19嫁 獣娘ナミル(5)或る女Ⅱ
「あんた喧嘩売ってるのね!? そうなのね!?」
女がナミルの肩をギリギリ掴んでくる。
しかし、所詮鍛えてない女のヒューマンの力なので、全然痛くはない。
「売ってないゾ! 何を怒ってるか分からないのだ! 大体、男に三人くらい他のツガイがいたところで大したことないのだ! あんなー。ナミルのジャンはなー。ツガイが1000人よりもたくさんいるんだゾ! むちゃくちゃすごいのだ!」
ナミルは心から胸を張った。
千人ものツガイを抱えることができる力を持った人間は、ナミルたちの世界にはジャンしかいない。そんな男のツガイになれたことが誇らしかった。
女の反応をみるに、この世界にもジャンほどの男はそうそういないに違いない。
「……冗談よね? これも私にニュアンスが上手く伝わってないだけ?」
「いいえ。ナミルの言っていることは本当です。俺の故郷では、一夫多妻制が認められています」
ジャンは笑顔で頷いた。
「彼氏さん見たところ明らかに白人なんだけど、アラブの富豪かなにか? っていうか、あんたはそれでいいの? パートナーを独占できなくて不満とかない訳?」
「何がだ? 強いオスがメスを独占するのは当然のことなのだ。でも、お前がその新郎とかいうオスが他に三人のツガイを持つのが気に入らないっていうなら、そいつはきっとショボイオスだったのだな」
オスはなるべく多くのツガイを持とうとするのが自然の摂理。
しかし、時にはそれに値しないオスもいる。
「そうよ。そのショボイオスに私は騙されたのよ」
「そうかー。見る目がなかったのだな。やっぱりお前はバカだな!」
「あ、あんたねえ。普通こういう時には慰めるでしょ? そんな男と結婚しなくて良かったとか、男は星の数ほどいるとか。それを何? あんた。騙された私が悪いと言いたいの?」
「うん。騙される方が悪いゾ!」
もちろん、ヒューマンが好きな道徳というやつでは、騙す方が悪で、騙される方が善だとされていることは、ナミルも知っていた。
確かに理屈としては分かるのだが、馬鹿真面目に『騙す方が悪いんだから、騙されても仕方ない』と考えているようじゃ成長がないと思う。
ナミルをドラゴンの生贄に選んだクジは、今思えば細工されていた。
仲間内の中でも偉い奴や、どうしても集団に必要な技術をもった獣人は、きっと事前にハズレクジの特徴を知らされていたのだ。
でも、幼いナミルはそれに気が付かなかった。
親がいれば、何とか根回しをしてくれたり、気をつけるように教えてくれたのかもしれなかったけど、ナミルにはそういった庇護者はいなかったから。
でも、仲間を恨むつもりはない。
そもそも、ドラゴンが怒ったのは、悪いヒューマンが必要以上に極楽鳥を乱獲したからであり、獣人はそのとばっちりをうけただけで、獣人は悪くないから。
ヒューマンに罪を擦り付けられた獣人が、仲間の中で一番弱いナミルに責任を押し付けて、そういうナミルも、モンスターを狩る時は、一番弱い奴を狙うし、その弱い奴もきっと捕まえやすい弱い虫を狙って生きながらえていたに違いない。
ナミルが仲間を憎むなら、ナミルはモンスターから憎まれなきゃいけなくて、あれこれ考えると、誰が善で悪かに悩むのはすごく馬鹿らしいことのように思えてくる。
覚えていなきゃいけないルールは、ただ一つ。
『狩るか・狩られるか』。
そのきまりだけはどこでも変わらない。
「で、でも、それだけじゃないのよ。新郎が浮気してた同僚の女が上司に媚びるの上手い奴でさ。なぜか私の方が悪者にされて契約を切られたのよ。分かる? 首よ! 首! ノージョブ!」
女がむきになったような早口でナミルに迫る。
「その仕事がどんものかは知らないけれど、仲間内で外せないようなスキルを持っていれば、追い出されないはずなのだ。もし、その女とお前が似たような力しか持ってなかったなら、味方してくれる奴が多い方が強いのは仕方ないのだ」
「じゃあ親は!? 妹が私の彼氏を寝取っておきながら! 親は、あんたが変な男を連れてくるから悪い! なんて言うのよ! これも全部私のせいって訳?」
「ナミルの親は、ナミルが生まれた時に死んだから良く分からないのだ」
ナミルはそう言って首を傾げた。
「もおおおおおおおおお! なんなのよおおおおおおおおお! あんたああああああああああああああああ!」
女が立ち上がって、肩を怒らせて叫ぶ。
ナミルとしては当たり前のことを言ってるだけなのに、なんでこんなに興奮しているのだろう。
「あんまり叫ぶとお腹がすくだけでいいことないゾ。でも、安心するのだ。ナミルはお前の願いを邪魔するつもりはないのだ。さあ、さっさとテントから出ていくのだ」
ナミルは女からジャンの上着をはぎ取って、彼女が元着ていた服を投げつけた。
「え?」
「お前は死にたいのだ? だったら、早く外に出ればいいのだ。凍えて死ぬなり、山から滑り落ちて死ぬなり、好きにすればいいのだ」
ナミルはそう言って、皮の隙間を開け、外を指し示す。
途端に吹き込んでくる寒風からは、死の臭いがした。
助けを求めてくる人間なら、ナミルはなるべく助けたいと思う。
でも、本当に死にたいと思っている人間を、止めるのはいけないことだ。
もちろん、誰かが死ぬのは悲しい。
できることなら生きていて欲しいと思う。
もし、戦場で死に場所を求めていた仲間たちを『生きて欲しいから生きてくれ』なんてふざけた理由で引き留めていたら、きっと逆にナミルの方がぶっ殺されていたはずだ。
彼らはきっと、ナミルに問うただろう。
『お前は俺たちに戦場以上の何かを与えられるのか?』、と。
「そ、そりゃ死ぬわよ。死にたいけれど、じ、自殺にはねえ。勢いってものが必要なのよ。こんな風に中断されたら、困るのよ。もう一回どうやってテンションをあげればいいのよ」
女は急に縮こまり、ごにょごにょ言葉を繰り始める。
「失礼ですが、一言よろしいでしょうか」
「何よ。ハーレム男」
口を開いたジャンを、女がにらみつける。
「あなたの自殺願望が虚言だとは言いません。でも、それは100%の強固なものではないはずです」
「なぜそう言い切れるの?」
「富士山の一番メジャーな登山道の傍らで身を横たえていたからですよ。自殺したいなら、同じ富士山でも、青木ヶ原樹海とか、人に見つかりにくて死にやすい場所がありますよね。なぜ敢えて富士山を選んだんですか?」
「私がかまってちゃんだって言いたいの? 冬山を選んだのは、凍死が楽で気持ちいいって本に書いてあったからよ」
「それは富士山を選ぶ理由にはなりませんよ。樹海でも凍死はできるでしょうし、確実性でいえばもっと寒い北の方の山を選べばよかったんじゃないですか」
「ええ。そうね。……正直に言うとね。そこまで深く考えてた訳じゃないわ。山っていうと富士山ぐらいしか思いつかなかったのよ。うふふ、確かにその子の言う通り、私って馬鹿ね」
「そうですか。やはり、あなたの心のどこかに、生きたいという思いは残ってるんですね」
「だからどうしたって言うの? もしかして、1000人のおまけで私を嫁にしてくれるとでも言うつもりかしら?」
「いえ。ただ、個人的に気になったから尋ねただけです」
「はあ。全く揃いも揃って変わった人たちね。わかったわ。今日の自殺は止めてあげるから、救助隊を呼ぶなり、下山させるなり、好きにしなさいよ」
「いえ。俺たちはこのまま山を登ります」
「え?」
女が間抜けな声を出した。
ナミルも意外な思いで目を見開く。
ジャンなら女を連れて下山すると言い出すと思っていた。
でも、ジャンがこういうナミルの予想外のことを言い出す時は、絶対何か考えがあってのことだ。
「事情があって、俺とナミルがこうして一緒に山登りをできる機会ってそう多くないんです。初対面のあなたのために、貴重なデートの機会を潰す訳にはいきません」
ジャンはきっぱりと女にそう宣言した。
「……言ってくれるわね。分かったわよ。勝手に行きなさいよ」
「話は最後まで聞いてください。俺はあなたをここに置いておくとは言っていません。山登りをやめるつもりはない、と言っただけです。もし、あなたが俺たちについてくるというなら、できる範囲で面倒は見ます」
「それってつまり、私にも山に登れって言いたいの? 普段着の私に?」
「道具ならありますよ。ほら」
ジャンはそう言って、背負いカバンから、登山用の服と、杖と、靴一式を取り出した。
「何でこんなの持ってるのよ」
「俺が所有している会社の製品なんです。そのテストのために持ってきていたんですよ。ラッキーでしたね」
これは嘘だ。
ジャンが今、魔法で登山道具を作り出したのだ。
その程度、ナミルのツガイには朝飯前なのである。
「でも、私、山登りなんてしたことがないし、運動神経だって悪いし……」
「何を迷っているのだ? お前は元々死にたくて、失敗しても最悪死ぬだけなんだから悩むことないのだ。ここから先、お前が経験することは全部丸儲けだゾ! それとも、実は死ぬのが怖いのか?」
言い訳する女を、ナミルはわざと煽る。
今までの反応から見て、この女は馬鹿にされた方がやる気が出るタイプみたいだから。
「こ、怖くないわよ! 上等じゃない。私が死ぬ時は、思いっきりひどい死に方をして、あんたらにトラウマを植え付けてやるから!」
女はそう言って、身体を震わせながら、ジャンとナミルを交互に睨みつける。
「じゃあ、もうちょっと休んだら出発しましょう。俺が先導しますから、あなたは俺の後に。ナミルは最後尾でこの人をサポートしてくれるか?」
「任せておくのだ!」
ナミルは胸を叩いて請け負う。
ジャンの目的はわからないが、ツガイの役に立てる。
とにかくそのことが嬉しかった。
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