第82話 大人しい人でもたまにはキレます

二人がわいわいしている会議場から遁走して、追手を撒いて後。そのまま議事堂のすぐ裏手に存在する、学園へと足を向けていた。

議事堂から軽く歩いて十分足らず、清掃された道を下ること少々。青い鉄門と大きな白い塀に囲われた、魔法学園へとたどり着くのだ。学園周辺にも水路が敷設されており、ちょっとした堀のようになっている。

そのまま警備兵に顔パスで敬礼されながら中へ通される。勝手知ったる学園内なので、二人は迷うこともなく、議長が殺されたという現場へとやってきていた。

場所は門からすぐの中央庭園、噴水塔の天辺。

そこに、引き裂かれた議長の遺体が、晒されていたという。

現場を軽く見聞し、メルは首を振った。


「…放たれたヴァルの残根が微かに感じられますわね。とはいえ、ここはヴァルが滞留しやすいですから、確実とは言い難いですけども」

「そのようですね」


警備兵が駐在しているので、邪魔の心配もなく堂々と現場を見ることができた。尚、警備兵はガッチガチに緊張していたが。

そんな周囲などなんのその、二人はいつものように探索と考察を交える。


「僅かに残された血痕が生々しいですね…」

「ええ…議長、悪い方では無かったですのに…良い方でもありませんでしたけど。優柔不断な人でしたけど、それでもこのような目に遭う理由などありませんわ」

「もっともです」


メルとしては、そこそこに親交があった相手だけに、少しだけアンニュイな様子だ。脳裏に過ぎる困り顔の禿頭に、少しだけ黙祷を捧げた。


「目撃者が居れば宜しいのですけど、おじい様が見つけていない時点で、精霊も認識していなかったと考えるべきですわね。つくづく厄介ですわ」

「では、どうしましょうか。当時の議長の行動に関して、警備兵か、もしくは誰か講師の方へ聞き込みをしてみましょうか」

「そうですわね。ではゲーティオ様へ………わかりました、アタクシがゲーティオ様へ聞いてきますから、その顔をおやめなさい。アタクシは情報を得てから、学園内に結界を張りに行きます。貴方は最近の学園内での不穏な噂などを集めて下さいませ」

「わかりました…それで、メルさん」


ケルトは背後で佇んでいる偉丈夫を指差して尋ねる。


「あの方はどうするんですか?」

「あら、アタクシのお供は貴方だけですわよ。どこぞのクマ男なんて知りませんわ」

「メルさん…」


ツーン、と澄まして言い放つ相手に、なんだかケルトはゲンナリしてきた。子供か。

一方、ラーツェルはいつもどおりの鉄面皮で頷く。


「では、私はこちらの御仁のお供をいたしましょう」

「え…えぇ?よろしいのですか?」

「構いません。姫には護衛なぞ必要ないでしょうから」

「え…仮にも一国の皇女を放っておいていいのですか?」

「問題ないでしょうな。実力がなければ家出などできません。それに」


少しだけラーツェルはメルを見て、小声で呟く。


「いつまでも子供扱いするのも違うでしょう」


その横顔に、少しだけケルトは目を瞬かせる。

一方、聞こえていなかったメルは、ツンケンしながら言い放つ。


「では、そういう手筈で。ケルティオ、夕食前に広間で合流しましょう」


それでは御機嫌よう、とメルは行ってしまった。一瞥もしない。

黒髪を翻して去っていくメルを気にするでもなく、ラーツェルはケルトを促した。


「では、参りましょう。ケルティオ殿」

「あ、はい…キルシュカイア卿」

「そう硬く呼ばれる必要はありません。どうぞ普通に、名前でお呼びください」

「え、ええ…では、ラーツェル、さん。よろしくおねがいします」

「こちらこそ」


なんとも、どこまでも硬い男である。癖でつい警戒気味に緊張してしまうが、仮にもメルのお供で英雄だった男。信頼できるだろう、とケルトは思い直し、少しだけ警戒レベルを緩めた。


「あの、ラーツェルさん」

「はい」

「メルさんの護衛として旅をしたのですよね?それは、どんな道行きでしたか?」

「普通の旅と、さして違いませんでした」

「………」

「……」

(…え、それだけ?)


…のだが、ラーツェルという男は掛け値なしの無口らしく、会話が弾まなかった。


(…く、空気が、硬い…!)


そんなこんなで、ケルトは白騎士と一緒に、学園へ聞き込みに向かっていくのであるが。

冷や汗混じりのケルトの元へ、誰かが足音を立てて駆け寄ってきたのだ。


「あ、あのっ…!!」

「おや?貴方は…」


小さなローブ姿の子供は、はぁはぁと息を切らしながら、にっこりと笑顔でこちらを見上げてきた。


「あの、あなた達が捜査官ですよね?僕、先生に言われて、あなた達の案内をするように言いつけられてるんです」

「先生?」

「あ!先生はサーテュ教授の事です。先生は捜査員の方に、余計な労を取らせないようにって、案内人として僕を使いに出されました」

「ああ、なるほど…」


ニコニコ笑顔の少年に頷くも、しかし少しケルトは怪訝な顔をする。

もともと、メルはこの学園に居たのだから、案内など必要なさそうなものだが。

それに、ケルトはサーテュ教授、という名をすぐには思い出せなかった。


(サーテュ教授…はて、どんな人でしたかね?あと、この子は…)


「少年、君はひょっとして、エルフなのか?」


と、そこでストレートにラーツェルが尋ねた。自己紹介より先に人種へ関して尋ねるあたり、この男にデリカシーを期待するのは無理そうだった。

同じ人種とはいえ、珍しいエルフの長い耳を持つ黒髪の少年は、意外にもあっさりと頷いた。


「はい、僕はハーフのハーフ、クォーターエルフなんです。ここではちょっと珍しいですけどね」

「カルヴァンは基本的に、人間のみで構成されてますからね」


人間種で構成されているデグゼラス帝国では、異人種の台頭は良い目で見られない傾向がある。あくまで貴族などの上流での話だが。それに、他に帰る地を持つ者達は、いつ国を出てしまうかわからない、ということもある。その点、ドワーフのゲッシュが英雄とされている点が、どれだけ凄いのかがわかるだろうか。

ともあれ、怪しい点は無いのでケルトは少年に頷いて、同行を許可した。


「わかりました、それでは宜しくおねがいします…ええと」

「あ、僕の名前は、アズキエルです。どうか宜しくお願いします」


元気よく挨拶し、少年はニコリと笑みを浮かべた。



※※※



「…ふむ、噂というのも多種多様ですが…目立ったものは数個程度ですかね」

「そのようです」


アズキエルの案内で、講義が無い生徒たちの溜まり場まで案内されて、聞き込みを行ったところ、捜査官に関して告知されていたお陰か、すんなりと話が通って情報は集められた。


白の基調で統一された学園内は、どこかの神殿を彷彿とさせるような造りをしているだろうか。カーペットなどの色合いが強調される場所であり、飾りらしい飾りは魔法で保存されている生花くらい。同じように魔法で編まれた薔薇の壁飾りなどが壁を彩り、周囲の白さと相まって格調高さを損なわれないようになっている。とはいえ、優美さとはやや違う感じなので、ネセレ辺りは「かび臭そうなシケた場所だぜ」とでも評するかもしれない。


その廊下で立ち止まりながら、ケルトはメモ用紙にペンを走らせていた。


「1つ目、コルショー教授の不正疑惑。まあ、これは評議会が近い故の噂ですね。それで2つ目がシオル教授とサーテュ教授合同研究の完成品が移送されつつある、と。次の戦争に向けて、錬金術を用いた兵器との事ですが…少し、気にかかりますね」

「サーテュ先生は、錬金術を用いればもっと世の中は便利になると考えているんです。これはその試作品だ、とも言っていました」


魔法の兵器とは…皮肉なことだな、とケルトは内心で嘆息する。時代が悪かったのだろう、と達観するように諦めるしか無い事だが。


「3つ目は、ある教授と女性講師との恋愛疑惑…ま、これもどうでもいい部類の噂ですが」

「どこでも恋愛話は、人の口に上るものです」


頷きつつ肯定するラーツェル。どこか実感の籠もった口調である。


「それで、4つ目が幽霊騒動…白い幽霊を見たって、なんだか場違いですね」


アズキエルの少し怪訝な言葉に、ケルトは肩を竦める。


「まあ、そうですねぇ。魔法士が墓場でエクトプラズムを見る事は儘ありますから、そう珍しい話ではありません…が、しかし白い幽霊とは」


考え込むケルトの脳裏で過ぎるのは、白い老人。

全身、髪まで真っ白なあの老人ならば、夜間に遠目で見れば幽霊にも見えるだろうか。


(クレイビー、ですかね…しかし…)


どことなく違和感を抱くのだ。クレイビーの腕前ならば、姿を隠しきって何かを成すことは可能だろうに。なのに姿が目撃されているというのは、つまり…。


「よほど目立つ場所で何かをしていたのか、或いは挑発か」

「え?」

「いえ、相手は我々が来るのを待っていたのかもしれない、と思ったのですよ」


あの自信過剰な老人のことだ。

カロン老にご執心という点から見ても、追いかけてこ来いというメッセージなのだろう。


(いい度胸です)


ここの議長を殺め、友人を傷つけたあの老人は、ケルトにとっても気に食わない相手だ。

あのニヤケ面に一発ブチかまさないと、気が済まない。


(以前と同じに見ていたら、痛い目を見ますよ。クレイビー・カルネット)


密かに杖を握りしめながら、ケルトは口端を引き締めた。


「…おやぁ?そこに居るのは、噂のケルティオじゃないかぁ!」


と、覚悟を決めている時に背後から聞こえた声を耳にして、ケルトは天を仰いでため息を吐いた。また面倒な奴に出会った、という風情だ。

一方、振り返ったラーツェルが見たのは、取り巻きを引き連れた茶髪の魔法士である。ハンサムだが、その表情はどこか侮蔑に満ちていた。

僅かに眉を顰めるラーツェルを無視して、ハンサムはツカツカと近づいて来る。


「無視とは頂けないなぁ、君は他人と話しをする時は、ちゃんと相手の顔を見なさいと学ばなかったのかな?おっと!すまないね、ちゃんとした教育すら受けていない落ちこぼれの君なんかじゃ、そんな高尚なマナーも知るはずがなかったね!」


ゲラゲラと笑う取り巻き達。

オロオロするアズキエルに、なんだこいつら、という白騎士の目線など気づかぬ様子で、ケルトへ挑発を行っている。

一方、ケルトは面倒臭そうな様子でゆっくりと振り向き、半眼でカーマスを見ながら口を開く。


「…失礼ですけど、どちら様でしたか?」


一瞬の間。


ひくっ、と口端を歪めたカーマスへ、ケルトは畳み掛ける。


「失礼、あまりにも印象に残らなかったので名前を忘れてしまいました。それで、貴方はどちら様でしたかね?少なくとも私の知り合いの中には出合い頭に挨拶もせずに皮肉を飛ばすような常識知らずの無礼者は存在しないと認識していましたので。以上の点から貴方は暫定で知り合いではないのでしょうから、きっと人違いか何かだと思われますのでこれにて失礼します」

「…って待て待て!!逃げる気か!?」

「ちっ」


取り巻きが前方に回り込んだので、虚を衝いての逃走は失敗したようだ。

珍しく舌打ちするケルトへ、カーマスは顎を上げて笑みを浮かべた。


「相変わらず無礼な平民だな、ケルティオ。貴族であるこの僕に、そんな態度をとっていいと思っているのかい?」

「そうだそうだー!」

「頭が高いんだよ!」


やや眉を顰めるも、ケルトは何も言わない。この世界でも貴族と平民には、隔てられない壁があるのは同じだ。

ケルトは形ばかりの礼をしつつ、話題を促した。


「失礼。それで、何か御用ですかね」

「ああ、そうだとも!君なんかの落ちこぼれが、どこをどう間違ったら帝国の捜査官として訪れて来れるのか、不思議でならなくてね!何か良からぬ手段で来たんじゃないのかと訝しんで来たまでさ!」

「だ、そうですよ。ラーツェル卿」

「ら、ラーツェルだって!?」


ケルトが相手を見れば、ラーツェルは無表情でカーマス達へ口を開いた。


「その懸念はご尤も。されど心配は無用です。この方は正式な皇帝陛下の依頼にて、私と共にやって来たまで」

「な、なんで万年落ちこぼれ魔法士が、貴方のような騎士団長と…!?」

「それも皇帝陛下、皇家の命あっての事です」


変わらぬ答えに、カーマスはキッと眦を上げて、ケルトへ食って掛かる。


「…どういう手を使ったんだい?君なんかが、どうして英雄と行動を共にできるんだ?ありえないだろう?」

「…」

「そうだとも!魔法学園で初めての出来損ないの君なんかが!だいたい変じゃないか!?たかが平民風情に、どうしてそんな依頼が皇帝陛下から下されるっていうんだ!」


そうだそうだ、という周囲の野次。

ちょうど講義を終えたのか、その喧騒に引き寄せられるように、人垣ができつつある。

物珍しげに口論を見守る人垣から、不意に少年の声が響いた。


「…何事ですか?これは」

「あぁ!そこに居るのはコルティス・アレギシセル君じゃないか!ちょうどよかった!」


カーマスの言葉に釣られて見れば、人垣を分けてやって来る、一人の少年。

まだ幼さの残る金髪で端正な表情をした少年は、青い瞳を眇めてケルトを見た。


「………先輩、これは何事でしょうか?」


ずいぶんと怜悧な瞳をするものだ、とケルトは場違いに思う。ずっと昔、小さかった弟とは数回だけ会ったのだが、その時は隔意もなく無邪気にこちらへ寄ってきていた。拙い口調で笑顔を向けてくるそれに、幽閉同然だった当時の生活では、酷く新鮮に映ったのを覚えている。

そんな過去を回想する合間にも、カーマスはバサァと髪を掻き上げながら、述べている。


「ああ、聞いてくれたまえコルティス君!君の兄上…おや失敬、元・兄上が、こうしてここへやって来てね!久方ぶりの挨拶を交わすがてら、疑問に思ったことを問いただしていたまでだよ。どうやって帝国捜査員に選ばれたのか、と。なんといっても、君の家の関係者だからね?」

「生憎と当家には関係のない事です」


淡々と言い放つコルティスは、もはやケルトへ視線すら向けない。

そんな弟に、ケルトも静かな視線を向けてから逸した。


「関係ない?ならば彼はどうやって皇帝陛下と渡りをつけられたんだい?そんな伝が平民風情に得られるというのならば、是非とも知りたいところだね」

「ご当人にお尋ねされてはいかがですか、カーマス殿」

「ははは、寂しい物言いじゃないか!仮にも、血の繋がった君の兄上だというのに」

「知りませんよ、そんなこと。それに…」


コルティスは、きっぱりと言い放つ。


「この方を兄と認めた事は、一度たりとてありません」


その言葉に、一瞬だけケルトは硬直した。

しかし、脳裏に過ぎる過去は所詮過去でしか無いと気づいて、深く息を吸ってから…おもむろに吹き出した。


「なっ…何をいきなり笑いだしているんだね!」

「…いえ、失敬。貴方がたは変わらないなぁ、と思いましてね」

「な、なんだと?」


半眼のケルトは皮肉げに口端を曲げ、肩を竦めた。


「そうやって他人を貶めることでしか、自分の優位性を保てない。そのためならば恥も外聞も良心もなく、そういう事を成せてしまう。まったくもって…子供ですね」

「な、何を無礼な…!」

「カーマス殿」


ずいっとケルトは近づき、カーマスを覗き込んだ。思わずのけぞる相手へ、ケルトは続けて言い放つ。


「貴方が家や周囲から、貴方の優秀な姉上と比較されているのは、存じていますよ」

「っ!!」

「ですが、それで私を貶めても、何にもならないでしょう。貴方が変わろうとしない限り、貴方の評価はいつまでも三流の儘。満たされるのなんて、貴方のちっぽけなプライド程度でしょうね」

「な、な、な…ぶ、無礼なっ!?さ、三流どころか落ちこぼれ魔法士風情のくせに!この僕になんて口を!?」

「それですよ。貴方がたは次に何かあれば魔法魔法…うんざりです。魔法程度でこの世界の全てを得られると、本気で思っているのですか?」


パクパクと何かを喋ろうとするも、言葉が出ないカーマスを見てから、ケルトは周囲を睥睨するように見回し、言い放った。


「魔法なんて、大した代物じゃありませんよ。そんなもので人としての上下を定める事自体がバカバカしい。ただ魔法が使える程度では三流、知識を用いて新たなる道を模索して初めて二流になるのです。そして精霊を無碍に扱うが故に、貴方がたは彼らに嫌われてしまう。ただ魔法を放つ程度で満足している貴方がたでは、三流もいいところ」


最後、特にカーマスを見て言い放つ。


「この世界はね、魔法だけでは到底及ばない、巨大な力で溢れています。我々魔法士はその力を解明し、体系化し、新たなる道を探求する事が本分です。貴族のちっぽけなプライドで小競り合いをする暇があるのなら、もう少し知への探求をされては如何でしょうかね。貴方がたも魔法士の端くれと言うのであるならば」


魔法士、特に魔法至上主義のカルヴァンへ、喧嘩を売っているような内容だった。

一拍の空白の後、周囲の魔法士から怒号と非難の声が上がる。が、ケルトは涼しい顔で流していた。


「…なんて事を、それは魔法貴族への侮辱ですか!?」


そんなケルトへ、コルティスが険しい顔で詰め寄る。

しかしケルトはちらりと少年を見下ろし、応える。


「いいえ、貴方がた魔法貴族のあり方など、興味もありません。侮辱に思えるのならば、貴方がそう思っているだけでは?」

「取り消しなさい…!貴方の言葉は、魔法士への侮辱です!」

「おや、間違ったことを言ったとは思いませんがね。魔法など使えても偉大なことではありません。神々の扱う奇跡に比べれば児戯に等しいですし。それに、魔法士も所詮はただの人間です。魔法士だからといって、偉大でもなんでもない」

「違うっ!魔法は才ある者だけが使える、選ばれた技能です!我々は市民とは別の存在…魔法士とはそういう存在なのです!!」


その物言いに、ケルトはやはり、ため息を一つ。


…そう、カルヴァンの思想、魔法至上主義とはそういうことだ。

魔法を使える者は特別で、それ以外は凡人。貴族でなかろうとも、魔法士であるのならばそれだけで一目置かれるべきである、というのがここでの常識だ。ミライアのような野良魔法士とも言うべき者達には無縁な、貴族が多いからこその思想なのだろう。

このカルヴァンには優秀な研究者も多く在籍しているが、魔法士で無い者への扱いは天地ほどに差がある。魔法士優遇の都市、それがカルヴァンなのだ。

外に出て世界を見たケルトは、そんな閉じられたカルヴァンの有り様に、やはり嘆息する。


「魔法を使えない人間は格下ですか。ずいぶんと思い上がった思想ですね」

「ろくに魔法を扱えない君には関係のない思想だろう!」

「ではお尋ねしますが、ここにいらっしゃるキルシュカイア卿は魔法を扱えません。しかし彼は英雄です。貴方がたの論法では、彼も貴方がたより格下という事になりませんか?世界を救済したこの方と対峙すれば、ここに居る全員があっという間に倒されてしまうでしょうね」

「それは…」

「原初の魔法使いエーティバルト氏は、必要もない時に魔法をむやみに使うべきではないと説いたそうです。魔法とは道具ではなく、世界を消費する手段である、と。そしてある偉大なる魔法士も、魔法を玩具にするなと私に教えてくれました………なのに」


走馬灯のように、ケルトは思い出す。


悪戯で魔法をぶつけられ、火傷の痛みに喘ぐこちらを嘲笑う人々。

自分だけではない。魔法を使えない研究者の子供を、風魔法で転ばせて遊んでいた光景。

癒やしを求める一般人へ、凡人だからと杖を向けて恫喝する姿。

神秘の力を悪用し、精霊たちを使役する人間達。

そう、魔法がただの玩具に成り果てている、現状を。


「…そうです、魔法とは、精霊と祈りの力…精霊が大きく望まぬ事を成させるのは、彼らにとっての痛みでもある」


人の悪意によって放たれる魔法は、精霊にとって苦痛でもある。しかし、それを拒否することは精霊にはできない。そういう風にできているからだ。


同胞・・たちの苦痛を思い、ケルトの内面で、大きく渦巻く感情が溢れ出てきていた。


「貴方達は、魔法士などではない。少し力を持っただけの、子供だ」


怒りの感情に反応するように、ケルトの青い瞳に、白い輝きが宿る。

その変化に周囲はぎょっとしたように身を引いた。


「な、何が…」

「…あの旅以降、精霊を感じ取ることができるようになってしまいました。だからこそ、ここへ戻ってきて、より強く感じますよ…精霊達の悲しみが」


強い交感能力が開花されたのだろう。ケルトの怒りが周囲に存在する精霊に伝播し、それはまたたく間に空間を覆い、震わせた。

精霊が、ケルトに呼応して、怒り始めたのだ。


「な、なんだ…!?ヴァルが…震えている!?」

「こ、これは…何をしたのですか!?」


「こんなのが魔法士だというのならば、私は認めない。我らが同胞がこんなくだらないことで傷つけられているというのならば、私は許さない。そう、『我々はお前たち人間の道具などではない。それでも尚、我らを侮辱の為に使い捨てるというのならば、私は決して…お前たちを許さない…!』」


精霊語で呟くケルトの相貌は無表情で、なのに瞳だけ怒気を秘めて睥睨する。

それはどこか、異様な風情を思わせた。


「…ケルティオ殿!」


ようやくケルトの異変に気づいたラーツェルが、止めに入ろうと声をかけた時、


「…コルティス!!」


そこへ乱入する者が。


廊下の向こうから大急ぎで駆けてきたゲーティオは、場を見て一瞬で蒼白になってから、弟…コルティスへと駆け寄った。

そして、


「馬鹿者っ!」

「ぅあっ!?」


コルティスへ張り手を飛ばしたのだ。

目の前で行われたそれに思わず目を丸くしたケルトへ、ゲーティオはコルティスを後ろに庇うようにしながら、言った。


「…すまない、弟が無礼を為したようだ」

「あ、兄上…?」


頬を抑えて呆然とするコルティスを背後に下がらせつつ、ゲーティオはゆっくりと、むしろ嘆願するように言い募った。


「癪に障ったというのならば、謝罪しよう。申し訳なかった…だが、子供の言うことだ。できれば寛大な対応を見せていただければ、ありがたい」

「………」


ケルトは、かなり毒気を抜かれた…というか、どこか呆然とした様子で首を振ってから、自らの額に手を当てて呟いた。


「…今のは?」


「はい、そこまでですわ」


パン、と手を叩いて注目を掻っ攫うのは、メルサディールである。

勇者の登場に呆然とした人々が湧く間際、メルは微笑みながら間髪入れずに言った。


「皆様、もう次の授業が始まってしまいますわよ?もしも遅刻するのならば…久しぶりに、メル先生がおしおきしちゃいますわよ♪」


年齢に似合わぬぶりっ子である。ネセレが見たらヘドでも吐くかもしれない。

一方、メルの所業を知る生徒たちは、ゾッとした顔で一斉に悲鳴を上げながら踵を返していった。一部の知らぬ子どもたちも、先輩たちに習って大急ぎで追いかけていく。


そんな、あっという間に崩れ去った人垣の中で、残っている人々へメルはため息を吐いて、声をかけた。


「レティオ・カーマス。貴方の性格はよーく熟知しておりますけど、喧嘩を売る相手はちゃんと見たほうが宜しくってよ」

「め、メル教授…!?な、なんで…?」

「なぜって、アタクシも陛下の依頼でやってきた捜査官だからですわ。ああ、それとそこのケルティオは、アタクシの弟子ですの」


投下された爆弾発言に、カーマスは今度こそ何も言えずに、顎が外れたようになっていた。

一方、額に手をやったまま首を振るケルトへ、メルは眉を顰める。


「ケルティオ、大丈夫ですの?顔色が…」

「だ、大丈夫です…その、いろいろと頭の中がごちゃごちゃになってて…」

「少し、休憩した方がよろしいですわね。それと…ゲーティオ様」


コルティスを庇ったままのゲーティオへ、メルはケルトを後ろに下がらせながら言う。


「何があったかはともかく、此度の騒動はこれでおしまい、ということでよろしいですわね?」

「…ええ、構いません」

「でも、兄上…!」

「いくぞ、コルティス」


何か言いたげな弟を無理やり連れていきながら、ゲーティオは一瞬だけケルトを見やり、去っていった。

その目に浮かんだ感情に、メルは目を細めてから呟く。


「…根が深そうですわね」

「…姫」

「ちょっとラーツェル。貴方が居ながら、どうして止めませんでしたの?」

「申し訳ありません、ただの言い合い程度だと思っていたもので…まさか、あんなことになろうとは」


ラーツェルの目から見ても、ケルトの言葉に反応したように空気が震えたのは異常だった。

そんな光景を見せられて、ラーツェルの中ではある人物が浮かんでいた。


「エーティバルト氏のような事が為せるとは、思いませんでしたので」

「師匠も、感情で精霊を動かすことができましたからね。精霊に近くなればなるほど、交感が強くなるとも…ケルティオ、暴走しかけてましたけど、大丈夫ですわね?」

「…はい。まさか、あの旅でこんな事が…」


精霊の道を知る旅は、ケルトの中の意識を精霊に近くさせたようだ。つまり、前世の自我が浮かび上がってきたのだ。


「…精霊の事を思って、強烈な怒りが湧き上がりました。まるで、私自身が精霊であるかのように…」

「貴方の前世を思えば当然ですわね。とはいえ、こんな暴走は二度としないようにしませんと。下手をすれば、大規模な被害がでますからね」

「…はい、理解してます」


メルにそれとなく叱られつつも、ケルトも思い直す。

今の自分は人間だ。精霊の価値観で感情が爆発すれば、どんな被害が出るかわからない。

精霊は人の生死で悲しむという感情が薄いのだ。

だから、過去の自分に引っ張られないようにしないと…と。


(…精霊、か。今の私は…いったい、どちらなのだろうか)


そう呟きながらも、答えの出ないそれに、首を振って考えを消す。

しかし、と、ケルトは思い出したように、胸中で呟く。


(ゲーティオ…兄上が私へ見せたあの態度。あれは…)


コルティスを守るように背に庇い、こちらへ対峙するあれは、まさに。


(恐怖の感情だった)


こちらを怪物と思っているかのような目線だった、と、ケルトは思ったのだ。



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