第72話 起床と出立と

 ──翌日の早朝。



 昨日まで辺りを支配していた黒煙や塵旋風は完全に消え去り、かつてレコロ村があった場所は清々しいほどに透き通った青空から射す朝日に照らされている。


 トレヴォンによる破壊の跡もハキムを中心とした騎士たちが魔法、或いは人力で片した事により『焼畑農業だ』と見做せば納得できるくらいにはなっていた。



 それが、良いか悪いかは別として。



 そんなレコロ村跡地にて【土創クリエイト】で創った簡易的な小屋の中で一晩を明かした二組の双子はといえば。


「──ん、んん……くあぁ……」


 相も変わらず早寝遅起きなスタークをよそに、フェアトは世辞にも寝心地が良いとは言えない野営用の寝袋から起き上がりながら、ぐーっと背伸びをする。


(姉さんは……まだ寝て──あれ、あの子たちは?)


 小さな窓──硝子もない吹きさらしの──より射し込む朝日から目を逸らし、ほんの少し離れた位置で寝息を立てて眠る姉を微笑ましげに見つめつつも、そんな自分の視界に二体の仔竜が映らない事を不思議がってきょろきょろと小屋の中を見回そうとしたその時。


『『りゅー!』』


「っと、おはようございます。 早起きで偉いですね」


『『りゅっ♪』』


 どうやら、すでに目覚めていたらしい小さな竜の姿のパイクとシルドが飛び込んできた事で、フェアトは二体をそっと抱きとめながら朝の挨拶をし、それを受けたパイクたちはニコニコと笑って一鳴きする。


 その後、シルドが行使した【水球スフィア】から掬った水で顔を洗い髪を整え、パイクが行使した【ウェイブ】と呼ばれる属性に応じた波を発生させる魔法に風を纏わせ顔と髪を乾かしてから姉を起こさないように小屋を出る。


 もちろん、シルドを四つの指輪に変えた状態で。


 小屋の外では、おそらく交代制なのだろう騎士たちが野営地を取り囲むような形で立哨しており、フェアトが小屋から出てきたのを視認するやいなや、その騎士たちは性別も年齢も問わず彼女に敬礼をし始める。


「……? お、おはようございます……?」


「「「おはようございます」」」


 その瞳に心なしか畏敬の念がこもっているようにも感じ、フェアトは会釈をしつつ歩を進めながらも『何をそんなに畏まっているのか』と困惑し通しだった。


 フェアトが向かう先には、すでに起床しハキムを始めとした騎士たちとともに出立の準備を進めているクラリアがおり、そんな彼女の顔色は昨日までと比べれば随分と良くなっているようにも見受けられる。


 朝日に照らされているから、かもしれないが。


 そして、フェアトが近づくにつれ騎士たちも彼女に気がつき、やはり先程と同じように敬礼をし始める。


 戦馬せんばの蹄鉄の確認などで腰を下ろして作業していた者も、わざわざ立ち上がってまで畏まってしまう。


 そんな義務など存在しないというのに。


 一方、騎士たちの動きでフェアトの接近を察したクラリアとハキムは敬礼などせず彼女に歩み寄る。


「おはよう、フェアト。 よく眠れたかな」


「……えぇ、まぁ。 おかげさまで」


 まず間違いなく顔色は良くなっていたが、ほんの少しだけ痩せたようにも感じるクラリアからの朝の挨拶に対し、フェアトは至って控えめな声音で返答した。


 姉がやった事が原因とはいえ、それに自分が加担していた事もまた覆しようのない事実であったから。


 若干だが居た堪れない気持ちになってしまったフェアトは気まずげに、もう一人の騎士へと視線を移す。


「……あの、ちょっと聞きたい事があるんですが」


 そのまま話題を変えようと、ハキムに対して『貴方の部下たちの態度が』という旨の質問をしようと。



 ──した、その時。



「あいつらの態度についてか?」


「え? え、えぇ。 どうしたんですか、あの人たちは」


 そんな彼女の声を遮ったハキムの問い返しの内容が完全に自分の質問と一致していた事で、フェアトは少し驚きつつも首肯して彼の二の句を待つ事にした。


「どうしたも何も……あいつらは、お前ら二人を尊敬してんだよ。 かつて俺らが手も足も出なかった奴を相手に大立ち回り──ま、ああいう態度にもなるわな」


 ハキムが言う事には、かつて魔王を討ち倒したほどの勇者や聖女でなければ勝てなかった元魔族を、たった二人の少女が自分たちを主導して斃してみせた、その事実を騎士たちは思った以上に重く受け止め、そして何よりも深い深い畏敬の念を覚えているのだとか。


「尊敬って……姉さんはともかく、私は何も──」


 だが、フェアトは姉からの提案を受けて二つ返事で了承し、それを完遂する為にシルドの魔法で騎士たちの【盾】としての役割を果たしていただけだと考えており、リゼットを見殺しにした事を責められこそすれ尊敬などされる謂れはない、と口にしようとするも。


 クラリアは、『そんな事はないさ』と割って入り。


「スタークの働きは当然ながら素晴らしいものがあったが、それ以前にフェアトがいなければ私たちは大した足止めもできずに全滅していただろうからな」


「それは……そうかもしれませんが……」


 実を言うと、フェアトの──というよりシルドの働きは思った以上に大きく、クラリアを始めとした騎士たち十数名だけでは一撃や二撃で崩れていただろうところを、その【盾】としての魔法があったからこそ何とか持ちこたえる事ができたのだと明かしてみせた。


 本来、序列二十位程度であれば神晶竜の魔法が劣る筈もなく、また拮抗などしよう筈もないのだが、あいにく二体は世界最古にして最強の魔物の──転生体。


 まだまだ幼い仔竜もいいところなのである。


 それを活かしきれずに苦戦を強いてしまったのは紛れもなく自分であり、ますます騎士たちから尊敬などされるわけにはと考えていたフェアトだったが──。


(……ちゃんと私たちが終わらせていれば、あんな事にはなっていなかったのに……この人は、どこまで)


 そもそも、『最初の邂逅の際にトレヴォンを仕留めきれていれば』という事実を一向に追及しないクラリアの優しさに気がついて、ふるふると首を横に振り。


「……そう、ですね……分かりました。 みなさんからの感謝や畏敬の念、ありがたく頂戴する事にします」


 昨晩、姉がそうしていたように彼女も『人の死』というものを重く受け止め、その決して小さくない胸の前で拳を握りつつ軽く微笑み、そう口にしてみせた。


「あぁ、そうしてくれ。 さて──総員、手を止めるな! これ以上の遅れを出すわけにはいかないぞ!!」


「「「はっ!!」」」


 それを受けたクラリアは満足そうに頷いた後、未だに敬礼していた部下たちに出立の準備を急がせる為に檄を飛ばし、そんな団長の号令で彼らは作業に戻る。


 ハキムも同じく作業に戻っていく中、姉が起きたかもしれないと小屋に戻ろうとしたフェアトを──。


「──フェアト。 すまない、少しいいだろうか」


「? はい、何ですか?」


 クラリアが遠慮がちに制止した事で、フェアトが流麗な金色の髪を揺らして振り向き、立ち止まると。


「……君たち二人は、この世界に蘇った二十六体の魔族、並び立つ者たちシークエンスを倒す為の旅をしているとスタークから聞いたんだが……間違っているか?」


「!」


 フェアトにだけ聞こえるかどうかという小声で、クラリアが並び立つ者たちシークエンスについて、おまけに自分たちの旅の目的についても触れてきた事でフェアトは少し驚くも、フルールが信用する相手だからこそ姉も目的を明かしたのだろうと考えて気持ちを落ち着かせる。


「間違ってませんよ。 ちなみに、残り二十三体です」


「そ、そうか。 凄いな……っと、その事なんだが」


「?」


 そして、フェアトが逸る鼓動を鎮めてから彼女の言葉を首肯しながら、トレヴォン以外にも二体が命を落としていると告げると、クラリアは双子を称賛してから本題に入ろうとしつつ自分の懐に手を入れ始める。


 そんな彼女の行動の意味が分からずフェアトが首をかしげる中、クラリアは何らかの紋章が刻まれた首飾りを取り出し、『借り物なのだがな』と告げてから。


「この事を、陛下に報告してもいいだろうか? 昨日スタークに聞いたら、『フェアトに聞いてくれ』と言われてな……もちろん、君たちの素性は隠しておく」


「国王陛下に……? んー……そう、ですねぇ……」


 その紋章──水晶が先端に付いた二本の杖が五芒星の後ろで交差しているような意匠──が魔導国家における王家の印だと明かしたうえで、ここで起きた事の顛末とともに並び立つ者たちシークエンスの復活を王に報告してもいいかと問うた事により、フェアトは黙考し始める。


 ちなみに、ヴァイシア騎士団の紋章は別にあるようで、クラリアの籠手や剣の鞘には三本の長剣が盾の後ろで交差しているような意匠の紋章が刻まれていた。


 一方、思考の海に沈んでいたフェアトはといえば。


(どのみち、レコロ村壊滅の話は王都にも……おそらく港町にも行き渡る。 それを誰がやったかなんて隠し切るのは難しいだろうし、そんな事をさせるのは……)


 どう足掻こうと村が一つ壊滅した事は事実だし、おまけにその村が王都と港町の中継地点である事を考えると、ここで拒否しても無意味だと踏んだ事も騎士団に虚偽の報告をさせるのは忍びないという事もあり。


「……いいですよ、報告しても」


「っ、そうか! ありがとう!」


 母との約束を破ってしまう事になる為か多少の葛藤はあったようだが、ゆるりと首を縦に振って了承した事で、クラリアは顔を明るくさせて謝意を述べた。


「それじゃあ、私は姉さんを起こしてきますね」


「あぁ、もう間もなく出立だからな──『頼むぞ』」


 その後、話が終わったと判断したフェアトが踵を返して『そろそろ起きるでしょうし』と告げると、クラリアも同じく踵を返しかけて──そこで足を止めてから少しだけ声音を低くさせつつ、そう口にする。


 それを受けて頷いたフェアトは、クラリアの視線を背中に強く感じながらも小屋へ戻って、すやすやと寝息を立てて眠る姉を真剣な面持ちで見下ろしており。


(……『頼むぞ』、か……あんなに短い言葉をあんなに重く感じたのは初めてな気がする。 責任重大だね)


 頼むぞ──その、たった一言に込められた様々な想いをフェアトは重々に理解していたからこそ、また同じ轍を踏む事態にならぬように最初から魔法を使う。



 ──だからこそ。



「──っい"ぃ!? い"ってぇえ"ぇええええっ!!」


「「「!?」」」



 出立の準備を完全に終えて騎乗さえ始めていた騎士たちが思わず抜剣し、そこに魔力を充填し始めてしまうほどの悲痛な少女の叫びが聞こえてきたのだろう。

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