13嫁 大賢者ソフィア(5) 初恋の味
(……口下手で貧乳なヒロインが少年マンガの主人公と結ばれる可能性は非常に低い)
記憶魔法を使っていくつものマンガを読破したソフィアは、そう結論を下さざるを得なかった。
ソフィアが感情移入できるようなヒロインは、少年マンガというカテゴリにおいて大抵脇役であり、物語の主人公をかっさらっていくのは、大体能弁でコミュニケーション能力の高く明るい女子である。
確かに現実でもその手の女子の方が需要があるのが事実だが、戦闘シーンはご都合主義的な論理で済ませるくせに、変なところでリアリティがあるのがいやだ。
(……かといって、女性向けのマンガの主人公には感情移入できない)
こっちは男性とは逆に、『自称平凡』な女子が複数の美男子に言い寄られて困っちゃうな話が多かったが、やはりこちらもコミュニケーション能力は普通か高めな女子が多かった。
「んー。結構時間経ったな。そろそろ飯にするか」
一シリーズを読み終わったジャンは大きく伸びをする。
「同意する」
ソフィアはぐったりとして頷いた。
研究の進展という意味では非常に有意義な時間だったが、虚しさがつきまとうのはなぜだろう。
「どこにする? 前にアキハバラに来た時に行った牛丼屋のサンバとかどうだ?」
「なるべく移動したくないし、マンガをもう少し研究したい」
ソフィアは首を横に振った。
前にジャンと行った牛丼屋の食事は確かにおいしかったが、ソフィアにとってはめんどくさくないことが全てに優先されるのだ。
「じゃあ、このマンガ喫茶で出てくるフードメニューでいいか? せっかくチキュウまで来たのに味気ない気もするが」
「いい。なんでも」
ソフィアは食事にこだわりなどなかった。
脳を動かすのに必要な栄養素が補給できれば何も不満はない。
「じゃあ適当に注文するぞー」
ジャンが部屋に備え付けられた板――電子パネルに触れて、オーダーする。
一々店員と会話を交わさなくても注文できるなんて、本当にチキュウのシステムは素晴らしい。
「失礼しまーす。ご注文の品お持ちしましたー」
ソフィアが適当にマンガを読んでいると、店員がやってきた。
メイドの格好をしてはいるが、王宮にいるそれと違って、その間延びした声に知性や品性は欠片も感じられない。
というか、スカートの丈が短すぎる。
「ありがとうございます」
ジャンはパソコンのおいてあるテーブルからマンガをどかし、スペースをつくる。
「ではこちらの『初恋オムライス』ですがー。当店のサービスでー、魔法の呪文で愛情を込めさせて頂いてるのですがー、ここでやらせて頂いてもよろしいでしょうかー」
「あ、はい。じゃあお願いします」
ジャンが頷く。
「ではご一緒にー。パイポパイポでハイパードリーミン! ラブラブキュン!」
「ラブラブ――キュン?」
ソフィアは無視したが、ジャンは律儀に付き合っていた。
全くうんこみたいな詠唱である。
こんな中身のない詠唱で魔法が発動したら苦労しない。
「はーい。これでラブパワーが注入されてさらに料理がおいしくなりましたー。ではごゆっくりどうぞー」
メイドもどきが去っていく。
「じゃあ食べるか」
ジャンが適当にオムライス――味付けした米を卵でくるんだ料理――を小皿にとって、ソフィアに渡してくる。
スプーンで掬って口に含む。
若干味が濃い気もするが、卵に米を合わせればハズレがあるはずもなく、普通におしかった。
しかし、一つ疑問なのは――
「……どのへんが初恋?」
「さあ? ニホンでは『初恋=甘酸っぱい』ということになってるらしいから、オムライスにかかってるケチャップの酸味と甘みが初恋の味ってことなんじゃないか」
「なんか雑。オムライスが関係ない」
「そういうもんだろ」
ジャンは特に不満もなく、黙々とオムライスを口にしている。
「……ジャン」
「なんだ?」
「ジャンの初恋の味は?」
ソフィアはふと気になって尋ねた。
ソフィアたちの世界では、初恋を味に例える風習はない。
純粋に今、世界の頂点に君臨するジャンが初めて好きになった人物が誰か、興味があった。
「――おいおい。それをお前が俺に聞くのか?」
一瞬固まったジャンが、『心外だ』とでも言いたそうな顔で、ソフィアを見返してきた。
「どういうこと?」
「……はあ。俺の初恋の味はお前に決まってるだろ。ソフィア。言わせんなよ恥ずかしい」
「嘘!」
真顔で言うジャンに、ソフィアはブンブンと首を横に振る。
「今更嘘ついてどうすんだ。なんだ? もしかして、マジで気が付いてなかったのか?」
「……だって、ジャンが私と結婚したのは、お互いに利用価値がある契約関係が成立するからでしょう?」
「そんなの口実に決まってるだろ。いやー、今思えばださいよな。素直に好きだって言うのが恥ずかしくてさ。何かと理由をつけなきゃ、告白一つできなかった。言い訳に聞こえるかもしれないけど、まあ、あれくらいの年齢の男なんて誰しもそういうものだよ」
ジャンはそう言って、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「――私のどこが良かったの?」
ジャンの周りには、ソフィアよりかわいい子がいくらでもいた。
自分のような、根暗で口下手で、生意気な人間をジャンが好きだったなんて、にわかには信じられなかった。
「どこ? んー、なんていうか、お前は俺と一緒にいても、本当に自然体だったからな。俺がどんな立場だろうと、どんな力を持っていようと、全然遠慮とかしなかっただろ? なんでも対等に話せるお前が、俺にとってはすごく新鮮で、ありがたかったよ」
(……ああ。そうか。ジャンも自分と同じだったんだ)
ストンと腑に落ちる。
ソフィアがそうだったように、生まれながらの天才だった彼もまた、心のどこかに孤独を抱えていたのだ。
持たざる者の気持は、持たざる者にしか分からない。
同様に『持っている』者の気持は『持っている』者にしか分からない。
ジャンの周りには彼を支える女性がたくさんいたけれど、それでも、ソフィアを理解できる人間がジャンしかいなかったように、ジャンを理解できる人間もまたソフィアしかいなかったのだ。
「……私もジャンのことが好きだった」
「そうか? ならよかった。いくら俺から持ち掛けたとはいえ、単なる老害教授の魔除けの身代わりゴーレム扱いだったら、さすがにちょっとショックだったぞ」
ジャンはほっとしたように笑う。
(……誰がなんと言おうとジャンの初恋の相手は私。それは未来永劫揺るがない)
厳然たる事実に、たとえようもない幸福感に包まれる。
もちろん、それは過去のことで、今彼の心の中にいる女性が誰なのかは、ソフィアには分からない。
現在進行形のその答えはすごく気にはなるけど、尋ねるつもりもなかった。
だって、今千人を超える嫁を抱えるジャンにその質問を投げかけても、彼を困らせてしまうだけだと、成長した今のソフィアは知っているから。
そんな配慮をするくらいには、ソフィアは彼を愛してしまっている。
「はい。ジャン。あーん」
ソフィアは唐突にオムライスをスプーンで掬って、ジャンの眼前に差し出した。
「どうしたんだ? いきなり?」
「今日は結婚記念日だから。恋人同士はこうやって愛を確かめるものだって、マンガから習った」
怪訝そうな顔をするジャンに、ソフィアは無表情で告げる。
赤くなる頬を、心の中で詠唱した氷の魔法で必死に抑えて、さも当たり前のように。
「そうか。ソフィアは本当に勉強熱心だな」
ジャンはそう言って笑いながら、大口を開ける。
(マンガは素晴らしい。だけど、所詮、『私』の物語じゃない)
そう。いくら、自分に似たようなヒロインたちが敗北を喫しようと、この恋の結末は、まだ決着がついてはないのだ。
だから、ソフィアはゆっくりとスプーンを彼の口元に運ぶ。
表紙で笑う快活そうなヒロインたちに、今の自分の幸福を見せつけるかのように。
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