第14話 危険な階段

(え!? わたしなの?)

 

 ジュリアは階段のてっぺんから落ちながら、そんなことを考えていた。


 エバとの外出から数カ月。アイザックとサラは、ジュリアから見ても仲睦まじく、交際は順調のようだった。


 だからこそ、ジュリアは安心しきっていたのだ。裏庭での虐めを目撃したのだから、ゲームのシナリオを思い出して気をつけておくべきだったとは思う。


 もう遅いけれど……


 階段落ちは、アイザックルートではメインイベントと言ってもいいシーンだった。それでも、現実はゲームとは異なることも多かったし、何よりジュリアがサラを突き飛ばさなければ成立しないイベントだ。


 そのため、学園生活を満喫していたジュリアの頭の中には、階段の危険性について、まったく残っていなかった。

 

 ジュリアはその日、たまたま教師に呼ばれて人気ひとけのない階段を一人で登っていた。 

 

 階段を登りきった瞬間、目の前にサラが偶然いたことで、ジュリアはゲームの階段落ちを思い出した。


(うゎ、階段の踊り場でサラに会うとかって……)


 サラと目が合うと、サラも不意打ちだったためか驚いた顔をしていた。 


 ジュリアが間違ってもゲームを再現してしまわないように、慎重にサラを避けようとした瞬間、サラが振り払うようにジュリアを階段の方へ突き飛ばしたのだ。そして、冒頭に戻る。


(え!? わたしなの?)


 まさに大怪我をする瞬間だというのに、そんなことを考えていたのかと呆れられるかもしれない。


 でも、サラを突き飛ばすはずのジュリアが、サラに突き飛ばされたのだから、驚いてもしょうがないと思う。


 ジュリアは階段を落ちていきながら、真っ青な顔をしたサラを見上げた。サラの表情は自分が落ちているかのように悲壮感でいっぱいだ。


(うん、そんなことする気はなかったんだよね)


 おそらく、近くに嫌いな虫がいたから思わず振り払ってしまった。感覚としてはそれに近いのではないだろうか。


(ん? それって……階段から落とそうとしたより酷くない?) 


 ジュリアは背中から階段を落ちていく中、空中でいろいろな事を考えた。よく、走馬灯のようにゆっくりと時が流れたと言うが、まさにその通りだ。


(この世界に魔法が存在すれば……水のクッションで受け止められるのに……お父様なら風で押し戻して……なかったことにするだろうな……)


 玲美の世界なら瞬時に解決する事件だ。そもそも、魔力の強い玲美だったら落下すらしない。そんな事を思っていると、ジュリアを包み込むように風が吹いた。


(え? 魔法?!)


 ポスン


 階段の一番上から落ちたはずなのに、ジュリアを襲った衝撃は、背中からベッドに倒れ込んだときのように僅かなものだった。


「大丈夫か?」


 ジュリアがハッとして見上げると、目の前に心配そうなオリバーの顔があった。


「だ、大丈夫です。申し訳ありません!」


 オリバーをクッション代わりに押しつぶしてしまったのだろうか。ジュリアは慌ててオリバーから離れようとするが動けない。


「こら、暴れるな」


 オリバーが抱きしめる力を強めた事で、はじめてジュリアはオリバーの腕の中にいることに気がついた。


 オリバーはジュリアが暴れても平気な顔をして横抱きにしている。細身に見えるオリバーだが、こうして抱きあげられていると意外にがっしりしている事が分かる。ジュリアはなるべく考えないようにと頑張ったが、心臓がドキドキと脈打っていた。


「怪我はないか? 痛いところは?」


「どこも痛くありません。オリバー様は大丈夫ですか?」


 ジュリアは侯爵令嬢としての矜持で、なんとか冷静に言葉を返す。声が裏返らなかった事に心の中でホッとした。


「ああ、問題ない」


 オリバーはそう言いながら、ジュリアをゆっくりと床におろした。ジュリアが問題なく立てたのを見て、オリバーは安心した顔をしている。その顔を見ているとジュリアも少しずつ落ち着くことができた。


 今のは何だったのだろう。ジュリアはオリバーを見上げた。もちろん、ジュリアが魔法を使ったわけではない。


 ゲーム補正か?


 それとも、オリバーが何かしたのだろうか?


「オリ……」


「ジュリア様! 大丈夫ですか!?」


 ジュリアの声を遮るように、サラの動揺した声が響き渡る。どうやら、大きな声も出せるらしい。


 その声に誘われるように、ワラワラと人が集まってきた。


「サラ、何があったの?」


 いつの間にか現れたアイザックが、真っ青になっているサラの肩を抱き寄せている。


(一応、婚約者が目の前にいるんですけど……)


 宰相の息子イザヤ・フェティダまで現れて、ジュリアを睨みつけた。


「ジュリア・ルビギノーサ、お前サラに何をした」


「ジュリア様は悪くありません。私が……」


 サラは最後まで言わずに泣き出してしまった。そんなサラをアイザックが優しく抱きしめる。騎士団長の息子ウラジール・ウッドシーがアイザックたちを庇うように、ジュリアの前に立ちはだかった。


「殿下に相手にされないのはお前の落ち度だろ? サラにあたるなんてみっともない」


 ウラジールはジュリアが悪いと完全に決めてかかっている。何もかも間違っているが、ジュリアは反論するのも面倒になって、ため息をついた。


(サラのあの態度じゃ、ジュリアにイジメられたのに優しすぎて言えない子って感じだよね)


 サラの様子は演技には見えない。本当に動揺して泣き出したのだろう。ジュリアもここで泣いて怖かったとでも言えればいいのだが、そんなに可愛らしい性格はしていない。


「サラさんに危害を加えたりしてないわ。証人なら……」


 ジュリアはオリバーを探して周りを見回した。ところが、野次馬ならたくさんいるのに、肝心のオリバーの姿がどこにもない。


「あれ?」


「なんだ、ジュリア・ルビギノーサ? 証人がなんだって?」


 ジュリアが言葉に詰まったのを見て、ウラジールが楽しそうに笑った。


「2人とも、サラのために怒ってくれてありがとう。優しいサラが心を痛めているから、そのくらいにしてあげて」


 アイザックが抱きしめたままサラの髪を優しく撫でている。サラは完全に取り乱してしまっていて、野次馬の目に晒しておくのは可愛そうな状態だった。


 ジュリアもサラの様子から故意に起こしたことではないとわかっている。そうなると、立場の弱い男爵令嬢をこの場で糾弾するのは憚られる。


 男爵令嬢が侯爵令嬢に危害を加えたとなれば、学園長の判断によっては退学だ。侯爵家が出てくれば、サラを処刑することだってできてしまう。


「私が足を滑らせて階段から落ちただけよ。もういいでしょ」


「ジュリアもそう言っているし、この件は終わりでいいよね」


 イザヤとウラジールは、なおもジュリアを睨んでいるが、アイザックの意向があるので、何も言ってこなかった。アイザックの意図は分からないが、ジュリアとしても無かったことにした方が面倒がない。


 ジュリアはため息をついて階段を再び登り始めた。落ちた階段をすぐに使うなんて、我ながら図太い性格をしているとは思う。ただ、教師に呼ばれているし、これ以上、アイザックたちの相手をするのも疲れるだけだ。



 ジュリアはアイザックたちの騒々しさで、先程オリバーに持った疑問などすっかり忘れてしまっていた。

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