第16話 怒ったオウマ君

「そう言えば、オウマ君は、今の姿と、この絵みたいないかにも悪魔ですって感じの姿、どっちが本当なの?」


 物語で人間に化けた悪魔が出てきた時は、大抵の場合最後の方で「これが自分の正体だ!」とか言って、いかにも悪魔ですって感じの姿になる。オウマ君は学校ではもちろん、今だって普通の人間と変わらない姿をしているけど、その辺はどうなっているんだろう。


「どっちのも本当と言えば本当だけど、特に意識しない時は普通の人間の姿だよ。インキュバスの姿の方が人間よりもずっと強い力が出せるから、先祖が戦場で戦っていた時はその姿でいたらしいけど、今の時代戦う必要もないからな。悪魔の姿になんて、滅多にならないよ」


 そう言ったオウマ君だったけど、そんなことを聞いて黙っていられない人物が一人いた。ホレスだ。


「悪魔の姿!? シアンだけそんなの見れてズルいぞ。なあ、俺にもちょっとだけでいいから見せてくれないか。君の望んでいる、力を制御するために必要かもしれないんだ」

「えぇっ……まあ、いいですけど」


 いや、本当にそれ必要なことなの? 自分がただ見たいだけのような気がするけど。


 それでも、頼まれた以上は無下にできないオウマ君。以前私やお父さんに見せたのと同じように、右手を翳すとみるみるその姿を変えていく。紫色の体に山羊に似た角に蝙蝠の羽っていう、悪魔インキュバスの姿に。


 もちろん、それを見たホレスは大興奮だ。


「おおっ、凄い! 羽があるけど、ずいぶん小さいな。空は飛べるのか? 魔法って使える?」

「い、いえ。この羽は動かすことはできても、空は飛べないんです。それに魔法も……」

「そっか。じゃあこれは飾りみたいなものか? あるいは元々は飛べたけど、退化して小さくなったのか? 魔法は使い方を知らないだけで、ちゃんとやり方を学べばできるようになるかも。そうそう、この姿だと人間より強い力が出せるって言ってたけど、具体的にどんな事ができるんだ?」

「えっと、ケガしても瞬時に治るとか、石を片手で砕いたりとか、普通の人の倍の速度で走ったりとか……」

「なるほど。うーん、いくらすぐに治るって言っても、さすがに怪我してくれとは言えないな。じゃあ、石を砕いてもらおうか。今持ってくるから、そのままで待っててくれ!」


 まるでスキップしそうな勢いで物置から出ていくホレス。彼が去った後、オウマ君がこっちを見てポツリと呟いた。


「あの人、本当に大丈夫なのか?」

「ち、知識はあるから」


 あれでも頭はいいんだよ。その代わり、常識は大きく欠けていると思うけど。

 間も無くして、ホレスは庭から大量の石を持ってくる。


「さあ、砕いてくれ。それから、全速力で走るところも見てみたいな。他にも色々やってほしいことはあるけど、何がいいかな~」

「は、はぁ……とりあえず、石を割りますね」


 見た目は完全に悪魔の姿のオウマ君が、その勢いに圧倒されながら言うことを聞く姿はなかなかにシュールだ。


 それにしても───オウマ君は床に石を並べると、その中の一つにむかって、えいっと拳を叩き込む。すると本人の言っていた通り、石はそれだけで、砕けてしまった。


「おぉーっ!」


 こんなのを見ると、改めて、普通の人間とは違うんだなと思い知らされる。これなら、先祖が戦争で活躍したってのも納得だ。


「すげーっ! もっと見せてくれ。とりあえず、この石全部割ってやれ!」


 人間離れした力を前に、ホレスは大興奮だ。次から次へと石を並べては、それをオウマ君に割らせようとする。

 ちなみに、その度に床が散らかっていくけど、それって私が掃除しなきゃダメなのかな?


 だけどそう思ったのも束の間、いくつかの石を砕いたところで、オウマ君はゼイゼイと肩で息をし始め、その場で膝を曲げてしまった。


「すみません。少し休んでもいいですか?」

「ああごめん。疲れちゃった?」


 そう言っている間に、オウマ君の体はみるみるうちに元の人間のそれへと戻っていく。たった今見ていたインキュバスの姿が、全て幻だったと言われても信じてしまいそうだ。


「あの姿になると、それだけで体力を使うし、物凄く燃費が悪いんです」

「そうなの? 凄い力が出せるって言っても、いいことばかりじゃないんだね。って言うか、ご先祖様はそんなんで戦場に行って大丈夫だったの?」


 戦争で武功を立てたという、オウマ君のご先祖様。だけどいくら力が強くても、こんなに早くへばっていたらどうにもならないんじゃないかな?

 そう思ったけど、オウマ君はちゃんとそれも説明してくれた。


「先祖は、戦場に出る際は事前にある程度、人の生気を吸っていたらしいんだ。吸い取った生気はそのまま体力になるから、長い時間戦っても大丈夫ってわけ」

「ああ、そう言えばインキュバスって、生気を吸いとるんだっけ」


 それは、女性を魅了するのと同じくらい。いや、あるいはそれ以上に有名な、インキュバスの大きな特徴だった。


「言っておくけど、生気を吸うって言っても、相手を死なせたり、倒れたりするまで吸ったりはしなかったって伝えられてる。せいぜい、全力疾走するくらいに疲れる程度に加減してたらしい」


 その辺は、人間社会に生きるためちゃんと配慮していたようだ。

 すると、それを聞いたホレスが、またもノリノリで言ってくる。


「よし、それじゃ次は生気を吸いとってみようか。体力消耗してるし、ちょうどいいな」


 だけどそれを聞いて、スッとオウマ君の目が細くなった。


「ごめん、それはできない」


 それは、今まで戸惑いながらもホレスの注文を受けていたオウマ君にとって、初めての反論だった。


「俺は、この力を人に向けては使わない。使いたくないんだ。生気を吸いとるなんて、絶対に嫌だ」

「いや、何も倒れるまで吸ってって言ってるわけじゃないんだよ。君の先祖みたいに、全力疾走程度に疲れるくらいに抑えてくれたら、何も問題ないでしょ。俺は全然構わないよ」

「俺が嫌なんだ。それに生気を吸いとれる相手は女性だけだし、俺の近くにいるほど、魅了の力は強くかかってしまうんだ。生気なんて吸い取ったら、どれだけ強く魅了にかかるか分からない。そんなの、絶対にできない」


 確かに、インキュバスが男から生気を吸いとるなんて場面はあまりイメージできない。それに、相手をより強く魅了してしまう危険があるのなら、オウマ君としては何としても避けたいだろう。


「そっか。俺なら、むしろ一度でいいから吸われてみたいって思ったんだけどな。ならシアン、代わりに吸われてくれ」

「えっ、私?」

「ああ。お前なら女だし、魅了の力はきかないから、問題ないだろ。しかもだ。記録によると、悪魔祓いは普通の人間よりも大量の生気を持っているって話だ。うってつけじゃないか」

「そうなの?」


 悪魔祓いの新たな特徴の発覚だ。って言われても、人より生気が多いなんて、全く自覚がないんだけど。

 だけどホレスは自信満々に言う


「悪魔と戦うとなると、生気を吸いとられるなんて事態も普通にあっただろうから、自然とそういう奴が悪魔祓いになっていったんだろう」


 うーん、確かにそう言われると、それなりに説得力がありそうだ。もちろん、生気を吸われろって言われたら怖いけど、凄く疲れるってくらいなら、まあいいかなと思った。

 だけど、そう言おうとした時だった。


「できないものはできないって言ってるだろ!」


 オウマ君から鋭い声が飛び、苛立ったように壁に手を打ち付ける。見ると、今まで見たことのない険しい顔をしながら、小刻みに肩を震わせていた。

 もしかして、怒ってる?


「だいたい、俺は力を使うのが嫌だから、それを押さえ込む方法を探してるんだ。なのに、なんでそんな事に力を使わなきゃいけないんだよ」


 吐き捨てるように言うオウマ君。だけどそれもほんの一瞬。その態度に思わず硬直する私を見たとたん、ハッとしたように、険しかった表情が一気に崩れた。


「……ごめん。態度、悪かった」


 短くそれだけを呟くと、後は何も言うことなく、サッと背を向け、そそくさと物置から出ていく。

 どうしよう、追いかけた方がいいのかな?


「あーあ、怒られちゃったな」


 迷っていると、ホレスが、場の空気を全く読まない呑気そうな声で言った。


「もう。いくらなんでも、無神経に色々やりすぎだよ!」


 オカルトマニアのホレスなら、オウマ君の事情を聞けばハイテンションになるのは十分予想がついていたし、ある程度は仕方ないと思っていた。だけど、いくらなんでもやり過ぎた。


「私が先に話をしておくから、ホレスも後で謝りにきてよね」


 やっぱり、ちゃんと追いかけて話をしよう。そう思いながら、私は物置の外へと飛び出していった。

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