34嫁 元魔王アンリ(4) 祈り
ジャンに導かれるがまま、原爆資料館を見学して回る。
魔法を時に超越する科学がもたらす惨禍は、筆舌に尽くしがたいものだった。
アンリは魔王としてモンスターを使役し、たくさんの兵士を殺したが、それでも一般市民が逃げられる程度の猶予はなるべく稼ぐようにしていた。
しかし、原子爆弾にはそれすらなかった。兵士も、一般市民も、子ども、大人も、飼い犬ですらも区別なく、純粋な暴力が全てを蹂躙する。
恨みすら抱く暇もない圧倒的な殺戮を前にして、そこにはただ悲しみがあった。
その被害の詳細を実感する度、アンリの胸の内にふつふつとした疑問が沸き起こる。
(どうして、ここまでのことをされて日本は平然とアメリカと仲良くしているのですか!)
アンリたちの世界の基準でいえば、自民族がこれだけの被害を受ければ、一生忘れることはないだろう。
自民族が皆殺しにされたならともかく、多数の被害者が生き残っている状況で、恨みを忘れることなどありえない。
原爆資料館から出てから、アンリはその疑問をジャンに率直にぶつけてみた。
「……さあ。俺は日本人じゃないから。彼らが本当のところ、何を考えているかはわからないよ」
「そうです、よね」
「――だけど、異世界人の俺の勝手な推測が許されるなら、正直、彼らには恨みとか考えている暇もなかったんじゃないかな。戦後、全てを失った状況で、自分を、家族を、生かすために必死で、復讐なんて考えている余裕はなかったんだろうと思うよ」
ジャンはそう言って目を細める。
「……なるほど。そういう意味では、私の悩みは贅沢だったのかもしれませんね。考える時間があるなんて、戦犯の私には過ぎたることです」
アンリが罪悪感に悩み余裕があるのは、結局のところ、ジャンの庇護があったからだ。
もし、ジャンが自分をアフターケアもないままに放りだし、日々の食事にも事欠くような状況に置かれたなら、あれこれ考えている暇もなかったに違いない。
「必ずしもそうとはいえないよ。貧しくても、余裕がなくても、恨みを優先する人たちはいる。今、西欧諸国で頻発しているテロなんかもその最たる例だ。アンリが悩むのは、アンリが本質的に善い人間だからさ」
ジャンがアンリの頭をポンポンと撫でて微笑む。
「確かに、戦争に負けても、中東の諸国は日本人みたいに物分かりが良くはありません。今も各地で武装勢力が蜂起して、アメリカに抵抗しています」
アンリは俯いて事実を淡々と述べる。
「そうだね。そういう意味では、日本という国は随分特殊なんだと思うよ。日本には『諸行無常』という価値観があってね。良くも悪くも過去を忘れることに優れた人たちなんだ。そして、事実、忘れたことによって、この国は未曽有の経済的な発展を遂げたのは事実だ。時にはかつての宿敵に媚びを売ってでもね」
「建設的なのか。薄情なのか。よく分からなくなってきました。確か、アメリカは日本に謝罪したことなどなかったはずです。原爆の投下も、アメリカの一般人は戦争を終結させるのに必要な行為だったと認識していると記憶しています。相手が謝ってるならともかく、味方を殺すのを開き直っているのに、それでも忘れられるなんて、どうしても私には信じられません」
「うん。さすがに、その件は忘れてないんじゃないかな。だからこそ、こういう記念館ができたんだろうし。だけど、俺が思うに、ここで重要なのはさ。そういうしこりを抱えたままでも、元宿敵同士の国がそこそこ仲良くやっていけるんだってことだろうと思うよ。経済的な結びつきは、過去の因習を凌駕する。昔の恨みより、今の生活の方が大事。『現実の引力』とでも言おうかな」
「……私たちの世界も、いつかそうなるのでしょうか。私が殺した国の人たちが、私のいた国と仲良くなる日が」
「くるさ。俺がそうしてみせる。全ての国民がお互いを必要として、前よりもマシな生活ができるようになれば、恨みよりも日常が上回る日は必ずやってくるよ」
「――よろしくお願いします。私が振りまいた災厄の痛みから、どうか人々を救ってやってください」
アンリは深く頭を垂れた。
自分の罪の尻ぬぐいを誰かにさせるのは心苦しいけれど、今アンリにできるのはこうやってジャンにお願いすることくらいだ。
「うん。言われるまでもなくそうするよ。俺は皇帝だからね」
その宣言は、あまりも自然で、気負いがなかった。
本当に彼が今の世界に存在してくれてよかったと思う。
彼が、ジャンこそが、間違いなく世界の救世主だ。
「ありがとうございます。少し、気が楽になりました」
アンリは胸に手を当てて、大きく息を吐き出した。
「ほっとしているところ悪いんだけど、……アンリも他人事じゃないぞ」
「え?」
「え? じゃない。歴史は過去のものじゃない。今も現在進行形で続いているんだ。今の俺たちの世界は俺が平和にしてみせる。だけど、未来はどうかな? いずれ、文明が進歩して、地球と俺たちの世界が接触した時に、戦争になるか、平和的な交渉がもてるかを決めるのはこれからの努力にかかってる」
ジャンは屈みこみ、アンリにぐっと顔を近づけてくる。
「……つまり、その未来を担うのが、私たち地球への移住者だとおっしゃいたいのですか?」
「うん。もし遠い未来、俺たちの世界と地球が本格的に接触する時、その仲介をできるのはアンリたちしかいない。俺はそう考えているよ」
ジャンの全てを見通すような深い瞳が、アンリを射貫く。
「随分、気の長い話ですね。少なくとも、私が生きている内に実現することはなさそうです」
アンリは苦笑した。
「そうさ。だから、君には幸せになる義務があるんだ。素敵な人を見つけて、子どもを作って、語り継いで言って欲しい。俺たちの世界に起こったことを。そして、もたらすべき未来を」
「――そういう言い方は、ずるい、です。断れないじゃないですか」
「ずるいさ。俺は皇帝だからね? 老獪な取引の一つもできないようじゃ務まらないんだよ」
ジャンはそう言っておどける。
ああ。本当に。憎たらしいくらい彼は完璧だ。
でも、彼は気付いているのだろうか。
アンリの気持ちと、状況が導く、必然的な帰結について。
「……わかりました。では、ジャンが私と結婚してくれますか?」
「うん? いや、なんでそういう話になる?」
ジャンが引きつった顔で首を傾げる。
「だって、子どもは一人じゃ作れませんから」
「そりゃそうだけど、何で俺なんだ? 地球には男なんて星の数ほどいるのに」
「だって、言えないですよ。地球の普通の人に、『私は元魔王でたくさんの人を殺した過去を持っているけど、結婚してくれますか?』なんて。ドラッグでもやっているかと思われて通報されるのがオチです」
「いや、でも、俺たちの世界からの移住者が……」
「……地球への移住者は主に夫を失った女性ですよね。数少ない男性もほとんど妻子持ちか、ご老人です」
戦争の前線に駆り出されるのは男で、その生存率は必然的に低くなる。
独身者で自ら望んで魔王に加担した者は誅されたので、生き残った男は大抵妻子を人質にとられたような事情持ちだ。
「うん。それはそうだけど、そういう意味では俺も妻子持ちだし……」
「私たちの世界ではそうですけど、地球で作った戸籍では未婚ですよね? ジャン」
「……」
「大体、仮に過去の話を全てを信じて受け入れてくれる男性がいたとしても、私はジャンがいいです。たとえ、同じ戦争の経験者でも、巻き込まれた人間と、当事者では見ていた世界が全然違います。私の過去と未来を真に共有できるのは、自分の意思で誰を殺して、誰を救うかを決断したあなただけです」
アンリはジャンをまっすぐに見つめて、そう告白する。
「何も反論材料が見つからない。まいったな。墓穴を掘ったかなこれは」
「ふふふ、甘くみないでくださいね。私も、元魔王なんですから。腹芸の一つや二つ、お手のもの、ですっ」
困ったように頭を掻くジャンをからかうように、アンリは人差し指を唇に当てた。
「……俺は、いつもアンリの側にいてやれないぞ。今みたいに、三か月に一回くらいしか顔を出せない。それでもいいのか?」
ふと真面目な表情に戻ってジャンが呟く。
「全然平気です! この世界には単身赴任で一年に一回も会えない夫婦もたくさんいるんですから。それに比べれば恵まれています」
「……わかった。これからもよろしく。アンリ」
しばらくじっと逡巡してから、ジャンが手を差し出してくる。
「――はい!」
アンリはその手をしっかりと握り返す。
自分とジャンの関係は、恋でもなく、愛でもない。
コインと表と裏のように、同じ痛みで結ばれた魂の共有者だ。
普通の夫婦じゃないし、これからもそうなることはないだろうけど、過去から逃げず、なおかつ未来と向き合うのなら――
(私の幸せはここにしかない)
チリンチリン。
アンリの決意を寿ぐ福音のように、遠くから鈴の音が聞こえてくる。
「おっ。アイスクリン屋だ。せっかくだから、お祝いに食べようか」
「はい。是非」
パラソルのついた手押しのリアカー。
それを引く老女から、ジャンが二つのアイスクリーム――正式にはアイスクリンというらしい――を買う。
「んー。冷たい」
ジャンが気持ちよさそうに呟いて、眉間を指で押さえる。
アンリも彼を真似て、アイスクリンに舌を這わせた。
「――なんだか、わりきれない味ですね。シャーベットともいえず、アイスクリームともいえず。でも、おいしい」
それは爽やかさが正義だというには甘ったるく、濃厚さが正義だというには薄味すぎた。
「だろう? だから俺はアイスクリンが好きなんだ」
ジャンが、光と闇、全てを包み込む深い眼差しで、アイスクリンを見つめる。
(未来がどうかこの氷菓のように幸福でありますように)
世界のように白黒つけられないアイスクリンを舌で転がしながら、アンリは心から思う。
罪深き元魔王のささやかな祈りを、おこぼれを狙う鳩たちの双眸が静かに見つめていた。
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