7.梅雨の季節の公園で <後編>

「……」

「……」


僕達は顔を見合わせたまま固まった。

暗い車庫の中…霧が覆う空間…雷の後の一瞬の暗転は停電のせいで暗くなったからではなく、霧の中の世界に取り込まれたからだと気づいたのは、互いに顔を見つめ合って、互いの顔の幼さに気が付いてからだった。


「また中学生時代の慧に戻ってるけれど、もしかして僕もそうなのかな」

「ああ…若くなってるぜ」

「今若返っても得した感じがしないね」


僕は精一杯の強がりを含めて、冗談半分といった声色を作って口元を笑わせる。

慧も同じようで、僕と同じような引きつった笑みを顔に繕ったが…その表情は直ぐに驚愕に上書きされた。

僕達は中学時代の僕達に戻っている。

着ている衣服も違っていたのだが…互いに互いが幼くなっていると気が付くまで何故か気づくことが出来なかった。


「彩希…後ろ見てみろよ」

「え?」

「車が…違ってる」


彼の言葉を聞いてすぐ、僕は背後に振り返り…そして目を大きく見開いた。


「嘘…」


さっきまで、ピカピカに仕上がっていた黄色い車。

鮮やかな流線型のスポーツカーがそこに無く、代わりにあったのは銀色と黒のツートーンカラーを持つ角張った車だった。


「慧…コレだよ。コレ…この車だ。僕が前の霧の中で見た車は」


以前の霧の中で見かけた車そのものだ。

車種に車体色に…念のために記憶しておいたナンバーまでもが全て一致している。

僕は動揺を隠さずに慧に言うと、彼は少し驚いたような声を上げてから僕の傍にやって来た。


「偶然にしちゃ出来すぎてるよな。怖いくらいに」

「ああ…さっきの話から察するに、ここは僕の家じゃないって言うのかい?」

「確認しようぜ」


彼にそう言われ、僕は否定せずにコクリと頷く。

座っていた椅子から立ち上がると、霧に包まれて普段の様相を一変させた家の中を歩き、玄関から外に出た。

2人分の…特に慧の履いていたらしき靴もちゃんと玄関にあったのが不思議だったが…それよりも気になることのために僕達は敢えて話題に出さずに外の表札を確認する。


"空野"


記憶にある形と変わらないで存在する僕の家の表札。

僕はホッと胸を撫でおろし、慧も同じように何処か安心したような表情を浮かべていた。


「とりあえず…ココが僕の家で間違いないらしい」

「車は違ったがな。これからどうする?」

「そうだね、さっきの会話から、霧の中で調べたいことが色々と出てきたんだけど…」

「けど…?」

「アルバムとかをさ、見てみたりとか…したかったんだけど…あの車の事もあるから、僕が知ってる僕が居ない気がして…怖くてさ」


僕は引きつった笑みに少々の恐怖を混ぜ込んだような顔を浮かべて彼に説明を続ける。


「車もそう…ああいう形、父さんの趣味じゃないと思うんだ。だからこそね…アルバムを開いて…そこに写ってるのがよく似た別人だったりしたら、僕なら卒倒しそうだから」


冗談を混ぜ込んでそう言うと、慧は小さく頷いてくれる。


「じゃ、家はナシだ。学校にでも行くか?」

「…だね。そうしよう…他に行く当ても無さそうだし」


彼の提案に、僕は素直に同意した。

彼の家…もっと言えば、葵の家や一博の家に行く当ても無くは無かったが…そこで記憶にある姿と違うものを見せられれば、僕達が受けるショックはそれなりに大きなものだ。


「自分の意識はあるのに、お前は別人だ…なんてのを見せられ続けるのは御免だね


霧の中は現実世界と違う様だというのは、これまでの経験で分かっていたが…それでも、自分や自分に関わっている人が記憶にある姿と違うとなれば、いよいよここに立っている僕達自身が一体何なのかという話になる。

自分が自分である…アイデンティティが自分の周囲の情報によって消えるというものは、この世界でしか体験できないであろう恐怖だった。


「ああ…じゃ、俺は何なんだって…変になりそうだしな」


多分…いや、十中八九その通りの、危惧している通りの結果が得られるであろうことをわざわざ確認して、自分の受けるショックを増やす必要もない。

何処かで"違うかもしれない"という可能性は残しておきたかった。


僕も慧も同じ気分なのだろう。

僕の家の中には戻らずに、昔通い慣れた通学路を歩き出すまでに時間は掛からなかった。


「制服じゃないけどな」

「どうせ僕達以外には…居たとしても死体だけさ」

「…だよな」


軽口を交わす。

その、いるかもしれない死体とやらが、僕の家の中に居るという考えは…2人とも持っていたのだが…意識的に除外していた。


「そう言えば、道路が濡れてるけれど雨は降ってないんだね」

「霧の中だからかな?…ま、濡れずに済むしラッキーってことで」

「…だね」


僕は白い雲が…というより霧が覆いかぶさる空を見ながら慧の傍…真横に並んで彼の腕を取る。

今回の霧はいつも以上に深く…それこそ、少しでも離れれば人影すらも確認できないのではないかと思う程だったから…


「はぐれたら見つかりそうに無いからね」


そう言って冗談っぽく笑うと、彼も同じような苦笑いを浮かべてくれた。


「学校行くんだぜ。はぐれるかよ、何回通ってっと思ってんだ」

「だからこそだよ。慣れてるから、何時もと違う光景が怖いんだ」


通い慣れた昔の通学路を歩き続けながら、僕達は黙り込んでしまわぬように…意識して言葉を交わす。

何時もであれば、カラスの鳴き声一つでも、通り過ぎる車のエンジン音でも聞こえてくる筈の道なのに、僕達の周囲の時間は全て止まっているかの如く音がしなかったから…黙り込んでしまえば、自分も凍り付いた空間に取り込まれそうだったから、意識的にでも声を出した。


僕の家から学校までは、徒歩で20分弱位…

その中間地点には、この地域で一番大きな公園の横を通る。


「そう言えばさ、学校行って調べるって言っても…顔写真とか写ってるの何かあったっけか」

「卒業写真で良いんじゃねって思ってたけど、まだ無いか…季節的に」

「うん…行事の写真とか、クラスに飾ってたっけ」

「あー…あったような無かったような…担任の気まぐれも入ってたから、あっても全員の顔写真は無理だろう」

「少しの写真でも良いよ。知ってる顔があったら、この間の警察官の彼と同じ現象が起きてるって分かるんだし」

「それが何かのヒントになればいいってか」

「そう…出来すぎた夢にしては起きてることが悪趣味だからね」

「誰かが俺らを巻き込んでるってか?…深夜アニメみたいだ」

「実際、深夜アニメみたいな目に合ってるんだけどね。感覚付きのリアルなので」



「あああああああ…………!!!」


そんな僕達の耳に、ドスの効いた断末魔のような叫び声が聞こえてきた。


「何?」

「……!」


足を止めた僕達。

僕は慧に更に身を寄せて声が聞こえた方に目を向けた。


「誰か居るみたいだね」


叫び声が止むと、再び周囲は静寂を取り戻す。


「行ってみるか?」

「犯人が居たら僕達も同じ目に遭うかも」

「……確かに」

「あ…慧、コッチに!」


立ち止まってどうするかを話し合っている間に、僕の耳に不穏な足音のようなものが聞こえてきた。

僕は慧の手を引っ張って、誰の家かもわからないが…身近にあった家の敷地の中に入り塀の後ろに隠れる。

僕が手を引っ張った頃には慧も同じように気づいたらしく、僕を守るようにして動いてくれた。


「……」


人差し指を唇に当てて…音を出さぬように、何者かが発する足音に全ての意識を集中させた。


「ハ…ハァ…ハァ……ふー……」


足音共に聞こえてきたのは、断末魔の声とは随分違う、幼い声。

女の声だった。


僕と慧は顔を見合わせて、間近にやって来たその声の主が何か独り言でも言わないか期待しつつ、引き続き沈黙し続ける。

足音は徐々に近づいてきて…駆け足だったものが、ゆっくりと歩くようになった。

それと同時に、息を切らしていた彼女の呼吸も落ち着いてくる。


「これで…何人目だっけ?」


彼女の独り言が聞こえてきた。

誰かに似ていると言われれば、ああ…と納得できそうな声。

だけれど、僕と慧の脳裏には…この声色を聞いて直ぐに思い当たる人物は居なかった。


「あと何人かも忘れたけれど」


彼女はそう言って何かを放り投げたようだ。

ヒュっと音がして…それは丁度僕達が隠れている塀の近くに落ちてきた。


「!!」


近場に落ちた物…血のベッタリと付いたナイフに驚かされたが…僕達は驚愕の表情を浮かべたまま彼女が何処かへ行くのを待ち続ける。

それと同時に、塀にある微かなすき間から道路側を伺って、彼女が何者であるかを突き止めようとしていた。


「まぁ、良いか…何処までやれるかなんて」


彼女の声は明瞭に耳に聞こえてくる。

塀の隙間から見える外の道にも、僕達が通っていた学校の女子生徒らしきシルエットが見えたが…人相まではハッキリと分からなかった。


背丈は体躯は僕とよく似ていたし、霧の中で歩くたびに揺れる髪も、僕とよく似たショートボブだというのが分かったくらい。

類似点は多かったが、顔がハッキリとしない上に、声を聞いてもピンとこない…結局は、彼女が何者なのかというのは分からず仕舞いだった。


「行ったか」

「追いかける?凶器はあそこに投げたんだし」

「辞めとこう。話が通じる相手でも無さそうだぜ」


やがて彼女は僕達が歩いてきた方へと消えて行く。

つまり…僕や慧の家がある方に消えて行ったのだが、僕達は彼女の後を追わずに公園の方に向かう事にした。


「あの断末魔を聞く限り、随分と大柄そうな男の人を刺したって思えるんだけど」

「大柄でも何でも、刺されてしまえばな…」


通学路から外れて、小さい頃から良く遊びに行った公園の中へと入って行く。

歩道から、公園の周囲をぐるりと繋ぐ外周散歩道に入り…声が聞こえた方へと足を進めて行った。


「遠かったよね」

「ああ…多分、トイレの周りじゃねぇかな?…その辺か、噴水の周り」


僕達は霧の中を歩いていく。

叫び声の聞こえた方へと一歩一歩近づいていき…やがてこの公園で一番特徴的な所へと出てきた。

噴水のある広場…だだっ広いながらも、豪華な作りをしている噴水がある広場だ。

霧の中でも、その噴水は何時ものように稼働していて…近づくと水が吹き出る音や水の流れる音が聞こえてきた。


「動いてんだな」


慧がそう言って近づいていき、僕もそれに続いた。


「あ」


そして目的の物を見つけてしまう。

噴水が流れ出ている目の前…一人の男がおびただしい量の血を流して倒れていた。


「慣れってのは怖いな。何にも感じねぇや」


慧はそう言いながらも、引きつった表情をこちらに向ける。

それは僕も同じだった。


「さっきの子が…彼を殺したとみて良いんだろうね」

「だろうな。恨み辛みか知らねぇが…良く見えなくて良かったんじゃねぇの?…惨殺って言葉が良く似合う死に方してるぜ」


彼はそう言って倒れた男の元へ近寄ると、しゃがみ込んで彼の顔を覗き込む。

僕も同じように遺体に近づくと、男の着ている上着のポケットから見えていた財布のような物を取り上げた。


「知らない顔だ」

「僕も…だけど、念のために名前を…ああ、根本っていうらしい。根本昭…43歳」

「現実でもこのオッサン居るのかもな」

「恐らくね…名前は違うだろうけど。住所もこの近く。3丁目の2番地…戻ったら確認してみようよ」

「ああ…あとはあの子だ。血塗れの」

「彼女も居るんだろうね…近所に、それも僕達の住む方角に」


僕はそう言って男の財布と運転免許証を雑に捨てる。

今まで起きたことを見てきて…僕の頭の中に微かに、嫌な考えが思い浮かんできた。


頭の中で思い描いたこと。

それは、出来れば当たっていて欲しくもない、僕にとっては気分の悪い仮定だ。


「慧、何となくなんだけどさ…嫌な仮説が立ったから聞いてみない?」

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