11.ある男の末路 <後編>

衣服が血に汚れた"前回"の霧の中から、どれだけ日にちが経ったかは定かでないが…


私は再び霧の中に居た。


見覚えのあるバイクにまたがっていて、今いる場所は"前回"の現場の近く。

今回の目的地も"前回"の霧の中と同じマンションの301号室だった。

霧の中、私がやることは、私が考える前に"常識"として刻み込まれている。

ふと意識すれば、何処で何をやればいいのかがしっかりと体が分かっていた。


霧の中、バイクのヘッドライトを頼りに、誰もいない街を駆け抜けて行く。

マンションまではもうすぐ。

回転が鈍く、少々機嫌の悪いエンジンを騙し騙し走らせて行くと、遠くにマンション群の影が見えてきた。


"前回"は歩きながら見えたマンションの並ぶ様子。

今回はバイクで移動しながらだったから、最初は影だったそれらは直ぐに実体が付いてる。

霧に囲まれた、"曇り空の下の街"の明かりに照らされたマンションは、特にこれと言って特徴が無い。

ただただ、良くある建物の一つだという事だけが伝わってきた。


私は走っていた道路から路地に入って行く。

ウィンカーを上げて、減速して、角を曲がる。

中型のバイクは、私の体躯には少々大柄だったが、従順に反応してくれた。


路地に入れば、そこはマンションの立ち並ぶ区域。

普通の住宅街とは違う、独特な光景が…独特ながらも見慣れた光景が、ヘルメット越し、深い霧越しに見えていた。


ノロノロと、さらに機嫌を崩すエンジンをなだめながら、適当な駐車場にバイクを止める。

エンジンを切って、ヘルメットを脱げば…バイクのミラー越しに、"私が知っている"私の顔が映り込む。

クスッと笑ったときの笑みが、ちゃんと"私"の顔をしていた。


バイクを降りて、駐車場からマンションのエントランスへと移動する。

屋内でも晴れることのない霧を纏いながら、私は"前回"と同じように非常階段を上がり始めた。

踊り場に落ちていた、そこそこ大きなコンクリート片を取って右手に握りしめ…3階に上がると廊下に出て、目的地の部屋までゆっくりと歩いて行く。


部屋の前にまでやって来た私は、一つ深呼吸をしてはやる気持ちを落ち着かせる。

"前回"と同じシチュエーション…2度連続は、これからやることを考えれば"飽きた"と言っても許されそうだ。

"前回"と相手は違うが…2度目のもてなしをどうしてくれようか、考えても考えても、簡単に済ませる方向にしか思考が働かない。


今から殺す男は、ただの一度しか殺さないというのに…

幾らシチュエーションが同じだからと言って投げやりな対応になるのは、私にとって彼は余り印象に残らなかったからだろうか?


それとも、前回の男が私に対して猟奇的過ぎたから?

ただの突発的な撲殺程度じゃ、そこまで印象に残らないから?


少しだけ思考の海に潜っていた私は、口元を意図的に笑わせるとチャイムのスイッチに手を伸ばす。

霧に包まれて、静寂にも包まれた空間に、味気ない電子音が鳴り響いた。

昨日も聞いた、何一つ変わったところのない電子音が消えると、代わりと言わんばかりに聞こえる誰かの足音。

私は、覗き穴を見ることもなく扉を開けるであろう男の姿を想像しながら、右手を背中に回す。


「…んだよ、ったく…はい。どちらさm……!」


毒づきながら、態度の悪い出迎えをした男に、私は身構える隙すら与えず一閃。

首元にコンクリート片を突き立てると、そこからは無様な呻き声と共に背後に倒れて行く男の追撃に出た。


「あ…な…なに…がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


倒れるまでに数発。

倒れてからも容赦せず頭を中心に殴り続ける。


「ああ!…」


男の叫び声が耳に入るが、私は表情を崩さずに殴り続ける。

以前とは"立場が逆"になっているが、被害者となった男にそれが分かるはずもない。


「ぁ……」


大体20~30程殴りつけただろうか。

虫の息になる一歩手前の所で、コンクリート片は砕け散った。

私はそれを玄関に捨てると、男の髪を引きづって室内に入って行く。


"前回"と同じ間取りに違う内装…

私は目についた"殴られたら痛そうなもの"を手当たり次第に取り上げて、それで男を殴り続ける。

もう、息の根を止める手前なのだ…少しでも"長生き"してもらうために、頭以外を殴打し続けた。


殴って男を起こして、私の笑みをしっかりと見せつけて…

得物は置時計に灰皿…モップの柄に額縁。

手に取れそうな凶器はあらかた使いつくしてしまう。


私は手にしていたネイルハンマーを放り投げると、足元がぐちゃぐちゃになった男を見下ろした。

鼻血に切り傷に足元の抉れ具合…青あざの数は無数に出来てしまっている。

なのに、私は少々衣服が乱れた程度。

返り血すら無い服を直した私は、ふーっと溜息を一つ付くと、最早私を睨む生気すらなくなった男に止めをさすために室内を物色し始める。


まぁ、この手の事にはお決まりの凶器があるだろう。

何処のご家庭にも一本はあるはずだ。

私は台所から包丁を取り出して男の元に戻ると、彼の肩を叩いて、再び彼の目線を独占する。


「大丈夫大丈夫。これは悪い夢なのだから…私が見た"現実"とは違う。一夜の夢…目覚めれば数分で忘れるかもしれない」


張り付けた笑みをそのままに、私は彼に一方的に語りかけた。


「でも、どうだろうね?目覚めた先に私が居たのであれば…それは何時か現実に変わるかもしれない」


殺意と絶望と困惑と…

最早生気を感じない男の目からそんな感情を受けながら、私は楽し気に語っていた。


「目が覚めた先で、私を見た時は…よろしくね?あの子、私とは違っていい子だから」


そう締めくくると、包丁を男の心臓部に突き刺す。

嫌な感触が手元にやってきた。


「トドメだね」


その感触の気持ち悪さを、敢えて高揚した声色で呟いた言葉で誤魔化す。

グイっと半回転…挿し込んだ包丁を回すと、手元に男の血が滲んできた。


「温いね。犯罪者の血も、ちゃんと温度があったんだ。"私の血は冷たいまま"だから、信じがたいことだけれど」


生気を完全に失い、動かなくなった男に捨て台詞を一つ。

血に濡れた手が包丁から離れると、私は男から離れて座り込んだ。


手元は真っ赤だが、衣服に血は着いていない。

男の周囲には、この部屋に持ち込んだコンクリート片の他にも、多種多様な凶器が男の何かを付けて転がっていた。

私と、凶器の真ん中に男の亡骸が一つ。

顔は最早判別がつかず、体の一部も同様に"ぐちゃぐちゃ"という表現がピッタリとあてはまる。


私は目的を達したことを改めて確認した。


確認し終えると、徐々に私の意識は遠のいていく。

"今日はここまで"らしい。

薄く、薄く引き延ばされてゆく意識…私は特に抗うことなく従った。


「早くなったなぁ……」


気の抜けた口調で、呟きを一つ。

私の本心だ。

この前までなら…"前回"までなら、私が私であるままで、霧の中の世界から抜け出せたのに…


私の役目は、霧の中でも薄れて行っているのだろう。

今私がやっていることは、間違いなく彼女のモットーに反する筈だから。


敵を必要以上に作らない。

人付き合いは、必要以上に入れこまない。

ディープな感情は必要ないし、激しく燃え上がる情熱も要らない。


だったか…

人付き合いなど、この霧の中にありはしないが…

一つ目と三つめは思いっきり反している。


敵は作った状態で霧の中に来ているのだし…

ディープな感情は私が持ち合わせていて…激しく燃え上がる情熱も、今の私には備わってしまっている。


「後少しなんだ…後少し」


薄くなりゆく意識の中。

微睡が長く続く、曖昧な夢の中に居るような感覚。

私はポヤポヤした口調で独り言を続けていた。


「ここまで長かったのが悪いんだろうなぁ……」


「永すぎたが故の今か…」


「仕事はダラダラと続けないつもりだったのだけれど」


私の意識が消える直前。

私は私であるうちに、私が私じゃなくなる直前に、自分に言い聞かせるように呟いた。


「一番の目的は…ちゃんと遂行出来ている。偉いぞって、褒めてくれたって良いよね?」


 ・

 ・


完全に私から意識が切り離された"私"は、301号室の血だまりの中から何処か別の場所に立っていた。

そこが何処かだなんて、分かったものではない。

周囲を真っ白い霧に包まれていて、自分の足元ですら薄っすらとしか見えないのだ。


足元を見る限りだと、ローファーを履いていて…舗装の上に立っていそうだという事が分かる。

自分の姿を見下ろしてみてみる限りは、中学時代の制服に身を包んでいる。


それが分かったところで、この空間に居る以上…私に何の影響も与えないし…これから何かが起きるわけでも無いのだが。


ここは、私が私では無くなって…私が私となって目覚めるまでの一時避難場所のようなところだった。

私が私として、霧の中で仕事を済ませてから…私に戻るまでの隙間時間を過ごす場所。

言っていて訳が分からなくなるが…まぁ、夢の中で見ていた夢が醒めて、一段手前の夢の中に戻って来た…とでも言えば格好いいだろうか?


まぁ、そんなことをつらつらと言った所で、理解できるのは私と"彼"位しかいない。

私以外に唯一、霧の中の世界を自由に動ける男…私の幼馴染の男の子。

彼と私だけが知っている、この感覚とこの世界。


私は血に濡れていない、綺麗な手を見て少しだけホッと胸を撫でおろした。

あの霧の中の世界での出来事は、これから帰る?事になる現実世界では夢として処理されるので、ただの一夜の夢の中の出来事に過ぎないのだが…

だとしても、何度も何度も感じる"殺人"の感覚…最近感じるそれは気持ちの良い物ではなかった。


今までは、そんなことを一度も感じなかったのに。

喜びの方が大きかったのに。


例えその"殺人"が、私にとって大きな意味を持つことだったとしても…

それが私にとっての"快楽"を得る手段だったとしても…


実際に"やった"後、多少なりとも罪悪感が残ってしまっている。


好きな事や部活などで大会に出る前の"私はここに居て良いのだろうか?"と思ってしまう感覚によく似た感覚。

やりたいことをやって、まさにその通りに事が運んでいるのに、何故か罪悪感や不自然さに違和感を感じる。


霧の中に良いだけ紛れて人を殺して…慣れた頃に違和感を感じ出す。

霧の中で意識を手放して戻したのも、そんな違和感が原因だろうか?


私は一人孤独な空間で考えに耽る。

あの霧の中の世界も、霧の中に引きずり込む人間の事も、私と同じように霧の中で動ける彼のことも…

何もかも全てを知っていて、私の世界…私のテリトリーだと認識して、思い通りに事が進んでいるのに、そこまで来ているのに感じ出した違和感。


私は周囲の霧が晴れて行くのを感じながら、考えにハマった頭を数度左右に振った。


これからも、私は私で居ること。


最初に決めた事は最後までやり通す…例えモットーに反する行為だったとしても…

私は私なりに落とし前を付けてやる…そう決心して、そう自分に言い聞かせて、徐々に晴れて行く霧と…それに併せて挿し込む光の中へ溶け込んでいく。


「次は誰だろうね?」


作った声色で、挑戦的な口調で呟く。

その言葉を最後に、私は光の中に消えて行った。

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