黄金週間の街角で

6.黄金週間の街角で <前編>

「彩希ちゃん、これ全部やったんでしょ。大したもんだよホント」


父の馴染みの車屋…この間まで将来の愛機を塗装に出していたお店の応接セットの一角で、僕に応対してくれている男の人がそう言った。

そう言って向けた視線の先には、僕の家で部品の取付が一通り終わって、車の体を取り戻したスポーツカーの姿が見えた。


「店長が昔に弄った写真もありましたし。何だかんだ父さんが手伝ってくれましたから」


僕はそう言って再び店に預けた車の方に目を向ける。

彼の呼び方は…父が店長とずっと言っていたから、彼の名前を知っているのだが…呼ぶときは何時だって"店長"だった。

昔は何処かの車屋の雇われ店長で…今は独立して店を持つオーナーなのだが…昔からの呼び名は早々変わるものではない。


「あの人らしい。先輩、素っ気ないくせに面倒見良いんだから」


店長がそう言って笑みを見せると、僕もつられて小さく笑った。

今の僕は、この間葵に問い詰められるほどの顔をしていないはずだ。


繕っているのもあるから、当然と言えば当然だが、それでも、最近の僕は少しだけ心の安定を取り戻している。

…というのも、ボーリング場で取り込まれてから、僕は暫く霧の中に取り込まれていない。


慧が居ない…あの不思議な空間を抜け出してからというもの、不思議と、自分の直感で…"暫くは霧の中に入らないのではないか?"という根拠のない確信めいた考えに至った。

今のところ、その考えは正解で…1月弱が経過した今でも、僕は霧の中に取り込まれていない。


私生活でも幾つかの変化はあったが…僕の気持ちが落ち着いているのは、慧や葵、一博達と一定のペースで遊ぶようになったのも多分に影響しているのだと思う。

それに、最近はようやく自分の思い通りに体を動かせるようになってきたとしてジム通いを辞めたことで、今まで以上に自由時間が増えたのもそれに拍車をかけたのだろう。


だから、この1か月ほどの僕は、自分でも驚くくらいに何をするにしても捗っていた。

車弄りもその成果の一つ…先月までは、あと2か月は掛かるだろうなと思っていた作業も、気づけばこうして最後の確認を行えるまでになっている。


「…仮ナンバーは今取りに行かせてるんだ。仮ナン来たら俺が見ておくって事でいいんだよね?」

「はい。お願いします」

「車検はどうするんだっけ?」

「父が乗りたいって言って聞かないので、取れそうなら登録までして欲しいです」

「だろうね。了解!」


平日の暇な時間帯。

特に忙しくなさそうだった店長は、段取りをアレコレと付けて行くと、最後に別の車の鍵を取って戻ってくる。


「よし、これで動ける。暇だし家まで送ってくよ」

「ありがとうございます」


僕はお礼を言って椅子から立ち上がり、彼に付いて行った。

店の外に出て、店長の車まで歩いていき…彼の車の助手席に収まる。

彼の車は、僕が弄っていた年代物のスポーツカーから、少しだけ新しい時代の車だ。

シートに座ってベルトを締めると、エンジンが掛かる音が聞こえてきて、振動が体を震わせた。


「先輩って最近忙しそうなの?」


特に何事もなく、店の敷地から外に車を出した店長が何気ない口調で確認してくる。

僕は少しだけ考えるような素振りを見せてから、小さく首を捻った。


「半々…って所ですかね?安定してないです。暇なときは滅茶苦茶早く帰って来ますけど」

「そっかー…」

「書類関係ですよね?…仕事に出る時間は融通効くみたいですし、多分前持って言っておいたら持ってくと思います」

「そう?なんか悪い気がするけど…お願いしていい?」

「はい。本当にあの車、僕にくれるのかなって位にソワソワしてますから」


僕はそう言ってニヤリと笑って見せる。

店長もそれを聞いて小さく噴き出した。


「そりゃそうだ。結婚して子供出来ても持ってたんだもの」

「東京に居た時からの車ですよね?あれ」

「そ。彩希ちゃんのお母さんと出会ったときもアレに乗ってた。今でも覚えてる」


店長はそう言って、家までの道中で昔話をしてくれた。

僕が生まれる前の話。

何度も聞いたことがあったけれど、彼は昨日の出来事のように鮮明に話してくれる。


家に着くと、僕は店長にお礼を言って車から降りて、真っ直ぐ玄関へと向かった。


「ただいま」


鍵を開けて中に入り、そう言って居間の方に歩いていく。

途中のコートかけに、着ていた薄手の上着と黒いキャスケットをかけた。


「おかえり。今の店長?」

「そう」

「あんな車に乗ってたっけ?」

「変えたんだってさ」

「へー…午後からは街に出るんでしょ?」

「うん。少し休んだら準備して出て行くよ」


僕はそう言いながら、グダッとソファに沈み込んで、午前中特有のつまらないテレビ番組に目を向けている。

母はそんな僕を見て少し苦笑いを浮かべると、何も言わなくなって同じようにテレビに目を向けた。


部屋の時計に目を向けると、バスの時刻までは15分ほど余裕がある。

僕は意識していなかったが、今はゴールデンウィークの真っただ中…

何時もの4人で何処か当てもなく遊びに行こうと言われて、首を横に振る筈もなかった。


「…中途半端な時間だし、早くついても待つだけだし、行こうかな」


僕は数回時計を見直して、時間の進みが自分の体感よりもずっと遅い事に気が付くと、ソファから立ち上がった。


「気を付けて。行ってらっしゃい」

「行ってきます」


そう言って居間から出て、上着とキャスケットを取って、それを身に付けながら玄関の方まで歩いていく。

靴を履いて外に出て、バス停に向けて歩き出す前に家の方に顔を向けると、母が何時ものように見送ってくれていた。

僕は手を振って見せると、直ぐに前に向き直ってバス停までの道を歩き出す。


バス停までは5分とかからない。

昔から変わらない、バス停までの道をあっという間に歩き終えた僕は、ポケットに手を突っ込んでバスが来るのをじっと待ち始めた。

葵も、慧も、一博も、皆がこのバス停だから、ぼちぼち揃い始めるだろう。


「……」


ポケットに手を入れて、まだほんの少しだけ肌寒く感じる風を感じながら突っ立っていると、視界の隅に見慣れた人影が見えてきた。


「相変わらず早いねー」


その人影は僕を見止めると、そう言いながら駆け寄ってきて横に並ぶ。

葵は相も変わらず明るい表情を浮かべていた。


「待ってても暇だったしね」

「一博と慧もそろそろじゃない?」

「一博が寝坊してなきゃね」

「あー…朝起こした時は起きてたから、多分大丈夫」

「相変わらずモーニングコールしてるんだ」

「アハハハ…何か、当たり前になっちゃってるんだよね」


葵はそう言って後頭部に手を載せると、苦笑いを浮かべて見せる。

僕と慧のような関係…だと思っていたが、僕達の間ではそんなことはしたことが無い。


「そう言えばノープランのままだけど、何処に行こうとか…あるの?」


僕は今日これからの事を彼女に尋ねてみる。

ノープランなのは何時もの事…気が付けば、どこそこに行こうとか、ここに行きたいとかを調べてくるのは葵の役割になっていた。


「んー…今日は一博が行きたい場所あるって言ってたから、アタシは今回ノータッチ。知らないんだよね」

「珍しい。一博が?」


行先の話になると、丁度遠くに2人組の人影が映り込む。

僕と葵が目を向けると、一博と慧がこちらに向かって歩いてきていた。


「じゃ、本人に聞いてみようか」

「ねー…変な所じゃないといいけれど」


僕達はそう言って彼らに手を振る。


「ギリギリ間に合ったな」

「そうだね。その割に急いで無いみたいだけど」

「まぁ、バス見えなかったし、お前らが居るの見えたからな」


慧はそう言ってニヤリと笑った。


「所でどこ行くか知ってるのか?」


そのまま彼は僕に尋ねてくる。

僕は小さく首を振って否定した。


「葵も知らないよ。一博だって。今日の行先決めてるの」

「え?」


僕が答えてやると、彼は驚いた顔を上げて一博の方に目を向ける。

ここまでの道中で、どうやら行き先の話はしていなかったようだ。


「言ってなかったっけ?」


3人の注目を浴びた一博は、あっけらかんとした口調で言った。

それを聞いた僕達は、一斉にジトっとした視線を彼に送る。

彼には良くあることだが、彼は肝心なことを最後まで言わない癖があるのだ。

本当に大事なことは、逆に真っ先に言ってくるからまだ良いのだが……

僕達はそんな彼に、何時ものように小さな呆れ顔を向けてやる。


「ごめんごめん、そう言えば葵に俺に行き先決めさせてって言ってから何も言ってなかったね」


一博は誤魔化すような笑い顔を浮かべて、葵と同じように後頭部に手を載せると、上着のポケットから何かのチケットのような紙切れを取り出した。


「薬大海岸の方だ。そこで春の旬祭りとかいうのやっててな?良くある港の催し物なんだけど、それにちょっとした縁日みたいな出店も出て花火もやるみたいだぜ」


彼はそう言って4人分のチケットを僕達に配ってくれる。

渡された紙を見ると、ココから電車で2駅ほど離れた場所にある港町で行われるイベントの概要が簡単に書き込まれていた。

浄遠市薬大海岸…僕達が済む汐月市から海を見に行くには一番近い距離にある。


「ああ…一博の親のどっちかが浄遠の出身だっけ?」

「そ。ばあちゃんが送ってくれてさ、それ持ってると何でも10%オフになるんだって」

「なるほど。じゃ、今日はそこ行くってことで異論は無いな?」

「「無い」」


慧がそう言って締めて、僕と葵は二人並んで頷く。


「じゃ、決まりだな」


一博はそう言って、何処かホッとしたような表情を浮かべる。

その表情を見た僕は、ほんの少しだけ不思議に思って彼の顔をじっと見つめた。


「先に葵に言っておけば、僕達は浴衣で来たのに」


小さく冗談を言ってみると、彼は笑って首を振った。

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