出会いの季節の店内で
5.出会いの季節の店内で <前編>
すっかり春の陽気に包まれるようになった頃。
僕は変わり映えのない日々を送り続けていた。
喫茶店とボーリング場でのバイトに勤しみ、それ以外の余暇は自分の時間に使う。
…去年の自分が決めたルーティンを、最近は意識しながら守り続ける。
意識しなければ、何処で霧の中に取り込まれるのだから。
慧の家で、まるでパラレルワールドの中のような母校に取り込まれてから1月とちょっとが経った。
あれから、僕達は3度霧の中に取り込まれている。
それまでは1月に1度あるかどうかだった事も、最近は5日程度に1度のペースで巻き込まれていた。
場所は全て母校で変わらないが、取り込まれる時は決まって心が落ち着きを取り戻した時…緊張感が一切なくなって、何もかもから体が解き放たれた時だと気が付いたのは、ついこの間取り込まれた時だ。
何がトリガーになっているのかは分からないが…
一通り自分の行動が終わって、ふと気を緩めた時に巻き込まれている。
当然、気を抜くたびに取り込まれている訳ではないが、取り込まれる時の僕は、決まって気の抜けた瞬間で呆けっとだらけて居る時だった。
それは慧も同じだそうだ。
それ以来、僕達は表面上で普段通りの自分を繕いながら、裏では何時自分が油断して霧の中に取り込まれるのだろうかとビクつきながら過ごすようになっていた。
幸いにも、今のところは読みが当たっているのか…ここ2週間は霧の中に取り込まれていない。
僕も彼も、表の顔を取り繕うのは得意中の得意だった。
薄ら笑みを張り付けて、周囲から一歩引いた立ち位置を確保して、周囲に流されるまま…時折自分の言葉で方向を修正しながら、漂っていく人間だったから…
互いに素面で居られるのは一人の時か、2人で居る時だけ。
葵や一博が居る時でもほぼ素面だが…それでも、僕達の間柄と彼らの間には、薄く絶妙な壁がある。
彼ら2人の関係もも僕達のようなものだから…僕と慧の関係が、彼ら2人の間にもあるのだろうから…2つのコンビの間には取り払おうとも思わない分水嶺が出来ていた。
「…君も折れないね」
僕は喫茶店でのバイト終わりに、ロッカーの鏡に映った白髪の女の顔を見てそう言うと、直ぐに表情を消して着替え始める。
去年の自分と同じことを続けながらも、あの時と微妙に違う…求めていた普遍な日々とは少しかけ離れた生活を送ってる僕は、バイトの合間の休憩とかで、鏡に映った自分の顔を見る度に嫌な笑みを向けるようになっていた。
「じゃぁ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「おう!お疲れさん。気を付けて帰れよ」
私服に着替えた僕は、マスターに挨拶をして店を出る。
手には雪が解けて再び乗れるようになったバイクのキーが握られていた。
バイトも終わって一安心…したいところだったが、今の僕はその安泰も得られない。
どこか妙な緊張感を感じながら、駐車場の隅に止めていたバイクに跨ってヘルメットを被ると、キーを挿し込んで捻り…キックレバーを蹴飛ばしてエンジンを掛ける。
まだ寒いと感じる外の空気。
僕は少しだけ体を震わせながら、バイクを車道に出して流れに乗った。
・
・
家に帰ってくると、そこからのルーティンも何時も通り…
バイクを車庫の隅に置いて、一度家の中に入ってコーヒーを一杯飲み、再び車庫に戻って…父の知り合いの板金屋から返って来た車を弄りだす。
霧の中に取り込まれながらも、少しずつ仕上げてきた父の思い出の車…綺麗な黄色に塗られて仕上がって戻って来た車体に、取り外していた部品を取り付けていく作業に手を付け始めた。
「……」
無言のまま、車庫の中に備え付けられているラジオのスイッチを入れて適当な番組をBGM代わりにしながら…
僕は"意識して"手を動かす。
霧に取り込まれない様に、手先は動かしながらも、僕の頭の半分はあの霧の中の出来事の事で一杯だった。
数回取り込まれて、あの空間自体には慣れてきたが…血をみる事と死体をみる事だけは別の問題だ。
霧の中に入ってしまえば、僕も慧も何処かで息絶えている遺体を見るまであの世界の中から出てこられない。
誰かの死をこの目で確認するためにあの世界を彷徨い歩くという事が何度も何度も続くのは御免だった。
「彩希ー、葵ちゃん来てるけれど」
黙々と作業を進めていた僕にの耳に、母の声が聞こえてきたのは車庫に籠って1時間経った頃。
僕は珍しい尋ね人の名前を聞いて少し驚いた顔を浮かべた。
「葵が?」
「うん。メールしたみたいよ?」
「あー……部屋に携帯置きっぱなしだった」
「そうでしょうね。行ってあげて」
僕は彼女の来訪を少し不思議に思いながら、彼女を待たせぬように片づけを始める。
工具類は適当に地面に置いて、ラジオを消して…家に戻ってから洗面所の鏡で自分の今の格好を確認した。
…特に変わり映えのしない白髪の見慣れた顔が鏡に映る。
汚れるような作業もしていなかったせいか、衣服や肌に油汚れ一つ付いていなかった。
「ゴメン!待たせたね」
居間の扉を開けて彼女を見止めた僕は、普段通りの小さい笑みを浮かべて葵の傍に歩み寄る。
「うん。こっちこそゴメンね、急に来ちゃって」
去年の暮れ以来…久しぶりに再会した葵は、あの時の、普段通りの明るさを纏ってはいないようだ。
少しだけ陰のあるというか…少々曖昧な、沈んだような気持ちが滲んで見える。
「全然…何かあったんでしょ?…とりあえず、僕の部屋に行こう」
そんな彼女を前に、僕は更に頭の中にクエスチョンマークを付けながら、彼女を部屋に上げた。
「久しぶりだよね、サッキ―の部屋に来るの」
「変わってないでしょ?」
「うん。相変わらず綺麗…」
「…荷物はその辺に適当に置いといてよ」
葵を椅子に座らせて、僕はベッドに腰かける。
ベッドの上に放り投げていた携帯を手に取って彼女からのメールを確認してみると、端的に"相談があるから帰りによっても良い?…"とだけ書かれていた。
「で…相談って事だけど、僕がアドバイス出来る範囲ならなんでも言ってよ」
携帯を再びベッドに置いて、僕は少し視線の高い位置に居る彼女に声を掛ける。
「うん、ありがと…じゃあ…早速なんだけど、彩希はさ、最近忙しかったりするのかな?」
「え?」
「最近、偶にサッキ―を見かけるんだけどさ…サッキ―怖い顔してるから、何かあったのかなって」
彼女の言葉を受けた僕は、自分でも似合わない程に困惑した表情を浮かべる。
僕は彼女の事を見ていないし、見たとしても確実に話しかけに行く間柄なのだ。
だけど、彼女は僕を見かけていて…その時の僕は普段と違うと言っている。
「あー…そんなに、僕の様子が変だった…?…何時頃から…?」
僕は全く思い当たる節のない事に、頭を混乱させたまま聞き返す。
「少し前かな?…バスの列に並んでるの見かけたりしたんだけど、サッキ―何時だって不機嫌そうな顔で…また何かあったのかなって。それが少しの間だったら、まぁ、良かったんだけど…この間見かけた時も変わらなかったから、なんかあったんだって思って」
彼女は普段の明るさを抑えた、真面目なトーンで言っていた。
僕は自分の事を言われているはずなのに、何処か他人事のように彼女の言葉を受け止める。
親にすらバイト先の人にすら気づかれていないであろう今の僕の心の乱れを、ただ遠くから見ただけで看破して見せた彼女をどう思おうか…
凄く良い友人に恵まれた事は間違いない。
そして、一人で道端を歩いている僕が自分を繕う事が出来ていないという事は無視できない事実として受け止めよう。
「なるほどね」
僕は彼女の言葉に、曖昧な声色でそう返すと、彼女は少し身を乗り出してくる。
「何て言えば良いか分からないし…こういうのも何だけれど、この前見たサッキ―、学校を辞めちゃう時とよく似てたのよ。慧が居るから大丈夫だとは思ってたけど、サッキ―隠すの上手いから慧の前だと普通なのかなって…」
「ハハハ…一人の時、そんな顔してたんだ」
少しだけ、呆れ顔をブレンドさせた笑みを浮かべた僕は、両手を小さく広げて見せる。
「ありがとう。心配してくれて…ちょっと面倒事になってるけれど、僕は大丈夫だよ。あんな、学校辞める時の気分じゃない」
「そうなの…?無理してないよね?」
「ああ、誓って無理してないよ。僕の場合、変わり映えしなくてそうなってるのかも…案外、昔から色んな事をやって来た人間から…バイトして家に帰っての繰り返しに飽きてきたのかな」
僕はそう言って誤魔化した。
葵には申し訳ないが、霧の世界の事を彼女に言うわけにも行かないだろう。
「そう…ならいいけれど…」
彼女は何処か腑に落ち無さそうな表情を浮かべる。
僕はどこか追い詰められたような、何とも言えない表情を浮かべて苦笑いを浮かべた。
「偶には別の事でもして気分転換でもしなきゃだね」
誤魔化しに誤魔化しを重ねる様に呟くと、葵の顔はハッとした表情に切り替わる。
「そうだ!今度の土曜日、サッキ―のバイトしてるボーリング場でも行こうよ」
何時もの明るさを取り戻した葵はそう言って立ち上がると、僕の横にやってきてベッドの上に座り込む。
僕は目を点にして、彼女の勢いに押された。
「サッキ―が嘘をつかないのは知ってるから。大丈夫っていうなら大丈夫なんでしょうけど、あんな顔、してるだけ損だもの。偶には遊ばないとね!」
「え?ええ…そうだね。僕も、少し考え事が過ぎてたと思うけど…」
「慧と一博も入れて4人で行こうよ。ちょっと昔に戻るだけだけど」
彼女は人懐っこい、何時ものパッと明るい表情と双眼を僕に向けてそう言って、僕の答えを待った。
彼女が言う土曜日は…普段ならバイトが入っているのだが、その日は偶々オフの日になっている。
だから、僕の答えは迷う事もなくイエスだった。
「じゃ、慧には僕から言っておくよ」
「決まりね!」
僕の回答に、葵はパッと弾けるような笑みを見せる。
彼女につられて、僕の表情も少しだけ明るくなってきた。
「でも良かった。サッキ―のあんな顔、中々見ないんだから」
葵は心底力が抜けたようだ。
そっと僕の方に体を倒して寄り掛かってくると、そう言って笑みを見せる。
「そんなに酷い顔してたって覚えておくよ。あー…何かひと段落した感じ…まだ時間あるなら、コーヒーでも淹れてこようか?」
僕はそんな彼女に苦笑いを見せながら、彼女をベッドに寝かせながら立ち上がった。
彼女はグッとサムアップを突きつけて頷く。
「お願い。思いっきり甘いコーヒーで!」
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