第18話 雨に濡れる天使

「……あー、いらつく」


 悠翔がひきつったような顔を見せて時間もたち、日もまたいですでに太陽が昇った時の事。

 あの顔を見て以降、どうしてもあれが忘れきれずに頭に残っていた。


「…………」


 シーン、と閑散としたマンションの一室、小さなサイドボードの上にチクタクとメトロノームのように規則的に音を鳴らすアナログの置き時計、その横で、俺は目覚めてからだいぶ時間も経っているというのにベッドで寝転がっている。


「……こうしてても、どうせ結果はでないってのに」


 なにすればいいのかなんて分からない、それどころか悠翔が抱えている事情一つさえ知らない。

 解決方法なんてこの状況から考えだせるはずがない、そう諦めた俺は、ベッドの上に座って置き時計の横に置いたスマートフォンに手を伸ばす。


「天気予報……っと」


 電源をつけパスワードを手慣れた手つきで打ち込む。そして天気予報を確認。


「雨……か」


 天気予報によると、晴れのち雨という。午前中なんて降水確率が10%を下回っているのに、午後、それも16時というちょうど下校の時刻に降水確率は80%へと跳ね上がっている。


「傘持ってかないとな」


 学校があるし仕方ない、と重い腰を上げてベッドから立ち上がる。


 そして、クローゼットから白シャツとズボンを取り出して、パジャマという名のぶかぶかなTシャツを脱ぎ捨てた。


 その後、学校指定の服に着替え、寝ぼけたままの顔を洗い、時間短縮のためにパンを食べ、準備を済ませ。


「行ってきます」


 そう小さく呟いてごちゃごちゃとした部屋から出る。


 ちなみに、もちろんのことだが声が返ってくる様子などない。一人暮らしだからな。


 それでも出かけるときに行ってきますと言うのをやめないのは、やはり家族と過ごしていた時の癖が未だに抜けきれないというか、どうしても欠かせないものとなっているから。


 まぁ、そんなこんなでいつもと同じように行動を起こしたり生活できるのはありがたいことだ。


 ……そう、ありがたいことなのだ。今ほど、そう思ったことはないだろう。


「…………」


 一階までエレベーターで降りようかと思ったのだが、ボタンを押して目の前に現れたのはエレベーターと、制服姿の花宮だった。


「……私が先ですからね。それに、一緒に乗ろうだなんて思わないでくださいよ」


「……あぁ、もちろん。ってか、そんなのこっちから願い下げだ。」


 そう吐き捨てるように言うと、扉を閉じるボタンに手をかけ、力を加えようとしてふと気付く。


 ただ、気づいた頃にはもう遅い。急に動きを止めるのは不可能なようで、俺の手はボタンを押してしまっていた。


「……傘、見たところはもってなかったけど、大丈夫なのか……?」


 そう、一瞬ではあるが見えた花宮は、少なくとも手には傘を持っていなかった。


「って、なんであいつのことを心配してんだよ。どうせ傘がなくたって関係ないだろうし、勝手に濡れればいいじゃないか」


 そう呟くと、どうしてもむしゃくしゃとした気分になって、エレベーターを利用せずに階段を走って降りたのだった。







 そして、放課後。今日最後の6時限目の授業も終わったころ。


 あんなにも晴れていて、まぶしいくらいに明るかったはずの空は、まるで嘘のように雲で一面中覆われていた。


 すでに雨も降り始めているようで、教室の窓ガラスにはポツポツと音を鳴らしながら雨が打ち付けている。


 まさか、本当に雨が降るとは……。

 傘を持ってきておいて、正解だったな。


『えっ、雨?』『やばい、傘持ってきてない』などと、雨の降る窓越しの景色を見て多種多様な声が教室に響き渡る。


 そろそろ帰るか。

 多分……ってか、絶対にないだろうが、傘入れてなんて万が一頼まれたら迷惑。断れない俺なら、なんでも一つ返事でいいよと答えてしまいそうだからな。


「……ん?」


 雨を見ている視界の隅に、人影が入ってくる。


 なんだろうと思い視線を窓の隅、靴箱近くの屋根の下をジーッと目を細めて確認する。


 その人は、困ったように雨模様の空を見上げていた。手には傘を持っていないようで、多分どう帰ればいいのか困っているのだろ……


 ……って、花宮じゃねぇかよ。

 あいつ、やっぱり傘を忘れてきたのか。まっ、俺には関係のないことだから気にしないけどな。


 そして、雨の強くならないうちに早めに帰るかとかばんを持ち上げようとした瞬間、窓の隅の人影が動いたのが分かった。


「…………」


 ……別に、気にしてない。

 そんなこと、決してありえない。


 えーっと……その……


 あっ! そう、ただ花宮の帰り道が断たれ、引きつるような顔をしながら、ずぶ濡れになって帰っていく花宮を見て優越感に浸っておきたいって、そういうだけだ!


 ……あれ、……あ、あれ?

 ……なんか俺、へんた……

 

 ま、まぁそんなことはどうでもいい!


 つまらないしどうでもいいような一人芝居を終えると、再び花宮の方へと頭を傾ける。


 すると、花宮は誰かと話していた。


 花宮と話している相手、見ている限りでは相手が花宮に対して傘を見せつけているように持っていることから、多分花宮の容姿に惚れたやつが花宮に向けて一緒に帰ろうとでも言っているのだろうか。


 ……相変わらず、人気なんだな。あんな性格の癖して。とんだ美人局だよ。


 ま、誰と一緒に帰ろうが俺には関係ない。


「……ば……さ……桜庭さん!」


「……えっ、はい!」


 花宮の方に意識を向けていたため、俺を呼ぶ声に全然気付かなかった。


 窓から声のする方へと顔を向けると、ちょっと不機嫌そうな先生。やべっ、この先生ちょっと真面目すぎるせいで怖いんだよなぁ……。


「桜庭さん、忘れていること、ありませんか?」


 ん? 忘れていること……?


「…………あっ!」


「はぁ……提出期限が昨日のプリント、まだ出してませんよね。それも、昨日『明日出します』って言ってましたよね? まだ出せていないのはあなただけですよ?」


「すいません、今からやります……」


「やってないんですか……。そういえば、昨日はずっと何かに意識を取られてるような感じで集中できていないようでしたし。何かあったのですか?」


「いえ、別に……」


「まっ、急いでくださいね。提出物、大事なんですから」


「……はい、分かりました」


 目を逸らしながら、とりあえず怒られるのは嫌だと、仕方なく了解の意を示す。


 しょうがないし、やるとするかぁ……。


 諦め気味にため息を吐くと、目の前のプリントへと視線を向けた。

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