1-22 芽生えちゃった
樹は頬杖をついて、テーブルに座っていた。右目と唇が真っ赤に腫れ上がっており、ムスッとした表情を浮かべている。
「あんたが悪いんでしょ…ったく…」
ルシファはそう言いながらも、バツが悪そうにしながら、朝食を準備していた。
「…にしたって、ここまでしなくてももいいじゃん。」
「だぁー!悪かったわよ!私が!」
ガシャッと音を立てて、テーブルに料理の乗った皿を置いた。
「まぁ、俺も悪いから仕方ないけどな…イテテテ…てかさ、何でこの世界には治癒のポーションみたいなもんがないんだ?」
「そんな便利なもん、ある訳ないでしょ。そもそも、この世界に魔物はそんなにいないのよ。いるとすれば、大樹の周辺の一部に広がる森くらいかしら。だから、基本的にあんたが考えていたような、冒険者を生業にする者はいないの。簡単に怪我を治せるポーションなんて、必要ないのよ。」
「…じゃあ、治癒の魔法は?」
「それの理由はポーションとほぼ同じよ。」
「ほぼ?ってことは、他にも理由があんの?」
ルシファはため息をつく。
「知識がないのよ…この世界の人間に。あんたもわかってると思うけど、法陣には知識とイメージが必要よ。だから、イメージできたとしても、知識が伴わないと発現できないの。」
「そうか…怪我を治すイメージがあっても具体的にどう治すのか知らないと、法陣は使えないのか。」
「ご明察。だから医療もあまり発達しない…まぁ、病原菌とかはミウルさまが入らないようにしているけど、たまに魔物が森からはぐれて街に来ることもあって…そういう時は重傷者や死人は出るわね。」
そこまで話すと、立って腕を組んでいたルシファは、樹の前に座る。目の前では、樹が何かを考えるように目線を落としていた。
「どうしたの?」
「…ん?あぁ…俺の役目について考えてた。」
「あんたの役目?」
樹はルシファに向き直って、話し始める。
「ルシファたちが俺をこの世界に呼んだのは、世界に新しい知識をもたらしたい為だよな?」
「…まぁ、知識も含めた新たな風を、ってとこかしら?」
「…ならさ、医療の知識、医療技術を高めるってのはどうだ?」
ルシファは少し驚いたように樹を目を向けると、彼はルシファの目をジッと見据えていた。
「…具体的には?」
「いま考えつくのは、設備の充実と治療知識の向上かな?」
「最終的な目的は?」
「ポーション…治癒のポーションを作ろうと思う。」
「なるほど…」
ルシファはその言葉を聞いて、小さく息をついた。
「あんたが何をするのか。それはあんたの自由よ。それを制限するのは、主人の本意ではないから。よく考えてやってみることね。幸い、今の仕事はそれにも繋げられるし…ただし、慎重にやりなさい。」
樹はルシファの言葉に、静かに頷いたのであった。
樹が就いた仕事。それは商会であった。
人々に様々な商品を提供する事を生業に、利益を生み出している。
医療の世界は、まだ誰も踏み入れたことがない未知の世界だ。その中で、ミズガルが新たな事業の先駆者として、歩み始められるかどうかは、樹次第である。
その日から、樹は目標に向かって一心に歩み始め、ルシファはそれを静かに見守っていた。
◆
それから約一年の月日が流れた。
ルシファは式典の準備で、騒がしく動き回る人々の間を、悠然と歩いている。
あの後、樹は商会の重役たちをなんとか納得させ、医療の設備を制作するための小さな研究所を設立することに成功した。
そして、その名に"人々の生活を見守る"と言う意味を込め、"ヘムイダル"研究所と名付け、今日、その落成式が執り行われる。
ルシファは視線の先に、初代所長として、準備に忙しく走り回っている樹を捉えた。
「イツキ、良くここまでやったわね。」
「ルシファ!来てくれたのか!君のおかげでもあるよ!いろいろと教えてくれてアドバイスしてくれたから、達成できたんだ!ありがとう!」
樹の笑顔に、ルシファは少しむず痒さを感じる。
「でも、ここからが大変よ。あんたのその構想を、現実にするのは容易い事ではないわ。」
「そうだね!でも、ルシファや研究所のみんながいてくれるから、大丈夫だとおもう!絶対に実現させなきゃな!!」
その言葉に対して、ルシファの表情が少し曇ったことに樹は気づいた。
「…ルシファ?どうかしたのか?」
「…あんたに言わなきゃならないことがあるわ…」
ルシファは話しにくそうに、口を開く。
「あんたは、この世界にしっかりと馴染んだ。だから、ここでの私の役目は終わったの。私たちは他の国にも、あんたと同じように異世界人を呼び込む予定なのよ。だから、次はアルフレイムに行く。そして、その後は他の3国に…ね。」
「…そうか。」
樹は、真面目な顔でルシファの話を聞いている。
「最速でも、4年はここには戻らない。あんたには、ミカイルの監視が続くけど。私は次の仕事に向かうわ。」
ルシファはそう言って、口をつぐんだ。唇をキュッと噛み締める。そして、自分の中に存在する不明瞭な感情に少し戸惑っていた。
(…変なの。こいつはただの異世界人なのに…何でこんなに胸が苦しいのかしら…)
少し俯いて無言でいるルシファに対して、樹は口を開いた。
「いずれは、ルシファがどこかに行ってしまうような気がしてたんだよな!じゃあ、ここで言わなきゃ、かっこ悪いよな!」
「…?何を?」
樹はニコニコと笑いながら、ルシファに対して、はっきりと言葉を綴った。
「ルシファ!俺は君が好きだ!!」
「はぁ???!!!あっ、あんた!なっ…何言ってんの…?」
「言葉の通りだ!好きなんだよ!ルシファが!!!」
樹は優しさの溢れる笑顔で、ルシファに何度も告白する。周りの研究所や商会の関係者たちも、驚きつつも嬉しそうに拍手を始めた。
「ばっ!こんなところで…!」
慌てふためくルシファだったが、その心は何故かスッキリしている。
(…そうか。私も同じ気持ちなわけね…)
スッと気持ちが落ち着いていき、小さな笑みをこぼすルシファ。
「…いいわ。その気持ち、受け取ってあげる。私が帰ってくる間に、目的を達成させるくらいしなさいよ!」
「任せとけって!」
樹は満遍の笑みで、サムズアップを返した。
こうして、ルシファは次の召喚のため、大樹へと戻って行った。
樹の監視については、ルシファの言う通り、ミカイルが担当することになっていたため、ルシファと入れ替わるようにミカイルが樹を訪ねてきた。
「私はあなたの事、信用しているわけではないわ。その事を良く覚えていてね。」
「わかってる。ルシファとも約束したし、この世界を良くするために、しっかりと働かせてもらうよ!ミカイルさんは、ちゃんと俺のことを見といてくれ!!」
そう告げる樹に、ミカイルは眩しさを覚えた。
(こいつ、一段と…やはり侮れないわ…)
その事で、ミカイルは樹への警戒を強めたが、日々、研究に没頭する樹の姿を見ているうちに、自分でもわからない感情を、樹に抱き始めていく。
そして、その事がこの世界を大戦への渦へと巻き込んでいくきっかけになることを、まだ誰も知る由はない。
◆
「さてさて、ミズガルでの異世界人召喚はうまくいっているようだね。」
「はい。イツキはすでにビフレストの人々の信頼を得ており、これから多くの研究成果を出してくれることかと…」
「…彼に好意を持ったのかい?」
ミウルの問いに、ルシファは少し考えて、静かに答える。
「恥ずかしながら…しかし、それもまた運命かと…」
「…そうだね。ミカイル自身はまだ気付いてないみたいだけど…それらが世界にとって良い方向へ向かう事を、僕は願うよ。」
ルシファは、ミウルの言葉に無言で頷いた。
「さぁ、次はアルフレイムだね。首尾よく行けば、4年もかからず、結果が現れそうだね…君も早く樹に会いたいだろ?」
「ミウルさま、お戯れを…世界の為に仕事をなす事が、私にとって最優先ですから…その辺は弁えております。」
ミウルは何も言わずに、クスリと笑みをこぼした。
「では、そろそろ始めよう!」
ミウルが手を掲げると、目の前の法陣が再び、輝き始めるのであった。
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