ラーメンぬぱ

ひかりちゃん

第1話 あじたま

 あじたまがやってきたよ。あじたまは席に着いた。あじたまは頭をひねった。

 東京湾からフェリーで6時間、絶海の孤島「ぬぱ」にはうつぼが住んでいる。うつぼは元来海に棲むものだけれど、ぬぱのうつぼは島に住んでいる。ラーメン屋があるからだ。

 今日も一羽のうつぼが、あじたまが、ラーメン屋にやってきた。あじたまは「どうして今日はこんなに寒いんだろう」と言った。「星が来るって噂だよ」と店主は答えた。

 店主はうつぼではない。どちらかといえば、牛(うし)だ。牛の店主はラーメンなんか作らず、ごまをすりつぶしている。すり鉢があまりに大きいので、普通のラーメン屋にあるようなタイマーを置くことができない。このラーメン屋は一席しかないし、実はラーメンが出てきたためしがない。

 星が来るのはいつだろう。あじたまは考えた。牛の言うことだからでたらめかもしれない。でも、本当に星が来たら怖いなと思った。何せ、星が来たら最後、ぬぱは沈んでしまうと聞いているからだ。

 柑橘類にはいろいろな種類がある。オレンジ、レモン、ライム、ザボン、そしてこうじ。ぬぱにこうじは生えていない。ぬぱの土壌は粉々になったガラスなので、そもそも植生がない。

 今日もラーメンが出てこなかったのであじたまは店を後にした。人工衛星が日本の天気を監視している。人工衛星というけれど、本当はもっと低いところにあって、たまに飛行機にぶつかってしまうという噂だ。

 小学校の頃もそうだったな、とあじたまは思った。うつぼには小学校はない。でも「くら」があった。あじたまは「くら」のことを小学校だと思っていた。なぜなら、「くら」には本がいっぱいあるし、先生(その多くは馬か羊)もいたからだ。「くら」にいたころ、あじたまはよくかば焼きを作った。大葉のかば焼きだ。以来、ラーメン屋といえば大葉なのだ。クルトンでもいい。

 人工衛星には人が住んでいるという。牛が言うには人は珍しい。人工衛星にしか住んでいない(人が作ったから「人工衛星」と言うのだそうだ)。人工衛星はみかん畑を監視している。作物と天気には関係がある。ここが飛行機とは違うところだ。

 昔、アメリカにサイモンという人がいた。サイモンは石灰質の土壌の上に大きな柱を建てた。柱は天まで届き、人工衛星にぶつかってしまったらしい。ぶつかったことは問題ではなかった。問題は銀杏(ぎんなん)だ。「くら」にも銀杏はあった。しかし、サイモンの場合、七輪のことがあった。つまり、銀杏の煙は天に上り、人工衛星と交配したのだ。それからというもの、ラーメン屋の上空には決まって人工衛星がいる。

 スープの後ろ姿が目に入ったので、あじたまは少ない足をばたつかせて駆け寄った。スープはうつぼではない。牛でもない。狢(むじな)だった。貉とうつぼは古来より共生関係にある。

「人工衛星と言うが」

 スープが言った。

「あれは目玉ではないのかね」

 あじたまは首をひねった。スープは頭が良いので、ときどきあじたまにはスープの言うことが分からなかった。

「目玉というのは、ぼくにもあるだろう。目玉は飛んだりしないよ。少なくとも大気圏内では」

「いや、そうでなくて、柑橘類ってあるだろう? ラーメンにも欠かせないあれだ。聞くに、オレンジというのは目玉だそうじゃないか。つまり作物だ。衛星は作物を監視しているんだ。それゆえ、衛星は目玉なんだ」

 理解はできないけれど、スープの言うことだからきっと正しいのだろうとあじたまは思った。しかし、あじたまは衛星には興味が無かった。あじたまは話題を変えた。

「星が来るらしいね」

 それを聞くとスープは怒ったような顔をした。

「どうせ牛だろう。あんなのはでたらめだよ。だって、星が来たことなんて一度もないんだからね。アメリカには谷があるそうだ。谷ってのは、通信施設なんだよ。ずっとラーメンを作っている。作物とは無縁なところで、ム・ネ・ニ・ク・ノ・シ・コ・ミとずっと呟いているんだ。だからね、星が来るなんてことがあったら、税金がかかるはずだよ。アメリカには谷があるんだからね」

 そんなものか、とうつぼは思った。スープの言うことだからこれも正しいのだろう。それに、星に関しては、あじたま自身来るわけがないと思っていた。

 その晩、うつぼは海に潜って「ほうとう」を探していた。「ほうとう」は「くら」にもよくあったし、「やまなし」にもたくさんあった。しかしぬぱの周りでは見かけたことがない。うつぼの仕事は「ほうとう」を見つけることなのだから、このままでは借金を返せない。

――星が来るなんてことがあったら、税金がかかるはずだよ。

 なぜかスープのその言葉が去来していた。馬にしても、羊にしても、借りたものは必ず燃やしてしまう。空から見えるようにだ。サイモンにしたって、柑橘類を燃やしていた。うつぼには理解できなかった。それでは借りたお金はどうなるのだろうか。税金。星のもとでは燃やすなんて許されないことではないか。

 考えごとをしていたからか、あじたまは「ほうとう」のにおいに気づかなかった。それでも、「ほうとう」は一秒間に二十四回の点滅を行う。どれだけ鈍いうつぼでも、近くに三秒も留まれば気づくだろう。あじたまはただちに「ほうとう」を丸呑みにした。

 海というのはだいたい東京にある。アメリカにはもちろん海はないし、他のところでも海を見たという話は聞いたことがない。いや、例外はある。しかしそういった話は基本的に「だちょう」とセットなのだ。大方、ひと昔前の出版業界において通用していた「ダイヤモンドは二階から吊るされている」といったところだろう。

 そんなわけで、あじたまも衛星があることは疑っていなかった。下ばかりを見ていた。それにしても気づくべきだったろう。ぬぱに「ほうとう」はないのだ。あじたまは「やまなし」にいた。海と「やまなし」のミスマッチが先入観を生んでいた。あじたまはぬぱのつもりで、海底を眺めていた。

「星が来るという噂は……」

 遥かぬぱのラーメン屋で、牛は衛星を見上げていた。

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