6.黄金週間の街角で <後編>

「彩希!大丈夫か?」


腰の抜けた僕の耳に、慧の叫び声が聞こえてきた。

ゴールデンウイークの休日が、惨状に変わった瞬間を目の前で見てしまった僕は、彼の言葉に答えることが出来ず、呆然とした表情を浮かべたまま地面にへたり込んでしまう。


「ケ!…こっちだこっち!」


反応のない僕に、慧が駆け寄ってくると僕を一気に抱き上げて、惨事の現場から距離を取る。

僕は未だに目の前の出来事が現実のようには感じられず、ただただ彼にされるがままだった。


「サッキ―、慧!こっちこっち!」


更に聞こえてくる友人の声。

葵が遠くで僕達のことを手招きしていた。


「っと…何が起きたんだ!?…」

「さぁ…?爆発が起きたのが見えただけだから」

「一博は?」

「ココの知り合い?の人とどっか行った!多分消防団の人じゃないかな…ホース持ってたし」


安全な場所に逃げてきた僕達は、まだ声を発せないで居る僕を間に置いて2人が言葉を交わしている。

僕は全身が震え…そしてついさっき見た光景が現実の光景だと、自分に言い聞かせて、心を落ち着かせることで手一杯だった。


突然の爆発。


それが、僕達の休日を襲った悪夢になる。

丁度、4人がそれぞれ行きたい出店に向かうためにバラバラになった直後の事…僕が向かおうとしていた出店が、突如として爆発したのだ。


行こうとしていたのは焼き鳥の屋台。

色黒の、普段街中で会ったら距離を置きたくなるような男が愛層の良い声を振りまいていて…僕はその声と焼かれている焼き鳥に何気なく興味を引かれて…何本か買ってみようかと近づいただけなのだが…

僕が客として立つ前に、その場所は派手に吹き飛んでしまった。

爆発の瞬間の…向こう側に居た男の人がどうなったかも、この目で鮮明に映し取って……


僕はあと数歩の所で爆発の直撃を免れて怪我一つしていないが…その場に腰を抜かしてへたり込む。

慧が直ぐに駆け寄ってきてくれて、動けなくなった僕を少し離れた休憩所まで抱えて持ってきてくれたのが、直前までの出来事…

顔を真っ青にしながらも、徐々に自分を取り戻して…数回、意識して大きな深呼吸をついた。


「大丈夫か?」


胸に手を当てて深呼吸を繰り返す僕に、慧は心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んでくる。

僕はフリーになっている左手で彼を制すと、小さく口元に笑みを浮かべて見せた。


「キツイ冗談だった」


強がるようにそう言うと、最後にふーっと長い溜息をついて慧と葵の顔を見比べる。


「…心配かけたね。ようやく落ち着いてきたよ」

「そのままじっとしてろよ、とんでもない日になったもんだ」


慧は僕の言葉を半分信じていないようで、表情を険しいものにしたままだ。


「…ちょっと一博の方見てくるね」

「?…ああ」

「警察の人も来たみたいだし…私が対応しておくから、慧はサッキ―の側にいてあげて」

「サンキュー」


葵がそう言って僕達の元から離れて行く。

遠くには一通り手伝いを終えたのか、一博がこちらに戻ってくるのが見えた。

彼女は一博の方へ駆け寄って何かを話している。


「こりゃ帰りも遅くなりそうだな」

「だね…霧の中に取り込まれなくなったと思ったらこれだもの」

「お祓いでも行ってみるか?」

「考えておく…」


僕は未だ小刻みに震える体を縮めながらそう言って苦笑いを浮かべる。

視界の奥で、一博と葵が話し込んでいる所に警察官が一人、歩み寄って彼らと言葉を交わし始めた。

葵が何かを説明しているようで、やがて話題は僕の方へと向いたらしい…彼女がこちらに顔を向けて指を指してくると、別の警察官が僕達の方へと向かってきた。


「…応対か」

「目の前で見てたからね…こういうのは記憶が鮮明なうちにやっておかないと」


僕と慧が一言言葉を交わすと、大柄な警官の男が僕達の前にやってくる。

大柄で鈍そうな男…警察官なのだから、鈍いという事は無いだろうが…何故かそんな印象を受けた。


「すみません、汐月署の亀石と言いますが…あちらに居るお友達から…貴女が爆発発生時に間近に居たとお聞きしまして、お話を聞かせて頂いても良いでしょうか?」


亀石と名乗った彼は警察手帳を出しながら低姿勢…という言葉が良く似合う声色で話しかけてくる。

その声色が、妙に自分の中で引っ掛かったが…僕はそれを表に出さずに小さく頷いて答えた。

亀石明憲…それが彼の名前らしい。


「はい…大丈夫です」

「ありがとうございます…その、お怪我とかはされていませんか?」

「してないです」

「良かったです。かなりの威力でしたから…」


僕は節々に感じる違和感の正体を掴めないまま、曖昧な表情を浮かべて頷いた。


「屋台のどのあたりから発火したとか…覚えてますか?」

「…コンロだったような気がします。そこから何かが上に弾けたのが最初で…そこから何かに着火してドカン…だったと」

「コンロの下ですか」

「はい。幕が掛かってて何が置かれていたとかは…」


警官は数回頷いて顎に手を当てると、手にしていたメモ帳に何かをメモし始める。

何が置かれてたかなんて、調べるのは彼らの仕事だろうし、消防の人とかが簡単に突き止められそうなものだと思うのだが…これも仕事という事だろう。

彼はメモを見て顔を小さく顰めると、メモを仕舞って、代わりに写真を数枚取り出して僕の方に見せてきた。


「ちなみに、屋台に居た男はこの中に居ますか?」


その言葉と共に見せられた3枚の写真。

見てみると、それは証明写真のような…マグショットだった。

僕は記憶を掘り起こして屋台に立っていた男の人の顔を思い浮かべてみると…3枚のうちの1枚に写った男がピッタリと当てはまった。


「この写真の人は居たような気がします。後の2枚は…違うかと」

「そうですか…ありがとうございます」


彼は顰めた顔を更に気難しいものにして礼を言ってくる。

その顔を見て、ああ…爆発に巻き込まれた人の原型は留めていないんだろうな…と、巻き込まれた人は、少なくとも善良な一般市民とは言えない人種なのだろうなと察せた。


「とりあえずここまでで…ご協力に感謝します」

「いえ…お疲れ様です」

「現場はこれから封鎖されますが、移動は落ち着いてからでいいですから…気を落ち着けてからお願いします」

「はい」

「では」


警官の男は僕と慧に一礼すると、振り返って元居た方へと歩き出した。

そんな彼と入れ替わりで葵と一博が戻ってくる。

彼らは警官の男を見て少し驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに表情を元に戻して僕達の方に駆け寄って来た。


「封鎖されるってよ」

「ああ。彩希が落ち着いてからで良いって」

「僕は大丈夫だよ」


一博と慧の会話に、僕はそう言って立ち上がる。

さっきまでは生まれたての小鹿のように震えていた膝も、今では問題なく立ち上がることが出来た。


「大丈夫…?無理してない?」

「してない。ここに長居してもしょうがないし」


僕はそう言って慧の手を掴む。


「手だけは借りるよ。行こうか」


 ・

 ・


「……」


酷い休日を過ごした僕は再び霧の中に立っていた。

あの後は…4人で帰路について、特に何をするでもなく、それぞれに家に帰ったはずだ。

家に入って、幾つか母と言葉を交わしてから、自室に上がってベッドに倒れ込んだところまでは記憶にある。


…そこからの記憶は曖昧だ。

何時もであれば、視界が徐々にぼやけて行くとか、周囲が徐々に霧に包まれるとか…予兆があるはずなのだが、今回は僕の精神状態が悪かったからか、そんな予兆を感じる取れず、気が付いたら霧の中に立っていた。


もし、ベッドに倒れ込んで、目を閉じた後だったとするのであれば、ココは夢の中という理解が出来そうだが…


「…冗談じゃない」


ここまで感覚がしっかりとしていて、自分の身体を自分で動かせる夢など見たことが無いから、その考えは真っ先に捨てよう。

深い霧の中…1月近く迷い込まなかった空間の異様さが、僕にとってここが現実でも夢の中でもない、異質な空間であるという確証になっていた。


今回の僕は、これまでの空間の様に何処かの建物の中に居なかった。

ここは何処かの広場の様だ。


霧で遠くが見えないが…聞こえてくる波の音と、嫌な記憶と共に頭に残る周囲の光景を見て、ココが4人で遊びに行った薬大海岸の近くにある公園だという事が分かった。

慧に連れて来てもらった、木で枠を組まれた簡易的な休憩所から数歩先に出た所に立っている。


僕は先程までの記憶を頭の片隅に思い浮かべて体を震わせた。

だが光景が屋台も何も出ていないただの広場に変わっていたからか、さっきのように足をすくませるほどでもなく…程なくして周囲の探索しようと歩き出した。


久しぶりの霧の中。

今回も慧の姿は何処にもなく、今のところは誰かが居るような気配もない。

僕は記憶に残っている広場を頭に思い浮かべながら、当てもなく歩き続ける。


屋台が並ぶほどの公園だから、そこそこの広さがあった。

霧のせいで、変わり映えのしない足元を見ながら…微かに輪郭だけ見える遠くの景色と記憶を照らし合わせながら歩き続け…やがて広場に隣接する駐車場の方に辿り着く。


特に、こちら側に行こうと思ったことは無いのだが…

何となく、輪郭を追って、ちゃんと記憶と輪郭が一致した方向がこちら側だった。


「誰も居ない」


見える範囲では、車一台たりとも止まっていない駐車場…

周囲を何度も見回していると、ふと駐車場に1台の車のシルエットが見えてきた。

霧の奥…雷の様に点滅する街灯に照らされて見えるシルエット…それは、現代の車の物とは違う、角張ったシルエットだった。


僕はそのシルエットに何かを求めて、そっちの方向へと歩き始める。


近づいていくと、それは古い2枚ドアのスポーツカーだった。

角張ったデザインの車…赤と黒の2トーンカラーのこの車は、昔の刑事ドラマか何かで見た覚えがある。

ナンバーの地名は汐月…下4桁は3854…僕の地元周辺に居るらしいが…車もナンバーにも、見覚えは無かった。


「……誰かが乗って来た?」


僕はその車の様子を見て、この空間に初めて他人の気配を感じ取る。

湿っぽい広場や、少しだけ…薄っすらと濡れた駐車場…その中で、目の前にある車についていた水滴は、先程まで動いていたかのように見えた。

間近まで近づいてみて、不躾と思いつつもボンネットに手を触れてみるとまだ暖かい。


「熱い…」


思ってもみなかった事に驚いて手を引っ込めると、僕はその周囲からこの車の持ち主が何処かへ立ち去っていないかの痕跡を探し始める。

ボンネットの熱さは、今いる空間の温度から察すれば少し熱すぎる位だ。

つまり、この車はずっとここに居たわけではなく…何処かからやって来た直後だと思っていいだろう。

運転席の方に回り込んでみると、オイル染みのようなシミが地面に付いていて…それが駐車場のさらに奥…霧の奥の方へと続いていた。


僕は息を飲み込んで、歯を食いしばる。

そして、ゆっくりとシミの続く方へと歩き始めた。


「…!」


そして僕はシミの終点に辿り着く。

そこは駐車場の隅…大柄な男が胸から血を流して倒れていた。

僕は倒れた男の下へと駆け寄っていく。

何時もなら、情けない悲鳴の一つでも上げて後づさりするのだが…この時ばかりは違った。


「な……」


飾り気の無い私服に身を包んだ男。

身なりからは怪しさの一つも感じられないその男の顔に見覚えがあったからだ。


「あの時の…刑事さん…?」


僕はそう呟くと、自然と彼の持ち物を漁ろうとしゃがみ込む。

これまでにない…現実の世界との繋がりに、僕の心臓は一気に早鐘を打ち始めた。


「嘘…」


そして彼の財布を見つけて、中に入っていた運転免許証を見た時…僕の眼は大きく開かれた。


「亀石じゃない…別人?」

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