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第1話
あぁ、好きだな。運転席に座る同僚を眺めながらそう思う。人を好きになったのなんて十数年ぶりじゃないだろうか。
「なんだ?」
ハンドルを握り、まっすぐ前を見ながら眉だけをひそめ紡がれる声は低い。
「いや、別にー?」
バレないように見ていたつもりだったのにバレていた。内心焦って誤魔化そうとした結果が、これだ。思いの外チャラついた声になってしまった。返ってくるのは重いため息ひとつ。
俺の行動は、いつもの面倒くさい戯れとして処理されたらしい。相変わらずつれない男だ。
そう。男なのだ。同僚の警察官。同期ではないが同い年で、今は俺の相棒。久しぶりに恋をした俺は今、どうしようもないほど不毛な想いを抱えている。
ゲイというわけではないと思う。初恋の人は隣の家に住んでいたお姉ちゃんだったから。俺より十才年上だった彼女は、まだ幼かった俺の遊び相手になってくれた。幼いがゆえに支離滅裂だっただろう話を嫌な顔ひとつせず聞いてくれた人。相談したいことがあれば親よりもまずお姉ちゃんに相談していたような気がする。
そして、俺が高校に進学するかしないかという頃に、見知らぬ男と共に幸せそうな顔で実家に帰ってきた彼女。その時はじめて自分の気持ちに気付き、同時に失恋を悟った。
それ以来、恋をしたことがない。初恋を引きずっている、なんて事はなく。ただ、誰も好きになれなかっただけだ。
過去に彼女がいたことはある。押しが強い子だった。「彼女がいないなら、お試しでいいから」と、一度断ったのに一切引き下がることもなく、そのまま半ば強制的に頷かされて付き合い始めた女の子。その癖、数か月後には「私の事好きじゃないでしょ!?」なんて理不尽にキレられてフラれた。俺は最初からそう言っているんだけど。なんて思ってみても、女子からしたら悪いのは俺らしい。
それ以降、相手の自分勝手に振り回されるのも嫌ですべての告白を断っている。
学生時代の友人達の様に、合コンで出会った子と付き合う、話したことはないけど告白されたから付き合うことにした、みたいなのがよく分からなかった。
人と違う、というのはなんとなく気がついていた。皆が共感しているらしい恋や異性についての話に、まったく共感できなかった。
恋愛観を聞き出されたときには「 見た目に反して固いよな」とか「もっと簡単に考えろよ」なんて言われるけれど、無理なものは無理なのだ。モヤモヤしたこの気持ちに気付いてくれる人はいなかった。
彼らの話を聞くたびに思う。たぶん、俺は結婚できないだろうな、と。
そこまで人を好きになる想像がつかない。恋愛に対するハードルが俺のものだけ異様に高い気がする。周りの真似をしてみたところでハードルが下がるわけでもなく、ただどうしようもなく疲れただけだった。
つまり、何が言いたいのかと言えば。俺の恋愛偏差値は人より遥かに低い、と言う事だ。しかも、初恋以来久しぶりに恋をした相手はまさかの同性。この歳になって自分がバイだと気がつくなんて。正直、どうしていいかわからない。
気持ちを自覚してしばらくは悩んだし、気のせいだと誤魔化そうともした。けれど自分に言い訳をしている間にも、『お姉ちゃん』のように知らない誰かに取られるのは嫌だなと焦りだけは募っていくのだから手に終えない。
こうなったのも全て、相棒の
◆◆◆
伊勢崎と出会ったのは3年前。刑事部の機動捜査隊へと移動になり、二十四時間一緒に仕事をする相棒として紹介された。
「伊勢崎
自己紹介はただ一言。真面目で堅物そうな奴。俺が一番苦手なタイプの人種だと思った。
ノリが軽いらしい俺はこういうタイプの人に煙たがられる。でも所詮はただの仕事相手だ。ほどほどの距離感で付き合っていけばいい。そう思っていた。
……のだが。伊勢崎はなにかと俺に話しかけて来た。警ら中の車内には自分と相棒の二人だけ。つまり、彼は俺に話しかけているわけだ。
「
出会ってから一時間で何回聞いた言葉だろうか。人見知りです、と言わんばかりの辿々しい口調で一生懸命に話題を探して話しかけてくる伊勢崎に毒気が抜かれた。真面目で堅物そうという印象は変わらなかったけれど、どうしようもなく不器用な奴らしい。
「伊勢崎さんって、俺と同い年ですよね?もしかしなくても同期だったりします?」
「あ、いえ、俺は。高卒なので」
「え、じゃあ先輩じゃないですか」
「年齢も階級もおなじでしょう?そういうのは……」
なんとなく姿勢を正し、先ほどまでよりシャキッとした声を出してみたら、思いの外嫌そうな顔をされた。案外取っつきやすい人なのかもしれない。そう思ってからは、色々なことを話した。
まず始めに、なんで俺に話しかけてきたのか聞けば
「今まで組んでた先輩が。『機捜の仕事は相棒と信頼関係を築くのが大事だ』と言っていたので……」
だって。つまり、俺と仲良くなろうと思って慣れない話題提供をしてきたと。馬鹿みたいに真面目な奴だった。初日の一日だけでもかなり印象が変わった。
伊勢崎は頭のいい奴だった。4年長く学業に励んでいた俺よりも、伊勢崎の方が断然頭の回転が早い。周りをよく見ているし、知識も豊富で。とんでもない切り口から事件を解決していく事もある。
事件を担当に引き継いで車に戻り、事件についての話を伊勢崎から聞き出すのは結構楽しかった。もちろん必要な話しは捜査中に聞いているし、引き継ぎもしているから新しい情報が出てくる事はない。車内で聞き出すのは伊勢崎の主観についてだ。何を見て何を思ったのか。俺が考え付かないような事ばかり出てくる話は、伊勢崎の人間性を表しているようで興味深い。
伊勢崎は伊勢崎で、俺の話を聞いて意外そうに目を見開いたり笑ったり、色々な感情を見せてくれるから話甲斐もあった。
バディを組んで半年後ぐらいにはお互いに、戦友のような絆を感じていたのだと思う。
いや、命がけの仕事をしている以上、『みたいもの』ではなく、正にお互いの命を預かる戦友なのだが。
伊勢崎は本当にいい奴だった。最初の頃は寡黙で物静かな印象もあったのに。いつの間にか敬語がとれてタメ語に変わった話し口は結構雑で。けれど、人の機微には敏感で優しい。
関わる事件によっては気落ちが激しく出る俺に、いつでも寄り添ってくれた。
そんな奴と、一年、二年……もうすぐ三年か。毎日ではないにしろ二十四時間一緒に仕事をする俺はたまったものではない。
伊勢崎の隣は取り繕う必要がないのだ。家族以上に俺の事を知っている相手かもしれない。そりゃあ仕事に対しては厳しいが、それ以外の部分では随分甘やかされている気がする。人としてダメになりそうな程に。
仕事上、信頼関係が大事だとは言うが、それにしても程がある。視野が広いと言えば聞こえはいいが、その全てに気を使っていたら疲れてしまうのではないだろうか。
いつだったか。世間話の一貫で先輩達に恋人の有無を聞かれた時、「モテないので」なんて答えていたのを聞いたけど、それが本当なら世の中の女性は見る目が無さすぎると思う。
身長は……まぁ平均的で俺よりは少し小さいが、体は結構しっかりしている。短く刈り揃えられた髪型も爽やかで男らしい。見た目も悪くない。
ほんと、なんでこいつはモテないんだろうな、なんて眺めていたら、なんとなくモヤモヤした。いつか感じたことのある気持ち。
なんだっけ?と記憶を辿っていくうちにたどり着いたのが、初恋のお姉ちゃんだったわけだ。
まじか。
唖然とした。思い出したその気持ちは、もう俺の中には現れないと思っていた『恋』というやつだった。
同性を好きになってしまった俺は、悩みに悩んだ挙げ句、あっさりと開き直った。というか、悩めば悩むほど苦しくなるから、開き直らざるを得なかった。開き直るのと同時に開始したアプローチは馬鹿みたいなものばかりだと自分でも思う。
さりげなくコーヒーや、美味しいと小耳に挟んだお菓子を差し入れてみたり、好きなものを聞き出して無理矢理奢ってみたり……なんてものはまだましで。
複数の女の子か写ったグラビア写真が掲載された雑誌を突きつけて「この中で誰が一番かわいいと思う?俺はこの子」……ってなんだ、いい歳して。中学生男子か。思春期か。いい加減にしろよ俺。なんて今になっては思うけど、やってしまったものは戻らない。
これで伊勢崎の好みのタイプがわかるかも。なんて考えていた数日前の自分を殴りたい。あれから、伊勢崎の態度が素っ気ないのは気のせいではないと思う。
そもそも、女の子の好みのを知ってどうするつもりだったんだ俺は。考えるまでもなく俺は男なわけで。参考になるわけがない。
舞い上がるにも程があるだろう。もう出来ないと思っていた恋。十数年ぶりに感じた恋心に浮かれていたのだ。同性愛の壁の高さに気づかないフリをして。伊勢崎が何を考えているか、なんて気付きもせずに。
◇◇◇
運転中の伊勢崎をじっと見つめていた事を「別に」の一言で誤魔化した俺。伊勢崎の重いため息でその会話は終わりだと思っていた。
「東雲」
伊勢崎が重たそうに口を開く。それに伴い、なんとなく車内の空気も重く感じる。
「恋人でも出来たのか?」
嫌そうな顔で聞いてくる伊勢崎が何を言っているのか分からなかった。
「は?」
「聞いて欲しかったんじゃないのか?最近、ずっとそわそわしてただろ。変な雑誌まで持ち出して」
酷く面倒くさそうな伊勢崎の態度に、今までの自分の行動が間違いだらけだった事を思い知った。
今、ここで好きだと告げたら。この関係はどうなるだろうか。多分、バディは解消で、伊勢崎は俺の前からいなくなる。
この恋が叶う確率は限りなく低い。男が男に告白する。それがどういうことなのか。それぐらいは分かっている。
けれど、散々伊勢崎に甘やかされ受け入れられて来た俺は、この気持ちを抑えられない。もしかしたら、なんて。馬鹿みたいに縋ってしまう。全ては伊勢崎のせいだ。責任をとってもらいたい。なんて、心の中で八つ当たる。
バクバクと心臓の音がうるさい。先の事なんてもう考えられなかった。
「俺は、」
「仕事中」
なにかを察したのか、なんとも言えない顔を作った伊勢崎に止められた。
「仕事終わったら時間くれ……」
俺の口から出たのはなんとも締まらない声だった。どれだけ情けなくても、この先どうなろうとも。どちらにしろ、伊勢崎とバディでいられる残り時間はそう長くはない。伊勢崎は俺より二年早く今の部署に来ているから、おそらく来年移動になる。それならば、いっそこれを期に当たって砕けてしまえ。どちらにしろ、ここまでハッキリ自覚してしまえばこれ以上自分の気持ちを無視する事も出来そうにはないのだから。
もし、ダメだとしても。いつか付き合っていたあの女の子のように駄々を捏ねたら、少しは考えてもらえるだろうか。
D……デミセクシャルは思案する
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