馬鹿バカップル
九里 睦
さながらダムの崩壊か
いつものように並んで帰り道を歩く、今日太と明日美。夕焼けの空に、光る雲が沈む太陽を追いかけるように線を引いている。
「日が沈むの、早くなったな」
「そーやね」
会話はそれで終わりを迎えたようで、二人とも口を閉ざす。
ほぼ毎日一緒に帰っていると、別に話題がなくとも苦にはならなくなっていた。帰路の途中で、どちらかが何かを口に出せば、どちらかがそれに返す。一区切りつけば、空白の時間に。
「今日の数学どうだった?」
そしてまたどちらかが口を開く。
「聞くな馬鹿」
「明日美がバカだから聞いて欲しくないだけだろ」
「……馬鹿って言った方が馬鹿だし」
「『ブーメラン』って知ってるよな?」
「…………」
長い沈黙があることも少なくない。
二人は何か喋らなければならないと、言葉を探すために頭を回転させるのが嫌いだった。だから、そうしなくていい二人の間柄に、心地よさを感じている。……さながら熟年夫婦である。
それでも二人はまだ付き合っているわけではない。俗に言う幼馴染みだ。家が隣で、学校も同じ。幼い頃から二人で一緒に遊び、それなりに仲がいいから一緒に通学しているだけ。
それでも、ただの幼馴染みと片付けられるかと言うと、疑問である。
こんな幼馴染みは珍しいだろう。
実際、二人の距離はだいぶ近かい。エドワード・ホールという偉い人による区分だと、二人の距離は密接。二人の間にある物理的な距離は15cm以下であり、手を取ろうと思えば1秒もかからないような距離にある。すなわち、恋人や家族の距離感なのだ。
普通にカップルにしか見えないため、中学時代にそれで囃し立てられ、明日美が一緒に帰ることを止めたことがあった。
だがしばらくして、とあることをきっかけに二人はまた一緒に帰ることになる……。
高校に進学してからは、「付き合う」ということが広まり、大っぴらに囃立てるような者はいなくなったため、中学の時のような事件は起きていない。
高校は、平和だった。
ただ、この年頃で、そう言った色恋に敏感にならないわけがなかった。
今日太は手頃な石を見つけたため、それを蹴りながら帰っていた。人通りがあれば憚られるが、今はなかった。軽やかな、靴と石がぶつかる音。今日太は時折、ジグザグに歩いていて、明日美の腕に今日太の手が触れることもあった。
明日美は今日太が触れるたび、隣にチラリと目を向ける。目線だけを向けて何気ない風を装っているが、傍目から見ればその様は好きな人に消しゴムを拾って貰った際に指が触れて意識する女子のそれであった。
実際に意識しているが、今日太に指摘するのは明日美としてはNGだ。意識しているのが今日太に伝わるからである。そんなのバレたら恥ずかしい。
明日美はチラチラ今日太の方を見つつも、何も言わずにいることにした。
そのうちに、駅の線路を跨ぐための歩道橋が見えて来る。もうすぐ二人の家だ。
今日太は歩道橋を渡る手前で、石を強めに蹴り上げた。橋の根元に当たり、金属が小気味良く響く音を立てる。
――この音が、始まりの合図だった。
「あ、私こういう音好き」
「俺も。聞いた話だと、金属が響く高い音って不人気らしいな。でも、こういう音ならあたし○ちの母さんも、林も、青木も好きらしい」
でも、と今日太が付け加えた言葉に、明日美は唇を尖らせ、不満げな顔を見せた。
「最後が余計。きょーと一緒なんだってちょっと嬉しかったのに。結局多数派なんじゃ――」
「え、何? 俺と一緒でそんな嬉しかったんだ」
明日美の言い終わりを待たずに、今日太が驚いたように足を止めた。
「あ」
今明日美がやったことは、客観的に……もっと具体的にいうと今日太からはどう見えただろうか。好きな人とお揃いで喜んでいたところに、それが実は大多数だったと知ってむくれる女子……のように見えたのではないだろうか。
しまったと明日美は思った。意識しすぎてつい、口から好意が溢れてしまった。そろそろと視線を上に向けると……明日美の一歩上、今日太が振り返り、意地悪げに笑っている。
「へぇー。明日美ってもしかして俺のこと? いやまぁ、薄々感じてたけどぉ?」
「え、え、え……」
明日美はすっかり固まってしまった。バレないと思っていたイタズラが一瞬でバレた時とおんなじ挙動である。
「お、図星ったなぁ〜?」
ここで誤魔化すことができたならまだ何とかなったかもしれなかったが、恥ずかしくて頭が真っ白になり、切り抜ける言葉が出てこない。
さながらダムの決壊のように羞恥が溢れ出し、明日美の顔を染め上げていく。
それはもう信号機のように、表す意味は明確だった。
「へっえ〜〜バレちゃったなぁ〜。で、どうする? 明日美がどうしてもって言うなら付き合ってやってもいいけど?」
今日太がぐるぐると明日美の周りを周りながら、煽りに煽る。俯き、ぷるぷると震える明日美。
そして溜めに溜めたあとでた言葉は……。
「……馬鹿」
「ん?」
明日美が勢いよく顔を上げた。
「馬鹿ッ! そんな、お前に跪くようなこと言わないし! 馬鹿! 馬鹿ッ!!」
真っ白な頭で、真っ赤な顔で、とにかく捲し立てる。出てきた言葉をそのままぶつける。
「なんだよ〜。バカって言った方がバカなんだぜ、両想いをパァにしようとしてるバーカ」
「なっ、りょっ……馬鹿馬鹿!! 人の弱味につけ込むようなきょーは嫌いだし! あー、今きょーの嫌いな部分でたから冷めたかもなー」
明日美は一段飛ばしで今日太を追い抜く。
「……ちょっとやりすぎた、かな。俺も照れてたかもな。ちょっと素直になるか」
今日太は小声で呟いた後、すかさずその後を追いかけた。追いついてすぐ、耳元に吹きかけるように言葉を掛ける。
「俺は明日美のそうやって意地になるところ、可愛くて好きだけど?」
「ひぇ!?」
驚いて声を上げた明日美を、今日太が楽しそうに笑う。
「馬鹿……それ反則。すごい、ドキドキしたじゃんか……」
胸を抑える明日美を見て、今度は嬉しそうに笑った。
「顔真っ赤。全然冷めてないじゃん」
「!? 馬鹿!」
明日美が逃げようとするが、今日太がその手を掴む。
「じゃあちゃんと俺がお願いしたらいいんだろ?」
やれやれと溜息のように溢した後、今日太は明日美と真っ直ぐに向かい合った。
「んぇ……?」
「明日美、お前の隣に居られる時間が、他の誰といるよりも落ち着くし、楽しいよ。これからももっとずっと、隣に居させて欲しい。好きだ、付き合って」
さっきと打って変わって、ストレートに攻める今日太。
「あぁあぁ」
何もなかったはずの日常に、ただ一言口を滑らせただけで生まれたイレギュラー。それもあんなしょーもないことがきっかけで。
怒涛の展開に明日美はついて行けず……ただ一瞬、口を開くことしかできなかった。
「……はい」
今日太は明日美がいつもの調子に戻るまで、にこにこしたまま何も喋らずにいた。繋いだ手は離さなかったが。……そのせいで明日美の復活が遅れたことには気付いていた。だいたい今日太はわかっててやる。
「ねぇ馬鹿。いつまでこうしてる気?」
明日美は、繋いだ手を持ち上げ、細めた目を今日太に向ける。
「バカって言った方がバカなんだぜ。できればこのまま家に持って帰りたい。明日美、ゲットだぜってやりたい」
「馬鹿ッ!!」
明日美がまた顔を赤くする。今日太の家に言えば、漏れ無く明日美の家にも伝わることは間違いない。母に今日太と付き合ったのがバレるのはまだ避けたかった。明日美の母はきっと色んなお節介を焼き始めるだろうから。
「バカバカバカバカうるさいぞバーカ」
「馬鹿って言った方が馬鹿だし!」
「お互いにバカって言ってるんだが……あっ、なるほど、これがバカップルか」
「………アホ」
二人とも、今日は賑やかに帰った。
繋いだ手は、二人の家が見えてきたところで離そうということになった。
その時になり、今日太は少し名残惜しげに立ち止まる。
「あんた、私のこと好きすぎでしょ。別に、明日も繋げるでしょ」
さっきの仕返しとばかりにニヤリと笑い、明日美が囁くと、今日太は「じゃあ今日はこれで我慢する」と、一瞬だけ恋人繋ぎにしてギュッとした後、離したのだった。
今度は明日美がそこに立ち止まることになった。
「なんか言えよ馬鹿ぁ」
帰宅しても頬の熱がまだ抜け切れないまま、なんとか両親に変化を感づかれないよう自然に振る舞い、明日美はベッドまで辿り着く。
「きょーが握ってくれた繋ぎ方、違和感なかったな……」
恋人繋ぎには相性がある。繋ぐ手の親指が上にいくか、下にいくかで、違和感を感じることがあるのだ。
明日美はベッドの上で、今日太に握られたように、自分の手を握ってみた。右の親指が下にくる。合わなくとも、慣れれば違和感を感じなくなるのだが、最初からぴったり合ったということに運命を感じ、明日美はニヤつかずにはいられなかった。
思わず、妙な笑い声が漏れ、意味もなくバタ足したくなる。
明日は親友のはたちゃんに報告しよう。明日美はそう決めて、心を落ち着かせるために深い呼吸を繰り返す。途中、またにやけが振り返して振り出しに戻るが、徐々に眠気も味方してきた。
ふと思いつき、今日太におやすみのメッセージを送ってやってから、ついに目を閉じた。
寝息の立つ部屋で、画面がメッセージを表示した。
『おやすみ、俺の彼女』
朝起きて、送られてきたメッセージに、明日美は『馬鹿!』と返すことになる。
馬鹿バカップル 九里 睦 @mutumi5211R
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