一緒に飲み食べたい

太刀山いめ

第1話凍頂烏龍茶

私はお茶が好きな部類だと思います。

子供の頃大手メーカーの瓶の烏龍茶を飲んで『おいしい』と思ってから、自分に合う飲み物を探していた気がする。

お茶が好きな部類だと言いましたが、炭酸飲料も大好きです。

あの喉をシュワシュワと流れていく感覚。

夏だろうと冬だろうと飲んでしまいます。

私は飲み物が大好きです。


その中で出会ったのが凍頂烏龍茶です。

場所はビルの合間に挟まれた小さな喫茶店。

本当に挟まれているんです。

スマホの無かった時代、住所のみを頼りにその喫茶店を目指したのですが、ビルしかないんです。

だけどその合間に細い隙間があり、立て札に喫茶店の名前。

私はそれを頼りにビルとビルの隙間に入っていったのです。


あった。

小さな喫茶店。

珈琲を扱わずにお茶を中心に扱うお店。それに興味を惹かれて目指したのです。


ドアをゆっくりと開ける。


チリンチリン


ドアベルが鳴る。


するとカウンターから若い男性が出てきて。

「いらっしゃいませ」


「初めてなんですけど」

何故そう言ったのかはいまいち分からないが、若い男性『マスター』から拘りを感じたからかもしれなかった。


「畏まりました。宜しければお茶の淹れ方等お教えしますので良ければカウンター席へどうぞ」

そう物腰柔らかに答えてくれた。

それと同時にやはり拘りが有るのだなぁとも感じた。


カウンター席へ座る。そこには小さな電熱ポットがあった。きっとお茶に使うのだろう。


「お客様はどの様なお茶が好みですか?」

マスターが言う。


「烏龍茶…ですかね」

子供の頃から良く記憶した味。


「烏龍茶でしたら今はこのセットがお得ですよ」


『凍頂烏龍茶…ご自分で淹れてみませんか』

だった。


お得と言われたが値段はもう少しで二千円に届く。ひぇっと息を飲んだ。お茶って高いんだなぁ。と、初めて知る。


「ではそれで」

なるべく動揺を出さずに答えたつもり。


「有り難う御座います」

マスターはそう言ってカウンターに入っていく。


カチャカチャと茶器を用意する音がする。緊張していたが、不思議と心地好く聞こえた。


「お待たせ致しました」

マスターがカウンターから出てきてテキパキと用意をしてくれる。


木で出来たすのこの受け皿の様な物の上に茶器を置いていく。


「では本式の淹れ方をまず致しますね」

マスターが見本を見せてくれた。


すのこの受け皿の上には様々な茶器、小さな急須に小さな湯呑み、それに背の高い湯呑み、大振りのカップ?に茶漉しも乗っていたと思う。それに木匙に丸く固まった茶葉らしきもの。


クツクツとカウンターの電熱ポットが沸いていた。マスターはポットを取ると小さな急須にお湯を注ぐ。

少し待ってから背の高い湯呑みや小振りの湯呑み、大振りのカップにその急須のお湯を注いでいく。


「こうやって先に茶器を温めるんです」

それからマスターは空になった急須に茶葉を入れる。そこに更にお湯を注ぐ。すぐに蓋をして、五秒ほどして先程の様に茶器にお湯を注いでいく。

「すぐにお湯を捨てたのは茶葉を開かせる為です」


「茶葉が開く?」


「ええ。飲む頃にはお見せ出来ますよ」

マスターは言う。

そして今度こそ飲むために急須にお湯を注ぐ。

すると手早く他の茶器に注がれた温め用のお湯を小振りの急須にかけていく。


「これは少しでもお茶の温度を下げない様にお湯で温めるんです。更にすのこの受け皿がこぼしたお湯を受けてくれるので片付けを気にする事もありませんよ」

優しく言う。

約三十秒待つと、マスターはカップに茶漉しを添えて一旦急須の茶を注ぐ。

「これで味が均一になります。それから」

マスターは背の高い湯呑みになみなみとお茶を注ぐ。

その上に逆さに小振りの湯呑みを被せ、しっかり指で固定して。


それをひっくり返した。


「これは何をしているんですか?」

私は見たことの無い作法に口を挟んだ。


「烏龍茶はまず香りを味わうんです」

そう言って湯呑みが下になり、逆さになった背の高い湯呑みと言う形になる。

マスターが背の高い湯呑みを少し傾けると中の熱々のお茶が小振りの湯呑みに注がれる。


「さあ、召し上がれ」

そう言って差し出したのは空になった背の高い湯呑み。

訳も分からずに受けとる。


「香りを嗅いでみてください」

私は熱々の湯呑みに鼻を近づけて


すん


と、少し嗅いでみた。


「これは…ご馳走ですね」

なんと背の高い湯呑みからは芳醇な、それでいて爽やかな華の香りが鼻腔を満たしていた。

私は下品だがすんすんと何度も香りを味わう。


「聞香杯(もんこうはい)と言う茶器なんです。香りを味わう為だけの茶器です」

マスターは教えてくれる。


「あっ…」

聞香杯が冷めてしまうと香りのご馳走は終わってしまった。


「香りの次はお茶そのものをどうぞ」

マスターに言われて思い出した。香りを味わうのに一杯で忘れていたのだ。

飲もうとして私はまたびっくりした。

お茶が茶色くないのだ。

色味は薄い緑茶に近かった。

これまた熱々のお茶が口に入ってくる。


(ここは極楽か?)

味わって思った。口が草原の華をついばんだ様だ。

私の知っているガツンとした味わいの烏龍茶とは全く違う。

華の蜜を思わせる微かな甘味も備え、一つの芸術品を口に含んだ気分。

飲み込むのが惜しい。


ごくん。


「どうですか?」

マスターが聞いてくる。


「まるで華のようです」

うっとりと私は答えた。


「それは良かったです。まだカップにお茶は残っています。香りもお気に召した様ですからまた香りも味わえますよ?」

素晴らしい言葉だった。


マスターに淹れて貰ったお茶はあっという間に無くなってしまった。次は自分でお茶の用意をしてみる。

「茶器はポットのお湯で温めるのが良いですよ。急須には茶葉が入っていますからお茶が逃げてしまいます。お湯のお代わりは気にしないで」

との事だったのでそれに従う。温めてから最後に急須の蓋を開ける。


「開いてる」

そう。開いていた。茶葉が。


「そこが日本茶と違うところですね」

マスターが答えてくれる。凍頂烏龍茶、台湾茶等は一芯二葉になるように摘んで作るんですと。そして丸くなるように成形していく。なので形が初めと後では違うのだと。


これには驚かされた。凍頂烏龍茶は香り、味、見た目三つで楽しませてくれた。


「味も残りやすいですから五煎位までなら味わえますよ。因みに私は一煎目の茶より二煎目三煎目の味が好みです。淹れる回数で味わいも変わりますから」


(この極楽を五煎も…)

天にも上る気持ちになった。



チリンチリン


「いらっしゃいませ」

ドアベルが鳴り、お客が入ってくる。マスターはまた丁寧にカウンターから出て挨拶をする。


「東方美人茶を、マスターに淹れて貰いたい」

そのお客は常連の様で、メニューも見ないで注文する。更にマスターに淹れて貰いたいと添えて。

当たり前と言えば当たり前だ。お客に全部任せっきりの喫茶店は無い。それに一から淹れ方の説明をしていては他のお客が疎かになる恐れがある。


「畏まりました」

そしてその客は一人がけの席に着くとマスターが準備している間に文庫本を開いてくつろいでいる。


私はマスターが茶の準備をする姿を見る行幸も得た。

マスターは花柄の大きめの茶器で、真剣にお茶に向き合っている。



私はマスターのお茶から自分の手元に目線を落とす。

私の茶器は金魚で統一されていた。

すごいと思った。気付けば気付くほどお茶は私を楽しませてくれる。細かい細工のされた茶器も愛おしく思った。



「お待たせ致しました」

マスターが茶を淹れてお客に運んでいた。


すると私の右側に気配を感じる。

右側を伺ってみると古いレジスターの前に別のお客が立っていた。


「お会計お願いします」

そのお客が言う。


「有り難う御座います」

マスターが対応する。



(気付かなかった…)

私は一人だけの客だと思っていた。

だけれど実は他にもお客が居たのだ。

と言う事はマスターはお客が他に居ながらも丁寧に淹れ方を教えてくれていたことになるし、お客もその空気を壊さないように気を使ってくれていたのだろう。


この喫茶店は全員の真心で出来ていたのだと気づいた。


世の中捨てたものではない。


「有り難う御座いました」


チリンチリン

ドアベルを鳴らしてお客が帰っていく。



私も酔狂で喫茶店を探した訳ではない。

昨日は仕事に行こうとして靴を履いたら涙が止まらなかった。そして立ち尽くす。

(行けない)

私は数ヵ月に一度発作のようにこのような事態に見舞われる。

仕事に行くのが怖くなるのだ。

その日は人数が居たので休むことが出来たのだが、今日は夜勤の仕事に出なければならない。

何か気分転換をと思って近くの喫茶店を探して、お茶しか扱わない変わった喫茶店を見付けて、すがるように訪れたのだ。



お茶は文句無く味わい尽くしたし、人の見えない優しさにも触れれた気がする。

今日の夜も何とかなりそうだ。



気がつくと二時間は喫茶店に居た。私もお会計をしようと席を立つ。

お店が混んできたのもあるし。



右側にある古いレジスターの前に伝票を持って立つ。

「すみません。お会計を」

「有り難う御座います」

マスターはすぐに来てくれた。やはりお客がマスターの動きやすい様に接しているのが分かった。お客に気を遣わせるとは何事だ!と言われる方も居るかも知れないが、この喫茶店の包み込む様な雰囲気は全員で作っているのだと過ごすだけで分かる。

お会計を済ますと、マスターが封をした一回分の茶葉を渡してくれる。


「楽しんで頂けた様なので、私も嬉しくなってしまいました。ご迷惑でなかったら、貴方に貰ってほしい」

そしてお茶の淹れ方を簡潔に書いた紙も。


「あ、有り難う御座います」

私は泣きそうになった。

勿論前日の様な苦しみの涙ではない。


幸福の涙だ。




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