12.強制ログアウト <後編>

右手に握られていたナイフが、刺さったかも分からないほど滑らかな切れ味を見せる。

目の前の男の首元に、一直線に向かっていった切っ先は、首の皮に突き刺さると、そのまま抵抗少なく喉笛まで貫いていった。


「!!」


驚いた男の顔。

対する私の顔はどんな表情なのだろう?

口元が歪に歪んでいるのが体感できたが…目元は真っ直ぐ彼の瞳を覗き上げているはずだ。


喉元に突き刺したナイフを引き抜くと、おびただしい量の血が私の元へと返ってくる。

真面にそれを受けた私だったが、それで動きを止めるような事はせず…怯むこともしない。

致命的な部分はギリギリ回避してしまったのか、男はまだまだ生きていた。

大パニックに陥りながらも、血の止まらない喉元を抑えながらも私に殺意の籠った目を向けてきている。


最早彼には出血死以外の未来は残されていないのだが…

人間、最後の最後まで何が起きるか分からない。

私は顔についた彼の血の味を微かに感じながらも、追撃に出た。


刺した痛みの次は殴打される痛みを味わってもらわねば…

私は左手に持ったナイフを、男の頬に向けて振り回す。


「…!」


1発。


ハンマー越しに、男の頬骨が柔らかくなったような感触を感じる。

私はその感触が心地よくて、もう一発、彼の頭の別の部分に向けてハンマーを振り下ろした。


2発。


今度は目元の横辺り…

男の左目が歪んだように見えた。


3発。


もう一度同じ位置。

腫れあがったのか、捲れ上がったのか…男の左目が潰された。


4発…5発…6発…


今度はもっと上…顔の上の部分を殴りつける。

殴るたびに、何かがくしゃくしゃになっていった。


このハンマーは、叩く面と釘抜が一体だ。

私は6発目から、釘抜部分も使って交互に叩くようになった。


7発目…歪んで、腫れあがった皮膚が釘抜の鋭利な部分に抉られる。

8発目…再び骨が砕けて行く。

9発目…頬にポッカリと穴が開く。

10発目…グシャ!っとこれまでとは違う音を発して、男が背中側に倒れて行った。


「……」


私はそれを冷めた目で見下ろしている。

返り血を浴びた体…ハンマー本体や手には、血以外の何か…気味の悪い肉塊のようなものも付着していた。

それを一つも気にせず、ただ…不思議な達成感と満足感に包まれて、私は立ち竦んでいた。


ふと、目線を前に…個室の中へと向ける。

真っ暗なモニターが目につき…そのモニターは、私の表情をハッキリそのまま映り込ませた。


満足げな、薄っすら嘲笑うような笑み…


私は自分の顔を見て、更にその表情を深めて行く。

徐々に周囲の景色は…周囲の霧は薄くなっていった。


今回はここまで…

私はそう思って目を閉じる。


 ・

 ・


だが、不思議なことに、終わりは訪れなかった。

待てど暮らせど、残るのは永遠に続くかのようにも思われる静寂。


私はおかしいと思い目を開ける。


「え?」


目を開けてすぐ、私は周囲の光景を見て驚きの声を上げた。


そこは、私の家だ。


"鏡の奥"にある家ではなく、正真正銘…記憶にあるままの、私の家。

私は驚いて自分の手元や体を見回してみたが、さっきまでのナイフとハンマーは何処にも見えなかったし、返り血に染まった衣服は…見慣れた中学時代の制服になっていた。


「え…?どうして…?」


私は困惑しつつも、勝手知ったる家の中を歩き始める。

今いる場所が居間…私は2階の自室に向けて足を進めた。


私の家の中でもあるが、同時に周囲を纏う霧は晴れていない。

普段であれば、私が意図して霧の中の世界を生み出しているのだが…

今の、この状況は私ですら意図していない事なのだ。


無意識に暴走した?

それとも別の要因が?


私は頭をフル回転させながら、自室へと進んでいく。

この家に人気は感じない…静寂の中で、霧の中で、聞こえてくるのは私の足音と、吐息。

感じるのは心臓のバクバクした鼓動だけ。


自室の扉を開けて、何も警戒せずに中に入る。

白い霧に包まれた自室。

最近、時折見ていた…記憶にあるそれよりは、随分と懐かしさを感じる自分の部屋。

足を踏み入れた私は、直ぐに足を止めて絶句した。


誰かいる。


私は口元に手を当てて、さっきまで人を殺していた時の冷静さは何処へやら…

さっきとは真逆の、得体の知れない恐怖が全身を駆け巡る。


椅子に座る一人分の人影が私の前にあった。

その人影は、机に向かっていて…両肘をついて考え込むようなポーズをとっている。

霧のせいでシルエットが見えるだけ…私は少しずつ、その影へと近づいていった。


「……」


少し離れていても聞こえるのでは無いだろうか?と思えるほど、心臓がバクバク鼓動する。


「あ…」


数歩近づくと、霧の中でも誰なのかがハッキリと分かるようになった。

机に両肘をついて…頭を手に預けるようにして動かないその人影は、私の記憶の中に居る人物と一致する。

彼は私に危害を加えるわけがない。

彼が何者なのかを知った私は、急に体の力が抜けて、ヘナヘナとその場に座り込んだ。


目の前の人物は、何故か寝息を立てて眠っている。

床に座り込んだ私は、そんな彼に少しだけ、可愛げのないムッとした感情を認めると、彼を起こそうと声をかけた。


「ねぇ、起きてよ」


親しみのある声色。

すっかり慣れた相手にしか出さない、安心しきった声。

私は眠っている彼を起こせるような声量で話しかける。


「ん……?」


私の声を聞いた彼は、直ぐに反応を返してきた。

何度も見てきた、寝起きの様子。

私は黙ったまま、彼が状況を把握するまでじっと見つめている。


「あぁ……あー…」


彼は目を覚まして、眠たそうに目を擦り…小さく欠伸を一つ付いて、それから始めて周囲を見回した。

白い霧に包まれた状況…私の家の、私の机で寝ているという事…どれをとっても、彼には異常な状況な筈。

私は彼がどんな反応を示すのか、ちょっと楽しみにしながら、彼が私に気づくのを待っていた。


「……」


静寂。

周囲を見回した彼の目が、私の顔の位置で止まる。


「なんだ、彩希か…驚かせるなよ」


彼は特に焦る様子も、驚く様子も見せずにそう言った。

予想とはちょっと違う反応に、私は思わず顔を引きつらせる。


「驚かせるなよって、慧。ここ、私の家なんだけど」

「知ってる。見りゃわかるっての。今更、こんな状況にいちいち驚くことも無くってな」


彼は私のツッコミにも怯まず、堂々とした態度で返してきた。


「ああ、そういや彩希を見るのは初めてかも。この状況に慣れてないなら、まぁ…不安だろうけどもな?落ち着けるし、良い所だぜ?」


彼は私にそう言うと、椅子から降りて私の手を取って立ち上がらせてくれる。

私は驚いた顔を張り付けたまま、彼の言葉を頭の中で反響させた。


「良いところ?…慧、ちょっと待って。確かに、霧の中…こんなところで会うのは不思議なんだけど…待って」


私は頭の整理が追いつかず、彼に掴まれた手を離してベッドに腰かける。

彼も私の横に座って、楽な姿勢になっていた。


「慧、一つ確認させて。この霧の中で、慧は一体何をしてきたの?」

「何を…?あー…これまでの復讐だな。手あたり次第コッチに引きづり込んでさ」


私の問いに、アッサリと答える。


「…霧が晴れたら?」

「晴れることは無いさ。終われば霧の中に紛れて適当な場所で過ごすんだ。今回は、偶々彩希の部屋に"なった"から、ああだった。流石にベッドで寝れやしない」


彼は、堂々と言ってのける。

霧の中で起きていること…霧の中以外の事…

私の"白い霧"に対する認識とは、ちょっと違うようだったが…彼もやっている事は殆ど変わらないとみてよさそうだった。


「そう…」


私は頭の中を整理して、彼の目を改めて見つめる。

とんでもないことを白状してきた彼だったが、彼も彼で、私がこの霧の中に居る理由を良く知っている様だった。

私も彼と同類…それは彼の言葉を聞いて分かったが、彼は彼で、この世界に私が居る時点で、それを知っているかの様…


「私も、さっき一人殺してきたの。駅近くのネカフェで」


私は少しだけ覚悟を決めて、さっきのことを告げると、彼は表情を変えず、寧ろ感心したように数度頷いてくれた。


「ほー…知ってるかも。5つ前の連続猟奇殺人の犯人だ」


そして、私が手にかけた男の素性を答える。

私はコクリと頷いて正解…と呟いた。


「ナイフで肉を"表面だけ"削いだ後、金槌とかでバッキバキにしてゴミステーションに捨てるんだ。派手な手口の癖にこの町の警察と来たら尻尾も掴めないでさ。興味本心で首を突っ込んだ俺らが先に犯人を突き止めたんだよな」

「…その結果はお察しだったけれども。でも、これで分かった。私も慧も、置かれた立場は同じね。そっちは?霧の外には行かないって言ってたけど…」


尋ねた私に、彼は頷いて肯定を示す。

それと同時に、彼の顔にはこちらへの疑念が浮かんでいた。


「行けてないが正しいんじゃないか…?俺は何度やっても霧に包まれて、気づけば霧の中のどっかに居るんだ。そっちは違うみたいだな」

「違う。ちゃんと"現実"を生きてる…はず」

「はず?」

「うん…そうね。主観で何かを見せられ続けてる…と言っても良いのかな?で、"相手"を見つけた時に、こういう霧の中に"舞台"を思い浮かべてみると…霧の中に立ってて、相手は何も知らず孤独に"舞台"に立たせられてるって感じ」


私は拙い説明ながらも、自分の今の状況と、霧の中の世界との関係を説明する。

彼は全てを分かったような反応は見せなかったが、概ね状況は理解してくれたらしい。

数回頷いてくれると、私の方を見てニカっと口元を笑わせた。


「じゃ、今は例外だ。殺す相手が俺でも無い限り」

「例外ね。さっき一人始末して、また"現実"に戻る所だったんだし」


冗談っぽい彼の言葉に、私も似たような口調で返す。


「いよいよ会えないかと思ったら、会う場所がおかしいっての」


彼はそう言って笑いだすと、私も彼につられて笑い始めた。


「ああ、彩希。俺の現状を言ってなかったな」


少しの間笑いあった後、慧は急に冷静さを取り戻して言った。


「俺の方も似たようなもんだが、聞いてくれ。それと、これからは一緒に動こうぜ。目的は同じなんだろ?どうせ」

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