迷子のネコさん~方向音痴の自覚はあったが異世界なんて聞いてない~

なっぱ

プロローグ.犬も歩けば棒に当たる

 改札を抜けると異世界であった。血の気が引いて指先が白くなった。


 いやいやいや。ちょっと待たれよ。んなわけあるかい。

「は、ははは?」

 自然と口からもれた笑い声は、あからさまに乾いている。

 目の前に広がるのは、なだらかな起伏をもった広大な草原、はるか向こうに雪をかぶった山脈。人家のひとつも見当たらない、THE☆大自然。

 空は青く、吹き抜けていく風はさわやかで、太陽の光はおだやかだ。

 そこまではいい。そこまではいいのだ。

 いや、出勤しようとして会社の最寄り駅の改札をくぐった途端こんな光景を見ている時点でまずいのだが、まだ良しとしよう。

 さらなる問題は、空の高いところを明らかに鳥ではない何かが旋回している、という点だ。

 白銀の巨体。大きく広げられた翼の、目の覚めるような青色の飛翼膜。日の光にきらめく無数の鱗。

 これは、あれですよ、ドから始まってンで終わる想像上の生き物にしか見えない。

 ふぁんたじー。

 あんなものが飛んでいるなんて、異世界か夢の世界しか考えられない。

 自分でそこまで考えて、ぽん、と手を打つ。

 ああ、夢。はいはい、夢。そっかそっか、そりゃそうだ。

 異世界転移なんて非現実的なことをまっさきに考えついたおのれの中二脳に苦笑する。いやあ、リアル中二だったのなんて十年は前の話なのにお恥ずかしい。

 深夜アニメやいくらか漫画をたしなむ程度のライトめオタクを自認していたが、それなりに毒されていたらしい。異世界もの、最近もはやメジャーラインだし。

 立ったまま白昼夢でも見ているのだろう。昨晩はぐっすり七時間半睡眠でしたけれども。朝のラッシュの中、いきなり立ち止まるなんて迷惑極まりない。いやぁ、後ろの人には悪いことをした。

 そうとわかればさっさと起きるに限る。

 こういうときに物語の登場人物たちがよくやるように、自分の右の頬をつねってみた。

「痛い。痛いな。なんでだ?」

 あきらめ悪く、もう一方の頬もつねってみる。

 やっぱり痛い。

 思えば確かにこういう流れで頬をつねって「痛くない。やっぱり夢だったや」という展開は見たことがない。だが、そんなテンプレはいらぬ。

「おーけーおーけー。わかった。落ち着こう」

 自分で言っててむなしくなる。

 痛いのだ。つまり――夢じゃない。

 足から力が抜けて、かくん、と膝から地面にくずおれる。衝撃はやわらかな土の地面と、芝生のような丈の短い草が受け止めてくれた。

「え? え、え? つまり、なに? どゆこと?」

 聞いたことのない、高音と低音の入り混じった不思議な鳴き声があたりに響く。空を舞うファンタジー生物がひと声吠えたらしい。

 がくり、と前のめりに倒れて、地面に両手をつく。

「まじか」

 トラックに跳ね飛ばされたわけでもなければ、いきなり足元に魔法陣が浮かんだわけでもない。不思議なドアを開けたりなんかしてないし、もちろんあやしげな本も開いてない。日々の生活に不満はなく、職場も福利厚生のしっかりしたホワイト企業。人生に疲れていたわけでもないし、失恋して自暴自棄になっていたわけでもない。

 どうしてここにいるのか、わからない。

 いや、ほんとになんでだよ。わたしは何に当たったんだ。

 わかっていることはただひとつ。

 会社には遅刻する。

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