第4話「英雄と魔王」

 リンドホルム霊山の山頂は、霊たちがちらりと舌に乗せたとおり、環境的には厳しい場所であった。

 気候、気温もさることながら、空気に妙な重苦しさを感じるときもあって、いかにも『霊山』というふうである。

 加えて、自然の過酷さを感じるにいたった要因はほかにもあった。

 ときおり、メレアの知らない生物が頭上を行くのだ。

 その生物というのがまた、『怪物』だとか『怪獣』だとか、思わずそんな表現をしてしまいそうな形をしていることが多くて、メレアの心をかりかりと引っかいていく。


 そんなある日、メレアは頭上を行く怪物たちの中に、ふと見覚えのある姿を見かけていた。


 ――俺、あれに似たフォルム見たことあるなあ……。


 間違いない。――『竜』だ。


 周辺域の中でも特に標高の高いリンドホルム霊山は、日によって雲の上にまで先端を貫かせる。

 雲の位置が下がってくるとそうなるのだ。

 すると、雲を目印にしてその上を飛ぶことの多いらしい有翼系の怪物が見えるようになるのだが、その日はその中に竜の姿を見かけていた。

 かつてはおとぎ話の中でしか見なかった竜の姿に、メレアは思わず胸を高鳴らせた。


 対する向こう側、竜の方も、リンドホルム霊山の山頂にいる百人の霊と、そこに一人混じった謎の実体ある少年を前にして、


『なんだ、あそこの英霊どもはまたなにか面白いことをしたのか』


 よく響く楽しげな声で言いながら、山頂に降りてきていた。


◆◆◆


 大翼を羽ばたかせ、飛翔する身体に静止をかけつつ、最後にはふわりと軽い動きで着地。

 竜がリンドホルム霊山の山頂にその身を屹立きつりつさせた。

 メレアは竜の迫力に思わず圧倒される。


「うおお……、本当に竜だ。ドラゴンだ」

「正確には〈天竜テイシーア〉だ。地竜レイルノートもいるから違いを覚えておけ」

「あ、は、はい」


 メレアが転生してから一週間ほどが経っていた。

 生活は意外にも順調だ。

 用意されていた洞穴ほらあなと、氷漬けにされていた謎の肉類、木の実などを消費しながら、なんとか生活している。

 生活の糧となるようなものは一定量、霊たちがあらかじめ用意しておいたらしい。

 メレアとしても、霊山の寒風に身を震わせながら小難しい話を聞くのはなかなかにこたえる。

 なので、最初は霊たちの話もほどほどに、環境に慣れることに集中して一日一日を生きていた。


「で、なんでこんな物騒なところに生身の子どもがいるのだ」


 竜は首をかしげた。

 すると霊の中から美貌の男――メレアを連れてきた〈フランダー=クロウ〉が出てきて、柔らかな笑みを浮かべながら竜に言った。


「僕たちの息子さ」

「ああ、例の〈異界草〉か。まさか本当に成功するとはな。なまじ力のある英霊ばかりがこうしてこの場所に残ったのが幸いしたか」

「まあ、生前に失敗した元英雄ばかりだけどね」

「……そうだな」


 フランダーの自嘲気味な笑みに、竜は少し声を落とした。


「それにしても、なかなか奇異な姿だ」


 竜は次いで、メレアに視線を戻す。


「雪のように白い髪。瞳の色は鮮血のそれ。いっそこちらの方が幽鬼のようだぞ」

「白い髪は〈レイラス〉の因子。そして赤い瞳は僕の因子。そうやっていろいろな英霊の因子が合わさっているから、ちょっと不思議かもね。でもレイラスの髪なんか、とっても綺麗だろう?」

「ああ、それはな。絶世の美女と讃えられた白麗の英雄の髪ならば、間違いなく美しいだろう。――して、そのレイラスは?」

「――『行った』よ」

「なに?」

「レイラスはこのメレアの誕生を見届けて、行ってしまった。彼女にとっての未練は、誰かに裏切られて殺されたことではなくて、子を産めずに死んでしまったことだったらしい」

「……そう……か」


 竜は少しさみしげな表情を浮かべた。

 竜の顔ではあるが、メレアにはそれがわかった。


「まあ、寂しくはなるが、お前たちにとっては僥倖ぎょうこうなのだろうな……」

「そうだね。未練が無くなったのなら、きっとそれは幸せなことさ」


 フランダーと竜が話しているのを聞きながら、メレアはなんとなく霊たちの出自を予想していた。

 英雄、そして英霊。

 フランダーは自分のことを『古びた英雄譚の中の一人物』と、少し卑下するように言っていたが、竜の話しぶりを聞くとそう卑下したものでもないように思えてくる。

 ここにいる霊たちがかつて英雄と呼ばれ、そして英霊としてこの場に留まっていることは、どうやら事実らしかった。


「霊というのも、存外油断ならぬものだな。強い喜びがその存在を消してしまうとは」


 リンドホルム霊山はこの世界の中でも特異な場所。

 死んだはずの者たちが、唯一たわむれることを許された絶界。

 同時に、未練ありし魂たちが何かを『できてしまう』場所だから、生者は滅多めったにここを訪れない。


 ――まあ、フランダーたちは普通だけど。


 メレアは一週間を過ごして彼らを知った。

 彼らは生者となんら変わりがない。

 いや、まだこちらの世界で人型の生者に出会ったことがないから断言はできないが、少なくとも自分が前に生きていた場所の生者とそう変わりはなかった。

 しかし英霊曰く、山頂より下の階層では生者に敵対的な霊体も多いという。

 ――その未練ゆえに。


「ともあれ、そうなると残りは九十九人か」

「それは追々おいおい、メレアに頼むさ」

「英霊の救世主となるかな」

「わからない。ただ、立派な英雄になってくれればとは思うね」

「それがお前たちに共通する未練か。世のためにみずからを犠牲にしながら、最後には英雄のまま終われなかった不遇な生。――だが忘れるな。世は動く。世は変わるのだ。そうしていつの間にか、お前たちの望んだ未来が得られなくなっていることもあるかもしれん」

「世界を観察する天竜テイシーアに言われると、なんだか説得力があるよ」

「ああ。……まあしかし、そのメレアとやらがどう育つのかは私も気になる。またそのうち雲が低くなったときには様子を見にこよう」

「よろしく頼むよ。メレアには当分友人が出来そうにないからね」


 ――親にぼっち宣言された。


「霊山を訪れてくる奇特な生者はそういないだろうからな」

「うん。それじゃあ、また」

「ああ」


 そう言って竜は再び天空へ飛び去った。

 

 ――英霊って時点で不思議だったけど、この世界はずいぶん幻想的なようだ。


 メレアはかつて人々の幻想の中にしか存在しなかった生物が実在するのを知って、心が高鳴るのと同時に少し不安にもなった。

 幻想は強大だ。

 もしそれが自分と反目はんもくしたとき、自分はこの世界を生きていけるのだろうか。


◆◆◆


 ――生きていけることが分かった。死にもの狂いになれば。……あれっ? これ本末転倒じゃない? 生きるために死のうとしてる感じがする!


 天竜が訪れてからさらに一週間。

 メレアはその日、霊山リンドホルムの山頂を駆けまわっていた。

 というのも、ぼうぼうと燃え盛る『火の玉』に追っかけられているからだ。


「おら! 必死で逃げろ! 生活にも慣れてきたから特訓だ!」

「なんのためのだよ……!」

「英雄になるための特訓に決まってんだろ!」


 ――横暴だ。


 英霊たちから話を聞いて、彼らが何のために自分を呼んだのかを知った。


 ――彼らは俺を、英雄にしたいらしい。


 救国の英雄。

 世界を救う英雄。

 誰かを救う、英雄。


 色々あるが、基本的に英雄は華々しい称号だ。

 ここにいる英霊たちはかつてそう呼ばれていた。

 しかし、凄惨せいさんな事件があって、それぞれ最後は悲劇的な死を遂げたらしい。

 味方に裏切られたり、人柱にされたり、使い捨てにされたり。

 そんな悲劇の話の中に、ときおり〈魔王〉という言葉が入ってくることもあった。


 この世界にはかつてより、〈魔王〉という特別な意味をもった言葉があるらしい。


 特別な意味、なんて曖昧な表現をしたのは、〈魔王〉という言葉が指す対象が時代ごとに異なるらしいからだ。

 くわしいことはまだ聞いていない。

 ただ英霊たちが口をそろえていうのは、


 〈魔王〉は取って付け替えられる『レッテル』のようなものだ。


 という言葉だった。

 英霊たちは〈魔王〉という言葉に苦い思い出でも持っているのか、あまりくわしく話そうとしない。

 そのせいで、それがどう悲劇に関係しているのかもいまいち的を射ない感じだった。

 それでも、断片的な情報を集めて〈魔王〉という言葉の意味傾向を推測するに、


 ――『強大で』、『悪徳の化身』であるような存在。


 一度、答え合わせとばかりにそれをフランダーに訊ねたことがあった。

 そのときのフランダーは苦笑を浮かべて、


『当たらずとも遠からず、ってところかな』


 と答えていた。

 そのほかの英霊たちに訊くと、


『昔はな』


 やら、


『そういうものを指すときもあったよ』


 とか、


『おれが生きていたときはすでに意味が変わっていた』


 など、なんともしっくりこない答えを返された。

 意味が変わっていた?

 どういう意味からどういう意味へ?

 英霊たちに訊きまわって、結局最後にはまたフランダーのところへ戻った。

 そうしたらフランダーが渋々といった表情で、


『強大で、それでいて悪徳の化身である存在を指す言葉から、ただ強大である者を指す言葉へ』


 そんなふうに答えてくれた。

 悪徳の化身という意味が、〈魔王〉という言葉から削られたのか。

 それは自然と削られたのか、誰かの意図で削られたのか。


 ――魔王とは一体なんなんだ。


 最終的には、そんなもやもやとした思いがメレアの胸の端に残った。


◆◆◆

 

「この年齢でここまでやる必要あんのかよっ!」

「あるある、超ある。お前、相手が魔王だったらどうすんだ。魔王は独自の『力の研究』を進めてるとこが多いんだぞ。幼少期から英才教育するところもあるし、秘儀的な術式を継いでいるとこもある。俺の時代はそうだった」


 それでも最近は、ずいぶんとその単語を英霊の口から聞くようになった方だろう。

 一方でメレアも、今は英霊以外の独自のルートを使って〈魔王〉についての情報を少しずつ集めていた。


「その魔王ってのがどういう存在なのかまだちょっと曖昧なんだけどっ!」

「あー……、まあ、そのへんはフランダーが時期を見て話してくれるだろ」

「その受け流し方はずるいな……っ!」


 メレアは火の玉を避けながら非難めいた口調で言う。


「――というかさ、今の時代の魔王って衰退してきてるらしいじゃん」


 それは独自のルートから手に入れた魔王に関する情報だった。

 それはそれで断片的だが、英霊からは聞いたことがない情報でもある。

 かまをかけるようにして言ったメレアに対し、メレアの特訓を監督していた大柄な男英霊――〈タイラント〉は、驚いたように目を丸くして返した。


「そんな話、誰に聞いたんだ?」


 直後、タイラントの顔がふっと納得の表情に変わって、


「――ああ、〈クルティスタ〉か」


 それは先日リンドホルム霊山の山頂を訪れた天竜の名前だった。

 メレアの独自の情報源は、英霊ではなくあの天竜クルティスタだった。


「たしかにあいつはいろいろ知ってるからな」

「それくらいしか聞いてないけど……おっと!」


 メレアの足元を火の玉が行く。

 それをまたいで避けながら、メレアが続けた。


「で、どうなの?」


 タイラントは少しの間、考え込むように沈黙したが、

 

「仮に衰退してても、どうせ似たようなのが出てくる。名前が変わるだけだ」


 妙に真に迫る感じの言葉がタイラントの口からつむがれる。

 メレアがどういう意味か訊ねようとする前に、たたみかけるようにタイラントが言った。


「言葉はどうでもいい。問題はそういう『強大な存在』がお前と反目して、たとえばお前の仲間に手を出してきたとき、自分に守れる力があった方がいいじゃねえかってことだ」

「そ、それはそうだけど……」


 この特訓の意味がそこにあるのだろう。

 誰かを守れる英雄に育てるための、特訓。


「じゃあ頑張ろうな。大丈夫、お前はかなり筋が良い。こうしてすげえ環境に放り込まれても食らいついてくるくらいだからな。やっぱ一回死んでると覚悟がちげえな、生きることに対する覚悟がよ」


 口早にタイラントが言って、話題をそらしてしまった。

 一方でメレアもその意図的な話題のそらしに気付いて、かつ自分の周囲を飛び回る火の玉が無駄口を叩かせないとばかりに飛翔速度を速めたので、しかたなくその流れに沿うことにする。


「覚悟決める時間を与えられた覚えはないけどな……!!」


 メレアにはかつての生に対する未練はない。あれはあれで精一杯生きた。

 あまり長い間を生きられなかったが、やるだけはやったという思いがある。

 ただ、死ぬまでの半生を、自由の利かない重い身体で過ごした悲哀ひあいは強く脳裏に刻まれていた。

 だから、こうして動ける身体に生まれたことを心底からありがたく思う。

 もし次に死んだときにまた転生なんてものがあったとして、その転生先が動ける身体である保証はない。


 ――俺が『俺』のままでれるのは、今回までかもしれない。


 知識と記憶を継いで、こうして世界を渡れるのは今回だけかもしれないという思いもある。

 そういうことを考えた時、メレアは今を生きることに必死になれた。

 一度転生なんてものを経験したがゆえの『懸命けんめい』だったのかもしれない。


「よーし、んじゃあと二時間な」

「に、二時間っ!?」

「大丈夫大丈夫、高度にも慣れてきたろ。オレ、向こうでフランダーと盤上遊戯シャトランジしてるから、それまで火の玉を避け続けろよ。じゃあな」


 そう言って大きな身体の英霊〈タイラント〉はひらひら手を振りながらきびすを返した。

 タイラントの向かう先にはいつもの美貌に笑みを乗せたフランダーがいて、メレアが逃げ回るさまを楽しげに見ている。

 ――見ているだけだ。

 決して止めようとはしていない。


 ――フランダーもあんな微笑を浮かべてかなりサディスティックだよな……。


 メレアはその様子を見てうんざりしながら、


「うおっ! あぶねっ! 髪が焦げる!」


 残りの二時間、火の玉を避け続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る