ある男の末路
11.ある男の末路 <前編>
霧の中に降り立った。
周囲を見回すと、霧で隠れていて視界は悪いものの、見慣れた地元の街並みが見える。
体に目を落とすと、中学時代のセーラー服を着ていた。
手足を適当に動かしてみると、確かに今の自分よりも少しだけ軽く、力のない動きが出来る。
霧の中を歩いていくと、交差点に差し掛かる。
信号機のあるようなものではなく、住宅街の狭い道に現れた交差点。
その角々に設置された反射鏡を見つけて、それに映った姿を見て、クスッと笑った。
見慣れた"私"がそこに居る。
クスッとした笑みも、最近見慣れた顔はしていない。
口角の上がり具合で良く分かる。
彼女は控えめに釣り上がるが、私はちゃんと人並みに釣り上がっていた。
霧の中、私が私であることを確認した後、私はゆっくりと目的地の方へ向けて足を進めた。
目的地は、近所にあるマンションの3階…
301号室が今日の目的地だ。
今いる場所からは少し歩くが、それでも徒歩10分と少し…
私が自分の姿で居るのを堪能するには短いが、現実を考えれば仕方がない。
私は霧に包まれた街の中を、淡々と、一定の歩調で歩き続ける。
交差点を幾つか越え、曲がり角を数度曲がれば、その先には目的地となるマンション群とその近くにあるコンビニの影がボンヤリと見えてきた。
私はマンションへと向かう前に、コンビニへと立ち寄る。
霧の中…コンビニに明かりは点いていなかったが、扉に鍵は掛かっていない。
暗さを気にすることなく、扉を開けて中に入って行く。
家からは2番目に近いコンビニ…何度も利用したことがあった。
暗い店内を迷うことなく歩き、3種類程置かれているカッターの中から、一番大きくて丈夫そうなものを2つとその替え刃を2つ…それから、男性用の髭剃りを2つ程取ってセーラー服のポケットに仕舞いこむ。
万引きだ。
やってることは万引きだが、この霧に包み込まれた世界で、そんなことを気にする意味が無い事を私は知っていた。
必要な物を取って外に出る。
その場で、取って来たカッターのうちの一本のパッケージを開けて、ゴミはゴミ箱に捨てる。
カチカチと、数度出し入れして動きの渋みを取った後、カッターで指先をちょっとだけ突いてみた。
「…っ」
チクっとした痛みを感じてカッターを離し、その後に滲み出てきた血を見てから指を咥える。
口の中に鉄の味がジワリと広がった。
私はその味を感じて、思わず顔を綻ばせる。
こんな世界でも、生きてる実感が湧けばそれだけで随分と救われる気分になった。
私は気分が良いまま、少しだけ軽い足取りでマンションの方へと改めて歩き出す。
もうすぐ、やることをやってしまえば、次に霧の中に来れるのは…この体で動くことのできるのは何時になるのかが分からない。
それを考えると、少し憂鬱さが増してくるのだが…今はそんなことを考えぬようにしよう。
コンビニから、目的地となるマンションまでは目と鼻の先。
幾つか並ぶマンションの中の1つ…その中のエントランスに足を踏み入れた私は、右手に握りしめたカッターを一度だけ見下ろすと、深呼吸を一つ、大きくついて先に進む。
何時もであれば薄明かりが付いているエントランスは暗く、屋内に入り込んでも纏わりつく霧のせいで遠くが良く見えない。
それでも、このマンションの間取りは頭の中に叩き込まれている。
私は自分の周囲数メートルの様子を見て、脳内に出来た地図と照らし合わせながら、迷うことなく非常階段までやってこれた。
非常階段から上の階へ…上がること2階分。
3階へとやって来た私は、そのまま今日…と言っていいかは分からないが、今日の終着点となる部屋まで歩いていく。
301号室。
3階の1部屋目。
そこが私の目的地だった。
ドンドンドン…
バブル期に作られたマンションの、無駄に凝ったデザインを持つ扉を叩く。
電気が通っている気配も無い今回の霧の中…私は少々強めに扉を叩いて中に居るであろう男の登場を待った。
右手を後ろ手に隠して…
扉が開いた後、直後に放つ言葉はもう決めている。
「!」
扉の奥から人の気配がした。
静寂に包まれた霧の中の世界…少々作りのよさそうなマンションながら、扉の向こうから近づいてくる足音は微かに聞こえてくる。
きっと、扉の向こうで聞き耳を立てていれば私の歩いてくる足音だって聞こえてきただろうな…
近づいてくる音を聞きながら、何となくそう思った私は、やがて開けられるであろう扉をジッと凝視していた。
覗き穴も、きっと今から出てくる家主は使わないに違いない。
ただでさえガサツな上に、こんな異様な状況に巻き込まれて冷静さなど残っているのだろうか?
そう思えるほど、知能が低く動物的な男…
ガチャ…
私の読み通り、何も問題なく扉が開き、中から毛深い男の腕が見えた。
「誰だ…」
「"空白の宅急便"の者です」
低く威嚇するような声でそう言った男へ、私はよそ行きの言葉使いで隠語を告げる。
刹那、男の表情は驚きに染まった。
直後、私に右手は鮮やかに下から上へと振りぬかれ、男の首筋を少々深めに切り裂いていく。
「ああ!」
飛び散る鮮血。
驚きと絶望と困惑に歪む男の顔。
私はそのまま彼の大きな体を部屋の方へと突き飛ばす。
「…!…!」
喉仏辺りから激しく出血している男は突然の出来事にバランスを崩し、玄関の土間からフローリングに上がる段差に引っ掛かって転んだ。
背中側からコケて、後頭部を強打する。
「ん…!……んーーーーーーー!……」
私を見て叫び声にもならない呻き声を上げる男。
喉元の傷は深いとはいえ致命傷になるほど深くは無い。
単純に"空白の宅急便"という言葉と共に急襲されたことへの驚きと絶望が勝っているのだろうか?
…それとも…"昔殺した筈の女"が目の前に居るのが怖いとか?
私は薄っすらと嘲笑うかのような笑みを浮かべると、彼の呻き声には何も応答せず、彼の足元にしゃがみ込む。
彼の太い足を掴んで、私は躊躇なくアキレス腱辺りがありそうな箇所を深々と切り刻んだ。
「!…!!!!!!!」
吹き出る血。
カッターナイフが動くたびにビクビクと暴れる男の足をこれでもかという程に力を込めて抑え込み、先ずは右足の動きを完全に潰す。
次は反対側の足…
右足だけで切れ味が悪くなったカッターを一旦横に置き、2つ目のカッターをポケットから取り出した。
パッケージを開けて、ゴミは適当に廊下の隅へ放り込む。
カチカチと数度出し入れして…今度は指を切らずに、そのまま男の左足へとカッターの刃を突き立てた。
「!!!!!!!!!!!!!!」
「大人しくしてって言っても無駄でしょうね」
さっき以上に暴れる男に、私は初めて真面な口調で言葉を発する。
ぐしゃぐしゃと、雑な動きで左足を切り刻んで男の足の動きを完全に潰した私は、血だらけの2本のカッターを両手に持って男の肩に深々と突き刺した。
肩に突き刺したカッターをぐりぐりとめり込ませていく。
「…何でこんな目に合うのか、分かるよね?」
泣き顔とも、絶望に染まった顔とも言えないぐちゃぐちゃな顔をした男にそう言った私は、土足のまま家に上がり込んで、妙に長い髪を引っ張って居間の方へと上がっていく。
玄関から、男の流す血の川のようなものが出来た。
「貴方の血の色は、貴方の見た目よりも綺麗に見える」
他人事の様に、私は男の流す血を見て何となく呟いた。
居間の中心…ソファの近くまで彼を引っ張り続け、力の入らなくなった男を何とかソファに座らせて、私はソファの前のテーブルに腰かけて、自分の横に持ってきた物を並べ始める。
「へぇ…"こっち"でも刃物集めが趣味なんだ」
テーブルに"得物"を並べた後、部屋を見回しながら私は心底楽しそうな声色で言った。
「私の細い体よりも、貴方の熟した体の方が使いようがあったはずだよね」
そう言って、私は部屋の壁に飾られた物や、戸棚に仕舞いこまれていた物を物色し始める。
海外の映画か…偶に出てくる摘発ニュースでしか見れないような刃物が次から次に出てきた。
「全部刃がちゃんとしてる…」
手にしたそれを観察しながら呟く。
白々しい口調なのには当然理由があった。
「痛みは感じないんだよね。最初の方は」
幾つか…"私に使われた"物を見繕う為に居間の中を動く私は、声を発せずに呻き声を上げている男に聞こえるような声量で独り言を呟き続ける。
「でもね、徐々に焼けるような痛みがしてくるんだ。神経にまで来てくれればそれは雷に打たれたかのように痛い」
「指を切り落とされた時も中々の痛みだったよね。今回は私の番だよ?10回も楽しめる…」
「ああ…"もう一本"、私には無いものも切れるかな。血よりも汚さそうだから考え物だけど」
「何はともあれ…私は貴方のように上手じゃないから"ゲームオーバー"になるのは早そうだ。出来るだけ長く楽しみたいのだけどね!」
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