守り歌の娘と千呪の騎士

なっぱ

 行き交う人の多さに、ぽかりと口が開く。

 肌の色も、髪の色も、背丈も骨格も、身にまとう服装だって多種多様だ。こんなにたくさんの人をロンファは初めて見た。

「街って、ほんとに人でいっぱいなんだなぁ」

 思わずつぶやき、きょろきょろあたりを見回す。

 初めて足を踏み入れた国内第三の都市・ヴィスカントは、交易路の交差地だけあってにぎやかだ。

 道の両脇にはどこまでも露店や軒をつけただけの質素な店が並び、口上を述べる店主や値切りをふっかける客であふれている。

 街を囲む塀をくぐったばかりのこのあたりは庶民向けの店が並んでいるが、もっと街の中心へ向かえば立派な門構えの高級店が、通りをどんどん細い脇道へ外れていった先にはあまり褒められたものではない品を扱う後ろ暗い店があるのだという。

 東西南北の食材に、海の向こうの国の宝飾品、古代の遺跡から出土した魔術書に、ご禁制の魔獣まで。この街で手に入らないものはない。

 さて向かうべき方向はわかっているのだが――。

 ふらりと色彩の洪水に誘われるように、足は勝手に露店へと向く。宝飾品、といっても、色石が嵌め込まれた安物だが、色鮮やかで大胆な意匠は南の国のものかもしれない。花や鳥、それにあれは竜だろうか、と目を輝かせて見慣れぬ異国のデザインを眺める。

 くんっ、と空気を嗅げば、今は遠い故郷のものを思わせる香辛料の香りや、砂漠地帯のものだという毛織物の匂い、珍しいところでははるか西の海からやって来た海藻の潮臭さも感じられる。

 もちろん、おいしそうなごはんの匂いも。

 ぐぅ、と鳴った腹に、もう昼時をいくらか過ぎていることを思い出す。思えば朝に移動食を口にしてから、ここに至るまで水以外何も補給していない。

 まずは腹ごしらえから、と決めて、露店から歩き出そうとしたところで、ぽん、と肩を叩かれた。

 当然ながら家から離れたこんな場所で知り合いに会う道理もない。何事か、と目を瞬かせて振り返ると、若い男性が立っていた。

 鼻の頭にそばかすの散った、愛嬌のある顔立ちに、にこにこと親し気な笑みを浮かべている。

「お嬢さん。旅の人でしょう? もう今夜の宿はお決まりですか?」

 同い年か少ししか年の変わらない人に「お嬢さん」なんて呼ばれるのは少し気恥ずかしいが、どうやらいかにも旅慣れていない自分を見かねて親切にも声をかけてくれたらしい。

「宿よりも先に、ご飯にしようかと思ってるんですけど」

 お腹ペコペコで、と頬をかくロンファに、その青年は笑みを深める。

「それは大変だ。よろしければおすすめのお店へご案内しますよ」

 さあ、と自然なしぐさで彼はロンファの腰を抱こうとしたのだが――。

「待ちなさい」

 低く、艶やかな声が、その場に響いた。

 それとほぼ同時に、ひゅっと鋭い音を立てて空気が切り裂かれ、ロンファの隣の青年の鼻先に白銀の切っ先が突きつけられる。

 ひっ、とそばかすの青年が息を呑んで、今まで穏やかな笑みを浮かべていた顔をこわばらせる。

 ロンファはロンファで、その抜き身の剣に目を奪われていた。どんな鋼を使ったものか、ほのかに青い燐光をまとった不思議な色をしている。

 突くためのレイピアとは違って、もう少し厚みも幅もあるが、力を乗せるには細すぎる気もする。だが、優雅で、どこか色気のある剣だった。

 何か魔術的な加護を受けているのかもしれない。

 切っ先から舐めるように視線を這わせて柄に至ったところで、やっと持ち主が目に入る。

 再びぽかりと口が開いた。

 金を紡いだ糸のごとき髪の毛は頬にそってゆるく巻き、鮮やかな青の目は深く澄んでいる。ミルク色の肌には肌荒れ一つ見当たらず、磁器みたいになめらかだ。

 どこかの制服らしい白い詰襟に白のズボン、白い表に深紅の裏地のマント、漆黒のブーツに同じ色の手袋と制帽。どれにも彼の髪に似通った金色のボタンやブレードが差し色に使われていて、まるで彼のためにあつらえたように似合っている。

 すらりと長く適度に筋肉がついた手足に、全体的に均整の取れたしなやかな体躯。

 何よりこちらを見つめほほえむ顔は、これまでロンファが見たどんな男性よりも優美であり、同時に精悍だった。

 動いているのが不思議なくらいの、完璧な人の形。

 本当に人間なのかと疑いたくなる。

「彼女からすったものを返しなさい」

 声すら、彼の姿に調和した美声だ。

 ほお、と聞き惚れそうになったところで、やっと言葉の意味に気づく。

「え」

 あわてて腰のベルトにつるしてあった貴重品袋に手をやると、つるし紐ごと切り取られている。

 ぱっと振り返って、身じろぎひとつできずに固まっているそばかす青年を改めて見れば、ロンファの腰を抱こうとした手には切れ味の鋭そうなちいさなカミソリのような刃とロンファの貴重品袋が載っている。

 ちっとも気づかなかった。

 玄人の仕事だ、と半ば感動すら覚えた。

「金銭を奪ったうえでグルになった店に彼女を連れていき、さらに身ぐるみを剥いで望まぬ仕事を強いるつもりでしたか? それともそのまま売り払うつもりでしたか?」

「ええっ」

 そこまでの危機的状況だったとは思いもしなかった。あまりに驚き、、金髪の青年と固まっている青年を交互に見てしまう。

 金髪の青年はそんなロンファの反応に苦笑を浮かべると、自分が剣を突きつけている相手に向かって目を細めた。

「その手の中のものを置いて去りなさい。目の前の悪行を見過ごすわけにはいきませんが、ここは私の管轄ではありませんしね」

 余計なことをしてはますます煙たがられてしまう、と肩をすくめる。

「今回限りは見逃してあげます」

 そう言っても動かない相手に、おっとり首をかしげる。

「おや。もう二度と悪事を働けぬよう、指を切られるほうがいいですか?」

 顔には笑みが浮かび、穏やかに問いかけているにも関わらず、すさまじい威圧感が金髪の青年の全身から放たれる。

 ひゅっと、再び空気の切り裂かれる音がした。はらはらとすりの青年の前髪がいくらか散る。

 今回も剣の動きはまったく見えなかった。

「ひぃっ」

 すりの青年は、やっと手にしていたものを取り落とすと、そのまま一目散に逃げ去っていく。

 いつの間にかこちらの様子を遠巻きに見物していた人垣をかき分け、その姿はあっという間に見えなくなった。見物客たちも、見世物は終わったとばかりに三々五々日常へと戻っていく。

「どうぞ」

 その様子をぼんやり見つめていたロンファだったが、声をかけられ我に返った。金髪の青年はいつの間にか剣を鞘にしまい、地面から彼女の貴重品袋を拾って差し出していた。

「あ、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げてから両手でそれを受け取ろうとしたのだが、ロンファの手のひらに袋を置く寸前で青年は手を止めた。

 どうしたのだろう、と首をひねって彼の顔を見上げると、金髪の青年は軽く眉を下げてみせた。

「貴女はもう少し警戒心を持ったほうがいいと思いますよ」

「……はい」

 たった今騙されかけたことは事実なので、ロンファはしおらしくうなずいた。

「ただでさえ、今、この街では若い女性の行方不明事件が頻発しているんです。おそらくどこか遠い異国へ売り払われているんだろうと地元騎士団もぴりぴりしているんですから」

 お説教のように言い重ねられて、肩を落とす。こんなおおきな街をうろつくのは初めてで、浮足立っていたのは確かだ。

「母から『街には悪い奴がたくさんいるんだ』とは聞いていたんですけど、そもそもこんなに人がいる場所に来たのが初めてで」

 あと悪い人って悪い顔してないんですね、と付け加えると、青年はふかぶかとため息をこぼす。

「そうですね。それに、私が悪い人である可能性だってまだあるんですよ」

「?」

 きょとん、と目を瞬かせたロンファに、彼は苦笑する。

「悪役と助ける役でグルになって、信頼させたところで罠に嵌める悪い人間もいるんです」

「ええっ」

 人を騙すためにそんな手の込んだことをやるなんて。そんなことでは、親切を素直に受け取れなくて困ってしまわないのだろうか。

「……街って大変なんですね」

 しみじみつぶやいたロンファに青年は軽く声を上げて笑うと、改めて手のひらの上に貴重品袋を返してくれた。

「貴女はどうしてヴィスカントへ?」

 紐が切られてしまった袋を、仕方なく斜めがけにしているちいさなポーチの中にぎゅうぎゅう押し込みながら、彼をちらりと一瞥して答える。

「悪い人かもしれない人には教えられません」

 きょとん、と目を丸くしてから、今度こそ彼は笑い声を高らかに上げた。

 人形みたいな見た目なのに、なかなか感情表現の豊かな人だ。笑み崩れると、とたんに親しみやすく見える。

「ははは。それはそうですね」

 ふわりとマントをひるがえし、その場に片膝をつくと、彼は右手で心臓の上に手のひらを当てた。

 それは、まるで――。

「私の名前はアルビエント・オズ=ジェス=ノラッドです。国王陛下から騎士に叙されています」

 胸の上に置かれた指に光るのは、紋章印の指輪。

「いちおう、悪い人ではないはずですよ」

 いたずらっぽく笑う彼を見つめ、ロンファは目を丸くした。

「騎士さま?」

 そう言われて見れば、彼は養母がくれた子ども用物語絵本の挿絵で見た騎士にそっくりだった。

 騎士は誇り高い存在だ。主に忠誠を尽くし、正道を貫く。

「悪い人」ではありえない。

「その呼び方は気恥ずかしいですね」

 アルと呼んでくださいませんか、と笑い、彼は首をかしげる。

「貴女の名前をうかがっても?」

 問われ、ロンファはうなずく。

「ロンファです。私もロン、でかまいません」

 ここよりずっとずっと東にルーツを持つロンファの名前は、このあたりの人々には発音しづらい。「ロン」なら少しは呼びやすくなるだろう。

「ロン嬢は、どうしてヴィスカントへ? 特別治安の悪い街ではないですけれど、貴女のようなお嬢さんがひとりで来るべき場所でもありませんよ」

 再び問いかけられ、加えられた言葉に首をかしげる。

「私、場違いですか?」

 街に入ってすぐにスリに目をつけられたことといい、アルビエントに「警戒心を持て」と忠告されたことといい、自分はそんなに抜けて見えるだろうか。

「そう、ですね」

 アルビエントは目を細め、ロンファの全身を頭のてっぺんからつま先まで見下ろした。

「貴女が身にまとっているのは、すべて質素だけれどとても質がいいものですから。素材も、仕立ても一級品です。少しでも目端の利く者ならば、すぐに気がつくでしょう。それは、本来ならばひとりで旅をするような者が着るものではありません。大きな荷物を持っている様子もない」

 自分でも自分の着ているものを見下ろし、「なるほど」とうなずく。

「つまり私は連れとはぐれた、もしくは家出中のお嬢様だと勘違いされた、ということですね?」

「少なくとも、身を守ることに無頓着なよい獲物だとは思われたでしょうね」

 そうは言っても服を脱ぎ捨てるわけにもいかないし、替えの服など持っていない。

「……それに、気分を害さないでいただきたいのですが――貴女の色彩は、とても珍しいものですから目を引くのだと思います」

 ううむ、と首をひねっていたロンファに、アルビエントは歯切れ悪く付け加えた。

 確かに髪の色や目の色、肌の色について言及することは時に相手に不快感を与えるだろう。だが、言われ慣れているロンファは眉を下げるだけだ。

「やっぱり目立ってます?」

 彼女の腰まで流れる髪は、鮮やかで深い紅。目の色は、光の加減で金や銀の粉が散って見える濃紺。多種多様な人々が闊歩するヴィスカントにあっても、似通った色彩を持つ人は見当たらない。

「そう、ですね。とても魅力的ですけれど、そのぶん目を引きます」

 帰ってきた答えに、ロンファは渋面を浮かべる。

「……ぱっぱと済ませて帰るしかないか」

 ここは再び「悪い人」にぶつかってしまう前に、用事を済ませてしまうに限る。

 ぶつぶつとこれからのことを思案していると、ぽんとアルビエントに肩を叩かれた。

「私としては、早急に安全な宿をとり、迎えを呼ぶことをおすすめしますが」

 暗にまだうろちょろするのか、とあきれられているような気もするが――。

「帰りません!」

 きっぱりと言い放つと、宝石みたいに綺麗な青の目が丸くなる。

 そう思えば、彼は先ほどどうしてこの街に来たのかと訊いてきていた。

「私、大切な、とても大切な方をお迎えに来たんです」

 だから、その方を見つけるまでは帰れない。

 きゅっとへの字に唇を引き結べば、アルビエントは嘆息をもらす。

「……その方のいらっしゃる場所はわかっているんですか?」

「はい。なんとなくですけど」

 なんとなく? と一瞬彼の顔が引きつった気がしたが、「しかたありませんね」とうなずく。

「私がごいっしょしますよ」

 そうすれば安全ですから、と申し出てくれたアルビエントに、ロンファはぶんぶんと首を横に振った。

「いえいえいえ! そんなご迷惑かけられません! 騎士さまだってお仕事の最中でしょうし」

「いいえ。ここで貴女をひとりで行かせては、それこそこの先騎士を名乗る資格など私にはありません」

 真剣なまなざしでそこまで言われては、断ることも難しい。

 ぐぅ、と言葉に詰まったロンファにちいさく笑うと、アルビエントは「それに」と付け加えた。

「淑女への奉仕は私たちの喜びですよ」

 いたずらっぽく笑うと、彼はロンファに向かって腕を差し出してくる。

「さあ、参りましょうか」

 態度でうながされ、おずおずとその腕をとると当然のようにエスコートされる。

 まるでお姫さまにするような彼のふるまいが、くすぐったかった。

***

 現在のアルビエントの任務は、臨時、というよりも、上司リーヴィエの私用だった。

 彼の上司は並みはずれて有能だが、それなりに傲慢で気分屋な人だ。

 そんな上司がアルビエントたちの詰め所に飛び込んできたのは昨日の夕方のことだった。

『緊急事態だ!』

 それなりに重大な案件を預かる部署だ。リーヴィエの開口一番の言葉にアルビエントたち騎士の間には緊張が走ったが、続いた言葉に全員が思いもしなかった衝撃を受けた。

『娘が家出した!』

 それなりのざわつきに満ちていた詰め所が静まり返る。それは、「なぁんだ、そんなことか」というあきれのため、というよりは――。

『……閣下、お子さまがいらっしゃったんですね』

 全員の気持ちを代表して切り出したアルビエントに、相手は「はあ?」と眉を寄せた。

『いるさ。それはもう、かわいくてかわいくて目に入れても痛くない、神々しいほどにかわいらしい娘がひとり』

 騎士たちの顔が引きつっている様子に気づきもせず――もしくは気づいていたとしても気にすることもせず語り続ける。

『訳あって離れて暮らしていたんだけれどね、つい先日郊外の屋敷でやっといっしょに暮らし始めたんだ』

 でれでれとこれまで見たことのない顔でにやけるリーヴィエの顔に、周囲の顔はますます引きつっていく。

 この有能だが一部の人々に「冷血漢」だの「悪鬼」だの呼ばれている上司が誰かと結ばれた過去がある(現在進行形かどうかは保証しかねる)というだけでも驚きだというのに、まさか子までなしていたとは驚天動地ここに極まれりだ。

 見た目だけは華やかな人なので、そこに騙された被害者がいた可能性もなくはないが、言葉を交わせばすぐに中身が見た目にそぐわないことがわかるはずなのだが。

『そんなかわいい娘が家出だよ! ああもう心配でならない仕事なんて手につかない』

 ガッと突きつけられたものを反射的に受け取ると、それはくしゃくしゃに握りつぶされた紙だった。丁寧にしわを伸ばして開いてみれば、整った字で短く文が記されている。

 曰く「どうしても出かけなければならない用ができました。なるべくすぐに戻りますので、心配しないでください」と。

『あの、閣下。お嬢さまはおいくつなんですか? 私の目にはまっとうな書き置きにしか見えませんが』

 字の感じから言って、十より下というようには思えない。もちろん良家の淑女がひとりで出ていったというだけでも大ごとではあるのだが、「家出」とはまた違うおもむきである。

『十六だけど、問題は年齢じゃないんだよ、アル。うちの娘はな、かわいい上に、〝ど〟のつく箱入り娘なんだよ。ひとりで出かけたりなんかしたら悪い人間に骨の髄までしゃぶられてしまう……』

 自分に害をなそうとした相手は逆に縛り上げて血の一滴まで啜りつくす、と言われているリーヴィエだが、娘のこととなると話は別らしい。青ざめ、がたがたと震えている。

『と、いうわけで、私は娘を迎えに行かねばならん。後のことは頼んだ』

 じゃ、とそのまま立ち去ろうとした上司の肩を、アルビエントはとっさにつかんだ。

『……なんだ、アル。止めるのか? 今この瞬間にでも娘に何かあったらどうする? 責任とれるのか? 死ぬのか?』

 ああん? ともともとは品のいい顔にまるでどこぞの盗賊ような表情を浮かべて凄んでくる上司に、そっと首を横に振る。

『私が行きますから』

 組織のトップであるリーヴィエに行かれては、本当の緊急事態が起こったときに対応が遅れてしまう。それに、トップしか裁可の印を押せない書類がいくらでもあるのだ。

 その点副長である自分であれば、一日二日は融通が利く――し、正直上司が行くと余計な面倒が増える気がする。

 以前も「旅行に行く」と休暇をとったはずなのに、つやつやして帰ってきたと思ったら密輸組織を三つほど潰して帰ってきたことがある。それだけなら「仕事の虫」として片づけられるが、あまりに荒々しい手口だったため、関係各所からの苦情がしばらく止まらなかった。

 そういう人なのである。

『えー、お前ぇ?』

『閣下よりは何でも小器用にこなすと自負しております』

 不満そうな顔をした上司にすずしい顔で言い返すと、心底いやそうな顔をされた。

『そもそも明日の朝いちばんで隣国フェロウから使節団が到着することになってますので、閣下には国賓警護の陣頭指揮をとっていただかなければなりません』

 陛下直々のご指名ですよ、と言ってやれば、思い切り舌打ちをもらす。

『そんなこともあったな。あーくそめんどくさい』

 がしがしと艶やかな銀髪を乱すと、歯をむき出した。

『わかった。娘の捜索はお前に任せる。だけど、あの子に何かあったら、わかってるだろうな?』

 獰猛な獣のように威嚇してくる。

『命に代えましても、お嬢さまを閣下の元へ無事お連れしますよ』

 とん、と胸に手を置く略式の礼をしてみせてから改めて訊ねる。

『それで、お嬢さまはどんな方ですか?』

 人を探すのなら、さすがに特徴くらいは聞いておきたい。

 それに対するリーヴィエの答えはとてもシンプルだった。

『めちゃくちゃかわいい』

 それじゃ見つからないぞ、と詰め所の誰もが思ったことだろう。

***

「騎士さま?」

 何やら考え込んでしまっているアルビエントへと控えめに声をかけ、腕を引く。それだけで、彼はすぐにこちらに意識を向けてくれた。

「ああ、すみません。今度はそちらなんですね?」

 ロンファの視線が現在の進行方向からずれていることを察知して足を止めてから、あからさまに顔を曇らせる。

「本当にこちらへ進むのですか?」

 ふたりはここまで、ロンファの指し示す通りに進んできた。道はどんどんと狭く細くなっていく。

 次に行くべき道として示した先は、かろうじて石畳はひかれているが、それもところどころ剥がれて土がむき出しになっていた。

「こっちで、間違ってない、はずです」

 そのはずなのだが。

「こんなところにいらっしゃるなんて……」

 日当たりも悪く、道の両脇に立つ家々もどこかすさんで見える。そこからのぞく人々の顔も生気がない。

 あまり良い場所ではなさそうだ。

 反射的に身を寄せてしまったロンファをかばうように、アルビエントが一歩前に出てくれる。

「ごいっしょして正解でしたね」

 苦笑まじりにそう告げられ、ロンファはちいさく「ありがとうございます」と返した。

 生まれてこの方、こんな良くないものがよどんでいるような場所に踏み込んだことはない。自分はとても恵まれた道を歩いてきたのだと実感する。

 アルビエントは周囲から投げかけられる警戒と値踏みの視線を跳ね返しつつ、堂々と進んでいく。確かに彼といっしょならばこのなじみのない空気の中でも恐れることはない。

 少し行くと、わずかに道幅が広がった。両脇に並ぶのは民家ではなく商店のようなのだが、店頭には何の看板も下げられていないしショーウィンドウもないか厚いカーテンで閉ざされている。それなのに、人の気配だけはそこここから感じられる。

 きゅ、とアルビエントに添えている手に力を込めてしまった。

「大丈夫です。貴女のことは必ずや私がお守りします」

 行きましょう、と声をかけられ、足を踏み出す。

 ぴりぴり、ちりちりと、姿は見えない気配と視線が肌を刺す。何かを乱してしまえば、それが襲いかかってきそうで息が詰まる。

 一軒の建物の前で、ロンファは足を止めた。

「ここです」

 ささやくように言えば、アルビエントも足を止めてその建物を眺めた。

 通りに面しているのは覗き窓付きの頑丈そうな扉と、明り取り用のちいさな窓。二階建で奥に長い構造のようだが、正面から見てわかるのは隣の建物との間にある細い路地がずいぶんと奥までつながっているということくらいか。

「失礼ですが、お探しの方はいったいどういった状況なのでしょう」

 ロン嬢はご存じですか、と問いかけられ、ロンファは首を横に振る。

「私も、実は詳しいことは知らないんです」

 顔を曇らせながらも、でも、と続ける。

「事情なくこのようなところにいるお方でないことだけは確かです」

 何かトラブルに巻き込まれたのであればお助けしなくては、とつぶやいたところで、ロンファの耳にかすかな悲鳴が届く。

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