第73話 一方その頃メルメルは…

「…懐かしいですわね」


メルは一人、帝国学園へ足を踏み入れていた。


依頼によって、久方ぶりにここへとやって来た。以前ここに居たとき、彼女は皇女様で、全ての者達から畏怖の目で見られていた。

しかしそれも過去のこと。

今はただ、あの頃のことを思い出して、乾いた笑いが漏れ出てしまう。


「あぁ…アタクシも若かったですわね」


気に入らない女子をイビるのは序の口、メイドを転ばせて土下座させて悦に浸る、魔法を使って鈍くさい教師へ水をぶっかける、傘下の者たちを唆して持ち物を隠す、壊す、燃やす、投げつける。跪かせた者は数知れず、頭を踏みにじって嘲笑う姿はまさに悪役令嬢。

そんな、「若かりし過ち」とは到底言えないレベルの事を仕出かしていた自分を思い出し、メルサディールは悶々とした。


(…ああぁぁぁ~~!!!なんでアタクシはあんなお馬鹿なことをしてしまったのかしらぁ!?思い出すだけで恥ずかしさで目眩が…!)


一人、内心で悶絶していると、案内していた教師が気遣わしげな声をかけてくる。


「あ、あの、大丈夫ですか?顔色が…」

「え、ええ、だ、大丈夫ですわ。ご心配なさらず」


ほほほ、と淑女の笑みで隠しつつ、黒歴史の羞恥心もなんとか押し隠す。過去の自分をぶん殴りたくなる拳は我慢である。


…先導する教師は、依頼主でもある。

なんでも、この帝国学園に厄介な問題が持ち込まれているらしい。というか、実を言うと今回の依頼、ラーツェル経由での依頼でもあった。


(学園で起こっている落書き騒動………はぁ、随分と平和な事ですわね)


いつの間にか、学園の至る壁に書かれている落書き。意味を成さないそれは、どこか抽象的で理解できない代物であるという。何らかの魔法的な代物かと危惧する教師の頼みということで、メルへとお鉢が回ってきたのだが…。


(…十中八九、お父様の差し金ですわね)


あの白騎士が、独断で依頼を持ってくるはずがない。ならば背後、騎士の主人こそが本当の依頼主なのだ。

内心で警戒するメルとは裏腹に、太り気味な教師はホクホク顔で楽観姿勢。


「いやぁ!騎士団長様のお頼みで、貴方のようなお美しい方がやってきてくださるなんてまさに幸いですねぇ!冒険者と聞くと普通は筋骨隆々の荒くれ者をイメージしますのに、貴方はまさに大輪のヴィエラ(薔薇の一種)のようにお美しい!まさに帝都のアディマンド(宝石の一種)!女神ティニマも貴方を見れば恥じらいでしまうに違いありません!」

「え、ええ、どうも…」



メルとしては慣れた賛辞であるのだが、こう連呼されると鬱陶しい。が、そんなことはおくびにも出さずに、淑女の微笑みを浮かべて受け流す。何事もポーカーフェイスは大事だ。

尚、メルは帽子とメガネ、あと認識阻害の魔法によって変装しているため、正体がバレる心配はない。特にここはかつてメルが居た場所でもある。知っている人に出会うことがあってもいいように、念入りに魔法をかけておいたのだ。


ともあれ、まずは現場を見てみよう、とメルサディールは教師とともに学園内を歩いていた。


帝国学園、それは貴族などの特権階級を対象とした、思春期の子供らの為に開かれた小さな社交会だ。

他家へ嫁ぐ紳士淑女らは、礼節作法諸々と文法・算術などの基本的な常識、及び天文学や音楽、乗馬など多岐に渡る講義など。未来を担う重鎮の子らならば、本格的な政治学や歴史学なども学ぶ。…とはいえ、内容はほぼ権力者にとって都合の良い内容ばかりなのだが。

末端の門閥貴族の子供らは花嫁花婿修業として出されることも多く、権力者ならば言うまでもない。ここはまさに、貴族の子らが未来へ向けたコミュニケーション、つまり人との縁を作り出すための場として機能している。ある意味、苛烈な政治闘争のための布石が張られる場とも言えよう。


貴族の為、と銘打つ通り、本舎は馬鹿みたいに広い。門で境界が遮られた内側には庭と称される林が広がり、更に内側では複数に分かれた校舎や寮舎がある。寮舎は男女で別れており、その挟んだ中央に本舎があるのだ。

門から通じる大きな道を通れば、巨大な彫刻で象られた校門、そして左右に広がる見事な薔薇園。その更に奥には本舎がこれでもかと自己主張し、赤い屋根と天光を表すステンドグラスを日の元に晒していた。

内部もまた外に比べれば、華美な装飾が目立つだろう。お高い彫像、絵画は当然のごとく、それ以外にも名のある芸術家が作ったモニュメントや、なにやら訳のわからない意匠の銅像などなど。使用人の手によって花々が到るところに飾られ、華やかさが目に止まるように配慮されている。


(…変わりませんわね、ここも)


魔法都市カルヴァンの学園との違いは、やはり装飾の差異もあるだろうな、とメルは思う。カルヴァンの魔法学園は質素で華美さとは無縁、白を基調としたあちらは、もっとお堅いイメージが付くだろう。使用人もおらず、基本的に皆、自分のことは自分でやるのだ。

魔法学園は魔法を学ぶための場所、一方、こちらは基本的な学問などを学ぶための場所。

その方向性の違いは、在学生の数の差にもなる。当然、帝国学園の方がカルヴァンより数が多く…カルヴァンより平均年齢が若い。魔法士を志す貴族に年齢は関係ないからだ。

一方、こちらはそうも行かない。幼少時に在籍せねばコネが作れず、貴族としてのアドヴァンテージを失うことに等しい。そのせいか、多くの権力者は差異あれど、ここで育つのだ。


とはいえ、メルとしては若気の至りとも言うべき場所。

なんだか生ぬるい心持ちで歩いているのである。


「…それで、君はどうするんだい?今後起こるであろうヴェシレアとの戦いについて」

「当然、貴族ならば参加するしかない。領土の発展のためにも、戦功を上げるのは当家にとっても必要だからな」

「できれば死ぬのはゴメンなんだがね~」


わいわいと通り過ぎていく青年たちの一団を横目で見ながら、メルは目を細める。

貴族の子息ならば、戦争になれば出ていくのも当然だ。だからこそ貴族は私兵を持つことを許されている。そして、大半が戦死するのだろう。

ここにいる大半の子供らは、戦場に出たことが無い。騎士の嫡子ならば魔物の討伐に参加した者はいるだろうが、それとて少人数。戦いがどういうものか、理解できていない彼らが死なないと思うのは、楽観に過ぎる。それに、以前の戦争は15年以上も前のこと。メルくらいの年齢ならば、参加したことはあるだろうが、それより下ならば想像は出来まい。


(…先の戦争では、大勢死にましたものね)


メルの学園時代の知り合いで、戦争に出てそのまま戦死した者も多い。それと同じことが、再び起ころうとしている。


(…お父様、アタクシをここに向かわせたのは、これが目的ですわね?)


メルが勇者として戦争に参加しなければ、ここにいるほとんどの子供らが戦場で死ぬだろう、という直感があったのだ。

いうなれば、これは皇帝からメルへの問いかけに等しい。


勇者ともあろうものが、無辜の子供らを見殺しにするのか?、と。


その問いかけに、メルは人知れず拳を握る。


わかっていはいた、戦争になれば子供が死ぬのだと。それを理解したからこそ、若い頃にメルは戦争から逃げるように帝都を去った。…勇者として戦争に利用されるのは駄目だと、神界から啓示を受けたから、ということもあるし、何より父親の暴挙が許せなかったからだ。友が死ぬとわかっていて逃げたのは、今でも彼女の負い目の一つだ。


そして、その可能性を今、目の前に掲げられれば、覚悟していても心は揺れる。いっそ天界に登ってやればいいだろう、とも自暴自棄に思うのだが、それでも皇帝は戦争を止めないのだ。放っておけば、戦いが始まる。二度目の、大きな戦争が。


「………………」


険しい表情のまま、メルは歯を食いしばる。

有るべき未来を思い描きながら、どうすべきか、一人で考え続ける…。



・・・・・・・・



「ここです。ここに件の落書きがあったのですが」


教師に案内された場所は、中庭の一角だった。倉庫として使用されている場所らしく、人気がなく、また男子寮舎にも近い。


(…ヴァルの感じはしませんわね)


メルの鋭い感覚によれば、魔法的な痕跡はない。ヴァルを通す過程で、その場にヴァルが残留するのだが、その反応が無いということは魔術の類ではない。

今は白い塗料で隠されたそこは、ただの壁でしかなかった。

壁をなぞり、メルは眉をひそめる。


「…アタクシの見たところ、魔法士の仕業ではありませんわ」

「そ、そうですか…」


ちょっとだけしょげる教師。魔法士ならばある程度の捜索対象が絞れるが、違うということは対象が広がるという事だからだ。とはいえ、学園内に犯人がいれば、の話なのだが。


(しかし、学園の感知結界に覆われている門を通らずに入り込む賊など、かなりの手練でなければ不可能でしょうけど)


どだい、普通の魔法士では不可能だ。仮にも、この国の未来の重鎮たちが住まう場所。並大抵のセキュリティではない。なので、外部犯は端から除外されているのだろう。

しかし、問題は…、


「…犯人は何の目的があって、落書きなどしたのでしょうね?」

「さ、さぁ、まったくもって心当たりが無くて……我々としても頭が痛いことです」

「イタズラにしては、度が過ぎていますわ。既に十数回、目撃されることもなく落書きを行えるなど…何か、補助的なものがお有りなようね」

「ほ、補助ですか?」

「魔法を使わずに姿を隠し通しながら、短いスパンで落書きを何度も行える人物。魔法の力を感じないということは、かなり前準備を行っているのですわ。協力者か…あるいは魔法道具か」


姿を隠す遮蔽魔法は、ピンからキリまで存在する。しかしそこそこ広い空間を遮蔽する魔法道具となれば、その性能は実際の魔法より格段に落ちるだろうが…それでも、注意しなければ大概の者は見落としてしまうだろう。


「魔法道具というのならば、家柄を調べれば絞れそうですわね。何と言っても魔法道具はお高いですから。子供へ与えられることが可能な家ならば、可能性は十分ありえます」

「そ、それは、つまり、犯人は…」

「かなり大きな家、ということになりますわね?」


その結論に、教師はゲンナリしている。大貴族に喧嘩売るほど彼らとて馬鹿ではないので、ただ遺憾の意を手紙で発射する事しか出来ない。それを聞き届けるかどうかは、その家次第だ。


(候補としては…大きな資産を持っていて、魔法道具を手に入れられる立場。ポーション以外の魔法道具など高価すぎてまだまだ市場には流れていませんから、カルヴァンと交流している家…となると、候補は多そうですわね。だとすると…)


「なんだね、これは?いつから学園はキャンバスになったんだね?」


唐突な声にギョッとしながら横を見れば、いつの間にそこに居たのか、カロンが壁を見上げていたのだ。

口を開けて腰を抜かしている教師を横目に、メルは声を荒げる。


「おじい様!出る時はもうちょっと合図を下さいと言っているじゃありませんか!」

「あ~覚えてたらやるぞ、覚えていたらな」


言って数秒で忘れていそうなカロンに、メルは頭が痛そうにコメカミを指で抑える。この御老人、言って聞いた試しがない。

そんなメルをほっぽいて、カロンはまじまじと壁を見上げながら指を振る。


「しかし、面白い、実に面白いなぁ。そうは思わんかね?メルよ」

「おじい様が何を見てらっしゃるのかは知りませんけど、アタクシには何も見えませんわよ」

「なんだ、勇者ともあろうものが、ちょいっと過去視とかできんのかね~」

「できません。というか、そういう能力は与えられていませんの。そう誰かさんがお決めになったのでしょうね」


軽口を叩きつつ、しかしメルは興味が湧いて、隣へ視線をやる。


「で、何が見えてらっしゃいますの?」

「そうだな。ふむ、ではちょいっとやって…メルよ、これをどう見る?」


ちょいっとやった直後、白い壁がザァァ…と粉のように吹き飛び、中から鮮やかな絵が出てきた。教師はもう白目を剥いている。

出てきたそれに、メルは思わず目を見開く。


「…これは」

「面白いだろう?」

「………ええ、確かに」


頷きつつ、メルは数歩下がってその全景を見やる。


真っ白な壁に、キャンバスのように塗りたくられた塗料。

それは無計画に塗られた代物ではない。意思を持って描かれた、一枚の絵だ。

しかし、それは一般的ではない代物だった。

この世界、絵画と言えば精巧で実写のような人や物、有り体に言えば模写したような具象画が好まれる。が、この絵画はそれらとはかけ離れていた。

決して緻密とは言えない筆使い、良く言えば自由、悪く言えば粗雑な画風。まじまじと見れば、そう映るかもしれない。画家が見れば、いっそ子供の落書きかと鼻で笑われるような代物だろう。

だが、そこには確かに、一瞬の美があった。


夜明けの間際、空に星々が瞬き、月が地平へと消えてゆく。

薄紫の宵が去り、山岳の彼方より曙の赤が見え始め、小さな人型の輝き達が、舞うように空を飛び回る。

光の陰影は鮮やかに左右へと広がり、同じキャンパスとは思えない加減を魅せ、

そして輝かしいまでの、白で描かれた天光の輝きが、地平の彼方より見え隠れしているのだ。


夜明けの一シーンを切り取ったかのようなそれに、メルは思わず目を奪われた。


…絵画といえば、神話や歴史に因んだ代物が主流だ。それ以外、特に、日常に因んだ絵など論外として爪弾きにされる。人気がないからだ。故に、画家はこのような絵の書き方は通常、しない。

しかし、長く引かれた筆跡で風を表し、いくつもの絵の具を重ねて作られたその鮮やかな印影は、普通の絵画よりずっと軽やかな印象を与える。


「…これは、面白い絵ですわね」

「だろう?…いやぁ、面白い。絵画なんてみーんな重そうな筆使いの宗教画ばかりで嫌気が差していたんだが、いやいや、面白いなぁ!」

「それに…この小さな人型。これは精霊ですわね?」

「そのとおり。これは精霊を描いた絵でもある…精霊を目視できる人間とは、実に珍しいじゃないか、なぁ?」


通常、精霊とは目に見えない。それは勇者でも例外ではないのだ。精霊召喚か、或いは高位精霊が自ら望まない限り、その姿は捉えられない。当然、精霊召喚も高難易度なのであるが。


「その方…ひょっとして、タビトなのでしょうか?」

「或いはな。ドワーフ王国のミクルは深蒼の王と親交を持ったらしいが、その例と同じように、精霊と交信できる存在がここにいるのかもしれん…ふむ、神界の連中め、さては仕事を怠けたな?以前は大騒ぎだったくせに」


カロンがブツブツ呟いている。タビトの出現に思うところが多いようだが、結局は「ま、教えてやる義理はないしぃ、適当に隠してやろうかなぁ」と性の悪いことを呟いていた。


「で、おじい様はどうなさいますの?」

「え、どうにも?ぶっちゃけ、かわいいイタズラレベルだし、むしろ才能開花の手助けしてやってもいいくらいだし」

「それを聞いて安心しましたわ。それではおじい様、この絵を書いた方の元へ、エスコートして下さいませんこと?」

「えぇ~それじゃつまらな」

「エスコートを拒否されるのでしたら、方々でしでかした偽金」

「おっけーわかった。やってやろうじゃないかね!私に全て任せたまえ!うむ!」


一応、釘を刺されてるカロン。流石にこれ以上の資金増強は出来ないので、あまり負債を背負いたくないのである。経済破綻すれば美味しいものが食べられなくなるとメルに言われているので、尚の事。

飯という弱味に付け込まれた夜刻神に、これはこれで頭が痛い思いをして、メルは思いっきりため息を吐いたのである。

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