背後の過去

波柴まに

第1話 

 カバンが右肩に食い込む。

 

 隣を歩く昴は、いつも学校指定の肩にかけるタイプのバッグに不平を漏らす。

「なんで、バッグまで指定されてんだよ。中学みたいにリュックがいいよな。唯人もそう思わね?」

 思わなくはない。ただ、切実かといえばそうでもない。

「そうだな、俺の右肩もそう言ってるわ」

 カバンを右から左へと移す。痛みを左右均等にすると、チャラになったような気がする。

「そうだよな、肩も辛いよな」

 

 俺たちはバッグだけじゃなく、大きな流れみたいなものを何も変えられないから、不満を漏らすしかない。漏らしたところで何も変わらないことも皆分かっているけど、別に本当に変えたいものなんてない。少なくとも、俺はそう思っている。


「そういえばさ、唯人、この道の先の神社に出る幽霊の噂知ってる?」

 最寄り駅の改札の前で足を止めた昴は、普段は目にも留めない道を指さした。

「知らない」

「聞きたい?」

「聞かなくてもいい」

「そんなに知りたいなら、教えてやるよ」

 

 どうやら、昴の部活の友達が、その神社に行ったところ、背後に、不気味な男が現れ、その男は、昴の友達をじっと凝視していたらしい。しかし、目を逸らした瞬間に、消えていなくなったことから、幽霊と判断したみたいだ。


「ちょっと、行ってみようぜ」

「えー、幽霊だったら、出てくんの夜だろ、こんな夕方にいないだろ」

「いいじゃねえか、どうせこの後、暇だろ」

「暇ではある。でもめんどい」

「はい、行くの確定」

 

 そうやって、のこのこついて行ってしまう俺がいけなかったのだろう。


 

 一歩一歩進むたびに砂利の音が耳にうるさい。神社の周りは、名前の分からない細くて背の高い木で囲まれていて、光があまり入ってこない。

 確かに、この雰囲気なら、幽霊としても出やすい環境なのかもしれない。

 俺が、神社の境内を眺めているころ、昴は歩数を稼ぐかのように歩き回っていた。たまに、舌打ちをしているが、なんのこっちゃ分からない。

 

 他にすることもないから、しゃがみ込むと、砂利の中に金色の石を見つけた。石採集の趣味はないから、別に興味もないが、今はそれを上回る関心事もないから、その石を拾い上げた。


「おい、ここだけ光が入って、なんかスポットライトみたいじゃね」

 背後から、昴の声がした。金の石を持ったまま、振り返ると、唯一光が差し込む位置で決めポーズをしている昴がいた。

 

 あと、その後ろにもう一人、いる。


「怖っ」

「え、何が」

 それから目が離せない。男、中学生、背は低め、濃いクマが刻まれている。

 幽霊には見えない。足があるし、輪郭もはっきりしている。あと、どこかで見たことがある気がする。

「いや」

 あごで後ろを指すと、昴が後ろを振り向く。

「おい、何だよ。驚かすなよ。っていうか、唯人そんな冗談言うタイプか?」

「いや、マジで」

 昴に見えてないとすると、やっぱり幽霊なのか、それとも知らぬ間に俺が薬盛られて、幻覚を見ているのか。


「お前誰だよ」

 男に尋ねてみる。

「俺は、岡本昴。知ってんだろ」

「俺は、林唯人」

 二人の言葉が重なるが、返ってきた男の言葉に、一瞬たじろいだ。

 

 俺じゃん。


「おい、唯人頭おかしくなったのか」

「ちょっと待て、いるんだ、そこに。昴には見えてないかもしれないけど」

「は、そいつは何て言ってんだ」

「林唯人って名乗った」

「いや、お前じゃん」


 そうだ。俺が林唯人だ。では、こいつは。


「今は西暦何年?」

 男の方から質問してきた。

「今は、二××九年だ」

 反射的に答える。昴が何か言っているが、耳に入ってこない。

「やっぱりそうか。成功したみたいだ」

 男は一人で納得している。

「何を言っているんだ、お前は」

「俺は、林唯人。アンタも林唯人だ。だけど、俺は二××六年の林唯人だ。つまり、アンタにとっては、三年前の自分ってことになる」

 

 妙なまでに冷静に説明された。三年前の俺はこんなんだったのか。確かに、よく見れば見るほど昔の自分にそっくりだ。しかし、未来の自分がやって来るならまだしも、過去の自分がやってくるなどあるのか。


「俺にとって未来の自分なわけだから、気を遣うのも違うから聞くけどさ、今の人生楽しい?」

 俺は、こんな生意気なガキだったのか。高校生だって大人から見ればガキだろうが、この自称三年前の俺、つまり中学生の俺はこんなに尖っているのか。

「俺さ、今の人生に退屈してるんだけど、もし三年後もそんな感じだったら、つまんないじゃん。だからさ、何かこの三年間で後悔してることとかあったら教えてよ」

 一言一言が癪に障る奴だ。

「おい、ちょっと待て。まだ、お前が過去の俺だって証拠がないだろ。何を根拠に言ってるんだ」

「そんなことどうでもいいよ、俺は確信している。顔も似ているし、なにより目が死んでる。簡単に想像できる未来の俺だ」

 ばっさりと切り捨てるように言った。


「いや、待て。三年前の俺はそんなに生意気じゃない。それに、三年前ってことは、美悠と付き合っている頃だろ。その頃の俺はかつてなく穏やかだったはずだ」

「美悠?ああ、俺はあの女と付き合うことになるのか」

「まだ、付き合ってないのか、それはネタバレになっちゃたな。でも、あの女とか言うなよ」

「あいつが原因で、アンタはつまんない人間になったのか?」

「は?」

「いや、なるほど。もういいか」

 突然、男の輪郭がぼやけ、風景と同化した。そのまま何もなくなる。


「何だったんだよ、今の」

「いや、俺のセリフだわ、怖えーよ。唯人」

 その声で我に返った。そして、昴に全ての事情を説明した。昴は所々でツッコミを入れてきたが、俺自身にも分からないことが多すぎて、要領の得ない受け答えに終始した。

「でも、生意気すぎないか」

「うーん、俺から言わせれば、唯人らしいっちゃらしいけど」

「え、俺ってあんな感じで映ってんの?」

「いや、話を聞く限りは。でもそこが唯人のいいとこだと思うけどな」

 昴の正直な感想に、自分が分からなくなる。あれと一緒か。俺は、まだまだガキってことか。


 この時は、ある意味、自分を客観視できた、いい機会だったぐらいにしか思っていなかった。


 

 数日後、ひどい頭痛に襲われた。内部から外に何かが出ようとするような痛みだ。朝の目覚めと同時にそれはやってきて、ひどい時には、授業も会話も何も頭に入ってこない。


 もっと大きな異変に気が付いたのは、昼休みの時間だった。

 いつも通り、昴の席に近づき、食堂に誘うと、昴は困惑の表情を示した。

「いきなり、どうしたんだよ。林」

「は、なんで苗字呼びなんだよ」

「いや、いつもそうだろ。ってか苗字呼んだのも初めてぐらいだし」

 どうなってる。これは、本当に昴か。また、頭痛が襲ってくる。

「お前、神社の件で引いたからって、その仕打ちはねえよ、冗談はいいから」

「神社の件ってなんだよ。俺はいつものメンツと飯食うから。一緒に来たけりゃ、いいけど」

 

 いつものメンツって誰だ。なんでこんなことになっている。

「いや、いいわ」

 そのまま、昴は食堂にクラスメイトと共に向かった。その日の昼食は抜いた。

 

 なんだよ。そんなもんかよ。結局、昴も他の大多数と同じくだらない人間だったのか。期待した俺が愚かだった。

 

 ・・・・・・。

 なんだ、今の感情は。この汚いだけの感情は。知らない。

 

 正確には、覚えている。でも、人と本当の意味で向き合うのに、邪魔だったから捨てた感情だ。

 

 昼休み後の授業も不快な感情と頭痛のせいで、集中できない。隣の席の奴のボールペンの出し入れをする音がうるさい。意味もなくカチカチやるな。脳に響く。

 机に肘をついて、片耳を手で覆い、音を遮る。

 神社の件ってなんだよ、と昴は言った。その表情は、本当に何も知らなそうだった。しかし、俺にとってもそうだが、昴にとってもあの出来事は奇妙なことなはずだ。忘れるはずはない。

 

 そうだとすれば。

 

 五限が終わり、整然と並んでいたクラスメイトが動き出す。

 

 今の人生に退屈してるんだけど、もし三年後もそんな感じだったら、つまんないじゃん。

 

 三年前の俺は言っていた。あいつは未来を変えようとしているのではないか。

 未来が変わったら、俺はどうなる?

 消えてなくなるのか?

 この頭痛がその予兆だとしたら・・・。

 

 死。

 いや死ですらない。そりゃ、人類史に残るようなことは何にもやってないけど、自分の存在がなかったことになるなんて考えられない。迫りくる無に飲まれる前になんとかしなければならない。もしかしたら、今この瞬間にも、存在が消えてもおかしくない。

 

 授業なんて受けている場合じゃない。休み時間のうちに教室を飛び出し、昇降口に向かう。

 ダッシュしたせいか、すれ違う奴らは奇異の目を向けてくる。こいつらは俺の未来が変わったら、消えるのだろうか、とふと思ったが、どうでもいいことだ。

 

 そのまま、神社に向かう。校門を過ぎる時、守衛の人と目が合い、何かを言おうとしたようだったが、減速しなかった俺には、何の声も届かなかった。


 

 神社は前回と同じく閑散としていた。光が差し込む一点を見つめるが、三年前の俺が出てくる気配はない。そこで、この前は金色の石を持っていたことに気が付き、砂利の中のそれを一心不乱に探した。

 

 あいつと会って、話をしなければ。話をして、あいつが変わるとも思えないが、それでもやれることはやっておかなければ。

 

 そこで、数十回目の頭痛が襲ってきた。思わずうずくまり、足にも力が入らない。そのまま、砂利の上に倒れこむ。

 

 ここで、消えるのか。消えるなら、早くしてくれ。この狭間が一番苦しい。

 

 その時、ぼんやりする視界の隅に金色に光る例の石が見えた。震える手を伸ばし、確かに掴んだ。なんとか半身を起こし、光が差し込む地点を振り返ると、男が立っていた。


「随分と無様な恰好してんな」

 この声、この物言い。昔の俺だ。美悠と会う前の俺だ。

「あんたが言っていた通り、井上美悠が告ってきたんだけどさ。あんなつまんない奴の何が良いと思ったの。だるいから拒否ったけど」

 

 拒否した?

 

 それが、未来を変えたのか。確かに俺にとって、美悠との日々は俺の人生を変えるほど重要な契機ではあった。今でこそ別れたが、幼い俺を引っ張り上げてくれたのは、彼女の言葉だ。

 

 でも、なぜだ?

 

 その言葉のどれも実像を結ばない。何も思い出せない。


「つまんない奴じゃない。お前の狭い価値観で測るなよ」

 絞り出した声は、かなり掠れてしまった。

「あー、いるんだよな。そういう奴。狭い価値観って何、じゃあ、アンタは俺よりも広いの。狭い価値観って断定するような人間にろくな奴はいねえよ」

「違う。お前はまだ何も分かってない。お前が色んなこと考えてるように、他の人が色んなことを考えてるのは当然のことだろ。お前は、表面だけ見て、つまんないとこしか見ようとしてない」

 最後は、ほとんど声にならなかった。

「そう、まあ、なんでもいいけど。俺は自分の主義を変える気はない。あと、俺、天邪鬼だから、全部ブーメランだってこと気づいてる?」

「は?」

「俺は、井上と付き合う気はどんどん無くなってるし、井上がアンタにとって大事な人なら、俺の選択によって、アンタの考え方は大きく変わることになる。その無様な姿から考えるとさ、思考に影響が出てきてんじゃないの?」

 

 思考への影響。

 

 そうか。だから、美悠の言葉が思い出せないのか。それどころか、思い出も何も思い出せない。昴が俺を避けているのも、これが美悠と付き合わずに成長してしまった俺の帰結ってことか。なんだよ。てっきり俺自身の存在が消えるもんかと思ったじゃねえか。消えるのは美悠がくれた大事な気持ちだけだ。

 

 むちゃくちゃ、大事だったのに。俺に嫌われるかもしれないと思いながらも、俺のために言ってくれた言葉。好きだからこそ言ってくれた言葉。今までゴミだと思っていたものを拾ってくれた美悠。全てがぼやける。

 

 汚い感情が脳内に流れ込む。それをそこまで汚くないと思ってしまう俺がいる。

 

 飲まれる。

 

 こんな気持ちは、自分を守りたいだけだ。自分が可愛いだけだ。

 

 でも、俺は俺としてでしか生きられない。


 ならば、俺を守るのは俺しかいない。

 俺を肯定できるのは俺しかいない。

 

 やっぱり、くだらない。人に依存するから、こんなに苦しいんだ。もう井上の言葉なんてどうでもいいではないか。岡本だって、つまらない人間の一人だ。


「俺は、一人でも生きていける」

 自分に言い聞かせたこの言葉こそが全てだ。

「ああ、当たり前だろ」

 

 頭痛は消え、さっきまでのダルさも全て嘘みたいになくなった。

体をゆっくりと起こす。大きな荷が下りたように俺は、清々しい気持ちで、砂利の上に立っていた。

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背後の過去 波柴まに @ginbeikanbei

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