#2 潜入調査
「コランくん、今日も最高だよ。君には引き続き、このサーカスで演奏して欲しいくらいだ」
「モーリスさんの指導が素晴らしいんですよ。色々学ばせていただいて、僕も嬉しいです」
コランはテントでの練習を終え、サーカス所属の指揮者兼作曲家のモーリスと話をしていた。彼は12歳から指揮棒を握り始めてから30年、この道一筋のベテランだ。音楽の知識に溢れ、指揮者としても作曲家としても優秀である。そんな彼と仕事ができ、コランはとても幸せだった。まだまだモーリスに演奏について聞きたいことがあったが、テントを出ると、木の影に、人の姿があることをコランは見つけた。
「モーリスさん、それではまた後ほど、今宵は音楽について語り明かしましょう」
自身の欲をなんとか抑えて、コランはその人影の方へ向かった。そこには赤いカラーシャツを着こなしたす、スラリとした男性がいた。
「俺はお前が制服を着ているのを見たことがないから、本当に警官なのか毎回疑ってしまうよ」
「警官がうろうろしているって分かったら犯人が警戒するだろう?それよりも、何か進展はあったか?」
6日前、トムはサーカスのチラシの裏面をコランに差し出した。そこにあったのはサーカスで演奏する楽隊の募集だった。このギルモート・サーカスでは、楽隊を各巡業地で雇うという、極めて珍しいスタイルをとっているらしい。
「お前は普通にアコーディオンがうまい。その技術があれば怪しまれることなくサーカスに潜入することができる」
トムはどうだ名案だろう、とでもいいたげな顔をしていた。誰でも思いつきそうな案だけどな、とコランは思ったが黙っておくことにした。しかし今回の仕事、相手にするのは連続殺人犯と極めて危険な人物だが、サーカス音楽について触れることができるいい機会だと、コランは思った。話を聞くだけ、と言ったものの、今回の依頼は報酬以上に得るものが多そうだと考えたコランは、2つ返事で今回の件を引き受けた。
「モーリスさんはすごいぞ。バロック音楽の基本的知識はもちろん、ここアメリカで最近流行のブルースまで、音楽のことについてならなんでも知っている。本当に尊敬できる人だ。他の演奏者もみんな優秀な人たちばかりで、この街にもこんなにたくさんの素敵な音楽家がいたなんて知らなかったよ」
コランは音楽のことになると、いつもの冷静さを失ってしまうところがある。トムはついついその熱意に圧倒されてしまった。
「あ、うん。よかったな。で、俺が知りたいのは事件についてなんだけど……」
トムの一言で冷静さを取り戻したコランはとりみだしたことが急に恥ずかしくなり、咳払いをした。
「この6日間、公演をこなしながら色々気にしてみてはいるが、怪しい動きをしているやつも、これと言った証拠も掴めていない。」
「そうか。まぁ、ここ数日殺人も起きてないから、怪しい動きをしている奴を探し出すのは難しいかもしれないな」
なんの収穫も得ることができず、トムは少しがっかりしているようだった。
「サーカスでの調査は見送って正解だったと思う。これで何も証拠が出てこなかったらお前の顔が立たないだろう」
「またいつもの勘違いか。まぁ仕方がない。明日はサーカスの千秋楽だろ?ちゃんと最後までいろよ。途中で抜けたりしたら怪しまれるから」
「報酬はちゃんと出るんだろうな」
「当たり前だ。1週間も人の時間を無駄にしてしまったんだからな」
トムはまた何かあったら伝えてくれ、と職場に戻って行った。その背中は少し申し訳なさそうだった。本当にわかりやすい男だな、とコランは思った。
この日は休演日で、団員たちは練習用に建てられたテントで技の調整をしたり、体を休めたり、街へ買い物へ行ったりと、それぞれ思い思いの時間を過ごした。コランも周りの団員たちの様子を観察しつつ、楽隊の中でひたすらに練習をした。こんな寄せ集めの演奏者たちをすぐにまとめあげるモーリスは指揮者として本当に素晴らしい人材だと思うと同時に、どうしてサーカスなんかにいるんだろうと、コランは不思議で仕方がなかった。
20時になり、明日の千秋楽に向け、最後のミーティングが行われた。食堂として利用されているテントに団員、コランのような雇われ楽隊たち、大道具などの裏方までが一堂に会した。しばらくするとこのサーカスの団長であるアラン・ギルモートがやってきた。恰幅がいいが、身なりはきちんとしている気品ある紳士だ。
「みんな、今日までお疲れ様。団員はもちろん、この街から参加してくれた楽隊の皆さんのおかげで興行は上々、明日、千秋楽のチケットも完売だ。経済が振るわないこの時期に、娯楽を提供できることを、私は心から嬉しく思う。ここまで皆よくやってくれた。しかし公演は明日も残っている。最後まで気を引き締めてステージに立ってもらいたい。兎にも角にも、事故の無いように、明日も宜しく頼む」
団員からの拍手が起こると、団長は右手を上げてそれに応えた。
アランは根っからのリーダー気質で、サーカスの団長としても頼れる存在である。コラン7日間という短い間ではあったが、そのように感じた。周りの信頼も厚いことが、他の団員の様子を見てもわかる。
団長の話から引き継ぎ、猛獣使いのマリーが明日のスケジュールを共有し、確認した。彼女は最近入ってきた新人らしいが、団長との距離が近いのはコランの目にも見て取れた。団員の中には団長の恋人なんじゃ無いかと噂されている。ミーティングが全て終わると、そのまま夕食を取ろうとするもの、自身の部屋に戻るもの、練習用テントにいき、体を動かしに行くものなど、それぞれ目的の場所に散らばって行った。団長は自室に戻るのか、食堂を後にし、マリーはこの場に残り、席についた。そのまま夕食をとるらしかった。
「あまり人の悪口は言いたく無いけどさ。」
モーリスは2つのハンバーガーとフライドポテトを持ってテーブルを挟み、真正面に座った。
「急に入ってきたくせに、団長の右腕みたいに振る舞っちゃって。全く、こっちは何年ここにいると思ってるんだ」
モーリスは珍しく愚痴をこぼした。コランが出会ってからこんな愚痴を聞くのは初めてだった。
「マリーのことですか?彼女はどうしてそんなに団長に気に入られてるんです? 」
コランは疑問を率直にぶつけた。
「さぁな。みんなが噂してる通り、団長の恋人なんじゃないか?ここだけの話だけど、今度彼女のために新しいライオンが来るんだとか。こっちはずっと専属の楽隊を雇ってくれって言ってるのに、いまだに聞き入れられなくて」
「今のスタイルを希望してるのってモーリスさんじゃなかったんですか? 」
コランは楽隊を各地で雇っているのはモーリスが様々な才能に会うためだとばかり思っていた。しかしそうではなかったらしい。
「僕はこのサーカスが貧乏な時から知ってるんだ。貧乏サーカスに専属の楽隊として雇ってほしいなんて人はこなかった。ただ、経験として期限付きで募集したら結構応募があってな。そこそこ稼げるようになってもいまだにそのスタイルのままなんだ」
表向きは隙なく、みんなの頼れる団長かと思ったら、実際、関係者一人一人に話を聞いてみると案外不満を持っている団員は多いのかもしれないとコランは思った。
「悪口が過ぎてしまったな。今晩はコランくんと楽しいお話をするつもりだったんだ。酒は手に入れられなかったけど、気が済むまで語り明かそう」
モーリスは言い終えるとハンバーガーにかぶりついた。コランもつられてハンバーガーを口に入れた。少し冷めてはいたが味は十分に美味しかった。コランとモーリスの他に、噂のマリー、道化師のジャック、空中ブランコ乗りの双子、ルイとエリがそれぞれのテーブルで夕飯を食べていた。
食堂が23時のチャイムを鳴らした。コランはただでさえ、夜は早い時間に眠くなる。この日も練習で疲れたのも相まって少し眠たくなってきた。その様子に気がついたモーリスが声をかけた。
「明日も本番だし、少し早いがお開きにしようか。また明日、終わった後にでも話をすればいい」
「すみません、どうも夜は起きていられなくて」
コランはそう返事をすると、あたりを見渡した。先ほどいた団員たちもすでに食堂から姿を消している。体が資本であるサーカスパフォーマーたちは夜更かしをあまりしていない印象だ。
「今日はここで休んで行ったらどうだ?確か空いてる部屋があったはずだ。重たい君の相棒を持ってうちに帰るのも大変だろう。」
楽隊たちはこの7日間、家とテントを往復する生活を送っていた。基本はうちへ帰るのだが、テントの個室は団員が使用する他に、少しだが空きがある。早い者勝ちではあるが、空いていればそのまま泊まっていくことも可能だ。コランはすぐにでも寝たいという欲に駆られ、モーリスの言ったとおり、今日は部屋を借りていくことにした。
手続きを済ませ、コランはサーカスの中に簡易的に作られた一部屋に入った。そこは即席で作られたベットと机、テーブル、控えめな明かりがあるだけのシンプルなものだった。自身の部屋のベットには劣るが、それでも一晩寝るには十分だろう。団員たちは毎日のように、こんなベットで体を休めながら最高のパフォーマンスを見せているのかと思うとコランは彼らを尊敬せざる得ない。
コランは捜査のことも忘れ、ベットに倒れ込むと、そのまま夢の中へと落ちていった。明日の朝、また別の面倒ごとに巻き込まれることも知らずに。
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