第3話 洗礼
「だめ、やめて、ちょっと待って!あ~っ。」ハルキの大きな声にびっくりした介護長の御手洗が吉瀬さんの居室に走ってやって来た。「どうしたの?」声を掛け、目を向けた視線の先の光景に、直ぐに納得した。腰の曲がった吉瀬さんの両手がしゃがんでいるハルキの頭を両側から掴んでいた。
居室内は異臭がし、この業界で仕事をしていなくてもこの臭いの原因が便だという事は一目瞭然だ。便失禁をして、何とか自分で片付けようとした結果、収拾がつかなくなるという認知症の方に良くありがちな事だった。
物心ついてから、自分の頭にクソがつく事なんて、考えてもみなかった。普通に生活していたら、まず起こりえる事なんてない事態にとまどいながらも、ハルキは吉瀬さんの汚れたズボンをを脱がせていった。
「後は、ワタシがやるからシャワー浴びてきて。」
そういう御手洗の口元は少し笑っているようにみえた。
ハルキは一言、言ってやろうと思ったが、言葉を飲み込み我慢して宿直室にシャワーを浴びに行った。簡単な記録をしてフロアーに戻ると吉瀬さんが食堂の椅子に座って鼻歌を歌っていた。着替えて良い匂いがしていた。
「吉瀬さんもシャワー浴びたから。多々君と一緒。」
後ろを振り返ると、御手洗が立っていた。
「さっき、俺の頭にクソついて笑いましたよね?」ハルキは思い出したように言った。
「笑ってないわよ。そう見えた?」御手洗は、穏やかな口調ではあったが表情は真剣だった。ハルキは御手洗を怒らせたと思ったが続けて言った。「そう見えました。」
御手洗はハルキに近づきながら、
「あなた、センスあるわよ。」と言った。
「センス?!」ハルキの悪い癖だが、すぐ口に出す。
「そう、センス。多々君、吉瀬さんが便のついた手で頭触られても、ちゃんと介助続けてたでしょ。びっくりして、ワッてなっちゃうと、吉瀬さんが転倒してたかもしれないし。
それに、彼女の前でワタシに文句言わなかったでしょ?。」さっきと同じような口元で言った。
「俺、褒められてるんですか?」ハルキはあの時、文句を言ってやろうと思った事まで気がついていた事に戸惑いながらも聞いてみた。
「褒めてるよ。こういうのセンスだから。でも、ああいう時は、出来れば誰か応援呼んで。確かに皆、忙しいとは思うけど。でも、すぐに行けなくても状況知っているだけで皆の動きも違うから。あと、最初に手指の洗浄かな。これも経験だから。」
ハルキはなるべくなら今後、頭や髪の毛にウンコはつけたくないと誓う出来事だった。
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