第10話 空から降ってくる女の子(悪魔)

「はしごを上るみたいに、手は身体を支えて、足で登っていく感じにするといいと思いますよ」


 またまた失敗して床のマットに尻餅をついていると、花宮が相変わらずの目の笑っていない笑顔でそう言ってくる。


 あぁ……イラつく……


 言葉は優しそうに見えても、俺には分かる。

 その声には優しさなんて存在していない。

 それに目は、体勢的にもそうだがまるで見下して嘲笑うかのようにこちらを見て睨んでいる。


 それに、言葉をこうしているのも後輩たちが近くにいるからというだけで、後輩がトイレや水分補給などで離れたら……


『はぁ……勝手に練習していてください』

『全然進展がないですね……向いてないんじゃないですかぁ?』


 ……などと、まるでさっきのことが嘘に感じてしまうくらいに声の口調も変わる。二重人格か何かかよ、お前は。


 そんなことを考えていると、花宮が顔をどこかに向けていることに気付いた。なにかあったのかと俺も視線を向けると、そこには休憩に向かう二人の姿が。


「もう、めんどくさいんですけど……」


 休憩室の方に行ったのを確認すると途端に、ため息を吐きながら愚痴を言い始める。


「……じゃあ、もう私がお手本を見せますから、それ見てすぐ学んでください」


「……そんなに簡単にできたら、どうしてこんなに俺はできないんだよ……」


「それは、あなたが運動できないからでしょ」


 その後に花宮は、当然でしょ、とぶっきらぼうに小さく付け加える。自分自身分かっているけれど、こいつに言われるとめちゃくちゃムカつく。


「じゃあ、まぁ登りますから。一旦見ててください。」


 そう言うと、ホールドに手をかけ、どんどんと登り始める。


 ……あれ、これ見てて大丈夫なやつか?


 花宮や後輩が試しに登っているのを見ていたとき、さほど意識してはいなかった。

 けれど今見ていて、頭の中からふとそんな疑問が湧いてくる。


 花宮は貧相な身体だからあまり気にしていなかったが、ボルダリングという身体全体を動かすものだったら別のよう。

 体勢が体勢なだけあってくびれが目立ち、見てはいけないように感じる。


「……見ない方がいい、よな」


 敵同士である前に、俺は男で花宮は女だ。どんな理由があったって承諾してなければいけないはず。目を逸らすことにした。


「ほら、分かりましたか……って、ちゃんと見てて……」


 もう結構上まで登っていた花宮は、振り返って俺の方を見ながらそう言いかけ、でも何かに気づいたかのように口をつぐんで自分の身体を見る。


「…………変態」


 そして、そう言う。俺が目を逸らした理由に気付いてしまったみたいだ。


 ……っていうか、おかしくないか!?

 そういう意味では言っていないだろうけど、もとはといえばお前が見ろって言ったんだろっ!


 あまりにも、理不尽だ……っ。


「……ひゃっ!?」


 突然、そんな声が聴こえてくる。

 声色が声色というか、その声に焦りと、少し恐怖心のようなものが混じっていることを感じて咄嗟に顔を上げる。


 するとそこには、あとちょっとというところでホールドを踏み外したのか、落下してくる花宮があった。


「…………っ!」


 俺にも、なんでこんな行動を起こそうとしてしまったのかは分からない。


 もしかしたら、あいつが勝手に踏み外したとはいえ、自分自身にも責任はあると感じたからだろうか。


 分からない。けれど。


 俺は気付くと足はいつの間にか花宮の方向へ動いていて、手は花宮を掴もうと伸ばしていて。


 本当にらしくないとは思うけど、花宮を助けていた。


「……っぐ」


 ……でも、運動してこなくて、力も人の身体を支えることが出来るほどではない俺にとっては無謀だったようで、手でなんとか花宮を掴むことはできたものの、身体は耐えきれず転んでしまう。


「……ふぅ」


 でも、なんとか支え切れたようだ。


「…………っ、ちょ、ちょっと!?」


 マットに寝そべるようにして倒れている俺、その上で花宮は何かわぁわぁと騒いでいる。


「……あっ、す、すまん……っ」


 そして、気付く。

 触れられたくない、そう思っていた俺と花宮が、手が触れるどころではない以上にいろんなところが触れてしまっていることに。


 そして、花宮はぴょんと反射的に跳ねるようにして俺から退ける。


 最悪……、そう思うけどこの場合としてはさすがの俺でもわかる。立場的に、俺がいくら花宮が悪い!と言ったって、この日本の政治的に、絶対に俺が負ける。


 ……だから、正直に謝る。

 でも、謝ったとはいえ、一番悪いのは花宮の方なんだからな!


「……助けなくてもらっても良かったんですから、別に」


「…………っ」


 知っている、知っているさ。

 こいつはこういうやつだってこと。


 助けてもらってその反応はなんなんだと言いたいが、でも、こいつはそういうやつなんだ。


 それに、この花宮が言っていることも一理ある。もし俺が助けなかったとしても、床は弾力性のあるマットでできていてきっと無事だったことだろう。怪我する可能性は皆無だ。


 ……はぁ、俺はいつも本当に余計な事をしてしまう……


 でも、そうはいっても礼一つ無しっていうのはおかしいだろ……っ!










 まぁそんなこんなで、ボルダリングジムでの自由行動は幕を閉じたのだった。


 終わりよければすべて良しとはいうが、まさにそうと言える。せめて終わりさえ良ければ気楽に終わることができたのかもしれないだろうからな。


 けれど、ハプニングなんてあって、それでいて最悪な終わり方をしたので、身体の体調はもちろんのこと、心も暗い闇の底へと沈んでいる。



 その後、そんな沈んだ気持ちの中でバスで学校に戻ることに。


 ボルダリングジムでのことがあったからか、バスの中にいる間は気まずい雰囲気で、互いにずっと反対方向に顔を向けていた。


 本当なら眠ってこの場をやり過ごしたかったけど、行きで眠ってしまったせいで、悲しいことに目は冴えてしまっている。


 けれど……けれど、これでようやく終わるんだ。

 また、いつものゆったりとした時間を取り戻したんだ。 


 やっと戻るであろう待ちわびた日常に、俺は小さく微笑んだ。

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