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藤沢 遼
俺とじいちゃんとカメラの話
シャッターを切るためにファインダーを覗き、俺はそのチャンスを待っていた。
* * * * *
じいちゃんが死んだ。
秋も深まったその日、窓から夕日が差し込んで病室はオレンジ色に染まっていた。
半年くらい寝たり起きたりを繰り返して、六十八歳でこの世を去った。今の世の中じゃあまり長生きな方じゃないかもしれないけど、病気じゃ仕方がない。
病室の中で母さんとばあちゃんが、これでもかっていうくらい泣くから、俺は涙も出なかった。
じいちゃんは母方の祖父だったが、近所に住んでいたこともあってよく家に出入りしていた。
母さんもばあちゃんもよくしゃべるもんだから、じいちゃんが自分から意見したり、自己主張したりするのを見たことがない。
いつもニコニコして穏やかで、優しいじいちゃんだった。
俺がまだ赤ん坊だった頃、まあ俗に言う大人の事情ってやつで、ある日突然家を出ていってしまったから、俺には父親がいない。
だから姉ちゃんと妹を合わせると、家族の中で男はじいちゃんと俺だけだった。
父親代わりってわけじゃないけどれど、小さい頃は運動会とか発表会とかよく見に来てくれたり、そう言えばキャッチボールとか自転車に乗るのを教えてくれたのもじいちゃんだった。
それと、いま俺の一番大切な宝物、それはじいちゃんから貰ったこのカメラ。
俺とじいちゃんの共通の趣味、写真。
写真の撮り方を教えてくれたのも、他ならぬじいちゃんで、よく二人で撮影に出掛けたりした。
俺は今、じいちゃんの母校である高校に通っている。つまりじいちゃんは大先輩というわけだ。そして、高校生だったじいちゃんは、今の俺と同じように写真部に在籍していた。
じいちゃんが死ぬ何日か前、たまたま病室でじいちゃんと二人きりになった時のことだ。窓の外を見ながらじいちゃんが、ボソボソと小さい声で話し始めた。
普段はほとんど話をしないじいちゃんが、その日話したこと。
この人生で唯一、心残りだったこと。
それから、そんな話をしながらその時じいちゃんがくれたのが、宝物のこのカメラ。
当時の高校生の持ち物としては高価であっただろう、日本製の一眼レフカメラ。
現代のカメラみたいに大きな液晶画面なんてないし、ファインダーを覗いてピントを合わせるのもなかなか容易じゃない。扱いの難しいそんなカメラを、他にもたくさん持ってるはずの性能のいい物よりも、じいちゃんはずっと大事そうに手入れをしていた。
そんな大切なカメラを俺にくれるなんて、その時のじいちゃんは、自分があと少しの命だってわかってたんだと思う。
もしかしたら、もうこれでじいちゃんとは会えないかもしれないと思った俺は、そのじいちゃんの大切なものを受け取ることにした。
* * * * *
俺は、目下片思い中だ。
クラスの中で俺の席は窓側の1番うしろ。そこから見て、隣の列の俺より2つ前の席にいる彼女。
長いサラサラの髪、まんまるの大きな瞳、小さくまとまった鼻と口。
でも、誰にも話せない心に秘めるだけの恋。それでも毎日が楽しかった。彼女を見るたび、そこに居る彼女を思うたび、心の奥底がほんわりと暖かくなる。
彼女との出会いは七月。
写真部の部室の掃除をしていた時のことだった。引退記念に長年溜まった部室の垢を取り除いてやろうかと、全員で大掃除。
「センパーイ、この写真いつ頃のっすかね?」
部室の横の予備倉庫の中、昔はフィルム写真の現像に使われていた暗室だった場所。
1番奥の棚に眠っていたブリキの箱は、幾つか重なって置いてあったのだが、一年の青木が持ってきた箱はいつのものだろう。よく見ると箱の表面にボロボロの紙が貼ってある。
『昭和45年。昭和46年……』
中にひとつだけ、ハト⚪︎ブレの缶がある。こいつは錆だらけ。
蓋を開けると、無数の写真が入っていた。缶がブリキのせいだろうか、あまり傷んだ様子がない。
当時は、白黒写真からカラー写真へと移行しつつあった時代だ。箱の中身は無造作に、白黒とカラーとが混在している。
しかし、学生の身分ではカラーフィルムは高価であったに違いない。白黒写真が多くを占めていた。
一枚一枚見てゆくと、その白黒写真のどれもが輪郭のくっきりとした綺麗な写真ばかりだった。
風船を持って上を見上げる少女の写真。
銀杏並木の紅葉の美しさを撮ったのであろうそれは、白黒でも虹彩を使って秋の様相を巧く切り取っている。
校舎のあちらこちらを、アングルを気にしながら、上手く撮ろうとする努力が甲斐見えるもの。
当時の教職員の仕事ぶりを収めたもの。
学友の笑顔をあまりなく写したもの。
体育祭や学園祭などの行事記録。
その色のない世界には、カラー写真以上の奥深さや、撮った者のただならぬ愛情が溢れているように感じられた。
いつの間にか、他の部員たちも集まって来て、それぞれに箱を開け写真鑑賞が始まる。
そして皆一様にこう言った。
「写真って、こういうものなんですね」
どう表現していいのかわからないが、なんとなく皆胸に込み上げるものを感じたのだろう。
色を感じさせ、時間を感じさせ、そして空気や風や匂いまで想像させる。
現代の、常に様々な映像に支配されている自分達の常識の範疇にはない、その一瞬を捉えようとする熱意と努力が感じられる写真。
そして、そんな中に見つけたのだ。
俺のビーナス。
その一枚の写真は俺の心を鷲掴みにした。
奥に写っている黒板を見ると、小さく3−4とクラス表記がしてある。俺のクラスだ。
窓側から二列目の後ろから三番目の席。
偶然にもそれは、現在の俺の席から撮られたものに違いなかった。
彼女は、何かに少し驚いたようにこちらを振り返っていた。
まんまるな大きな瞳、スッと綺麗な鼻筋と、何かを言いたげに小さく開く唇はポッテリとさくらんぼのように艶さえ感じる。そして、形の良い顎ライン。サラサラの髪が遠心力に逆らえず、ふわっと揺れている。
この写真を見て、好きにならない男がいるだろうか。
箱の中の写真は分別し、整理して改めてきちんと保管したが、俺はそのビーナスの写真を手放すことができなかった。
* * * * *
じいちゃんが死んでしばらくして、青木が暗室だった倉庫からもう一つ箱を見つけてきた。
中身は全て写真のネガ。
ネガの入ったそれぞれの小袋にクラスと名前が書いてあった。
『昭和45年11月 3ー4
じいちゃんだ、じいちゃんの撮った写真だ。
俺は、おもむろに小袋を開け中身を出してみた。ネガを持ち上げ、光に透かして見る。
そして思い出した。じいちゃんの心残り。
それは五十年前。
じいちゃんが心から想っていた彼女の話。
「ばあさんには悪いと思うがな、じいちゃんは今でもその時のことを後悔しておる」
十八歳の秋。
じいちゃんには、一年生の頃から思いを寄せていた女子がいた。でも奥手だったじいちゃんは、その彼女にとうとう告白できずに三年生になってしまった。
卒業間近、交通事故で死んでしまった彼女のことを今でも密かに想っていること。
あの時どうして告白できなかったのかと、溜息混じりに話していた。
その子の名前は、
俺のビーナスの名前。
写真のビーナスの名札にははっきりと『坂上』とあった。
どうして今まで気付かなかったんだろう。
俺は
DNA なのか、遺伝とは恐ろしいものだ。そしてそれ以上に俺は不思議な縁を感じずにいられなかった。
「告白したかった」
じいちゃんのその気持ちが痛いほどわかった。
そう思ったその日、俺は放課後の教室に一人残った。
夕日が差し込み、教室をオレンジ色に染めていた。
窓側から二列目の後ろから三番目。五十年前、彼女が座っていたはずのその席は、昔とは全く違う現代的な作りの机。
しかし、何年か使われているうちに、落書きされていたり、汚されていたりしている。
俺はその机の左の端っこに、小さくカッターでこう彫った。
『好きだ 文治』
思いが届けばいいと思った。
そうすることでじいちゃんの心残りが少しでも晴れればいいと。
次の日の朝、ホームルームの始まる5分位前。俺は今日も彼女の写真を見ていた。
「おい!誰だよ〜、文治って!なんだよこれ!」
現在、あの席に座っている野球部の木村には思いが伝わったようだ。
クラスの中をキョロキョロ見渡して、犯人を探そうとしている。
俺はそんな木村の反応がおかしくて、半笑いしながら、じいちゃんから貰った宝物のカメラを構えシャッターを切った。
フィルムが勿体なかったか。
ま、それはそうとして、やっぱり彼女は可愛い。
ニヤニヤしながら写真を見ていると、隣の席の藤田が、
「誰、それ?可愛い子ね。だいぶ前のでしょ。この制服知ってる。歴代の制服で2番目に古いやつよ。前に校長室にあった写真で見たもの」
と、言った。
そうだろ、そうだよな現代の女子!君たちが見ても、同性でも可愛いと思うだろ。なんて思っていると、じっと写真を覗き込んでいた藤田が、
「坂上さんっていうのね、あれ、これ?」
と、言って指を差したそこは彼女の机の上。
よーく見るとボヤけているが、何か書いてある。
え?
『好きだ 文治』
* * * * *
『昭和45年11月13日(金)日直 坂上』
朝、日直だった私は、黒板の右端に日付けと自分の名前を書くと席についた。
すると、誰かがじっとこちらを見ている気がする。
振り返ろうか?でも、目があったらどうしよう。
私は、なんとなくドキドキしてあちこち視線を巡らした。
黒板、隣の席の子、クラスのドア、自分の机……。
え?うそ、さっきまでこんなのなかったのに!
『好きだ 文治』
びっくりして、思わず名前の主の方向に振り返った。
クラスの窓側の1番後ろの席の彼が、カメラをこちらに向けてファインダーを覗き、私が振り返った瞬間シャッターを切った。
Messenger 完
Messenger 藤沢 遼 @ryo-fujisawa
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