第3話「メレア=メア」

 死神にいざなわれて身体が空を飛ぶ。

 それが自分の魂の飛翔であることを知ったのは、眼下に自分の『器』を見たからだ。

 ――柔らかな微笑みを浮かべた、自分の顔。自分だった身体。


『今から君を僕の世界に導く』


 世界。

 死神が言うのだから、霊界とか、そういう場所だろうか。


『僕たちが送った異界草は、君の生の終わりに咲いた。きっと、死後に君の魂が異界へ渡ることを異界草が認めてくれたんだろう』

『異界草?』

『そう、異界草。世界と世界を根で繋ぐ、不思議な植物』


 片手を死神に引かれ、空を行く。

 首をかしげてみるが、死神は優しげな笑みを向けるばかりで詳しいことは教えてくれない。


『実際に来ればわかるよ。僕の言葉の意味が。向こうへ行ったらちゃんと説明するから、今は僕の手を離さないように』

『――うん、わかった』


 そう言われ、大人しく死神の手を握っていることにした。


◆◆◆


 世界を渡る。

 境界を越える。

 時の声を聴いた気がした。


 そう思っていたら、意識が薄れた。

 そこからはどこを飛び、どこへ向かい、どこへたどり着いたのかも、あまり覚えていない。

 ただ、自分の手を握る死神の手だけは、不思議な温もりをたたえていて、薄れた意識の中にもしっかりとした感触を残していた。


 ―――

 ――

 ―


◆◆◆


「――」

「――ア」

「――レア」


 少しずつ鮮明になっていく音の羅列られつを耳に、ついに男の意識は覚醒した。


「起きたかい、〈メレア〉」


 男は自分の視界が開けたことにまだ確信が持てなかった。

 精確には、自分がることにまだ確信が持てなかった。

 耳を穿うがつ音はたしかにある。

 身体に感触もある。

 しかし、


 ――さっきまで死神に手を……。


 死神に手を引かれてうつろな空間をただよっていた記憶がかすかにあって、その虚ろさが自分のたしかさに対する認識を阻害そがいしていた。


「メレア、気をたしかに」

「あ……」


 ふと視界の端から、顔が一つ現れた。


 ――死神の顔だ。


 そこでようやく、男は自分がることを悟った。


「おはよう、メレア」

「メレ……ア?」

「そう、それが君の名前だ。君が世界を渡ってくる前に、ずっと前からそういう名前にしようと、僕たちみんなで決めていた」


 死神が「見てごらん」と手を振って、視線を誘導してくる。

 そうして周囲を見渡したとき――


 そこに、大勢の霊の姿を見た。


 実体が薄い。

 透けている。

 ここが霊界かもしれないという意識がまだあって、とっさにそれを霊であると頭の中で決めつけてしまう。


「なに……が……」

「大丈夫、落ち着いて。メレア、君は生きている。君は世界を渡った。向こう側の世界で生をまっとうした君の魂を、こちらの世界に呼んだ。いうなれば君は――この世界に転生したんだ」


 転生。

 男はかつて疑問に思った死の向こう側を、そのとき理解した。

 自分に訪れた二度目の生を、そのとき初めて、認識した。


◆◆◆


 男――メレアは、しばらくの間、霊たちに見守られながらぼうっと意識をその場に漂わせていた。

 そのあとでようやく、自分の身体に意識を向ける。


 二度目の生と言うわりに、身体がずいぶん大きい気がする。

 そう思って手をかかげて見ると、少年ほどの大きさだった。

 立ちあがる。

 視線が高くなり、しかし周りにいた霊たちよりはずっと低い。


「この身体は――」

「その身体は英霊の欠片が集まってかたどられた身体さ。赤子の身体ではリンドホルム霊山の過酷な環境に耐えられないからね。とはいっても、四、五歳の身体で、幼くか弱いということに変わりはないから、あまり無理はしない方がいい」

「あなたは……死神ではないの?」

「僕?」


 ふと、メレアは自分をここまで連れて来たであろう死神の顔を見る。

 中性的な美貌に、物腰柔らかな雰囲気。

 しかし身体は透けている。

 やっぱり霊のようだ。


「僕は今からおよそ二百年前にこの世界に生きていた者。〈フランダー=クロウ〉と呼ばれていた。今では古びた英雄譚の中の一人物さ」

「二百年前? 英雄譚?」


 メレアはフランダーの言葉をすぐには理解できない。


「そう、とても古い、昔の話だよ。――僕はとっくに死んでるのさ。今の僕は、このリンドホルム霊山で未練がましく魂だけを漂わせている曖昧な存在」

「ここは霊界か何かなの?」

「違うよ。ここは君がいた世界とは違う世界。君の魂からすれば、異世界ということになるだろう」

「――異世界」


 メレアは自分の両手をまじまじ見ながらつぶやく。


「僕たちは僕たちの未練を解消してもらうために、君を呼んだ」


 フランダーの筋道だった話しぶりに、メレアは話の内容を理解しはじめるが、疑問ばかりが次々と浮かんできて頭がスッキリしない。


「なんで? なんで――俺なの?」


 最終的に、すべての疑問はその言葉に集約された。


「君が異界草を見つけて育てたからさ。異界草は世界を渡る者を選定せんていするといわれている。僕たちにとってもおとぎ話でしかなかったんだけど、それを信じるとすれば、あの紫色の植物がこちらの世界に渡る者を――自分に花を咲かせる者を、自らで選定した」

「あの紫色の植物……」


 最後の最後に美しい花を咲かせてくれたあの植物。

 あれが自分の魂を送る花だった。


「そう。異界草によって君のいた世界とこちらの世界が繋がった。僕は君を迷わないように案内しただけだ」

「俺は、生きているの?」

「生きているとも。ここにいる百人の霊と違って、君はたしかに生きている。未練ゆえに、死にかけたままさまよっている僕たちの魂と違って、君の魂は活力にあふれている」

「俺は、死んだはずだ」

「向こうの世界では。君の『器』は命の力を使い切った。しかし君の魂が死んだわけじゃない」

「そういう……ものなのか」

「そういうものなのさ」


 メレアはまた辺りをぐるりと見回した。

 そうしていると、ついに我慢できないと言わんばかりに、また別の霊が前に出てきて口を開いた。


「おい、ぐちゃぐちゃ細けえことはいいんだよ! お前は生きてるんだぜ? 話を聞くかぎり向こう側で一度は器の死を経験したんだろ? じゃあまだ生きてることに喜べよ! 身体があるってのは最高なんだぜ? 女を抱けるからな!」

「ちょっと、脳筋は黙ってて。メレアがかわいそうよ。まだ起きたばかりで状況を呑み込めてないんだから」


 身体の大きな男の霊が、すらりと背の高い女の霊にさとされている。


「いい? もう少し自分の中で気持ちの整理をさせてあげるの。私たちは死んでそのままこうなったけど、メレアは死んで魂になったあとまた肉体に入ったのよ。私たちより複雑だわ。だから心の整理をちゃんとつけさせてあげないとダメ」

「わ、わかったよ……そんなおっかねえ顔すんなよ……。かして悪かったな、メレア」


 男が素直に頭を下げ、女がにこりと笑って手を振ってくる。


「ああ、いや――」

「ひとまず座ろう、メレア。もう少し詳しく説明するよ」


 フランダーに言われ、メレアはその場に座り込んだ。

 両手をごつごつとした岩肌につき、身体を仰向けに倒して空を見上げる。


 ――雲が近い。


 そこから見た空の色は、あの病室の窓から見た空の色と何一つ変わらなかった。

 そして空を見たとき、自分が再びの生を得たことを不思議と強く実感した。


 ――また、生きている。


 メレアにとってはそのことがなによりも嬉しかった。

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