血のブレンド

13.血のブレンド <前編>

慧と再会した時から、私は霧の中から出られなくなった。

霧の中に居たまま…そっと目を閉じて意識を集中させれば、ボンヤリと"現実世界"の光景は見えるのだが…

私が得られる"現実"の情報量は、一気に少なくなってしまった。


「暇そうだな」


自室の椅子に座って、足を組んで少々ふくれっ面をしていると、慧が茶化すような口調で言った。

彼は台所からお茶の入ったコップを2つ持ってきて、そのうちの一つを私の前に置いてくれる。


「ありがと…ずっと霧の中に居ても滅入るもの。良く飽きもせずにいれるよね」


私はお茶を持ってきてくれたことにお礼を言えど、今の状況には不満があったので、それを素直に彼に伝える。


「"外の様子"が見えないのが不安か?」


彼は私の事を理解してくれていそうだったが、だからと言って同意してくれるようには見えない。

彼なりに、慧なりに、この状況を楽しんでいるかのような…こんな状況じゃないと駄目だという何かがあるかのような口調で返してきた。


「不安と言うか…ずっとこんな場所に居るのもねぇ…それに、次の"標的"も見つけづらいし」


私はそう言うと、彼が運んできてくれたお茶の入ったコップを手に取って、一口分、飲んで喉を潤した。


「寝なくても良い、汗もかかなけりゃ、腹も減らない。鬱屈した空間だが、まぁ…それを補えるだけのメリットはあるぜ」

「…このお茶は?」

「習慣…?…ま、彩希の気持ちも分かるがな、放っておいても偶に目を閉じてみれば…案外目の前に相手は居たりするもんだ」


慧は動じず、落ち着いた様子で私にそう言うと、薄笑いを浮かべていた軽い表情を少し引き締めた。


「それに、彩希がずっと表に出ようとすれば、何れはそれが現実に変わる。やりたいことは乗っ取るんじゃなくて復讐だろう?」


少し真面目な口調で言われた言葉。

私はコクリと頷いた。


「遅かれ早かれ、自分が自分じゃなくなるだろう。今回は厄介だからな…それに、ここに居るならそれなりに準備ってもんが出来る」


彼はそう言うと、指を立てて、それを振って私の目線を誘導した。

フラフラと、彼の指をじっと見つめて…部屋の隅へと目を向ける。

次の瞬間、彼の手はパッと開かれて、私の顔に近づいてきた。


「わ!」


驚く私。

暗くなる視界。

彼の手は直ぐに離れて行き…白い霧に包まれた空間が再び目に入って来た。


「……な?」


私は、得意げな彼の声と、見えた物を見て言葉を失う。

私の家の中に居たはずだったのに、今は見慣れた喫茶店の店内に居た。


「え?…どういう…こと?」


私は困惑しながらも周囲を見回す。

喫茶店…私の記憶の中では、"喫茶メープル"という店名が一番しっくりくる、少々レトロな風合いの喫茶店。

どうやら、幾度となく入ったこの店は、私が一番慣れ親しんだ"喫茶メープル"そのものらしい。


外は真っ暗…霧の中、目を凝らしてよく見れば、猛吹雪の最中で…私と慧は防寒具に身を包んでいる冬の格好をしていた。

何時の間に?…私が頭の上にハテナマークを浮かべながら、周囲や自分、慧を見回していると、彼はニヤリと笑って見せる。


「彩希、霧の中に入るときだけじゃないんだぜ。こうやって、予め舞台を整えておくことだってできる」


彼はそう言って、近場のボックス席に腰かけた。

私も、彼の向かい側に座ってテーブルに片肘を着く。


「彩希がこれまでやってきた事ってさ、相手を見つけたら突発的に舞台を整えて、そこに相手を引きずり込んで…ってやつだろ?」

「ええ。そう…当然、様子は見ながらやったけれどね。危ない時に離脱させないようにしてた」

「それだとよ、霧の中に潜れる時間は少なくなってってないか?」

「……最近はね、何か抵抗されてるような気がする」


私は慧の問いに素直に答える。

まるで彼は私が通って来た道を一通り通って来たような言い草だ。


「それ、段々と短くなってって、いよいよ霧の中に入れなくなるぞ。俺は実際、そうなって…気づいたら霧の中に居た」

「え?」

「目を閉じれば、そりゃ外の様子は見えるがな?それすらも、視界不良だ」

「……」

「幸い、相手を見つけて…霧の中に引きづり込む事は出来るから…計画倒れにはなってない」

「……」


慧の言葉に、私は言葉を失った。

最近、彼女に入り込むのが難しいだとか、長続きしないなと思っていた。

さっき、始末を終えた後…現実に変えることが出来ず、霧の中の私の家に現れたのもそのせいだろうか…


「だから、霧の中に居続ける。というよりは、閉じ込められたってのが正しいかもな。彩希は、その様子じゃまだ外に出られるだろうが…今のままだったら、俺と同じ結果だろう。そうなるくらいなら、霧の中に居続けて、必要に応じて外に出た方が良い」


彼は真面目な口調でそう言った。

私は何も言わずにコクリと頷く。


「何時か言ってた約束。何だかんだモノになりそうだな」


少しの間の後で、慧がポツリと言った。


「これに気づけたからね。そうじゃなければ、また次に挑んでたかも」

「で、また今の俺等くらいの年になって死ぬって訳だ」

「そうそう…割と最後の方はワクワクしてたけどね。次はどういう風になるんだろうって」

「勘弁してくれ。俺が最初なら良いけど、後に残されるとたまらないんだぜ」


彼の呟くの後。

私と慧は少しだけ冗談を含んだ口調で語らいあう。


「私も後は嫌だったもの。あ!って気づいたら、我先にとね」

「なんだよ、通りで死に急いでるなって思う時があったわけだ」

「それはお互い様でしょ?」

「まぁな…案外、足掻けば何とかなった回はあったのかも知れないが…」

「後の祭りよ」


私達が選んだ道の話。

続けようと思えば、また続けられる権利はあったわけだ。

今、私達が迎えているのは、何度も何度も人生を一からやり直しては壊された者の、ちょっと長いエピローグ。

他に私達の様な状況に陥っている人が居るのかは知らないが、何度も何度も繰り返した末に辿り着いた結末に向かっている最中なのだ。


神様も、何もない。

私達に与えられたのは、白い霧に包まれた世界と…私達という中身が抜かれた"現実世界"へ干渉する力。

どうやら、慧の方がどっちの力に対しても一枚以上上手らしい。


「…兎に角、俺の方は後少しでケリが付くんだけどな。あと1年…は掛かるだろうが。そっちは?」


彼は軽口の叩き合いになって、雑談と化した話の流れを元に戻す。


「私の方も…同じくらいじゃないかな、今のペースでいけば」


私も気の抜けた薄笑いを消して、彼の戻してくれた空気に倣った。


「そうか」

「私、またここでバイトしてるらしいから、次も直ぐに見つかると思うよ」

「なら、このまま待ってみようぜ。この中の時間の流れって不思議なもんでな、早いんだか遅いんだか分からないが、都合良く出来てんだ」

「それは好都合かも…多分、もうすぐ分かる」

「決まりだな」

「ええ」


私はそう言うと、スッと席を立つ。

まだまだ、私からすれば根掘り葉掘り聞きたいことだってあるのだが…

彼が知っているのなら、彼に頼ってみるのもありだろう。

今すぐに全てを知っても、私の頭じゃ全てを理解しきらないだろうから…


「この世界ってさ、電気とかガスとか通ってるんだよね」

「ん?ああ…通ってる」

「コーヒー淹れてくる。多分、冷蔵庫には売れ残ったケーキだってあるかな」


さっきまでの話題は何処へやら。

私は彼と話す時の、気負いの一切ない口調で確認を取ると、慣れた足取りで厨房の方へと入って行った。

元バイト先…現実でだって、私はここでバイトしてる。

何処に何があるかは知っていたし、道具の使い方だってちゃんと覚えていた。


「彩希…」

「どうせ慧は何時ものブレンドでしょ?」


手際よく準備をしている最中。

カウンターの方までやって来た慧の声に、私は"知ってる"と言いたげな声色でそう返した。


「ケーキはモンブランかベイクドチーズ。何だかんだ、よく来てたもんね」


私はそう言いながら、冷蔵庫を開けて中を覗く。

モンブランとショートケーキが、ラップに包まれて放置されていた。

それらを手に取ってラップを剥がし、確認してみるとまだまだ食べられそう…


この世界がどういう仕掛けで成り立ってるのかなんて知らないが…私は深く考えずにそれをカウンターまで運んで、彼に手渡す。


「はい、モンブラン」

「サンキュー…こっちは彩希用だよな」

「そう。フォークは…カウンターにあったよね?」

「ある」

「オーケー」


軽いやり取りをして、少し雑談を交えているうちにコーヒーメーカーが鳴った。

そこから、私は用意していた2人分のコーヒーカップにコーヒーを注いでいく。

注いで、カップを皿に載せて…それを彼の元まで運んだ。


「はい」


カップを運ぶと、私は彼の横に腰かける。

さっき座っていたボックス席じゃない、カウンターの中央付近の席。


「そう言えば、今見ている現実じゃ、こうして終わり際にノンビリコーヒーを飲む事もやってなかったな」


熱いコーヒーを冷ましながら、ボソッと呟く。


「会っても無さそうだったしな。見てる分には、不思議なもんだ」


呟きから、少しの静寂の後…彼はそう言って肩を竦めて見せた。


「ま、次からは顔を合わせる事になるか……」

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