに餓えていた俺は、俺を好きだといった東雲に執着にも似た感情を覚えてしまった。多分、自分で言ったように定年後まで東雲を想い続ける気がする。その上で、東雲を自分に縛り付ける為、他に目が行かないように行動するだろう。お付き合いという型にはまらないままで。それが定年後の約束と言う形で口から漏れたのだ。

 この先、二人の関係がどうなるか。東雲がどう出てくるのか、全然わからない。予測も出来ない。来年俺が移動になった途端東雲の興味が俺から消えてしまうかもしれない。新しくバディを組むことになるだろう相棒にあっさり取られるかもしれない。そうじゃなくても、定年まであと数十年はあるのだ。人の気持ちなんて案外呆気なく変わるものだと俺は思う。


 でも、今だけは。あるかわからない定年後の二人の穏やかな生活に想いを馳せて、仄かな幸せに浸かっていてもいいだろうか。



G……ゲイは逃げる

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