32嫁 元魔王アンリ(2) 幸福論
「投資の方は上手くいっているみたいだね」
食事もそこそこに、ジャンはそう口を開いた。
「はい。なんとか。サブプライム問題があった時に比べれば、幾分市場の動向は読みやすいですから」
「本当に助かるよ。俺は地球の方の金に関しては使うばっかりだからさ。全部アンリに穴埋めしてもらっているようなものだ」
「そんなこと言って、ジャンは大して使わないじゃないですか」
ジャンは地球で色んな買い物をするが、そのほとんどは彼自身のための消費ではないことを、アンリはカードの明細から把握していた。
彼が買うものといえば、有用な知識が詰まった書物か、アンリたちの世界でも使えそうな道具のサンプルくらいのものだ。
たまに食事をしたかと思えば、そういう時は大抵料金が二人分。
詳しくは尋ねないけれど、それが後宮の女性を接待するために使われていることは明白だった。
「それだけじゃなく、他の地球への移住者の面倒も見てくれてるだろ。ここにくるまで、あちこち様子を見てきたけど、みんなアンリに感謝してたよ」
「私は帳簿上のあれこれにちょこっとアドバイスしただけで、あとはみんなが頑張ったからですよ。そもそも、感謝というのなら、私よりもジャンにしているに決まってます。私も含め、彼らはみんな、殺されていても文句がいえない立場なんですから」
英雄ジャンに魔王が討伐され、世界が平和になった。
それは紛れもない事実だ。
しかし、そのシンプルなストーリーの裏に潜む真実を、世の中の多くの人々は知らない。
確かに、魔王に選ばれたアンリを担ぎ出して悪行を働いた者がいて、そういう人間は当然、ジャンに誅された。
しかし、魔王側についた人間の中には、汲むべき事情を持つ人もいた。
例えば、脅されて仕方なく魔王側の手先になった者。
もしくは、悪行を働いた者の無実の親類。
それらは皆、アンリたちの世界の常識に照らせば、処刑されて当然の悪とされる。
だけど、ジャンはその卓越した魔法力で全ての真実を看破し、自ら悪の道に踏み込んだ者以外は、慈悲をかけて許した。
全ての元凶となったアンリすらも。
でも、たとえジャンがアンリたちを許しても、世界はアンリたちを許さない。
自らの生活と愛しい者を奪われた人たちにとって、アンリたちがのうのうと元の世界で暮らしていくことなど許せるはずはない。
そのことをよくわかっていたジャンは、アンリを含む元魔王の関係者を処刑したことにして、異世界へと送り込んだのだった。
魔法で身分を偽装し、市民権をとらせ、私財の一部を与えて、アンリたちの生活を再建させたジャンの苦労を、アンリは間近で見てきた。
アンリを殺し、魔王の眷属共々晒し首にした方がどれだけ楽だっただろう。
アンリたちを救うことなど、ジャンにとってリスクでしかない。
もしことが露見すれば、ジャンは世界の裏切り者として民衆の支持を失いかねない。
それでも彼は敢えて、困難な正義を選んだ。
その偉大さを称える者は、彼の世界にはいないというのに。
「……そうそう。それから、この前はプラネタリウムの予約をしてくれたありがとうな。ルクシュナもすごく喜んでいたよ」
「女性と二人でいる時に、他の女性の話をするのは、NGですっ」
話題を変えるように言ったジャンに、アンリはわざとらしくむくれて見せた。
嫉妬できるような立場ではないと分かってはいるけれど、大手を振って彼の妻だと名乗れる彼女たちが羨ましい気持ちはある。
「そうだったな。ごめんごめん」
食事は穏やかに進んでいく。
くだらない話をして、笑い合えるこの時間がとってもありがたくて、そして少し心苦しい。
「――ごちそうさま。このカレー、すごくおいしかったよ。なんだか懐かしい味がする。俺の故郷の料理でもないのにな」
ジャンは綺麗にカレーを平らげると、しみじみと呟く。
「そう言って貰えると嬉しいです。私も何か落ち着くんですよね。故郷の味とは違うんですけど」
アンリも自身の分を食べ終えて、スプーンを置いた。
「で、だ。この後どうする? せっかくだから、買い出しにでも付き合おうか? 多少重い物でも平気だぞ!」
ジャンが部屋を見渡して、そう張り切る。
暗に殺風景だと言いたいのだと、アンリにはわかっていた。
確かに、アンリの部屋には面積に比べて、物が極端に少ない。
「大丈夫ですよ。必要なものは全部そろってますから」
アンリは小さく微笑んだ。
本当に、必要なものは全てそろっている。
ベッドも、椅子も、仕事道具のパソコンもある。
多分彼が言っているのは、そういう生活必需品のことじゃないのだろう。
例えば、花瓶に刺さったかぐわしい一輪の花。
もしくは、かわいい猫の形をした置き時計。
壁を彩る心洗う海岸を描いた絵画。
そういった、暮らしを豊かにするための何かだ。
でも、そういうものは、アンリには贅沢だと思う。
「……俺は、アンリはもっと求めて良い。幸せになっていいと思うぞ」
「――できる訳、ありません。私のせいで、たくさんの人が死んだんですから」
アンリは今も覚えてる。
『魔王 アンリ』の初めての犠牲者を。
彼女――ナターシャは、陽気で快活な、アンリの姉貴分だった。
16歳の成人の日に、おろし立ての服をきて、おめかししたナターシャを見て、アンリはふと思ってしまった。『綺麗だなあ。ナターシャみたいになりたいなあ』と。
願ってはいけなかった。
思ってはいけなかった。
でも、アンリは知らなかった。
その晩、血塗られたドレスと、綺麗に剥ぎ取られたナターシャの皮が枕元に届けられるまで。
自分が魔王だなんて。
(あの頃の私は、魔王には、根っからの悪い子がなるんだって、無邪気に信じていましたっけ)
子どもの頃から聞かされていたおとぎ話。
何百年に一度現れ、自らの欲望を実現するために世界を蹂躙する絶対悪。
そのイメージは半分正しくて、半分間違っている。
魔王とはずばり、『魔王に選ばれた人間の欲望をモンスターが勝手に感じ取り、強制的に実現する』というシステムだ。
例えば、アンリが金を欲しいと思ったとする。
するとモンスターは商人を襲い、殺して金を奪ってくる。
ここで重要なのは、金を入手する細かな手段まではアンリは指定できないということだ。
例えアンリが『モンスターが人間に協力して労働の対価を得ることで金を稼いで欲しい』と考えたとしても、そんなことは通用しない。
アンリがふと『お金持ちになりたい』という頭の隅で考えただけで、モンスターたちは問答無用の最短ルートでその望みを実現しようとする。
その力がもたらすのは、必然的に、暴力的で破壊的な悲劇だ。
「でもそれはアンリのせいじゃない。君は過酷な状況の中で、常に少しでも多くの命を救おうとしていた。それは、君と戦った俺が保証する」
「……それを犠牲者の方々に言えますか? 子を失った親に。親を失った子に。ジャンが許してくださっても、彼らは私を許さないでしょう」
確かに努力はした。
『魔王』の仕組みに気付いてから、アンリは悲劇を回避するためにあらゆる手段を試した。
手始めに、常に他人の幸せを願うようにした。
だけど、アンリにとって物質的な得にならないことに対して、モンスターは反応しなかった。
そのくせ、生理的な感覚にはこの上なく敏感で、アンリが『お腹が減った』と思えば、モンスターが近くの肉屋からとびきり高級な肉を店主の腕ごと奪ってきたし、『眠たい』と思っただけで貴族の屋敷ごと献上される。
思いつめたアンリは自ら命を断とうとしたが、代わりに死んだのは両親だった。
魔王は死ねない。その近くに人がいれば人を、人がいなければモンスターが身代わりになってその魂を捧げ、強制的に肉体を復活する。
それを悟ったアンリは俗世を捨て、独り人里離れた森の中に隠れ、少しでも感情を動かされないように気を遣いながら生活をした。
だけど、それでもなお、世界はアンリを放っておいてくれなかった。
アンリにとっては最悪の呪いも、人によっては最高の道具だったから。
なんせ今までは驚異でしかなかったモンスターを無効化できるどころか、戦力として利用できるのだ。ある種の権力者にとっては、喉から手が出るほど欲しい力だったのだ。
すでにいくつかの惨禍を引き起こしていたからか、アンリの存在は嗅ぎつけられた。
モンスターを使えば侵入者を排除するのは容易だったが、業を煮やした敵は無実の住民を殺し、それを全てアンリのせいにするという暴挙に出た。
もはや自分が魔王呼ばわりされてあらゆる諸悪の根源のように語られるのは慣れていたが、さすがに無辜の民が殺されていくのは耐えられない。
かといって、アンリを利用しようとする奴らを皆殺しにするのも難しかった。大元はとある国の首脳部だったが、奴らを殺そうとすれば、敵は兵士はもちろん民衆も人間の盾にして抵抗してくることは間違いない。
当然モンスターは細かな指示まで守れずピンポイントで殺すのは無理だから、やるならば、一国を丸ごと滅ぼす覚悟が必要だった。
アンリにそんな度胸はなく、結局、世界を征服するまで協力すればそれ以上は殺さなくてもいいという奴らの甘言にのって、戦争の道具として働いた。
結果は、言うまでもない。
ジャンの国土を侵したモンスターはことごとく返り討ちにされ、反魔王連合は圧倒的なカリスマを持つ彼の下に結集し、悪は滅ぼされた。
だけど、その過程で散っていった命がある。
その原因の多くが、アンリのモンスターによるものであった事実は変わらない。
ジャンが許そうと、アンリは自分を許さない。
「――わかった。じゃあ、買い物はやめておこう。代わりに、ちょっと外にデザートのアイスを食べにいこう。それくらいならいいだろう?」
物思いにふけるアンリをじっと見つめていたジャンが、静かに口を開く。
「はい喜んで。それでどこにしますか? ――あ、でも。アメリカのアイスクリームは食後に食べるにはちょっと重たいですよ。私もあまり詳しくないんですけど」
アンリは気分を切り替えてカラリと笑う。
この国は何でもスケールが大きい。
人間も、食べ物も、乗り物も、アンリの故郷とは比較にならないほどに。
アンリはそんな肥大した彼らの欲望のサイズに、慣れてしまうのが怖い。
「いや、これから食べに行くのは、そんな立派なやつじゃないんだ。これくらいの小さなやつさ」
ジャンが親指と人差し指で小さな輪っかを作って呟く。
まるでアンリの懸念を察したかのように。
「それは素敵ですね」
「じゃあ行こうか」
ジャンはそう言って立ち上がったが、身体を向けたのは玄関とは真逆の虚空だった。
それが意味するのは、つまり――。
「遠出されるのですか?」
「うん。日本のナガサキにね」
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