吹雪の中の喫茶店で

2.吹雪の中の喫茶店で <前編>

「ありがとうございました~」


レジに立った僕はそう言ってお客さんを見送る。

彼らが入り口のドアを開けると、真っ白な外の景色が見えた。

微かに入ってくる雪と風。

僕はほんの少し体を震わせると、彼らが座っていたテーブルの掃除と食器を下げに向かった。


「置いときますね」

「サンキュー」


お盆に乗せたカップと皿を流し台に置いて、お盆を拭う。

綺麗にしたお盆を元の場所に戻すと、僕は店内を見回した。

一人も居ない店内…カチコチと秒針が鳴り続ける時計は11時半過ぎを指している。


平日のお昼時だったが、今日は客足が全くと言っていいほど無い1日になりそうだ。

理由は外を見ればわかる。

強風と大雪…窓の外は吹雪模様で、とてもじゃないが外を出歩こうだなんて思う人は居ない天気だ。

僕はカウンター奥の椅子に座ってふーっと溜息を付く。

丁度、窓の外が光って…数秒後には雷鳴が轟いた。


「おっと、今のは雷かい」

「そうみたいです。あ、凄い降って来た」

「え?あー…こりゃぁ参ったな。今日は先に上がって良いぜって言おうと思ってたのに」

「今外に出たら、駅までの道で遭難しますよ」


僕は洗い物をしているマスターにそう言って笑った。

洗い物も…本来であれば僕の仕事なのだが…余りに暇だったのか、今日はマスターがやるといって聞かなかったから任せている。

そのおかげで、今度は僕が手持ち無沙汰になってしまったが…

僕は少し座って落ち着くと、直ぐに立ち上がって周囲を見回した。


今はこうしてバイトの身だが…この喫茶店自体は昔から通っていて"常連客"だった。

父の昔のツレと言えば良いだろうか?バイクや車でやんちゃしてた頃からある喫茶店らしい。

今のマスターは2代目で父の後輩…先代は彼の父親だ。

どちらも僕が産まれる前からの付き合いで、僕もそれなりに足を運んだ場所だったから、訳ありの僕でも気楽に働ける場所だった。


1月ほどまえから続く不思議な"霧の中の出来事"も、ここで働いている間は意識の外に追いやれる。

昔から居慣れた場所だからか、僕はしっかり落ちつけて…そして、普段の僕のように穏やかで、冷静で、抑揚のない自分を取り戻せていた。


「今日は人、来ませんよね?」

「ああ。クローズに変えてよ。今日は終わりにしよう」

「分かりました」


僕はマスターから言われた通り、入り口のドアの看板を「CLOSE」に変えて鍵を掛けた。

それからカウンター奥のロッカーを開けて箒を取り出した。


「閉める準備しちゃいますよ?」

「ああ。ありがとう。お願い」


マスターに声を掛けてから、手にした箒で床を掃いていく。

今日はお客さんの数は少なかったが…大雪の人もあって雪解けの後に残る細かな埃が多い。

とはいえ、そこまで広くない店内なので、直ぐに掃き終わる。

テーブルの下…椅子をずらしたりして満遍なく掃いて回っても、5分と掛からない。

埃を1か所に集めて、それを塵取りで取ってゴミ箱に捨てて、終わり。


ロッカーに箒を戻すと、丁度マスターの方も洗い物が終わったらしい。

ハンカチで濡れた手を拭きながらこちらの方に顔を見せると、改めて外の方を見て驚いた表情を浮かべた。


「こりゃ酷いな…」


そう言うマスターの横で、僕はカウンター席に座って付いていたテレビのチャンネルを変え、データ放送で出ている天気予報を画面に出した。


「夕方には落ち着くみたいです」

「夕方までに埋るんじゃない?そっからも降るんだろ?」

「まぁ…明後日までは多かれ少なかれ降る見たいですから、1回か2回は雪の中で除雪覚悟ですね」

「除雪も来ねぇだろうなあ…これじゃ」


マスターもカウンター席に座ってテレビを見上げる。

画面に出ているこの地方の天気は、全て雪だるまのマークが付いていた。

それも、大半は吹雪の中で雪だるまが崩れる絵柄だ。


「待ってりゃドア空かなくなるな。ヤバくなる前に帰ろう。乗っけてくから、準備してよ」

「ありがとうございます」


天気予報を見た途端、マスターはそう言って立ち上がる。

僕はお礼を言ってから、裏手の個室に入っていった。

物置部屋なのだが、今は僕一人の更衣室代わりの部屋。

シャーっとカーテンを閉めて、着ていた制服から私服に着替えた。

ウエイトレスの服から、あまり意匠の変わらない私服に着替えて…ローファーだった靴をブーツに履き替える。

手っ取り早く着替えてダッフルコートを羽織ってボタンを閉めると、カーテンを開けて部屋を出た。


「オッケー?忘れ物ないよね?」

「はい。身一つですから」


店内でマスターと合流すると、裏手側から外に出た。

ドアを開けた途端、ブワッと雪が舞い込んできて、思わず顔を背ける。

僕達はマスターの車まで走った。

既にロックが解除されてエンジンが掛かっている様子。


「乗ってて。雪ほろっちゃうから」

「はい、ありがとうございます」


車内に雪が入らぬよう、少し手で避けて…ゆっくりとドアを開けて中に入る。

コートにも髪にも雪が掛かっているものだから、多少車内に雪が入り込んでしまうが、それは仕方がない。

僕は勝手とは思いながら、エアコンを弄って内側から車を温められるようにする。

雪に覆われた窓は、直ぐにマスターが掃いてくれて、吹雪き模様を映し出した。


「ヤバいヤバい。待ってれば待つほど身動きできなくなっちまう」


適当に雪を掃い終えたマスターが運転席に入って来る。

そう言いながら、直ぐに車道に出て行った。

ワイパーは全開で、ライトを点灯させて…ノロノロと走る車の流れの中に入り込む。

車内は直ぐに暖まり、マスターの世代に合った歌手の曲がスピーカーから流れてきた。


「帰ったら早速除雪だなこりゃ」


新雪の上に不規則に付いた轍の上を行く。

ゆっくりとした動きで車が轍から逸れては戻ることを繰り返しながら、何時もならただの直線でしかない道を走っていた。


「ですね。帰ったらすぐにです」

「家に誰かいるんだっけ?」

「母が居ます」

「そう。元気?」

「相変わらずです。偶に日本語が通じないですが」


他愛ない会話も、バイトになる前から変わらない。

僕が冗談めかしに言って見せると、マスターは笑ってくれた。

日本語が通じない…というのは、何もボケてきたというわけではなくて、単に僕の母が日本人では無いからだ。


「そりゃそうでしょ。でも大分日本語上手くなった方かな?最初なんて互いの国の言葉と身振り手振りでしかやり取りしてなかったんだから」

「よく結婚しましたよね」

「いやぁ…それは先輩、彩希の父さんがね」


マスターはそう言うと、僕の方を見てすぐ前に向き直った。


「そういや彩希はロシア語喋れるのか?」

「喋るなら。読むのは苦手です」

「へぇ…」

「綺麗な文字なら読めますよ?でも、母は目も残されても同じ文字の羅列にしか見えませんが」


僕はそう言って笑うと、すぐに表情を元に戻す。

視線を泳がせると、助手席のミラー越しに自分の顔が見えたが、じっと見つめることはせずに目を背けた。

目を背けた先…窓の向こう側は大粒の雪が風に舞っている。


「雪、さっきよりも強くなってきましたね」

「ああ。雪かきするとき帽子被らないと、彩希なら背景と同化するな」

「確かに。首無し人間になっちゃうかも」


強さを増す外の光景。

車内は適度に暖かく、平和だった。

丁度オーディオの曲が切り替わると、現状にピッタリの曲のイントロが流れ出す。


「そう言えば先輩のZ、何処まで治ったんだ?」

「何処まででしょう…ボディはついこの間本条さんの工場に持ってってもらいました。最後の調整と塗装のために」

「おお…ならもう終わったも同然じゃない」

「後のは綺麗にしただけで手つかずなので…」

「大丈夫大丈夫、先輩見た目は気にしてなかったけど動くようにはしてたはずだから問題ないはずさ」

「だといいんですが…錆びが大敵でして…」


家までの道のりはいつも以上に時間が掛かる。

僕とマスターは特に焦る様子も無く、淡々と…何気ない会話をしながら家までの道のりを通っていた。

バイクで15分…バスで30分の道のりを、ゆっくり45分かけて戻っていく。

家に着いた頃には、車の時計の針は12時45分を少し過ぎた頃合いだった。


「すいません、遠回りでしたよね」

「大丈夫大丈夫。帰れないことは無いからさ」

「ありがとうございます。お気をつけて」

「あいよ。お疲れさん」

「お疲れ様です…」


すっかり雪が積もった家の前で降ろしてもらう。

足首よりも深く埋まった歩道の上で、マスターの車が見えなくなるまで見送ると家の玄関まで雪をかき分けながら歩いた。


「誰かと思った。おかえり、今のマスター?」

「ただいま。そう。雪が凄いから店を閉めてきたの」


呼び鈴を鳴らす前に、母がドアを開けて出迎えてくれる。

僕は少しの距離で体中に積もった雪をほろってから家の中に入った。


「除雪しとかないと埋まっちゃうよ。ずっと降るみたいだし」

「お昼食べたらやるつもりだったの」

「もう食べた?」

「まだ」

「なら食べちゃおうよ。それでサッとやっちゃおう」


僕はコートをハンガーに掛けてストーブの近くに吊るしながら言った。


「除雪しちゃえば、後は暇でしょ?こんな日なんだし、ボーっとしてようよ」

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