第15話 クラクション
「ご主人様いってらっしゃーい」
「また洗濯と掃除頼んだからな」
「りょーかい!」
あの日、今泉が告白してから一ヶ月以上が経とうとしている。
肌に当たる風が冷たく、樹々も葉を落とすそんな季節。
二人は相も変わらず不思議な共同生活を送っている。
そんなある日の出来事。
今泉は晩ご飯を食べた後、ジンに話しかけた。
「ジン、ちょっと良いかな?」
「なんです? ご主人様」
普段、わざわざ了解を得て話し出す間柄ではない。
そこに違和感を覚えたジンは少し不思議な表情を見せた。
「俺さ、明日休みだろ? 久しぶりにどこか行きたいなーって思ってるんだけど」
「……え!? 本当か!?」
「特にどこに行くとかは考えてないんだけど、たまの息抜きって言うかさ」
「でも、本当に良いのか……?」
ジンは今泉の提案に喜び半分、申し訳なさ半分だった。
それは、前に二人で出掛けた時の話。
オムライス店に並んでいる時に後ろ指刺されたことを、未だに心の傷として負っている。
それからはジンは外に出る事はなく、今泉も仕事と買い物以外は外に出る事がなくなっていたのだった。
「ジンだって家の中ばっかりで、たまには外の空気とか吸いたいだろ?」
「それはそうだけど……」
「じゃあ、決まり! 明日は目的のない散歩をしよう!」
今泉はあまり浮かない顔をしているジンを、半ば強引に納得させ明日の予定を決めた。
二人は楽しみと不安が入り混じりながら、眠りにつく。
翌朝、二人は起きた後少しのんびりしていた。
今まで出かけてこなかったせいなのか、これがスタンダードになっている。
しかし、今日はいつもとは違う。
二人は重い腰を上げ、ジンは久しぶりに外出用の服に身を包み外へ出た。
外の空気は寒く、とてもよく澄んでいる。
ジンは外に出るなり大きく深呼吸をした。
それを見た今泉も、真似をして深呼吸をする。
「やっぱり外の空気は美味いな」
「なんかジンと一緒に外にいるの変な感じするわ」
「それは……俺様も同じだ」
「それじゃあ行くか」
そう言うと今泉はジンの手を取り歩き出した。
驚きを隠せないジンは、その手を振り払おうとする。
「嫌……だったかな」
「そんな事はない! ただ……またこの前みたいに思われたらご主人様が」
「別に良いんだ、どう思われたって」
「……え」
「俺は自分の気持ちに正直になるって決めたんだよ。だからジンが嫌じゃなければ俺はこの手を離さない」
「……わかった、ならこのままで行こう」
ジンは一度振り払おうとした手をもう一度強く握る。
それに応えるように今泉も強く握り返した。
そこからはただの散歩が始まる。
近くを流れている川を見に行ったり、公園に寄って遊具で遊んでみたり。
近くの小さなショッピングセンターに立ち寄ってはぶらぶらしたり。
この間も二人は手を繋いでいるのだが、周りの人たちの視線を集めてしまう。
ジンはその視線に気が付き、怯えてしまうが今泉はそんな事を気に留めることもせず強く手を握る。
そのおかげか、だんだんとジンも周りの視線を気にする事もなく出かけることができた。
長い一日も久しぶりの散歩であっという間に日が暮れてしまった二人。
ここで今泉がある事を思い出す。
「そう言えば、この前ジンが気になってた所行ってみる?」
「気になってた所?」
二人はしばらく家の方へと向かうとある場所へと着く、
「ここ、気になってたでしょ?」
「おぉー! 大きいお風呂か!!」
今泉が連れてきたのは、銭湯だった。
この時、ジンの手が今泉の手をまた強く握ったのは知らない所に行く不安からだろう。
今泉はそんなジンを引き連れて、受付へと向かう。
大人二人分とタオルの料金を払い、脱衣所へと入っていく。
「ここで服を脱いで、ここに入れて鍵を掛けるんだよ」
「へー、なるほどなー」
少し恥ずかしそうにしているジンだが、気にせず脱いでいく今泉を見てそれを真似る。
そして、二人はロッカーに服を入れ浴室へと入る。
平日の夕方だからなのか、この銭湯のいつもなのか。
客は二人ほどの老人しかいない。
「いろんな人が入るから、まずはここで体を流してから入るんだよ」
「ほうほう」
見よう見まねで蛇口をひねり身体を流し、汚れを落としていく。
その後二人は湯船に浸かった。
大きい湯船に少し熱めのお湯……家の風呂とは違う環境で二人は日頃の疲れを癒す。
しばらく浸かり、身体を洗い浴室から出る。
ロッカーから自分の服を出して着替え、銭湯を後にする。
冬の風は銭湯で暖めた二人の体を一気に冷やそうとしてくる。
「銭湯ってこんなに気持ちの良い所なんだな!」
「ジンが気に入ってくれて良かったよ」
「気に入ったけど外が寒いのがなー」
「じゃあ家まで競争しよう! スタート!!」
「おい! ずるいぞご主人様!!」
湯冷めしないように家までのレースを持ちかけた今泉は、勢いよく走り出した。
それを慌てて追いかけるジン。
二人の距離は縮まり追いつかれそうになった今泉は、横断歩道を渡る。
その時だった……
「危ない!!!」
ジンがそう叫んだ時、今泉は横断歩道の真ん中を赤信号で走っていた。
そしてその声に気づいた今泉は思わず止まってしまう。
そこに近づいてくるのはスピードの出ているトラックだった。
自分の状況に思わず足がすくんでしまい動けなくなってしまった今泉の元に、ジンは駆ける。
鳴り止む事のないクラクションは、今泉にどんどんと近づく。
そしてトラックと今泉の距離が5メートルほど近づいた時、ジンは今泉の元に飛び、抱きかかえながら歩道へと倒れ、トラックはそのまま走り去っていった。
クラクションの余韻はまだ残っている。
「ジン……ありがとう……」
「ご主人様のバカ!!」
「まさかこんなことになるなんて……」
「もう本当にバカバカ!!」
今泉の事を殴るジンだが、突然頭を抱え出した。
「うっ……!」
「どうしたジン! 頭打ったか!?」
「くっ……そうだ……! やっと思い出した……!!」
「思い出したってまさか……!?」
勇敢に今泉の事を救ったジンは、記憶が戻ったようだ。
だが、その表情は苦痛に歪んでいた。
思い出した記憶とは何なのか?
その口からは一体何が語られるのだろうか……
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