第60話 反撃の狼煙1
そして、決着の夜がやって来た。
天に煌々とした月が昇り、雲ひとつ無い美しい夜天が見える。しかしそれとは場違いなほとに場の空気は逼迫し、人々は夜篝を頼りに闇の情景の彼方を凝視していた。
兵士達は武器を手に持ち、めいめいに自らの神に祈りを捧げている。
天光に祈るもの、大地に祈るもの、はたまた、ヤケクソのように夜の支配者へ祈るもの。しかし、神はそれに答えることはなく沈黙を保ち、そして時間がやってくる。
「…空が」
誰ともなく呟き、天を仰ぐ。
空にザァァ…と、真っ赤な霧がかかったのだ。それは薄靄のように月光を覆い、下界に赤い色を投げかけている。
…そう、まるで満月は、赤い月のような色合いで、天に昇っていたのだ。
「赤い月…ああ、遂に来るぞ…!」
赤い霧が天に立ち昇った時、それは相手の攻勢の合図でもある。
チャーチル卿は大きく息を吐き、兵士たちへ届かんばかりに号令をする。
「全員!攻撃準備!!」
「攻撃準備!!」
副官の復唱に合わせるように、兵士たちは弓矢を手に持つ。だがしかし、その腕が震える者が後を絶たない。
同じく、挫かれながらもまだ指揮官という地位によって根性で現実にしがみ付いているチャーチル卿は、持っていた葉巻を投げ捨てて、大きく息を吸った。
「…最後の夜だ。嗚呼、偉大なりし夜刻神よ!素晴らしき月に乾杯だ!」
乾杯するものなどなにもないが、チャーチル卿は視線を彼方に向けて、山の合間からぼつぼつと現れた黒い影に向かって、腕を掲げた。
「さぁやるぞ皆のもの!!辺境軍隊の最期の抵抗を、魔物連中に骨の髄まで刻み込んでやろうではないかぁっ!!」
オオオオオオォォォッーーー!!!
鬨の声を上げる兵士たちが、矢を番える。
視線の先、空から来るのはワスプの群れ。
ヴヴヴヴ…と気味の悪い轟音が響き渡り、じきにこの砦を覆い尽くすだろう。
しかし、人々は諦めない。意志が挫かれようとも、まだ生きることを諦める気は無かったのだ。ならば、もはや抗うしかない。
そして、チャーチル卿が腕を振り上げ、
「…放てえぇぇっ!!」
振り下ろされると同時に、決戦の火蓋は、切って落とされた。
※※※
「敵影は?」
「まだ見えないわぁ。遠見には引っかからないから、森の向こうかしらね」
「…出てくると思うか?」
櫓の上、リーンの問いかけに、魔法を使っているミライアは呟く。
「決戦、って相手が言ってるなら、出てこないってことはないと思うけどねぇ。ま、相手がどう出るかなんてわかるわけないんだしぃ、だったら出たとこ勝負でしょうよ」
「豪胆だな。さすがは竜巻旋風団」
「竜巻だか旋風だか、アタシは好きじゃないんだけどねぇそのネーミング」
「へぇ、それじゃどうしてこんな名前に?」
「うちの馬鹿が勝手に決めちゃったのよぉ、しかも勝手に名乗りだすし。で、今じゃ付き合いで名乗ってる感じ。ま、楽しいから良いんだけどね」
「なるほど、なかなか愉快なリーダーなようだな」
雑談によって緊張を解しつつも、冒険者の意識は常に警戒中だ。
「ワスプが来たな。迎撃に移る」
「よろしくぅ。アタシも適当に撃ち落とすわ」
下では砦の魔法士が決死の結界を張っているため、南の守りは硬い。が、魔法士とて結界を張り続ける事に限界がある。いつかは力尽きることは決まっているのだ。
ミライアの火炎魔法が闇夜に閃き、天高く飛ぶワスプを爆炎と共に撃ち落とす。
「ポーション増量中よぉ。ああ、大赤字!補填がなかったら絶対に封を切らなかったんだからねぇ!」
惜しみなく魔法の薬を用いて、自らの性質に引き寄せられる精霊の質を上げる。当然、扱う魔法はいつもより1段も2段も強力になるのだ。
昨日とは比較にならない大爆発を連発しつつ、ミライアは合間に遠見で戦場を観察する。
…未だ、吸血鬼の姿は見えない。
※※※
「…来たな」
北門の正面にて、仁王立ちで佇むネセレは目を伏せている。
ダガーナイフを何本も腰に括り付け、肩掛けベルトポーチでポーションを取り出せるようにしている。外套は羽織らず、必要最低限の武具のみを纏っている姿は、これから数百という魔物を相手に大立ち回りをする者には見えないだろう。
大きく息を吐き、ネセレは目を開く。
…胸は呼吸と同時に鈍痛が奔る。
チビ達の手前、強がってはいるのだが、当然だが重症の身を圧しているのは変わらない。治癒魔法とポーションでなんとか肺は修復したが、それだっていつ破れるかわからない。再び破れれば、心肺機能の悪化と同時に魔物の軍勢に呑まれることとなる。
「………」
ふっと笑って、ネセレは懐に入れていた小さなボトルを取り出し、それを一口飲む。
酒は喉を通り、腹に下って全身に熱さを巡らせ、同時に痛みを和らげて気分を高揚させる。
自嘲じみた笑いを浮かべながら、ネセレはそれを城壁の下に置いた。
「…くだらねぇ、いつだってそうだ。いつだって、アタイは薄氷の上を駆け抜けて来たんだ」
死ぬと思った瞬間は何度もある。片手では数え切れないほど、大量に。
ラドリオンの国庫に入り込んで、兵士に追い詰められた時。
ヘマをして四肢に重症を負いながらも下水に逃げ込んだ時。
軍に追われて負傷し、ろくな武器がない状況で巨大なワーム4体に囲まれた時。
その都度、ある時は機転を効かせ、ある時は運が味方し、いつだって生き残ってきた。
今もそうだ。
ああ、これは死んだな、と思う冷静で悲観的な自分がそうぼやくが、別の心はこう囁く。
―――いつだって、死ぬと思ってもなかなか死なないのが、人間だ。
「人間はわりとあっさり死ぬけどな…アタイらは、しぶといぜぇ?」
ニヤリと傲岸不遜に笑みを浮かべ、ネセレは迫るゾンビーの大軍を相手に、構えた。
「来いよ、雑兵共!大盗賊ネセレさまの首が欲しい奴から掛かって来なぁっ!!」
※※※
「………見エタ」
北側櫓で射かけていたザムは、霧の合間に見えた黒影に呟きを漏らす。
他にも吸血鬼を発見したのか、誰かが瞑想しているケルトを呼んでいる。その合間に、ザムは特性の矢を取り出し、強弓を番えて狙いを定める。
その矢は、矢先に小さな石飾りが括り付けられている。夜魔族にとっての切り札に成りうる、特殊な矢だ。
それを三本、番えた。
『我が主の同胞、我が声に耳を傾けよ。導を示して印を穿て』
黒き光を帯びた弓矢は三本、同時に天に向かって放たれた。
矢は弧を描いて天から地面へと向かい、その最中、黒い軌跡を帯びながらそれぞれ別の位置へと落ちる。
再び三本番え、同じ呪文を唱えながら再び放つ。それらも全く違う場所へと落ち、ゾンビーの群れの中に消えていく。
『これで良い。後は…』
ザムは今度は大きな瓶、聖水の入った瓶を持ち、それを握りしめながら下へと向かう。
その間際、同じ櫓に居たミイへと一瞥を送る。
『ミイ、後は頼むぞ』
『任されよ、師父。こちらは私がなんとかする。そちらは任せた』
『ああ、主の身許で再び逢おう』
それ以上は語らず、ザムは階段へと踊り込んだ。
駆けたザムが階下に降りれば、開けた中庭では一同が揃っていた。
【座標はアタシがここから補佐するわぁ。だからアンタは思いっきり使いなさい、って伝えといてぇ】
「オッケー、頼んだミライア!…だそうだぜ、ケルト!」
風魔法によって声を届けてきたそれに、ハディが答えている。姿が見えずとも声だけするというのも、なんだか奇妙な光景であるが。
そして中庭へ出てきたケルトに目を向ければ、ザムは思わず瞠目する。
(…何という凄まじい光!)
ケルトという人間の、魂と言わずに全身に流れる光のヴァルに、夜魔族であるザムの全身が震える。素の瞳でも見ることの出来る、神々しい白い光の帯に、開かれているがどこも写していない、輝きを籠めた白く輝く青の瞳。普段の冴えない相貌は一変し、神々しい光に包まれたそれは、どこか神の如き偉容を示させているかのようだ。
思わず感嘆の息が漏れたのも仕方がなく、周囲の者たちも同じ様子である。
「…ケルト、いけるか?」
「………」
ハディの言葉には答えず、ケルトは朦朧とした様子で杖を持った。
いわゆる、トランス状態だ。意識はここにあらず、ただこの魔法のみに全ての意識が割かれているのだろう。
(精霊というのも頷ける…このすさまじい輝きは、まさに神に愛されし原初の輝きだ)
夜魔族の伝承によれば、創世記に一番最初に生み出された6元素の精霊王は、自らの眷属を次々と生み出していったという。その際に生まれた精霊たちは原初の精霊と言われ、古く力を抱くものとして、形と自我を持ったという。ひょっとすれば、この者もその原初の精霊の系譜に連なる存在なのかも知れない。
「…よし、ケルトは大丈夫そうだな。みんな、いけそうか?」
「へ、へっ!誰に物を言ってやがるんだチビ助!ジャドさまはこの程度の苦難、どうってことないぜぇ!」
「…うむ!」
ケルト以外の4人に選ばれたのは、ハディ・ジャド・そしにザムとライドである。
短期決戦しかあり得ない以上、極攻勢メンバーが望まれ、更にしばらく行動不能になるであろうケルトを守る遠距離持ちも必要となる。その為、魔法アシストが行えるザムが選ばれたのだ。
なお、ミライアとミイは広範囲魔法が扱える存在のため、必然的に砦の守りに回される。こればかりはどうしようもない。
「…それじゃ、やろう。ケルト、頼んだ!」
「………」
ふっと、トランス状態のケルトが、杖を地面に向けて囁いた。
瞬間、魔法陣が地面に広がった。
「『来たれ6つの光、我は汝を乞い願う。我は光の同胞、我が思索は汝を望む』ヴィエシ・シェロ・メシュカ・セーレシャイア」
ポゥ、と一つの光球が魔法陣の上に召喚される。
それに、ケルトは取り出した小瓶を陣の上に一滴、垂らした。
すると、輝きは見る間に小さな人型となり、周囲を浮遊した。
…これは錬金術による精霊召喚だ。メルから護身として託されていた霊薬と、教授されていたその技術を惜しみなく使い、ケルトは精霊を小さいながらも召喚しているのだ。
召喚した精霊はより複雑な魔法のアシストをしてくれる。単騎で攻撃もできる彼らは実に重宝する存在だが…いかんせん、この霊薬を作れるのがメルしか居ない時点で常用はできない。
ケルトは隣に次の魔法陣を展開し、別の呪文を唱える。
「…ヴィエシ・シェロ・メシュカ・ヴァートヴェルシュ」
陣の上に黒い輝きが現れ、一滴の霊薬と共に人型となる。
「フレアーヴィド」
赤い輝きと、炎の人型。
「マウラーシル」
青い輝きと、水滴の人型。
「フェレシーレラ」
緑の輝きと、風を纏う人型。
「ムーディアド」
黄色の輝きと、土塊の人型。
その六種の精霊を全て召喚したケルトは、杖を掲げてさらなる詠唱に入った。
「『6つの精霊、我は汝を乞い願う。我が同胞よ、我が思索は汝を望む。我が身を包み、時を超え、光を潜り、我らと同胞を、或るべき場所へと運び出せ』………クオース・ルドア・ヴェシュケト………」
呪文を唱える都度に、精霊たちがくるくると円陣を組んで回っている。
まるで、彼の輝きに呼応するかのように。
『………』
不意に、ケルトは目を見開き、天を仰ぐ。
その見えざる瞳に、何かを捕らえたのか。
思わずザムが目を凝らすも、薄汚れた天井しか見えない。
そして、周囲をくるくる回る小さな精霊たちが、一斉にその姿を綺羅びやかな大精霊の姿へと変貌させた。
ザムには、それが何か見えざる存在の干渉のようにも思えた。
―――今の私にはこれしか出来ませんが、頑張りなさい。我が眷属よ。
『…はい、我が主神』
不意に、ケルトが呟いた。
精霊語を聞き取ったザムは、彼へ語りかけた何かの存在を知る。
そして、ケルトは杖を振り上げ、最後の詠唱を行った。
「フィ・レイ・ケディ…セーレシャイア!」
そして、部屋は凄まじい輝きに覆われ、全ての視界は白に染まったのだ。
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