第32話 大陸一の処刑人

 ──ごとっ。


 そんな鈍い音を立てて処刑台に再び身を投げ横たわったイザイアスは一瞬、自分に何が起こったのかを理解できずに呆然としてしまっていたが──。


「っあ"ぁ──がぁああああああああっ!?」


 瞬間、視界が真紅に染まるだけならまだしも、追い討ちでもかけるかのように全身を──いや、正確には切り離された上半身を強烈な痛みが襲い、イザイアスは今世では初となるに絶叫する。


 先程までとは異なる余裕を感じさせない悲鳴にも似た叫びを聞いても、その身体からどくどくと流れ出る真っ赤な血を見ても、ヒュティカの民衆やクラリアを始めとした騎士団に溜飲が下がっている様子はない。


 一体、何が起こって今の状態になったのか。


 スタークやフェアトまでもを含め、この場にいた全ての者はそんな疑念に支配されてしまっていたから。



 ──たった一人を除いて。



「……あいつ、真っ二つになってんぞ」


 そんな中、今にも駆け出さんとしていたスタークが足に込めていた力を緩めつつ、今もなお轟き続けている咎人の絶叫に眉を顰めながら首をかしげる中で。


「……私は、てっきり姉さんの仕業かと思ったんですけど……その反応だと違うみたいですね」


「そりゃそうだろ、あたしは何もしてねぇよ」


 どうやらフェアトは姉が自分の目を掻い潜って、あの咎人を剣と化したパイクで両断したのかと考えていたようだが、スタークとしては『いくら何でも』と言わんばりに表情を崩さぬまま首を横に振るしかない。


「……パイク、シルド。 念の為に聞きますが──」


 その一方、姉でないならと考えたらしいフェアトは持ち上がったままの左手に嵌められた指輪と、スタークの腰に差さっている剣を交互に見遣って『貴女たちじゃないですよね』と問いかけようとするも──。


『りゅー、りゅー!』


『りゅっ!』


「ですよね……じゃあ誰が」


 パイクもシルドも今の姿を保ったままの状態で鳴き声を上げ、『違うよ』『別の誰かだよ』と二体が言いたいのだろう事が何となく伝わったフェアトは、うんうんと納得したように頷きながら視線を戻した。


 そんな折、誰よりも近くでイザイアスの身体が両断された場面を垣間見るも、クラリアとしてもさっぱり原因が分かっておらず困惑していたのだが──。


「な、何が起こ──っ! まさか……!!」


 どうやら目の前で起きた現象に何らかの心当たりがあったようで、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していた彼女の視界に──目当ての人物が映り込む。


「やはり、貴女だったか……!」


 ほぼ完全に晴れていた土煙の向こう──より正確に言うのであれば、今この瞬間も横たわったまま苦痛の悲鳴を上げ続けているイザイアスを跨いだ向こう側に立っていたのは、おそらく女性だろう体型の何某か。


 おそらく──というのは性別を判断するうえで最も分かりやすいと言える顔がフードで隠れているからであり、そのフードが付いた真紅の外套の豊満な胸の部分を見て初めて女性だと分かるくらいの人物である。


 その腰には、イザイアスを両断するのに使用したのだろう剣が鞘に納められた状態で差さっていた。


「すまない、結局は貴女に頼っ──」


 一向に口を開く様子のない女性に、クラリアが申し訳なさを前面に押し出した表情で近づこうと──。



 ──した、その時。



 無様にうつ伏せで横たわる自分の後ろに誰かが立っており、その誰かこそが自分を両断したのだろうと察したイザイアスは、今なお苛烈な痛みの襲う上半身を腕だけで動かしながら後ろを振り向いて──。


「ぐ、ぞぉおお……っ!! 誰だぁああああっ!? この俺を、ごんな目に遭わせやがる、の、は……?」


 およそ百八十ほどの自分の身長と殆ど同じであるようにも思える、極めて背の高い女性を下から見上げた事でフードに隠れた顔が見えたようだが、そんな女性の顔を見た瞬間イザイアスの思考が完全に停止する。



 それこそ──痛みを忘れてしまうほどに。



「お"、お前……何で、お前が──」


 口から『ごぼっ』と溢れ出る多量の血液もお構いなしに、イザイアスが女性に何かを問おうとした時、今の今まで避難していたヒュティカの民衆たちが──。



『え……あれって、もしかして……!』


『そうよ! 間違いないわ!』



 口々に外套姿の女性についてのコソコソとした話を始め、その推測は続々と──確信へと変わっていき。



『来てくれたんだ……! 大陸一の処刑人──』


『──“セリシア”様だ!!』



 誰かがその女性の職業であるらしい【処刑人】という単語と、このヴィルファルト大陸で最も優れた処刑人だという確かな評価を口にし、そして別の誰かがその女性のものであるらしい名を口にした──その時。



『うおぉおおおお! セリシア様ぁああああ!!』


『やっぱり、あの方は正義の使徒なんだわ!』


『セリシア様ぁああ! 素敵ですぅうう!!』


 

 どうやら、ヒュティカの民衆は誰しもが彼女の事を知っていたようで、ヴァイシア騎士団が姿を現した時よりも、そしてイザイアスへの刑罰を発表した時よりも彼ら、或いは彼女らは大いに沸き立っていた。



 しかし、その一方で──。



「セリ、シアぁ……っ!!、か……! ご、がはぁ……っ、お前、も、と同じ、に──」


 そんな民衆たちの嬉々とした表情や声音とは随分と対照的に、イザイアスはこの世の悪感情が全て内包されているのではと思えるほどの表情とともに、何やら意味深な台詞を吐血しながらこぼしていたのだが。



「──っあ"」



 次の瞬間──セリシアと呼ばれた女性が全く動いていないにも関わらず、もはや原形すらとどめないほどの細切れにされ、『どちゃっ』という水音が響く。



 あまりに一瞬の出来事に民衆は騒ぐ事もやめて処刑台の方を見入っていたが、セリシアが溜息をこぼしつつ完全に事切れていたイザイアスの破片を見下ろし。



「──愚か者が」



 極めて小さく──されど、この場に居合わせた全員の耳に確かに届く低い声音でそう呟いた途端、民衆は再び沸き立ち一斉にセリシアを称賛し始める。


「……おいおい、終わっちまったぞ。 あたしら何にもしてねぇのに、こんなあっさりでいいのか?」


 咎人が死んだ事への歓喜、或いは犠牲者が戻ってこない事への悲哀といった民衆の声の中で、スタークは肩透かしをくらったとばかりに髪を掻いていた。


 しかし、フェアトは左手が不自然に持ち上がったままの姿勢で右手を顎に当て、何かを思案している。


「……あの男に関しては、そうなんでしょうけど」


「あ? どういう──ん? パイク……?」


 そして、自分でも確信には至っていないらしく曖昧な呟きをした妹に、スタークが首をかしげて問い返そうとした時、腰に差した剣──パイクが反応する。


 そう、おそらく並び立つ者たちシークエンスだったイザイアスは死んだ筈なのに──パイクとシルドは未だ何かに反応してフェアトの手を持ち上げたり、スタークの腰に剣として差さったままカタカタと震えているのである。



 それも──イザイアスの時よりも強い反応を。



「……まさか、とは思うが」


「そのまさかだと思いますよ。 多分、あの人も──」



 スタークとしても、『こんな早くに』と思わずにはいられない為に、おずおずと妹に話を振るも、どうやらフェアトはほぼ確信しているようで、持ち上がった左手の先、クラリアと握手しているセリシアを見て。



「──並び立つ者たちシークエンスです」



 確かな声音で──そう呟いた。

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