#3 事件発生

「キャー!!」


朝日が登りはじめたかという頃、テントの方から女性の悲鳴が聞こえた。おそらくマリーの声である。コランはその悲鳴で目が覚めるものの、自分が一体どこにいるのか一瞬分からなくなった。しばらく経って、頭が回転するようになると、コランは昨日、家には帰らず、そのままサーカスの敷地内にある部屋を借りて休んだことを思い出した。コランの借りていた部屋の周りがザワザワし始める。冷静になり、まずはポケットの中に入れっぱなしになっていた懐中時計を開く。18歳の誕生日に母からもらったものだ。時計の針は6時30分前を指していた。


部屋を出ると、団員たちも何事かと悲鳴の聞こえた方へと足を運んでいた。コランもその団員たちについていく。悲鳴が上がったのは、レオン…このサーカスの花形であるライオンのいる檻の前だった。すでに団員たちがごった返していて、レオンは興奮したように檻の中でしきりに吠えていた。目の前に大勢の人がやってきたのだ、当然だろう。コランは状況を確認するために、人ごみをかき分けた。視界が開けた先には悲鳴をあげたマリーが青ざめた顔をしている。彼女の視線の先には大きな男…団長がうつ伏せになって倒れていた。コランは咄嗟に団長の元へと駆け寄った。あまり目立つことはしたくなかったが、団長の容態を確認する必要があった。もしかしたらまだ、助かるかもしれないからだ。しかしその希望的観測はすぐにうち崩れた。団長はもう息をしていなかった。コランの様子を見て、団長がもう助からないということを察したのか、マリーはその場で崩れ落ち、涙を流した。他の団員たちもより一層、ざわざわしはじめた。


コランはざわめき経つ中で、団長の首元に、何か細いもので締め付けられたような跡を見つけた。どうやら団長は誰かに殺されたようである。


「誰か、警察を呼んでもらえますか。」


コランは周りの野次馬に呼びかけた。


「ちょっと待ってくれ。」


コランの呼びかけを遮るものがいた。そこにはすらっとした高身長の男が立っていた。道化師のジャックだ。ジャックが声を発すると周りは急に静かになった。


「警察を呼ぶのは公演が終わってからにしてほしいんだ。」


人が死んているというのに、しかも誰かに殺されているかもしれないというのに、ジャックは呑気なことをコランにお願いしてきた。


「何を言ってるんだ。人1人死んでるんだぞ。しかも首の跡からして誰かに殺されているかもしれないんだ。」


殺されている、という言葉に再び周りがざわついた。しかしジャックは、動揺ひとつ見せずに周りの騒音を遮るように言葉を発した。


「団長が死んで、しかも誰かに殺されたとなれば警察に来てもらうのは当然だと思う。だけど警察が来てしまったら、俺たちの今日の公演はどうなる?せっかくチケットを取ってきてくれたお客さんは?ありがたいことにこのサーカスには大勢の人が足を運んでくれてはいるが、次の街での興行がどうなるかは分からない。世間の経済も振るわない今、俺たちは少しでも稼いで、次の公演に繋げなきゃ生活していけないんだ。そんな状況で俺は今日の公演を中止にしたくない。団長だって自分のせいで公演を中止になんてしたくないはずだ。今日の公演が終わったらすぐにでも警察に連絡する。約束するよ。」


コランはいくらなんでもめちゃくちゃだと思った。確かに彼らにとってサーカスのステージは大事なものだ。それはこの7日間関わってきてひしひしと伝わってくる。しかし人が死んでしまったというなら話は別だろう。マリーはいまだに悲しみに暮れている。彼女はこんな精神状態で最高のパフォーマンスができるのだろうか?他の団員だって同じことだ。ジャックの言っていることはなかなかに気が狂っている。しかし、ジャックの提案に反論するものは出てこなかった。彼はこのサーカスの中で恐れられているのだろうか?他の団員からの後押しがあれば、もっと説得を試みたが、沈黙されてしまっては仕方がない。それがこの組織全体の望みなのだろう。コランはあくまでこの組織に期限付きで雇われている身だ。ここのあり方はここの者が主導権を握っている。それに、これ以上目立ってしまうと、団長の件にしろ、女性連続殺人事件にしろ、捜査がしにくくなってしまうと感じた。犯人が逃げ出す可能性も考えたが、いなくなった時点でそいつが犯人だし、今日様子を見に来るであろうトムに事情を話して、周りを警官で監視してもらっておけば問題はない。


「…わかった。2つ条件だ。1つは事件現場はそのままにしておくこと。そしてもう1つはショーが終わった後、必ず警察に連絡することだ。」


こちらの条件に頷くとジャックは団員たちに呼びかけた。


「団長は亡くなってしまったが、今日のショーは予定通り行う。団長のためにも全力でやるんだ。気持ちの整理のつかないものは本番までの間、ゆっくり休んでいてくれ。」


ジャックが言い終えると団員たちは事件現場を後にした。狭い檻の中にいるレオンは終始吠え続けていた。


今日のショーの開始は17時。警察が呼べるのはショーが終わる2時間後の19時。今は7時前だとして、この10時間ほどでコランはできることをやっておこうと決めた。警察でないにしろ、彼は今まで何度か事件解決に貢献してきた。そもそもコランはただただサーカスにアコーディオンを演奏しにきたわけではない。もしかしたら彼が今絶賛調査中である女性連続殺人の犯人と団長殺しの犯人は同一人物かもしれない。それならば尚更調べなければいけないだろう。


野次馬がハケきったところでコランは死体の様子を観察した。相変わらずレオンはコランに向かって吠え続けている。全く警戒心の強いライオンだ。先ほど見た通り、首には締め付けられた跡がある。おそらく絞殺だろう。あたりを見渡してみると、檻の目の前に鞭が落ちていた。おそらくマリーがショーで使うものだ。犯人はこれを凶器に使ったのだろうか?凶器を現場に置いていくなんて相当間抜けな犯人なのだろうか。他に、死体に変わった様子がないか探してみる。すると後頭部のあたりのごげ茶色の髪の毛が不自然に束を作っていた。見るとそのあたりには何かでぶつけた、もしくは殴られたような跡があった。死因はもしかして、頭部を打った、もしくは殴られたせいのものなのか…だとしても現場にはそんな重たそうなものは見当たらなかった。


「…コランさん、でしたっけ。」


一通り事件現場を観察していたコランの背後からまだ声変わりのしていない少年の声がした。ふりむくと、そこには緊張で顔が強張ったあどけない顔があった。空中ブランコ乗りの双子の兄、ルイだった。


「…あぁ、そうだが?」


現場の捜査に真剣になるあまりに、背後に人がいたことに気がつかなかったコランは、驚きのせいで、すぐに返事をすることができなかった。幼い少年がこのしがないアコーディオン弾きに何の用だろうか。ルイは何かを迷っているようで、なかなか次の言葉を口にしなかったが、ようやく決心がついたらしく、口を開いた。


「僕にも捜査…手伝わせてください…」

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