僕は夢中で嘲笑う(上)

22.僕は夢中で嘲笑う(上) <前編>

僕の心臓の鼓動は、一向に鎮まる気配を見せなかった。

霧の中…何度も何度も迷い込んだ母校の一角…人気の全くなかった教室の隅で、僕は膝を抱えてガタガタと震えている。


何時と変わらないと思っていた。

ただ、死体を見つけてここから出て行くだけ…そう思っていた。

だが、僕の目の前に現れた存在が、そうじゃないと教えてくれた。


「!」


遠くから聞こえた物音に、僕はビクッと体を震わせる。

全身に嫌な汗が流れ、寒くも無いのに、体調が悪くも無いのに寒気が全身を駆け巡る。

震える口元…歯がカタカタと音を立てていた。


必死に頭を動かす。

今の状況が何なのか、僕が何をすべきなのかを必死に考える。

頭を動かして、考えを巡らせて、必死に体を動かそうとしているのに、僕の身体は震えるだけ…


どれだけ時間が経っただろう?

割れた窓から外に飛び出して、外に活路を求めたけれど、何故か外には出られなくて…

仕方が無く校舎に戻って、こうして教室の隅でガタガタと震え出して…どれだけ時間が経ったのか?


時間が経てど、僕はすっかり腰が抜けて動けない。

徐々に霧が深くなっていって、気づけば教室の隅が白く霞んでしまっていた。


動けない。

逃げなきゃ。

殺される。


僕の脳内は、やがてそれらの単語で埋め尽くされる。

その単語が脳を埋め尽くせば埋め尽くすほど、僕の震えは小刻みになっていった。

目をカッと見開き、膝を抱えて時が過ぎるのを待ち続ける。


次に目を開けた時には、現実の世界に帰っていることを祈りながら…

ただ、この霧の世界が一秒でも早く終わることを祈りながら…

だが、待てど暮らせど、霧の中の世界は終わりを見せなかった。


 ・

 ・


「彩希!」


膝を抱え、周囲を見なくなって、時間も分からなくなった頃。

僕の名を呼ぶ声に顔を上げる。

そこには、顔中に汗を流し、僕に手を差し伸べる幼馴染の姿があった。


「慧!」


僕は迷うことなく彼の手を掴み立ち上がる。

体は相変わらず震えっぱなしだったが、動くきっかけが得られたことで、体の自由を取り返せた。


「良かった。居たんだ…居てくれた…」


腕を掴んで立ち上がると、そのまま彼に抱き着いた。

慧に思いっきり抱き着いて、彼もまた震えていることを知る。

僕は涙でクシャクシャになった顔を慧の方に向けた。


「無事で良かった」


絞り出すように慧が一言、そう言って僕の肩を抱く。

だが、抱き合っているのもつかの間、直ぐに慧が僕の手を引いて駆けだした。


「え?慧?」

「ボーっとしてる暇は無いらしい」

「どういうこと!?」


慧に手を引かれ、霧の中の校舎を駆ける。


「"俺等"が学校に居るんだ!頃合い揃ったら俺等を殺す気で居るらしい」


簡潔に述べられた言葉に、僕は言葉を失った。


「この学校からは逃げられないってよ」


慧は更に畳みかける。

僕はどん底に突き落とされた様な感覚に陥った。


「……どうするの?」


掠れた声で慧に問いかける。

彼はこちらに振り返ると、首を傾げて肩を竦めた。


「思いつかねぇ。あんな、手品みたいなことが出来る奴等に敵う訳が無い」


彼は顔を青白くして言った。

手品…恐らく、彼も僕が見せられたようなガラスが砕け散る様を見せつけられたのだろうか。

ハッキリと、この霧の世界があの子のテリトリーだと理解させられた一瞬。

僕は脳裏に浮かんだ、嘲る笑みを浮かべた僕を振り払う。


「逃げられないの?」

「ああ。学校の外には出られないらしいぜ。試してないが…」

「……さっき試したけど、出れなかった」

「なら、他の場所から出ようとしても同じだ。封鎖したって言ってたからな」


深く白い霧に包まれた校舎内を、彷徨いながら駆ける僕達。

僕達にとっては数年前の記憶になる、校舎の構造を頭に思い出しながら、あべこべに駆け巡る。


「何処に行くの?」

「生徒会室!」


あべこべに駆ける最中、僕は慧に問いかける。

慧には何か考えがあるらしかった。


「そこは…」


でも、そこは先程僕が僕に出会った場所。

彼の手をほんの少し強く握りしめる。

行きたくないと言っても、別に宛てが無かったから、僕は引かれるがまま慧に付いて行った。


「…と」


生徒会室の扉を開けて中に入り込む。

扉を閉めて鍵をかけた。

その先の光景は、先ほど見た景色と同じ…ガラスが粉々に砕け散って、外からの風が吹き込むようになった様が見て取れる。


「彩希、ここがスタート地点だったか?」

「そう…ここで僕に会ったんだ。血の付いた包丁を持って、返り血を浴びた僕に」

「扉から入って来た?」

「うん。グラウンドの方から歩いてきて、玄関からコッチに来たんだと思う」

「そうか」


生徒会室のソファに腰かけて言葉を交わす。

さっきよりは幾分か落ち着いていたが、僕達は未だに小刻みに震えていて、共に顔面蒼白と言っても良い状態だった。


「何時もの霧の中だってんなら、死体を見つければ終わりなはずだ。今までだって、ニアミスがあっただろ?」

「じゃぁ、グラウンドの方に行けば誰か倒れてるかも…」

「ああ…それを拝んで終わりを期待したいが…どうもアイツらの様子を見てる限りじゃそうはならねぇかもしれないんだ」


慧は周囲を気にしながら考えを話した。


「殺される役目が、俺等かもしれない」


僕はそれを聞いても、反論することは無かった。

同意見だったからだ。


「殺される?」

「それも良いかもな。今までの奴等だってのうのうと生きてるんだ…が」


僕の問いに、慧は同意しつつも…渋い表情を浮かべる。


「殺されたいか?」


そう言うと、スッとソファから立ち上がった。

そのまま生徒会室の隅へと歩いていき、手に取ったのは棚に飾られていたガラスのオブジェ。


「このまま殺されるのを待つのが、きっと正解だろうと思うがな、そうじゃないだろうさ」


何処か吹っ切れた様子の慧は、僕の方を見てニヤリと笑みを浮かべた。


「霧の中にヒントがあることが多かったよな」

「え?ええ」


僕は彼の意図を掴みあぐねていた。

いや、理解しようとしなかった。


「今の俺等、着てるのは1年2組の制服だ」

「うん…僕達、1年の時は2組じゃなかった気がするけど」


慧は頷きながら、僕の下へ戻ってくる。

ソファに座らず…背もたれの部分に腰かけると、何かを決意したような強い意思を感じる目で僕を見据えた。


「彩希」

「は、はい」


名前を呼ばれて、僕はつい畏まって返事をする。

彼は優しい笑みを浮かべながら、手にしたオブジェを僕に寄越した。


「敵を必要以上に作らない…人付き合いは、必要以上に入れこまない…ディープな感情は必要ないし、激しく燃え上がる情熱も要らない。彩希のモットーには反するが…」


僕達に何の関係も無い、何時かの活動を称えたガラスのオブジェ。

凶器になり得そうなその品を、僕に寄越した慧は、僕を見て告げる。


「ちょっと足掻いてみようぜ」


そう言った彼は、パン!と拳を突き合わせた。


「奴等が誰なのか、ハッキリさせてやろう」


自らに言い聞かせるように、僕に宣言するかのように、彼は口を開く。


「ただ、殺されるのを待つよりはマシだろ?」


慧はそう言って僕の目をじっと見つめた。

青白さも消えて、汗も引いて…どこか吹っ切れた様子の彼が僕の瞳をジッと見つめる。

僕は、そんな彼の顔を見て、何処かで何かが切れた様な感覚を受けた。


「…そう……だね」


僕は恐怖の奥に感じる感覚に戸惑いつつも、コクリと頷いて見せる。


「やってみよう」

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