第78話 ともあれ私は満足です


「ごきげんよう、アルブレス様」


扉を開けて早々、アルブレス・ライマーは、目を丸くして相手を凝視した。

優雅な所作で椅子に腰掛け、ティーカップへ口をつける淑女。その所作はまさに深窓の御令嬢やら高貴な貴婦人やらに相応しい、見事な代物である。

そんな淑女なのだが、この部屋はアルブレスの息子の部屋だったはずだ。息子に会いに来た父親としては、息子の代わりに適齢期を超えたとはいえ美貌を誇る女性が一人だけでお出迎えしてくれば、やや正気では居られまい。

しかもその女性は、彼にとっても苦い存在なわけで。

フリーズしてから再起動までに、ゆうに十秒以上が必要だった。


「……………姫さま、何故、ここに…」

「あら、貴方もそのようなお顔が出来たのですわね。今更ながらも意外な一面ですわ」

「質問にお応え下さい…何故ここに、貴方が」

「学園内で起こっていた落書き事件、当然、貴方様もご存知ですわね」

「…………まさか」


薄々、察してはいたのだ。絵が描かれているというだけで、アルブレスは「まさか」という思いを抱き続けていた。

そして、息子との約束の期限が迫り、こうして様子を見に来るついでに問いただそうと思って蓋を開ければ、これである。

淑女、メルサディールは微笑みを浮かべながら、眼鏡を外してパチンと指を鳴らす。それだけで認識阻害の魔法が消えるが、元からアルブレスには適用できていない。無意味な代物だ。


「アタクシの元に、陛下から依頼が来ましたの。学園の秩序を乱す騒動を治めよ、と。それで、犯人を見つけたはいいのですけど…」

「…ルディスは、息子は何処へ」

「ご安心を。別に何もしておりませんわ。ちょっと彼の力試しを少々」

「力試し?」


怪訝な顔の相手へ、メルは椅子から立ち上がりながら尋ねた。


「アルブレス様、貴方はルディス様が画家になることに関して、いたく反対していらっしゃるようですわね」

「…聞いたのですか?」

「ええ、全て。その上で一言、宜しくて?」


メルはすっと面を上げて、初めてアルブレスを真正面から見た。

その視線は苛烈で、思わずアルブレスは背筋が凍った。


「貴方、お変わりになりませんわね。一度思い込んだらまっしぐら、相手のことなど歯牙にもかけない純朴っぷりは、美徳と同時に欠点ですわ」

「いきなり何をおっしゃられる、姫さま。まさか、昔の事を言っておられるのですか。あれは貴方が…」

「貴方とあの女狐が逢瀬を交わしていたこと、アタクシが知らないとお思いですの?」

「っ!」


図星を突かれて思わず息を詰まらせるアルブレスへ、メルはにっこりと、しかしどこか鋭い表情を向ける。


「アタクシが嫉妬に駆られて、当てこすりや嫌がらせをしたのは事実。けれども、仮にも帝位継承権を持つ皇女の婚約者へ、色目を使う娘達に怒ることが、それほど可笑しいことでしょうか?」

「だが!君の行動はあまりにも酷かった!君に関する酷い噂は枚挙に暇が無かったのだぞ!それを聞くたびに、私がどれほど…」

「恥ずかしかった、と?でも、貴方は何もおっしゃられなかったですわね」

「言えるわけがない!」

「わがまま姫の癇癪に振り回されて、実家に傷がつくのを恐れたから?」

「…そのとおりだ!」


ふう、とメルは溜息をつく。

憂いの籠もった瞳でアルブレスを見つめるメルは、はっきりと失望の色が乗っていた。


「それで真っ向から口答えする勇気が沸かず、年下の小娘相手に策を弄して貶めた、と。あの女狐の口車によってエリエンディールお姉さまと縁を結び、アタクシを嵌めて婚約破棄へと至った、と」

「……あれは、君が原因だ。君の態度は皇家にも、侯爵家にも相応しく無い」

「けれども、女狐の伯爵家と、アタクシの皇家。どちらが重要かは一目瞭然ですわ。貴方もアルブレス家の嫡男ならば、我慢するなり言い含めるなりして懐柔すればよろしかったのに。所詮、世間知らずの小娘風情、貴方に首ったけなあの時なら、どうとでもなりましたでしょう」


あの後、実家から怒られたでしょう?とメルは白々しく尋ねる。

それに、アルブレスは一瞬だけ視線を泳がせる。

それを横目に、メルは続ける。


「まあ、今となっては終わったことですわね。アタクシにとっても過去の出来事。それに、自分の行動すべてが無実だった、などと口が裂けても言えませんもの」

「…自覚なさっているのですね」

「ええ、貴方と違って。人間、歳を取れば自らを顧みることも出来ます。…先日、ここの料理長に会いに行きましたの。あの頃と変わらず、素敵な料理を作っていらしたわ…」

「………私が変わっていないと、何故そう言われるのですか」

「だって貴方、逃げてますでしょう?」


その一言にアルブレスは眉をひそめる。

理解できていない相手へ、メルはふぅ、とため息を一つ。


「ルディス様は才能がおありよ。それは貴方もわかっているはず。あの方の絵は型破りですけども、将来的に大化けする可能性を持っているのは、理解しているでしょう?ライマー家は海外とも貿易事業を営んでいるのですから」


そう、審美眼を持つアルブレスならば、わからないはずがない。


「けれど、貴方にとって息子が画家という、博打のような道へ行くのは極めて理解できないことだった。貴族の子は貴族、才能があろうともそれ以外の道など考えられない、と」

「当然です。だからこその貴族なのですから」

「それで我が子の才能を潰すのですね?」

「その道はそれ相応の身分の者が成すべきことです」

「見る目のない殿方ですこと。貴方、ルディス様を愛してらっしゃらないのですわね」

「何を…」

「本当に我が子のためを思うのならば、真正面から受け止め、共に考え、話し合うべき。けれども貴方はルディス様の話しを聞かずに、駄目の一辺倒。それで大切になさってるって本気でお思いで?」

「子供が間違った道を歩みかけているのを、力づくで止めるのが悪だと?」

「間違っていると、どうして貴方が決めますの?それは、ルディス様の道ですわ。たとえ親でも決めていいことではありません」

「子供がおられない貴方にはわからないことです」

「ええわかりませんわ。…我が子を顧みずゴミを見るような目を向けて来たくせに、事が終わったら破局した縁談を持ち直して貴方と結婚できるように手配してやろう、などと曰える親なんて理解したくもありませんわ!」


バン!と机に手をついて、メルは息荒く吐き捨てた。


…勇者としての旅を終えて、メルが今後の身の振り方に関して、皇帝へ直訴しようとしたときのこと。メルは神界に戻らず、帝位継承権を返還しようとしたのだが…そんな事は露知らぬ皇帝は、帝位簒奪を恐れてメルのご機嫌取りの為にアルブレスと縒りを戻そうと画策したのだ。しかも、現在の奥方と離婚させようとしてまで。そこまでして、メルに帝位継承権を放棄させようとしてきたのだ。

それにブチ切れた若き日のメルは、そのまま神界の啓示を理由に家出した。そして数年前、長い家出から戻ってきた際にやはり帝都から引き離すためか、嫌がらせのように豚貴族との結婚話をねじ込まれ、メルは再度家出した。もはや悪循環である。


「もうウンザリですわ!親という生き物が皆が皆、我が子から逃げ出す愚か者なのでしょうか!…アルブレス様、貴方も貴方です!いい加減、奥方から逃げるのもお止めになったらいかが!?」

「なっ…何を」

「あの女狐が貴方を薬でたぶらかしたのは聞いています。で、貴方もそれに気づいたのでしょう?だから今では女狐と疎遠で、子供とも距離をとっている。そしてアタクシが勇者だと発覚して、ご自分の行った事が間違いだったかもしれないと思い込んだ。周囲から家名に泥を塗った無能者と謗られることに恐れた。違いまして?」

「………」


焦るように事業を拡大しては失敗を繰り返しているライマー家に、メルとしても思うところがあって調べたのだ。

その結論が、これだ。


「貴方ってほんっとうに優柔不断ですのね!アタクシへの態度といい、少しは男気を見せたら如何ですの?」

「き、君に言われる筋合いはない!そもそも!もう僕達は赤の他人同士だ!今の発言は失礼に値するだろう!」

「あら失礼、勇者にしてまだ帝位継承権を持つ皇女が一侯爵閣下へ口答えするのは間違いだったかしら?アタクシの辞書にはありませんけども」


実際、メルがどえらいお偉いさんであるのは変わらない。勇者という点では各宗教と、皇女という点では権力の面で、巨大な影響力を与えられる。皇帝が危惧する程度に、彼女という存在は爆弾でもあるのだ。

メルはキッと眦を釣り上げて、アルブレスへ言い募る。


「いい加減、腹をくくったら如何?ルディス様は家を捨ててでも画家の道を進もうとしています。そう、貴方を捨ててでも」

「なっ…!」

「貴方、我が子にすら、見捨てられかけてますのよ?」


自覚がないのか?というメルへ、アルブレスは今度こそ言葉を失った。

しかし首を振って、言葉をひねり出す。


「だ、だが、あの子が思う以上に世界は厳しい…!侯爵家の庇護を無くして尚、画家になれるとは思えない。通りで物乞いになるのが関の山だろう!」

「あら、読み書きが出来て学がある時点で、職は引く手数多のように思えますけども」


そもそも、物乞いの大半は読み書きも算数も出来ない、元労働者が大多数だ。その点、しっかりと行儀作法や教育を受けているルディスならば、どこかの店の経理なり貴族の書記官なりと、何にでもなれるだろう。

もっとも、それをやりながら画家になれるかは、別問題だが。


「まあ、宜しいですわ。…アルブレス様。貴方は優柔不断のダメ男で、年下の小娘からも逃げ、子供からも愛想を尽かされかけている、父親としてもダメダメなお方ですわ」

「な、な、」

「けれども、貴方はまだ、ルディス様の父親なのです。もしも貴方が良き父であると思われたいのならば…ルディス様に面と向かって話して御覧なさい」

「…あ、貴方に、そんな事を…」

「陛下からの命令で落書き騒動を解決しろと言われた手前、貴方様の問題を解決するのは急務ですわ。でないと、アタクシの評判の関わりますから」


皇帝を出されれば、侯爵であるアルブレスは何も言えない。

ただ、ぐぅの音も出ない様子の相手を見てから、言いたいことを言ってスッキリしたメルは肩を竦めた。


「…それでは、参りましょうか、アルブレス様」

「…い、行くだって?いったいどこへ…」

「決まっていますわ。貴方、ルディス様に仰ったのでしょう?感動できる絵を描ければ認めてやる、と」


メルは優雅な笑みを浮かべて、不敵に言った。


「勇者が認めた絵の才児が、どのような代物を作り出したのか、ご興味はありませんこと?」



※※※



メルサディールとアルブレスは学園を出て、人気のない通りへと馬車から降り立った。


「おじい様」

「…おお、来たのか」


その通りの隅で酒瓶を呷っていたカロンは、ニヤリと笑って背後の扉を指差す。


「出来たぞ。まあ、三日三晩で作り上げたにしては上出来だ」

「あら、辛辣なおじい様の評価が宜しいってことは、十分な出来ですの?」

「ああ、もちろん。荒削りだが意気は良し。創作に必要なのは情熱だからな。世界を作るように、勢いがなければ成しえない…と、いうよりは、実際に見るべきか」


カロンがパチン、と指を鳴らせば、背後の扉が自動的に軋みをあげて開いた。

その音にどこか気後れしたアルブレスとは裏腹に、メルは堂々と歩を進めて中に入っていく。

取り残されたアルブレスへ、カロンが口を開く。


「で、お前は行かんのかね?」

「………」

「ほぅ、私が何者か知りたいのか?ならばメルに尋ねればいい。もっとも、お前がそれを知るに値するとは思わんがな」

「あ、貴方は…」

「ありきたりな問いはやめろ、私はそういう質問は嫌いだ。それより、お前の子供の元へ行ってやったらどうだ?餓死寸前まで頑張って精魂尽き果てて倒れている。父親なら、心配してやったらどうだね」

「っ!」


その言葉を聞いて、アルブレスは顔を青くしつつ、思わずといった体で駆け出した。

それを横目で見ながら、カロンは酒を一口。

そして酒瓶を放り捨て、自らも後を着いていく。


「…これは」


中に入ったメルが、驚嘆の声を上げている。

それに、アルブレスも思わず立ち止まって、見上げた。


…円形の聖堂内。

正面から左右の壁に広がるのは、朝と夜の情景だ。

左右は茜色で満ち、中央から広がるのは濃い紺色の夜空。

同じように、小さく地面を歩く人々が年をとっていく、人生の象徴。

緻密な絵画のように、幾重にも塗り上げられた塗料は、松明の輝きに反射して輝き、

夜の空に薄っすらと描かれた星々には、金粉が使われているらしく、燦然と煌めいていた。


左手の壁に大きく存在するのは、火と風を纏う獅子の偉丈夫。

右手の壁には大地より根を広げる緑の乙女。

正面には、漆黒の玉座に座る、黒紫の法衣を纏う、大鎌を抱く怪人。

顔は黒く、一切の光を通さない漆黒。

まさに深淵の穴のようなごとき相貌に、見たものは思わず背筋が凍ってしまうだろうか。


「…これは」

「ルディス様の絵、なんですの?しかし、随分と印象が違いますのね…」

「そりゃ違うだろう。一瞬の情景を緻密に描くことは難しいが、想像と抽象で成り立った絵は、細部まで作り上げることができる。想像が許す限りな」


やってきたカロンは、聖堂内の絵に目を細めている。


「日の元に居るのがヴァーベル、右のは根付く大地のティニマか。そして中央の夜にルドラが配置されている。なるほど、ルドラ教に相応しい絵ではないか」

「る、ルドラ教…!?な、何故こんな場所にそんな絵を…!」

「私が好きだからだ、文句あっか?」


不機嫌そうに睨みつけてくる老人に異様な威圧を感じ、思わずアルブレスは後ずさった。言いしれぬ恐怖を抱かせる老人だ。


「う~ん…むにゃ…」


小さな呻き声。それにハッとなって、アルブレスは聖堂の椅子に力尽きて寝ている、我が子を見つける。

名を呼んで抱き上げれば、ルディスは顔料に塗れながらも、無邪気な様子で眠っていた。

ホッとしたアルブレスへ、カロンはニヤニヤと言う。


「そやつ、お前に認めて貰うために無茶をしたのだぞ?」


なお、無茶をさせたのはこの老人である。


「子供は親に認めてもらおうと必死になるものだ。つまり、お前にはその程度の人望はあるということだな」

「おじい様、歯に衣着せてくださいませ」

「お前も人のこと言えんだろうに」

「…なぜ、何故この子はそこまで…」


理解できないように首を振る相手へ、メルは絵を見ながら言った。


「この絵、素晴らしいですわ。けれども一番に感じるのは…アルブレス様、他ならぬ貴方に認めてほしいという思いですわね。貴方、こういう宗教画が好みだったでしょう?…ルディス様は、本当に貴方の事を、お好きでいらっしゃるのですわね」

「………」


アルブレスは、思わず絵を仰ぐ。

眼前の紫の夜刻神は、顔なき顔で、こちらを睨めつけているかのようだ。

このような鬼気迫る絵を描けるなど、彼は思ってもいなかった。所詮、子供の道楽だと。ただの趣味の延長としてしか考えていないのだから、無駄な挑戦などしないほうが良いだろう、と思っていたのだが…。


「………ルディス」


抱きかかえる我が子を見下ろし、アルブレスは目を伏せる。

子供だと思っていた。所詮、子供の夢だと。

だが、それに沿うだけの力を、こうして示してみせたのだ。

ならば、それを認めねば、親としての沽券に関わる。


「子供は凄かろう?あっという間に成長して、親を必要としなくなるのだ。それに寂しい思いもあるが、子の自立は親への信頼の元に可能となる。…少しは、慕ってくるその子を信頼してやってはどうだね?」


カロンは悪戯げに微笑み、アルブレスはじっと何かを考えるように、我が子を見つめ続けていた…。



※※※



【ルディス・エシェク・ライマー:

 デグゼラス帝国歴630年ごろに台頭した画家。彼は幼少期より絵の神童と呼ばれていたが、大人になってからは当時でも珍しい写実主義ではない絵画をいくつも発表した。発表当時の評価は散々であったのだが、数年後にカレンデュラのお抱え画家として名を馳せ、批判的であった画商会でも再評価される事となった経緯を持つ。彼の作品は現在でも世界的な美術品の一つとして目されており、間違いなく時代に名を残す画家の一人として数えられるだろう。

なお、かなり後年となってから、帝国の一角よりルドラ教会が発掘・・され、そこに残存されていた壁画は彼の作品ではないかという論議が巻き起こっている。この壁画は元来の技法とはまったく別種の、いわば魔法的な手法が用いられているらしく、描かれてから千年以上も経過しているはずなのだが、劣化などはいっさい見受けられない。

今まで件の教会が魔法的な物によって隠されていたという点と、何故その教会に彼だけが入ることが出来たのか、その謎は未だに解明されてはいない。

             リトス・ミューズ「ゲンニ大陸発掘品目録」より 】

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